45.僕が一番

 ケイは、いつになく強張った顔で廊下を歩いていた。


 いつもならば、常に自分に向けられる周囲の視線を意識して、自然に笑みになるのに今日はそうならない。

 赤の他人でも、たいていの人が自分に向ける期待は同じ。ケイを見て他人は喜んで、ケイに微笑みを向けられたいと期待するのだ。

 その時の反応を受けて、ケイは通りすがりの人間でも、今後自分の役に立つかどうかを判断する。だって次の日に差し入れをくれるかもしれないし、宿題を見せてくれるかもしれないし、手紙を渡してくるかもしれないだろ。

 

 なのに。


(――なんなの、あの女!?)


 あの警戒するような視線、探るような怪訝な顔。


(おかしいんじゃないの!)


 自分が近づいてやったのに。

 キスまでしようとしてあげたのは、かなりの特別扱いだったのに!


(僕が顔を近づけたんだよ! ただ顔赤らめて、うっとりしてればいいんだよ!)


 そうならなかった。あの女はかなり変だ。どうかしてる。


「――ケイ? どうしたの」


 ケイは、かけられた声に足を止めた。

 その声でいきなり音が、周囲の色が、現実が目の前に戻ってくる。

 そこは他に誰も生徒のいない廊下で、目の前にはドアに手をかけた冴えない、女子一人。


「――怒ってるの?」

「別に?」


 院生室に入りかけた姿勢のままで、女はおどおどとケイの機嫌を伺う。

 

 背が低い上に猫背の前かがみ姿勢、銀の細い眼鏡のフレームの下の一重の瞼は重たげで、上目遣いの眼差しは、いつも自信なさげだ。


「――そんなことないよ。少し、考え事をしていたんだ」


 ケイが上辺だけの笑みを張り付けると、女は頬を赤らめた。


 ――これが女子の通常の反応だ。


(でも当たり前過ぎ! 全然、つまらないんだけど!)


 苛々は少しだけ緩和されたけれど、留飲は下がらない。


「寄っていってもいい?」

「うん。今誰もいないの」


 魔法学科の院生室に、ケイは彼女に続いて入る。たくさん並んだMPモニターの電源はすべて落とされていて、作業をしている院生はいない。


「ケイ、これ頼まれていた課題。書き直しておいたよ」

「――サンキュ」


 彼女が鞄から差し出した資料を受け取りながら、ケイは僅かな笑みを浮かべる。それだけで、この眼鏡の女は頬を赤らめて、顔を俯けてしまうか、目を潤ませるのだ。


(でも。もったいないから、これ以上はないけどね)


 ケイは自分の笑みを十段階まで設定して使い分けていた。

 グレード一の笑みは口元だけを緩ませるもの。知らない人にドアを開けてもらったり、席を譲ってもらった時。グレード五は、かなり特別な笑みだ。顔全体で笑いかけてあげるもの、高価な贈り物をされた時や、先生に成績を優遇して貰った時に浮かべる。グレード八の笑みだと、目まで合わせるものだけど、これはなかなか見せてあげない。


 だって、誰にでも笑ってあげてたら、ありがたみが薄れちゃう。状況によって使い分けないと、価値がなくなる。


 あの女――ケイの担当の教員は、最初のうちからグレード三の笑みを見せていたのに、全然反応を見せなかった。


 だから今日、特別に二人きりで笑みを見せてやったのに。


 ケイと二人きりになりたがる教員は山程いるのに。


「――ケイ、それでいいの?」


 何の話? ケイが可愛らしく目を瞬くと、彼女はなぜか必死でケイに答えを欲しがる様子だ。


「課題の直し。それでいいかな? 見てみて」

「うん? 君がやったなら、いいよ」


 ケイは全く内容を見ないで資料を丸めて、鞄に入れた。


 あの女、リディア・ハーネストに修正を言い渡されたレポートだ。実習に備えて『魔獣討伐案を作成せよ』とか、なんなんだよ、それ。


 そんなことより、気にすることあるだろ? 僕のこともっと見ろよ!


「私、そこまで高レベルな魔獣討伐をしたことがないからわからないのだけど。一応、今度のケイの実習先の地形の特徴と、気温と湿度と、推定される移動距離からの体力消耗を計算していれたつもり。それを入れろっていわれたのでしょう?」

「あぁ、そうかも」


 何の話かよくわからなかったけれど、とりあえず頷いておく。笑みはないけどね。


「ただ、ケイの組むチームの人の魔法の属性がわからないから、チームでどう動かせばいいかわからなくて。一応前衛と後方支援にわけたの」

「ふーん」


 ケイは、顔を背けてもういいよ、と奥の実験室の方へ向かう。


「ケイ?」

「ねえ。メグ。この魔法晶石、頂戴」


 指し示したのは、透明なガラス戸に囲まれた、五十センチ四方の冷蔵庫。もちろん、飲食物の管理用ではなく、実験の試料や材料が入っている。


「いいけど、一つ?」

「ううん、そうだなー。五つ?」


 後ろから追いかけてきたメグは、険しい顔で首を微かに振る。


「だめだよ、実験用に購入したんだもん。そんなになくなったら、みんな驚くよ」

「魔石作成に使ったって言えば」

「その魔石はどこにあるの?」

「実験に使ったっていえばいいよ」


 魔法晶石は、自然界にある魔力素を含んだ結晶だ。魔力を貯めやすい傾向にあるが、耐久性がないため、加工して人口魔石を作るのに使われる。


「でも」

「ねえ、お願いメグ」


 振り向いて、メグの顔を覗き込んで首を傾げる。

 メグは途端にひるんで、おどおどして、顔を背けてしまうが、顔が真っ赤だ。だからケイは言葉を重ねる。


「ねえ、メグ。必要なんだ」

「何に、使うの?」

「……秘密だよ」


 グレード五の笑みで、話を終わらせればメグは頷くだけ。


「じゃあもらっていくね」


 ケイはメグの方に背を向けて、すぐにウズラの卵大の大きさの魔法晶石を五つ、鞄に入れる。

 自然に笑みが口元に浮かぶ。めったに誰にも見せない本気の笑み。


(これで次の授業は、僕が一番だよ)


 あの女、リディアはどんな顔をするだろう、と思いながら、ケイはクスクスと思わず笑い声も立ててしまう。


(大体、騒がしくって出来が悪いのばかりだから、僕のこと見ないんだ)


 自分ができるからって、そのままにしとくなんて信じられない。ここまで僕がしてあげてるんだから、今度こそ注目してよね。


(ああそれとも。わざと僕のこと、無視してるのかも)


 気になっているのに、気を引こうとして、無視してる。そうかもしれない。


 だったら――特別に授業をしたいって言ってきても、すぐに頷かない。


 だって、もっと僕のことだけ見てくれないと。僕のことだけ特別扱いで、僕だけを見てくれなくちゃ。


「――あれえ、ケイ来てたの?」


 いきなり院生室のドアが開いて、ケイは振り向く。

 すでに冷蔵庫のドアは閉めてある、魔法晶石はケイがもらったとは誰も思われない。疑われるとしたらメグだろう。


「なんだ、ケイがいるなら、外、出なければよかった」

「どこに行ってたの?」

「買い出し。これからこもるからさ」


 騒がしくなったのは、これからの実験作業にこもるための食糧買い出しに出ていた院生がもどってきたから。いきなり修士の学生が五人も増えて、騒がしくなる。


「ねえ、ケイ。アイス食べる?」

「わーい、僕、ストロベリーが好きなんだ」


 ケイはメグの横をすり抜けて、他の院生のもとに向かう。


「ケイも、来年ここにおいでよ」

「いいの? 僕がここの大学院に進んじゃっても」

「だってケイの顔を見られるだけで、私たち癒されるんだもの」


 ケイは、アイスクリームのカップを受け取る。甲斐甲斐しくスプーンを渡してくれる女子と、お茶を入れてくれる女子。


 ウン、やっぱり女の子はこうじゃないとね。


「ケイってホント天使だよね」


 研究生には女子が多い。やっぱり魔獣とかと戦いたくはないから、女子はみんな研究者や公務員を志望するのだ。


 魔法師は女子が少ない。

 それは知っていたけど、ケイの領域みたいに、全員が男とか、全く予想していなかった。

 第一希望は火系魔法領域だったのに、魔力値で選抜から漏れるなんて思いもよらなかった。


「そうかな。僕にとってはみんなのほうが天使みたい」


 途端に女の子達は喜んで笑みを作る。女の子はこうじゃなくちゃ。褒めれば喜ぶし、ケイが笑えば嬉しがる。


「そういえば、ケイのところって女の先生だよね」


 不意にアイスを食べ終えた女子の一人が言い出して、ケイは驚いてわずかに肩を揺らす。

 なんでそんなことを言いだすのか、警戒心が宿る。


「魔法学科なんてほとんど女の先生じゃない?」

「そうだけど、助教の先生。ハーネスト先生って言ったかな、まだ十代みたいな感じ」

「へえ。若作り?」

「そうじゃなくて、なんでも魔法師だったから十代で修士行けたらしいよ」

「じゃあ、まだ十代? 学生みたいなもんじゃん。そりゃ若いね」


 ケイが話さなくても、勝手に女子達が話し出す。


「ていうか、ケイに教えるなんて羨ましいー」

「そうなんだよね。ケイと同年代だったら、絶対仲良くなっちゃう。ケイ、平気?」


(あ、そういうこと?)


 ケイは、彼女たちがどうしてそんなことを話題にしたのかようやくわかった。


(なーんだ、嫉妬か)


 ケイはここで笑って平気と答えるか、ほんの僅かな間、内心で逡巡する。そして、顔を曇らせて微苦笑を浮かべる。


「どうしたの、ケイ?」

「うーん。たぶん、先生に僕、好かれちゃったみたい」


 皆がざわめく。ケイは自分が今最も注目を浴びて、関心を集めていることに満足する。


「僕のこと特別だって言うんだ。魔法も僕が一番使えるからさ」

「そうなんだ」「わかるー」


「でも、特別扱いはよくないよね。付き合ってほしいっていうから、断ったんだ」


 えええ、と皆のどよめきと、非難の声が上がる。もちろん非難は自分に対してじゃない。あの女教師へのものだ。


「でも秘密にしておいてね。先生に悪いから」

「それっていいの?」


 うんって頷いて、ケイは困ったような笑いを作って、顔に浮かべた。


(秘密にしておいて、って言われて秘密にする女子なんていないよね)


 ケイは、また自然に口元をほころばせて笑みを浮かべた。女子たちが、ケイを気遣いながらも、また別の話題で盛り上がる。


 その輪に入ってこないメグが自分をじっと見ていたことに、ケイは全く気づかなかった。

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