35.後始末の仕方


 目覚めはあまりよくない。目が覚めて、襲い来るのは色々な感情。

 

 リディアは寝台の上で、横になったまま唇をなぞった。


 ――キス。

 

 なんであんなことを、彼はしたのだ。


(……したかったから。しても許されるから)


 ――したいと思えば、してしまえる。

 女の子は許してくれる。そういう付き合い方なのだろう。


 ああでも、そんな自分勝手な性格ではないと思わされる部分もある。

 多分気遣いもできる、優しいところもある。


 リディアは眉根を寄せた。

 やだ、時間差でショックがきた?


(……そんな事を考えている場合じゃない)


 ――今日は、事故の報告をして実験室の片付けをして。

 どうするかはその後考えよう。


 ウィルは、もう何もしてこないだろう。


 ――きっとそうだ。

 






「はい。俺がふざけたせいで装置を壊してしまい、すみませんでした」


 出勤するとすぐに教授からの呼び出しがあった。

 報告書を持ち教授の研究室にいくと、ウィルが頭を下げていた。

 

 リディアは何かを言いかけたが、あまりにも彼がいつもと違い神妙にしていることに呆気に取られ、言葉を飲んだ。


「――借りた演習室の備品でしょ? それを壊してハーネスト先生、どうしてあなたは昨日のうちに報告しなかったの?」

「それは――」


「俺が、壊したこと言わなかったんです。見た目には異常がないので。でも、それを父に言ったら、父の大学で古くなって今は使っていない高度魔力計測装置を寄贈したらどうかと。ここのよりも新しい型です」

「確か、あなたのお父様は――」

「はい、カーネスト大学の魔法陣学の教授をしています」


(そうなの!?)


「そう言えばそうだったわねー。お元気かしら?」 


 教授はいきなり知り合いだったかのように親しげに語り、テンションまでもが高くなる。こちらから一方通行でしか知っていなくても、知り合いを気取ることは、自分のステイタスになるようだ。

 あちこちでいつのまにか知り合いにされている、と有名人が語るのは、この世界でも共通のようだ。


「でも悪いわよねえ?」

「いいえ。父としては謝罪に伺うと言うのですが、まずは僕の方から伝えたいと言いました」

「あらそんな、お忙しいでしょうし。そういえば、今度学会でお会いできるかしら」

「伝えておきます」


 カーネスト大学のダーリング教授といえば、魔法陣学の権威だ。うちの教授は足元にも及ばない。その教授と繋ぎができると聞いて、エルガー教授はもう目も当てられないくらいウキウキしだした。


「先生の大学用アドレスをお伝えしてもよろしいでしょうか? 後で父から連絡が来ると思います。装置については父の秘書から」

「ああそう、じゃあハーネストさん。あなた庶務の方に寄贈品を受けとる書類を提出しておいて。必要な手続きは任せたわ」


 リディアの報告書は鞄の中だ。出すタイミングを迷う。


「そのことですけど!」「すみません」


 リディアの声にウィルの声が被さる。


「――実は僕、先生に怪我を負わせてしまいました。申し訳ありません」

「あらそうなの」


 教授は、ふーんという感じで、関心があまりないらしい。リディアは必死な自分がよくわからなくなる、そしてどういう方向に話が進んでいるの?


「そんな大きな故障だったの? ダーリングさん、あなたに怪我は?」

「いいえ。僕は少し火傷を。でも問題ないです」


 ダーリングさんなんて、教授に猫撫で声で呼ばれたウィルがひらひらと手を振る。何の傷跡も見えない。

 当たり前だ、火傷をしたのは背中なのに!

 意図的だ。


「あの! ――そのことで報告書を書いてきました。確認していただいたら学科長にも報告します。申し訳ありませんでした」


 リディアの言葉に、教授は明らかに顔をしかめた。相変わらずリディアではなく、”ダーリングさん”に媚を売る視線だ。そりゃ権威の息子ですけどね。


「ダーリングさん、お父様にはこのこと伝えた?」

「はい、先生に怪我を負わせて申し訳ないと。僕の方は何の痕跡もないので、特には父に言うつもりはありませんし、父も気にしないでしょう。それよりも女性の先生に対して怪我をさせたことを謝罪をしなければと言ってました」


 なんなの? 教授だけじゃなく、ウィルも猫かぶりの態度だ。 

 そして教授は、不可視の何かが空中に浮かんでいるかのように、それを打ち消すように手をふった。


「ああもう、ハーネストさんのほうは構わないでいいわ。あなたのお父様にも、そんな事気にしないように言っておいて。本当に気を遣わせてしまって申し訳ないわ、今度ぜひお会いしてこちらからお詫びを言わなくちゃ。お父様によろしく伝えておいてね」

「はい、そうします」

「あの、報告書は――」


 教授は、会話の邪魔をした、とでも言いたげにリディアを睨みつけた。


「報告書は、あげなくていいわよねえ。『機械は故障のため交換』と簡単に会計に提出しておいて。あまりことを大きくしないほうがいいわ、ねえダーリング」

「はい、そう先生が仰るならば」


 ”ダーリング”になった、と軽くツッコん出る場合じゃない。

 なにそれ!? 生徒に怪我をさせて、備品を壊したのに?


「それからハーネストさん。あなた、今度から生徒に謝らせないで、自分で言うのよ。全くもう、報告一つできないんだから。学科長にはあなたから機械を壊したこと謝罪しておくのよ、余計なことは言わなくていいわ。ああでも、ダーリング教授からの寄贈の件は、私から伝えなくちゃ」

「あの――」

「それじゃあ話はおしまいね」

 

 先ほどと同じように手を振る教授の今度の動作の意味は、明らかだ。

 出て行けのサインだ。


 ウィルは出ていく際も、一切リディアを見なかった。

 むしろ、全くこちらを見ないのも不自然な気がしたけれど。


 彼を見送った後も、リディアが物言いたげに残っていると、あからさまに教授は嫌そうな顔をした。


「まだ残っているの? 私、仕事があるのだけど」

「いいえ、あの――失礼します」


 教授の自分への態度はひどすぎるが、それ以上に今回の顛末に釈然としないリディアは、憮然としたままの顔で首を傾げながら部屋を出た。



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