32.残念な事情


「――外は、全く被害なし。警備員にも聞いてきたけど、何の音もしてないってさ」


 戻ってきたウィルは、上にコートを羽織っていた。

 あの格好で出ないように注意しなくてはと思っていたが、警備員に会う前にちゃんと気を遣えたのだから偉い。


 自販機で買ったのだろう、苺ミルクのブリックパックを渡してくる。


「風魔法が間にあったのね。外に音と光が漏れていなくて、よかった」


 生徒からの差し入れだが、疲れすぎて辞退する気にはなれず、ありがたく受け取る。


「なんで苺ミルク?」

「女子はみんな好きだろ」

「それは偏見。あなたの彼女が好きなんでしょ?」


 一口飲んで、黙ってしまった彼に失言だったと気づく。昔の彼女だったりして。


「でも、疲れているから美味しい。ありがとう」

「前見たから。――飲んでるの」

「購買? 見てたの?」


 子供の頃好きだった苺ミルク。懐かしくて、つい先日購買で買ってしまったけど。自分の知らないところで、知り合いに「見た」と言われるのは結構恥ずかしい。生徒だと尚更。


 彼は何も答えず、じっとリディアを見ている。


「――あのさ、それ何?」


 リディアは彼の視線の先を追い、それから口を開く。


 隠しようがない。話題にならないようにしていたが、駄目か。

 ――腕の痣は、今は動いていないが、しっかりと刻まれている、まるで刺青のように。 


「私は呪詛の研究をしているって言ったでしょ。魔法師団にいた時に、任務に失敗して、呪詛を受けたの。それ以来、高位魔法を使えなくなったの。使うと呪詛が発動しちゃって。それを解くために呪詛を研究対象にしているの」


 彼は息を吸った。ひゅうっと音がして、顔に怒りをのぞかせる。だけどそれを直接ぶつけてくることは、しなかった。


「つまり、俺を助ける魔法を使ったから、呪詛が発動したってこと」

「そう。呪詛の進行を止めてくれた人がいて、普段は止まっているの。でも高位魔法を使うと、少しずつ、呪詛が進んでしまう。でも今は止まっているから」

「――なんだよ、それ」


 彼は、押し殺した声で呟いた。


「なんだよそれっ。呪詛が進んだらどうなるんだよっ」

「――わからないけど、たぶん」


 わからなくはない。でも、その進行に少しでも関わってしまったことを悔やんでいる彼には、その悲惨な結末は言いたくなかった。


「今回のことは私のミス、私に全部責任がある。だから――」


 その先を言ってもいいのだろうか。彼は怪我を負わされたことを、どう思っているのだろうか。


「私の呪詛のことは気にしないで。ただ、私は――。あなたが怪我をしてしまったことについて、本当に申し訳ないと思っている。お詫びのしようがないことも。本当にごめんなさい」


 彼を助けられて良かった、とは言わない。本来はあってはいけないことだ。


「ご両親には、明日――今日でも、これからお詫びに伺う」

「あのな!」


 彼は、リディアに詰め寄り、ぐいっと胸ぐらを掴む。そして後頭部を引き寄せて、あろことか、またもや唇を重ねた。


(なんで?)


 張り倒そうかとしたが、多分疲れていて、動けなかった。よくわからず呆然としていたら、いきなり口を離して悔しそうな顔をする。


(なんで?)


 なんで、そんな顔をするの?


「その上から発言、ムカつくんだけど」


(上から発言?)


 意識してなかったけど、そうなの? すごくショックだ。偉そうな人にだけは、なりたくないって思っていたから。うちの教授のようにね。


「そ、そんなこと言っても。――私、先生だから」

「先生らしく、ね。『私、経験者だから、魔法師だから!』 年下のくせに」

「だから、年のことは言いたくなかったの、 絶対舐められるから!」


「いいんだよ! 年下なんだから、舐められても。俺に甘えても、守られても!」

「……」


(よくない。それは、よくない)


 これは、口説かれているのだろうか。


「――口説いてないからな」


 よかった。そう言いかけたが、黙ってしまう。


(じゃあこれ、なに? いじられてるの?)


「とにかく、先生は俺の名を呼ぶ。俺はリディアって呼ぶ、二人っきりの時は。以上」

「以上って何? じゃなくて今の条件、じゃなくて。――二人きりには、もうならないけど」


 どうしよう。疲れすぎて、主導権を握れない。

 というか。この子、さっきまで死にかけていたのに、なんでこんなに元気なの?


「何言ってんだよ。今後も続けるだろ、補習。最後まで面倒みるったじゃん」

「それは、状況が変わって。私は教えられない、今だってこんな惨状になったし」

「交換条件だ。俺は今回のこと黙ってる。だから、補習してほしい」


 リディアは口を閉ざす。

 補習してほしい、それは、本当はありがたい申し出だ。リディアを信頼してくれたのだろう。けれど、リディアの能力では彼の能力は導けない。


「この部屋の片付け手伝う。それに演習室の掃除も。他の奴ら連れてくるぜ」

「部屋は、問題ないと思う。器具は直らないけど、部屋には自動修復の魔法がかかっているから」

 

 ただ、掃除の必要があるだろう。幸いにして、明日もこの部屋は誰も予約していない。部屋の利用申請を明日もして、一日使って片付ければ――。


(いやいやいや、これは悪魔の誘いだ――)


 でも疲れすぎて、考えられない。まともに頭が働かない!


「とりあえず帰ろーぜ。リディア、送ってってよ、遅いから」


(ん? なんか、誰かとの違いが――?)


「荷物とってこいよ。施錠すりゃ今日はバレねーだろ。片付けは明日、じゃないとまじで襲う」

「はあ? あなたね、いい加減に!」


「それから、その防犯カメラ、ダミー。うちのケチな大学がそんなのに金回すはずねーから」


 天井を見ると、無事に残っているカメラ。だが、その残念な事情は本当!?


「前に、別の教室でキャッチボールして窓割った時、先生たち犯人探しに躍起になってたけど、バレなかった。防犯カメラはダミーなので、って騒いでたぜ。そのカメラとおんなじ。交換してねーんだろ」


(残念な学校だ……)


 いやいや、二十歳すぎて野球して窓割るって――どれだけ残念なの。


(まあ、クスリやるとかよりは――マシか)


「だから今回のことは、部屋を片付ければ誰にもバレねーって。俺が黙ってれば」

「だからそれが問題で!」

「あ、親には会わなくていい。彼女って思われたいなら別だけど」

「……あのね!」

「門出たとこで集合な」


 そう言ってウィルは自分のコートを脱いで、リディアの頭上に載せて出ていく。


 リディアは自分の服装を見てぎょっとした。ブラウスもスカートもひどい惨状だ。下着の黒レースが垣間見える状態に、確かにこれは――煽っていたかもしれないと思い至る。


 チラ見せしたつもりはないけれど、顔が熱くなってくる。


「気を遣ってくれたの――?」


 意外にもウィルはからかいもしなかった、むしろ紳士的だった。

 

 なんだかもう、溜息しかない。

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