31.彼女の秘密

 意識を失っていたのは、ほんの一瞬だったのだろう。


(……何かが、載っている)

 

 ――死んだと思った。なのに生きている。

 激しい耳鳴りがしている。電気が消えて、砂塵が立ち込めていて、ついでに水蒸気なのか煙も立ち込めていてよく見えない。

 

 でも、上に載っているのは、人。

 庇うように、リディアの上に覆いかぶさった人は、動かない。

 なぜだろう、どうしてだろう。リディアを覆いかぶさるようにして、ウィルがぐったりと力なく意識を失っていた。 

彼を庇い、突き飛ばしたはずなのに。


 最後に、何かに庇わられる感じがしたが、それだったのか。


「しっかりして――」


 彼はリディアの何度目かの呼びかけに、薄っすらと目を開ける。


「最後に――俺の、名前呼んでよ、――リディア」

「馬鹿、なに言ってんのよ」


 リディアは彼の下から這いずり出して、怪我の具合を調べる。


 背中の熱傷が酷い、ほとんど爛れていて、意識があるのが不思議なくらいだ。部屋の中も酷い惨状だけど、人命以上に大事なものはない。


「リディア、そう呼びたかったんだ。だって……あいつら、仲よさげでずりーじゃん」

「だから、そんなのどうでもいいのよ」


 誰のことだろう? まさか他の生徒との会話のこと?

 仲よくしたつもりはないのに。

 なんだかもう、こんな事口走るなんてウィルは末期みたい。

 

 リディアは、顔を歪めてウィルのこめかみの血を拭う。


 水魔法、いいや、だめだ。重傷だ。

 これは――回復魔法、ほぼ蘇生魔法のレベルだ。


「もう喋らないで。それから――二度と、こんな風に庇わないで」


 彼は目を閉じて、そのまま口を開く。


「だってさ、リディアは女だし。年下じゃん」


(でも私は、魔法師で、教師で、あなたを守らなきゃいけないのよ――)


 リディアは半分破れている白衣を脱いで、うつ伏せにした彼の頭の下に敷く。顔は横に向ける。

 

「何すんの……」

「まだ喋れるなんて、あなた生命力あるのね」

「だって俺、火属性だぜ。火には耐性があるんだって」


(――確かにそうかもしれない)


 だからこの程度で済んだのかもしれない。その彼が庇ったからこそ、リディアは無傷なのかもしれない。


(もしかしたら、ウィルは契約を結んだのかもしれない)


 その上位の存在がいたから、生き残れた。


”水よ、風よ。彼に癒しを与え給え――"


 まずは、簡単な下位魔法で、彼に安らぎを与える。わずかだが、傷の痛みが緩和されるはず、時間稼ぎだ、本命の。


 そして――。


”――我が主よ。命を、生を司る君よ――私の君よ"

 

 白衣の下も、服は半壊していた。

 袖をなくした上腕はむき出しで、肌に浮かぶ血管が怒張し、その走行に沿って黒い不気味な痣模様が膨れ出す。


 腕から伝わる痛みが神経を走り、脊髄を伝わり、そしてまた鋭く全身を貫く痛みとなり戻ってくる。


(――っう)


 ウィルの頭に手を置き、左手を握る。


”――この者の命の流れを正し、失われし生命の糧を補いたまえ”


 詠唱を紡ぐたびに、激痛が全身を走る。

 腕から伝わる呪いの痣模様は、さらに広がり皮膚を侵食し、鎖骨に、そして胸元の方へと進む。

 ウィルの上に金の光が降り注ぐ。


「リディア――?」


 彼が身じろぎをして、目を開ける。半目をあけ眩しそうに瞬いていた彼は、茫洋としていたものからハッと表情を変える。


「何して――るんだ」

「あなたの回復――というより蘇生」


 彼の目の前には、リディアの皮膚状に蠢く不気味な痣が見えるはず。それは見ていて気持ちいいものじゃない。


「あまり見ないで」


 とは言っても、好奇心旺盛な青年には無理か。リディアは最後の言葉を唱える。


”――主よ、あなたの僕、あなたの手足、心臓、あなたの体たる者、あなたのリディア・ハーネストが願う、この魔力を、この精気によって、この者をあるべき姿に戻したまえ、あなたの祝福を与えたまえ”


 ウィルの上に降り注いだ金の光は、彼の中に溶け込んで消えて、代わりに傷をも塞いでいく。

 そして無残に焼け焦げた衣装の残骸はそのままに、ほぼ傷跡は消えた。

 

 その頃には、リディアの激痛は堪え難いほどとなり、目を閉じて俯いて、それをやり過ごすばかりになっていた。


(行ってしまった、あの方は――)


 いつも優しく光を投げかけて、頬に軽く触れて、存在を示すリディアの主人は、もう何も言ってくれない。


(――許されていない。ずっと許されない)



「先生、先生――」

「……」

「なあ、リディア!」


 目を開けて恨めしげに見返すと、ウィルが複雑そうな顔で見下ろしていた。いつのまにか彼は起き上がり、リディアの頭を膝に載せていた。


「大丈夫、なのか?」

「あなたこそ、どう? 気分は」


 リディアは、ゆるゆると起き上がり、めまいを堪えるように額を押さえた。


「俺は、スッゲーだるいけど、痛みはない。治っちまった」

「だいぶ体液は失われたからね、しばらくは無理しないで養生して」


 リディアが立ち上がろうとすると、ウィルは支えてくる。


「何しようとしてんの?」

「外の確認。被害はないか」

「ちょっと座っててよ」


 窓の外を見て、それから扉をあけて、廊下へと出ていく彼を呆然と見つめる。


(やっちゃったなあ)


 部屋をぶっ壊したのも問題だけど、生徒を大怪我させてしまった。

 今から教授に報告の電話をする気にはなれない。

 どうせ停職、または免職。


 魔法省と大学とそれぞれの事故調査委員会による事情聴取に査問会。魔法師資格をとりあげられるかもしれない。


(まあ、ウィルが助かったから良かったけど)


 ――それだけで十分だ。

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