28.魔法の秘密
――おかしい。
測定を開始して、すぐにリディアは眉をひそめることになった。
今までのウィルとのやり取りからすると、彼が測定を拒否する可能性はあった。
だが今の彼は真面目にやっているように見える。額には汗も滲んでいる。
けれど、能力値が出てこない。
画面には、心電図による心拍数が計測できている。心拍数は上がっている、七十代だ。心電図の波形は問題ない。
(緊張を、している。――怖がっている)
リディアは装置を遮るように彼の前に立ち、顔を覗き込む。
「ダーリングが前に魔力値を測った時、演習室が焼けたと聞いたけど。そのあと測り直した?」
強張った顔は、黙って口を強く引き結ぶ。
「測り直して、ないのね」
「お前は――もうやるなって言われた。そりゃそうだろ、制御できねーんだから」
早口で告げる顔は、納得なんてしていない。
なんてことだろう。彼は明らかに高い魔力を持っている、そばにいても怖いくらいに感じる。なのに、それを伸ばそうとしないなんて、いやできないなんて。
これが、教育の――現状。
教育者は、魔法師としての現場経験のない者が多い。魔法の実戦使用がない、だから教えられない。卒業後に、勝手に育つことを期待する。
学生には在学時に魔力値を測り、高い値の出た属性の専攻をさせる。そして、属性魔法の詠唱や魔法式を教えて、暗記させる。あとはペーパーテストのみの国試に合格させて、魔法師資格を取らせて卒業させる。
魔法が自在に使えるようになるまでは育てない。それは就職先で習得すればいいのだ。
教授に言われたのは「私達は芽を出させればいいの」だ。あとは現場で能力を伸ばしてもらえと。
けれど、できれば丈夫で逞しい芽が出て欲しい。
本音を言えば、蕾をつけるところまでは、手伝いたいところ。
そもそも魔力値は全員違うのだ。同じ方法で教えても意味がない。
魔法を発現させるには、魔力を放つという行為、漂う属性を掴み働かけるというアプローチ、更に制御という行為、すべてに技が要求される。
魔法は、ただ言葉を紡げば全員が同じ威力・同じ速さで発現するわけじゃない。魔力を放つのに苦労する者もいれば、制御に苦労するものもいる。
高い魔力を持つものはより制御が求められるのだ。
自分との戦いが最初の壁であり、精神制御が必要なのだ。
リディアはおもむろに、装置に当てているウィルの左手に自分の手を重ねる。
「な、何すんだよ!」
「大丈夫。私が教えるから――力を、解放しなさい」
彼の心拍のリズムが早い。その音を聞きながら、穏やかな声を出すように心がける。
「怖がらないで。あなたの力を恐れないで。目を閉じて、集中しなさい」
リディア自身も目を閉じると、彼が躊躇の後、大きく息を吸う気配がする。ピッピッピッと心拍だけの音が響く。まだ早い、まだ心拍数は八十代だ。
「目を閉じて、自分の魔力を感じなさい」
重ねた手首から、伝わる拍動。まだ早い。
黙って待っていると、だんだんと拍動が穏やかになる、七十代。
「何が見える?」
「――波。黒い海、嵐みたいだ。高い波が、あちこちに現れては、消える」
「それでいいの。まずは自分の波を確認しなさい。ただじっと見ていなさい。それがあなたの、魔力。あなたの魔力と向き合うの」
彼は息を吸い込み、喉が細い音をひゅーぅっと奏でる。けれど段々と、息が穏やかになる。
「そう、いいわ。波を起こすのはあなたの感情、風」
リディアは続ける。
「でも、風は無視していい。波を見て。波には、規則性がある。まずは大きい波を見つめて。いくつある?」
「大きいのが、ひとつ、いや、もっと大きいのが、ああ――全部飲み込んで、消える」
「そう、次に現れるまで待って。現れるまで、どのくらいか」
「今度は小さい、なかなか現れない。ああ、今度も小さい、いや……また、呑み込んで大きくなる」
「その大きい波に意識の焦点を当てて。あなたが波になるの。意識を重ねて」
黙り込む彼、心拍は穏やかに六十代を刻む。平均値だ。
「漂う。揺れる。波になって上り詰めて、小さい波を全部平らげて、ああ、海に戻る」
「そう上手、いいわ」
リディアが言うと、彼の手がぴくり、と動く。いきなり心拍が早くなる。少し黙って待っていると、彼が深呼吸をして、それから心拍が落ち着いてくる。
「もう一度、あなたは大きな波になるの。今度は、自分で波を起こす。大きな波に」
「――波に、なる、大きな波を――起こす」
彼の大きな手は湿っていた。落ち着かせるように、ぎゅっと握りしめて重ねる。
「そう、今度は波を沈めるの。穏やかに、平らにする」
「平らにする、水面を」
「風はあなたの感情、波は――この水は、あなたの魔力。風は見なくていい、水面に注目しなさい」
穏やかな心拍だ、いける。
「今度は海の中に潜って。穏やかな水の中、もう波も立たない、ただ深い、深い水の中」
「――」
「そこには、あなたの力の底。その地底から、あなたの波が浮かぶの。あなたを揺るがすものが地底にはある。あなたの力は強い、とても強い、それを感じて。少しずつ熱を与えなさい」
少しずつ部屋が暑くなる、握りしめる彼の手も熱い。
「怖くない、浮き上がらせて大丈夫。広げなさい、上にあげなさい、閉ざされた出口を開いて」
「――っ」
心拍数が早くなる、電子音が激しくなる。目を開けると、心拍数は九十代、いや百代にも近い。
「怖がらない、怖くないから――」
(ううん、彼が怖いのは何? 何が、彼を押しとどめている?)
「私がいる。私が、何があっても、あなたの力を押しとどめるから」
魔力が空間に漏れ出す。むせ返りそうなほど、濃密な魔力に満ちた空間。
(でも、たりない)
あと少し、あと何かが足りない。
「ウィル、受け入れなさい。あなたは、力が強いの。あなたの力を受け入れなさい、飲み込んで、体の中に全部取り込んで。全てを自分の中に染み込ませて。そう、満ちている魔力を、自分の中に入れる。――そして左の手の平に集める」
自分の魔力を受け入れる。取り込む。そして放出する、それが魔法。
「自分を信じる。私はあなたを信じてる。あなたが怖いのは――何?」
「怖いのは――」
ウィルが苦しげに口を開く、トランス状態だ。自分と見つめ合う最中だから、本音が見える
「闇。真っ暗だ。地底にいる。そいつが大きく口を開いて、今も――」
「そう。では、そこに進みましょう。一緒に見に行きましょう、足を進めて」
心拍数は、八十代、問題ない。
「私も行くから。闇の中に入りましょう。足を踏み入れて、進んで。何が見える?」
「何も、何も見えない!! ただ濃い、動けない。絡み取られる。濃い魔力がある」
「大丈夫、それはあなたの力。あなたの力なのだから、あなたが全て受け止められる。自分に取り込んで」
「けど――そうなったら? そうしたら、俺はどうなる? 俺は変わってしまう! みんなと違う――」
「それでいいの。皆とはちがう――あなたは特別。あなたは変わる。そして、――制御できる。私が、約束する」
(これは――やばいかもしれない)
リディアは頭の片隅で思う。――上位属性。六属性以上のもの、言い換えると六属性を配下に置く属性だ。
それはまたは属性ではなく、“何か”だと言われてもいる。上位の存在だと。
今、彼が対峙しているのは“それ”かもしれない。
けれど彼らはけして、あかさない。
自分が何を見たのか、何から力を得ているのか、何と契約したのか。
それは、ディアンもそうで、リディアもそうだった。
(今、まさに――ウィルは、“何か”との契約を結ぼうとしているのかもしれない)
だとしたら。リディアには、この力を、制御できない。
それどころかリディアは、ここに、いてはいけない。
「俺を、信じる。あんたは、俺ができると?」
「できるわ。一緒にいる。――怖くないから」
(でも、引き返せない)
このまま進むしかない。彼を進ませる、リディアも共に。
「俺の中に――取り入れる――来い」
彼の強い声、意志が定まる。漂う全ての魔力が、流れ出し収束し、彼に向かう。
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