27.補習の攻防

 特別防護処理実験室は、二重の特殊合金の扉に防魔処理が施されて、出入口の前室には陰圧となり有害物質が放出されないような空調設備が設置されている。さらに強化魔法陣が設置されて、高ランクの幻獣や魔獣の召喚、高度魔法の実験が行うことができるようになっている。


 そんな特別な実験室は、教員であれば、申請すれば領域や学科に関係なく使えるのがありがたい。


 不機嫌な顔でやってきたウィルにリディアは笑いかけた。


「入って。しっかり扉を閉めてロックをかけてね」


 全ての防護処理を発動させるには、空間を閉鎖しないといけない。

 

 壁際の高度魔力測定装置の説明書を確認しながら、リディアは背後のウィルに声をかける。天井近くまである装置は、巨大だ。


「……」


 施錠する音はしたのに、返答はない。気分を損ねたままかと振り返るリディアは、真後ろにいたウィルに驚く。


「?」


 肩越しに覗き込む瞳は、装置じゃなくてリディアを見ている。


「どーいうつもりだよ」


 伸ばされた左手、体でリディアの出口を塞いでいる。片方しか逃げ道がない、そう思った瞬間には、右手も伸ばされて、装置を背にしてリディアを閉じ込めてしまう。


「放課後の密室に男を呼び出すなんて、どういう意味かわかってんの?」

「……」


 リディアは黙って、目の前の生徒――いや、成人した男性を見つめる。

 橙色の髪は天然の色だと聞いていた。太陽と同じ色の瞳は虹彩が深い茶色で、そこは今リディアだけを見つめている。

 何か深い感情を宿した瞳が、揺らいでいる。苛立ちだろうか。


「ヤバイと思わねーの?」


 掠れた声。低いそれは男性を意識させられる。熱を宿した瞳に、意識を絡めとられそうになる。

 けれど――。


 リディアは、口を引き結んで、顎をクイッと斜めに上げて瞳に力を込め、口角をあげて笑みを浮かべる。


「勿論。リスク回避はしている」

「……」


 顔が近い。

 彼は女性の扱いが――初めてではないかもしれない。

 経験豊富とまではいかなくても、自分の言動が女性にもたらす効果を知っている。


「施設利用の申請を出している。それに、二人でいることは生徒のみんなが知っている。同じ部屋の先生たちも知っている、やましいことをするなら、隠れてやるわ」


 黙る顔は、何を考えているのか。先程は苛立たしげだったが、今は真顔だ。

 彼は、情況によっては冷静に対応できるタイプかもしれない。


「それに、防犯カメラもあるし」


 天井の一角を指す。彼はそれでも、離れない。

 このカメラは、誰かが監視をしているわけではない。あとで見直しできるかもしれない程度のもの。


「だから、私が襲うことはないの」

「……え」


 彼は、虚をつかれたようにキョトンと気が抜けた表情をした。そうなると、幼く見える。意外にカワイイ顔だ。


「だから、安心して測定に臨みなさい」

「は?」


 ぎゅっと眉を寄せる顔に、リディアも同じように眉を寄せる。


「何?」

「だから――」


 ウィルは、何だよ、とずるりと腕を力なく下ろす。だが、いきなり腕を上げて、そのままの姿勢で、なおも密着してくる。


(あ、ちょっとやばい、かも。……やっぱり、誤魔化せなかったか)


「――だから。俺が襲う、つーことは、全く意識してないわけ?」


 顔が近い。思わず逸らした顔に、こめかみに触れそうな唇。


「こっち見ろよ、先生?」


 煽られている、そう意識すれば逃げるわけにはいかない。

 リディアがゆっくりとそちらを向くと、装置の上のリディアの左手に手を重ねて押さえ込んでくる。


「覚悟してからにしてほしいんだよね、または――期待してるわけ?」


 相手が優勢、そう思わされる。グイグイくる。押さえ込まれている、

 そう思うけれど!


「――覚悟、ね」


 リディアの強い怒気に、彼はわずかに怯んだ気配。近かった顔が警戒するように僅かに離れる。


(よし!)


「勿論あるわよ」


 リディアは目を眇める。途端に、彼の目の前で火花が弾けた。


「わっ」


 彼が手で顔を庇う、燃え上がる前髪は、本当に一瞬。リディアが指を鳴らすと、全てが消え失せる。あとは焦げた毛先と、きな臭さと、空中に漂う煙。


「あのね。あなたが確かに火系の魔力が強くても所詮は学生。こっちは場数、踏んでるの!魔力制御ができるようになってから、出直しなさい!」


そう言って、首をわずかに傾げる。彼の背後に、浮かび上がる火球が一つ、そしてまた一つ。二つ、三つ、――五つ。


「その歳でハゲになるのは嫌でしょ? それともお尻を焼かれたい?」


 振り返らなくても、結構な熱を感じるはず。


「――」


彼の顔が強ばる。悔しげな顔に、リディアは笑ってウィンクした。


「手を放して。実地演習はお終い」


 彼は目を見張って、なんとも言えない顔でリディアの顔を見つめる。そして、力が抜けたように拘束を解く。彼の身体が離れるとリディアは火球を消す。


「――さ。始めましょうか」

「……」


 ちょっとやりすぎたかな。それとも、本気で怒鳴りつけるべきだったか。


 これがリディアではなく他の女の子相手に襲っていたら、張り倒して二度としないようにと根性叩き直してやるところだった。

 けれど今のはリディアへの反感だろうから、少しお灸をすえて軽い冗談で終わらせたのだ。


「……」


 なんか言った?

 男の子は、扱いが難しい、やりすぎるとすぐ折れてしまうから。ガラスの心だものね。これで不登校になられたら困る。


「先生、歳いくつ?」


 またそれか。


「答えません」

「じゃあこれやったら、教えてくれる?」


 どうやらまだ、勘違いしているらしい。リディアは腰に手を当てて仁王立ちした。


「あのね、魔力測定は私のためじゃなくて、あなたのため。今後のあなたが、自分の値を知っておいた方がいいから行うの。だから私に交換条件を出さない!」

「ちえ」


 不貞腐れたような返事は、どこか気安さを含んでいた。


 けれど少しリディアとの距離が縮まったのか、緊張が取れたのか。

 彼は渋々ながらも、装置の目の前に立った。


「使い方は簡単。図にしたがって、この心電図の三点誘導のシールを胸につけて。左の手の平をこの画面に当てて。あとは魔力を高める」

「裸になんの?」

「脱がなくていいから。服の下、電極を肌に直接つけて。私には裸、見せなくていいから」


シャツを開く彼。どうやんの、と聞いてくる。仕方なく説明書を見ながら両鎖骨下と、左脇腹に粘着シールを貼る。


「つまんねーの」と呟くのは、絶対リディアを困らせようとしたからだろう。

「魔法師団なんて男しかいないの。筋肉自慢の裸なんて、見慣れてる」

 

 黙り込むのは、からかおうとして期待外れだったからか。確かにそれなりの筋肉のあるしなやかな身体だ、何かの運動をしているのだろうか。

 

 けれど、無関心、無表情だった自信はある。

 

 ウィルに手を当てさせて魔力を高めるようにと促し、リディアは電源とスタートボタンを押した。

 



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