7.今の状況


 リディアは一階の端の自分に与えられた共同の研究室に戻る。

 個室がもらえるのは、准教授以上からだ。

 リディアが戻ると先程はいなかった、同室の他の教員が席についていた。


「――ええと、おはようございます。リディア・ハーネストです。境界型魔法領域担当になります」


 リディアは、グレイスランド王立大学の『人類未来幸福学部魔法学科境界型魔法領域』に着任した。


 ちなみに人類未来幸福学部は、なんだかよくわからない。

 大学案内を読んだけど、説明が抽象的すぎて頭に入ってこなかった。


 学生が就活の面接で、学部の名前の意味を聞かれたら答えに困るという類の名前かもしれない。


 『人類の未来の幸福を追求する学部です』

 

(あれ? 説明できちゃうじゃない)

 

 そんなことを一人ツッコミしてしまうのは、まだ動揺しているからだろう。


 そんなリディアの脳内ツッコミは、引きつった笑いを引っ込めていたせいで、たぶん気がつかれずに済んだ。



 本棚で区切られた隣の区画から振り向いた女性は、無表情にああ、と頷いた。美人で知的な感じだが近寄りがたい。



「そこって大丈夫……?」

「え?」


「――私は、フィービー・アボットよ。水系魔法担当よ、よろしく」


 後を振り向けば、リディアの席と背中合わせになる机に、三十代くらいの優しげな女性がニコニコ笑っていた。



「サイーダ・ブライアン。火系魔法領域担当」


 先程の謎の言葉を発した美人は、そっけなく言う。



 魔法師は男性が多い。

 そしてリディアの在籍していた魔法師団も男性が多かったが、ここの魔法学科の教員は、ほぼ女性だ。


 戦闘員や研究所の研究職を目指す男性魔法師が多い一方、女性は公務員の役所仕事や学校の教員になる傾向が多い。


 十歳で魔法師団に入団したリディアは、ほぼ男性に囲まれて育った。だから女性の同僚は、どう接していいのか少し不安だ。


 フィービーが穏やかな声で問いかけてくる。



「ハーネスト先生は、どうしてここに来たの? エルガー教授とどういうご関係?」

「以前は魔法師団にいたのですが、そのあと大学院に行って。指導教授がエルガー教授と知り合いだったので。空きがあるからと推薦していただきました」


 こちらの教授とは初対面です。なかなかクセがありますね、とは言わないけれど、魔法師団とは違うクセのニオイがする。


 まだその人の地雷も、ここのお作法もわからないから、やりにくい。


 魔法師団が、そういうのを構わない雑さだったから、リディアも実は苦手だ。


 もしかしたら教授の地雷を、既に踏んでいるのかもしれない。


「ふーん」



 質問されたものの、それに対する彼女達の反応は薄い。


(なんだろう、含みがある?)


「お聞きしてもいいですか?」と、断ると、フィービーはこちらを向きなおり、サイーダは自分の机上のMagical Plate、略してMPと呼ばれる魔石が埋め込まれた記録版を操作しつつ、こちらは見ずに首だけを上下させ頷いた。



「授業の受け持ちは、教員間でどう決めています? 授業担当範囲の相談は?」

「うちは会議で決めているけど。私は助教だから、月に一コマで、あとは他の先生の授業補助」


 下っ端が授業全部なのは、リディアのとこだけらしい。どうりで、多いハズだ。


「新任は授業を誰かに見てもらうとかは、ないのでしょうか?」

「領域によって新任の先生には授業案を提出させて、皆で見てくれるところもあるけど、絶対じゃないわね……」


 つまり、新任で経験のないリディアは大量の授業をやるけれど、うちの教授が見ない以上、だれもその内容にチェックをいれないということか。


 人によっては自由にやれてよい、と思うかもしれないけれど。それって生徒には良くないのでは?



「エルガー教授は、授業に熱心じゃないのでしょ。外部の仕事がお好きなのよね」


 さらりとサイーダが言ってくれた。やっぱり着任前の噂は本当でしたか。


 大学の教員の仕事は、教育と研究の二本立て。教育は学内の講義や実習、研究はまず、研究費を勝ち取り、研究をして、論文を書いて発表すること。


 二つの専門職を兼ねるのだ、かなり大変だ。

 けれどソレをこなして、上にのし上がる一握りの人もいる。彼等は大抵、人生全てを捧げている。


 それ以外では、教育や生徒の世話は下の人間にさせて、自分は研究のみに専念するという人たちもいる。これまでの噂と言動から、エルガー教授は、それに近いようだ。


 それ以上に、エルガー教授は外に出るのが好きという噂だ。


 大学教員は、社会貢献という仕事も求められる。外部での公演会、メディアでの意見発信、本の執筆、自治体や団体への意見具申、国との共同研究や対策会議、委員会への出席。

 それらは大学内での職務評価で社会貢献度として査定で加算され、参加団体からは報酬がもらえる。


 好きな人にとっては、やればやるほど美味しいのだ。


「エルガー教授が大学にいないのは、有名よ」

「――誰も何も言わないのですね」

「学科長は日和見主義だもの」


 教授の上にあたる学科長や、学部長は、専門領域が異なる場合もあり、口を出さない。教授会では顔を合わせるが、大きな問題にならなければ何も対処をしない。


「エルガー教授の領域、毎年教員が辞めてるでしょ? ハーネスト先生の前も、その前の先生も、一年で辞めたものね」


 サイーダの最初の発言の「大丈夫なの?」はそこにあったようだ。


 リディアも「一年持たないでしょ」と言われた気になる、というか言われたのだろう。

 着任早々、お前すぐ辞めるでしょという雰囲気は辛い。


 けれど、そういう歴史があるから期待されていないのだろう。

 仲良くしよう、とも思われていないかもしれない。



 教授は船長だ。

 生徒の教育に熱心で優秀であれば、船は目的地に計画通りに足並みをそろえて向かうが、そうじゃない場合は、迷走し沈没する。


 リディアの領域の船は出航してしまったのに、すでに暗礁に乗り上げている感が半端ない。


 迷走している、ぐるぐる回っている。と言うか、船長は乗船せずに、トンズラしてしまった感がある。



「そういえば私の領域の准教授にも、お会いしていないのですけど」

「来ていないのじゃない、いつものこと」


 来ていない!

 いない、というのとどちらがマシだろう。


 一瞬悪魔が囁く。


 長が自分の職場に興味ないのだから、私も興味を持たなくてもいいのでは?

 ――いやいやいや。何のために来たのだ。初日で、興味をなくしてはいけない。


「ああ、ハーネスト先生。大学のメッセージアドレスを教えて、連絡網に載せるから」

「アドレスの支給は二週間先になるといわれました」

「じゃあ個人端末のアドレスを回して」

「わかりました。今お伝えしますね。一応、庶務にはお伝えしているのですけど――って、なにこれ」



 個人端末(PP:Personal Plate)は北部・中央国連盟の国民ほぼ全員がもつ、個人情報入りの身分証明書兼、通信端末だ。アドレスを用いればメッセージのやり取りができる。



 けれど、私用のものだし、通常そのアドレスは身内や親しいものにしか教えない。なのに確認すると、既に五十通以上のメッセージが届いていた。


 慌てて開くと、教授から大量の仕事命令だ。

 教えた覚えがないのに。


 更に庶務からの書類提出、学務から授業に関する問い合わせや督促メッセージ、更には健康診断を受けろという保健室からのもの。


 確かに、入職時に庶務に教えたけれど、広めてとは言っていない。

 リディアの個人情報はすでにダダ漏れだ。管理どうなってるの?


(ていうか、仕事用のアドレス登録に二週間って、――そんなにかかるの??)


「教科書は今日注文したら、いつ届きますか?」

「書籍登録があるから再来週かしらね」


 研究者も兼ねる教員は、研究費が支給される。勿論貨幣ではなく、会計を通して注文し認可が降りれば品が受け取れるという仕組みだ。


 ただし書籍は、自分のものにはできない。退職時には書籍を返還するので、書き込みはできないし、書籍登録に日数がかかるから手元に届くのに時間がかかる。


「早くほしいなら自費で買うしかないわね」


 早く欲しいけど、本当に欲しい研究書籍のわけでもないし。

 でも、授業を作成するのに教科書は必要だし。全部揃えると、十万エン以上かかってしまう。


 懐が痛い、薄給の下っ端には痛い。 


 とすると――。


 「――図書館、行ってきます」


 勿論ここは、大学。図書館というものがあるのだ。

 授業に使う教科書ぐらいあるよね?


 そう思い、席を立つ。




 新任にだれかが仕事を教えるというのは、大学ではないのかもしれない。

 ――教えることさえ、思いつかないのだろう、研究職というのは個人主義だと思い知る。


 生徒の教育という合同であるはずの事業さえも、各教員が勝手にやって、共有しない。




 ――だったら、どうすればいいのだろう。 


 リディアは、図書館に向かいながらため息を付き、空を仰いだ。


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