8.初生徒登場

 グレイスランド王立大学は、総合学科を持つ大学だ。

 ただリディアは、州都の西の森に囲まれた田舎のビチェ区にある魔法学科専門のキャンパスに配属となった。


 ここは本キャンパスよりも小さいが、図書館棟も敷地内に一建物として存在している。内部は、透明な硝子窓が天井まで続いており、採光がよく明るい。

 

 館内は、生徒の姿がなくて閑散としていた。明日から始業で、授業は来週からだからだろう。

 

 リディアはシラバスを参考に自分の担当の教科書を探すが、最新版がない。ひどい場合は初版しかなく、借りられているわけでもない。揃えていないのだろう。


(とりあえず、古くてもそれを借りて……新しい教科書は、授業前にどこかで手に入れて確認できたら)


 だいたいさ、とぶつぶつ頭の中で呟く。

 どの教科書を使うか昨年中に教授に問い合わせていたのに、返事はなかった。 

 

 早く授業資料を準備しておきたいと思っていたのに、できなかった。


 説明を受けてから準備をすればいいと、新任だから猶予をもらえるだろうと、自分が甘い読みをしていたことにも、自分で自分に腹が立つ。


 それにしても、通常は研究費で自分の研究資料を買う。 

 ――図書館で借りる教員なんているのだろうか。

 

 こんなに教科書を借りてしまって生徒に悪いなと思いながらも、開き直る。

 持っていないのだから、仕方がない。


 十冊ほど両腕で抱えながら閲覧スペースを通りかかったリディアは、本だけを積み上げてある無人の机に目を向けた。


(あれ? あの『魔法分類六』と、『新装版 魔獣大全』、『新分類 輝石と魔力―応用編』って、うちの指定教科書?)


 ふらふらと近寄りながら、顔を傾けて覗き込む。


 確かにうちの指定教科書が揃っている、しかも新品同様。

 本を持つ片手を外して積み上げられた一番上の『魔法分類六』を裏返してみると、図書登録シールが貼付されていない。

 私物だ。


「あの……」


 背後に人が来たと気づいたのと、かけられた声は同時だった。

 すみませんっ! て、言いながら振り向いたら、十冊の本を支えていた片手に限界がきて、手にした本が凄まじい音を立てて全部落ちた。


「す、すみません!」


 まずは周囲に謝る。

 とはいえ誰もおらず、遠方の貸出カウンターで司書が立ち上がりかけていたけれど、先制で謝罪したからか、座る姿が見えた。


 そして、目の前の男性――ずいぶん背が高い栗色の髪の青年に、改めて頭を下げる。


「すみません、勝手に触って。その――探している本だったので」

「――」


 探している本だからって、普通は人のものに触らない。

 自分で突っ込んでしまう。


 真面目そうな水色の眼差しに、非常識なことをしたと反省する。彼の目線を追うと、椅子においた彼のデイパックの口からは、財布らしきものが覗いている。


(――盗もうとしたって疑われても、仕方ない!)


「触っていません。本以外は、何も! 本当に!」


 そう繰り返してみたが、強調することが寧ろ怪しいのではないか。

 彼が無反応で屈んでリディアが落とした本を拾い始めたので、慌ててリディアもしゃがんで拾う。


「――同じ本ですね」


 彼の発言に、見ていた理由がわかってもらえたかと、誤解を解かなくてはと口が逸る。


「はい、でも私のは初版なんです。魔法分類は指定が第二版でしょう? 図書館にはこれしかなくて」 

「うちの大学は、あまり蔵書は充実してないから。新入生?」

「え!?」


 彼を見返すと、困惑の眼差しが返ってくる。


 リディアは、大学院を出た今年は二十歳になる。


 魔法師になったのも特別措置だったから、通常のルートより早いし、大学院は「魔法師経験が五年以上あること」、という条件を満たしていたから入れた。


 けれど教員としては、異例とも言える若さであり、確かに――学生に見えるかもしれない。


 彼は大人びた雰囲気だけれど、二十歳前後だろう。

 

 けれど――年下に見られている?


「ああ基礎は終わっているのか? というか、まさか――境界型魔法専攻?」


 全く同じ指定教科書を持っているのだから、気づかれるのは当然だろう。けれど、境界型魔法の領域ということは、彼は生徒だ。 


 リディアの教え子になる。だがおそらく、リディアより年長だ。


「ええと、そうだけど――」

「外部生? 俺は内部から上がってきたキーファ・コリンズ」


 魔法学科は、外部からの編入生も多い、そう思われているのだろうか。差し出された手に困惑しながらも、手を握る。


「リディア・ハーネスト、よろしく」


 そう言って握手しながらふと思う。ここに来て、手を差し出されたのは初めてだ。


「あのね、その私は――」

「すみません、私語は謹んでください」


 鋭い声で注意してきたのは、先程カウンターに居た司書だった。

 

 いつのまにか二人の後ろに立っており、険しい顔で注意をされて、リディアも彼も慌ててすみませんと、口にした。

 そのまま司書は仁王立ちしており、それ以上口を開くことができず、リディアは「では」と彼に頭を下げて、背を向ける。


(教科書貸して……なんて言えないよね――)


 せめて初版と第二版を見比べさせてもらえたら。


 でも、「これから授業資料を作るの」、「教科書がないのよね」、そんな情けないことを言う教師に教わりたいだろうか。


(――言えない……)


 明日になれば教師だとわかるだろう。どっちみち、明日には、変な人だと思われるだろう。


(今、わざわざ言わなくてもいいか)


 それとも、騙していたって、不審に思われるかな。

 信頼を失わないといいけれど。

 

 そんな事を考えながら、リディアは図書館を後にした。







「キーファ・コリンズでしょ? 超優秀」


 サイーダは端末叩く手を止めずに、後ろを向いたまま話す。何かの資料を作っているみたいだ。


「全系統の魔力も計測最大値までいくし、ペーパーテストも完璧。お父様も、魔法省のトップじゃない?」

「そんなに優秀なんですね……」

「けど、魔法の発現が皆無」


 リディアは、借りてきた教科書から顔を上げて、首を傾げた。


「それって――」

「そう、魔力は桁なしに高いのに、魔法が使えないの。理由は不明、だからそっちに行ったんじゃない?」


 くるりと回転椅子を回してこちらに向き直り、サイーダは語る。


「っていうか、あなたのところの境界型魔法領域って何?」

「――ですよね」



 一、二年生は基礎魔法の技術と実践、研究の基礎を学ぶ。

 四年生になれば、六系統のうち自分の系統が判明しているから、その領域を選択するのだ。


 教員も、火系領域、水系領域、などのように領域別にそれぞれ教授、准教授、助教と在籍している。


 けれど、リディアは、境界型領域――。

 自分が着任している領域だが、正直、それは何? と、思った。


「エルガー教授が作ったんでしょ? 六系統に分類できない魔法の研究もすべき、とね。言ってることは立派だけど、結局何を教えているの?」


「――」


 確かに。シラバスを見ると表向きはすごく立派だ。


 ・多様な魔法社会に対応できる専門領域 (多様な魔法社会って何? どうやって対応?)

 ・六系統に縛られない能力を開花させる (その能力って具体的に何? どうやって開花?)

 ・魔法の恩恵をすべての国民に帰属させる (どんな恩恵を国民にどうやって返すの?)

  

 その目標を達成させるプロセスは勿論載っていない。


(というか授業をするのは、私がほとんどですけど)


 内容は、まだ決まっていない。


 境界型魔法領域は、まだ何を学ばせるか明確に示していない。

 

 教授が今後のトレンドになると先読みして作った領域みたいだけど、魔法省も六系統魔法以外の魔法を定義していないのだから、指針にすべきものがない。

 結果うちの大学が掲げている”境界型魔法領域”は、ひどくぼんやりしたものになっている。


「国試の範囲を押さえろって、言われたのですけれど」

「ようは、あなたのところって、能力を持て余した生徒を集めて、何とか卒業させるんでしょ」

 

 手厳しい。もしかしたら、他の先生方みんなに、そう思われているのかもしれない。


「……そうなのかしら」

「前の先生も、こんなんじゃやってらんないって辞めたしね」


(私も、六系統に入らない魔法師だったからな……)


 その経験を生かしてほしいって、スカウトされたのだけど。


 ――入ってみて、この領域の構成が空っぽと気がつかされた。


 自分ひとりで、どう船を動かせばいいのだろう。



 船は、出航してしまったのに。

 

 落ち着いた眼差しで、休みにも関わらず勉強していたキーファは、そんな現実を知らないで、リディアの領域を選択したのだろうか。

 

 そう思うと、なんとも言えない感情――行き場のない嫌な感じの、もやもやがこみ上げてくる。

 

 その理由は、自分が何をすべきかもわからなくて、彼等の教育の足を引っ張っている気がするからかもしれない。


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