5.過去の結末



「ガロが、教主を捕らえた。そっちに行ってくる」


 ガロから報告を受けたディアンが告げて、大広間の出口に足を向ける。

 ディアンに頷くリディアは、周囲を見回す。

 

 火蜥蜴サラマンダーは、召喚された魔獣で仮初の命だ。破壊してしまえば、形を保てなくなり、消滅する。


 今は、砂礫が舞う部屋の中で、団員と捕らえた教団の者たちが、あちこちに散っていた。



「残党をさがせ!! 隠し部屋、隠し戸、仕掛けを見逃すな!」


 ボウマンが叫んでいる。リディアは彼の背後から声をかける。


「ボウマン師。仕掛け専門の調査隊が来るまで、あまりいじらないほうが」

「では隠れている者がいたらどうするのだ!」

「それは、索敵サーチで見つけられます。何度も言いますが、ここは古代魔法が残っています」

「それはいいと言っただろう! それに、魔法の罠ぐらい見抜ける!」


 今回の部隊は戦闘が目的の編成だから、建物の調査には向いていない。

 それなのに、曰く有りげな建物を漁るのは危険すぎる。


 リディアは慎重に行いたいが、ボウマンには通じない。

 

 背後でディックが嘆息する。ボウマンにではなく、しつこく言うリディアに対してだろう。


 ほっとけばいい、と言いたいのだろう。

 

 納得いかない表情で黙るリディアも一息ついて、捕らえた教主の方に向かおうと背を向ける。

 ここはボウマンに任せよう。


「――床下から、このようなものが見つかりましたが」


 団員がボウマンに話しかける声。

 思わず振り返り、足を止めたリディアは首を傾げる。


 ボウマンが手に受け取ったのは、折り畳まれた銅板だ。

 

 変色し緑青色の錆に包まれている。

 釘で中央をいくつも貫かれており、さらに針金でグルグルと巻かれている。

 用途が不明だ。魔力の残滓も見えないが、何故床下にこのようなものがあるのだろう。


「何だこれは」


 ボウマンが釘を引き抜いて、床に捨てる。巻かれた針金も投げ捨てる。


(なにか、薄気味悪い。まるで執念のようなものを――)


「ちょっと待って!」

「おい! 止せ、触るな!」


 リディアと、戸口のディアンの声が重なる。

 けれど、その銅板は開かれていた。


 顔を上げたボウマンのキョトンとした顔、その眼から突然紅い雫が垂れる。



(え!?)


 大量の黒い蝿が、突然部屋に現れる。


「息を止めろっ! 下がれっ」


 ディアンの声が響く。

 皆が振り向き固まっていた。空中に黒い蝿が溢れ狂ったように飛び回る。


 リディアは頭を貫くような激痛に、思わずしゃがみこんだ。


「わああああ――」


「何だこれは!」


 誰かの魔法で風が起こされて蝿が吹き飛ばされる。

 膝をついていたリディアは、頭を押さえる。

 

 ズキン。ズキン。ズキン。

 

 ――割れそうに痛い。顔を押さえていた手を外すと、手の平には一面に赤いものがついていた。


(血……? なぜ?)


 顔を拭うと、ぬるりとした感触。


 鼻血か、いや、視界も赤い。耳に手を触れるとそこからも血がついていた。


 鼻からも、目からも、耳からも、血が――流れている?


「呪詛板だ、貸せ!」


 ディアンが叫んで、ボウマンの手から銅板を引き上げる。



「――テレサの腹から生まれし男ジョンを呪い給え。目から血を、鼻から血を、耳から血を、全身の穴から血を流し、死を与え給え。そしてこれを開封した者たちにも、同じように死を与え給え――クソ! 数百年前の呪詛だ」


 ディアンが読み上げる声が、まるで違う世界のように反響して近くなったり遠くなったりする。



「早く、早く毒消しを」

「違う、治癒魔法だ!」

「リディア。ボウマンに治癒魔法を!」


 顔を押さえてうずくまるディックが指をさすほうを見て、リディアは息を呑む。


 そこには自らの血の海に沈むボウマンがいた。そばにいくと、土のような色の皮膚で、ピクピクと痙攣している。

 迷わず治癒魔法を唱えるが、彼はピクリとも動かない。


 ――まだ死んでいない。


 でもこれに必要なのは――蘇生魔法だろうか。

 

 逡巡するリディアの肩を押さえるのはディアンだった。

 彼もまた全身血まみれになりながら、口を歪めながら首を振る。



「毒でも、治癒魔法でも無理だ。呪いに魔法は効かない。呪いを解くしか――」

「でも、その方法は? 呪いを解く魔法なんて……知らない」


 彼も口を閉ざす。彼の手から銅版が落ちる。


「方法は書いていない。術者はとうに死んでいる。それに――間に合わねぇよ」

「蘇生魔法を、蘇生をしてくれ!! ごほっ、リディア殿!! 」


 壁際でヘイが血を吐きながら叫ぶ。蘇生魔法を唱えようとして、リディアは口を閉ざす。


(違う――。だって。死んでいない――誰も)


「リディア、こっちを向け。お前の体の流れを遅らせる。呪いの進行を遅らせる」


 ディアンが、そう言い何かを詠唱し始める。


 体の流れを遅らせる? それは、リディアの体内のめぐりを遅らせる魔法だ。

 

 時間を止めることはできない。


 けれど、血液の流れを、細胞の動きを、代謝を、神経の接続を遅らせる。

 それは水と風と――ああ、一体どのくらいの魔法を絡めて行使するのか。


 リディアにはその術式がまったくわからない。



(でも、それをしても、私だけ――)


 詠唱しながら、ディアンは何度か咳き込む。

 血を吐きながら、リディアだけに魔法をかける。自分でもなく、何故リディアなのだ。


(どうして、どうして――)


 そうじゃない、けどそれしかない。

 彼は助けようとしてくれている、リディアに望みを繋げようとしている。


 でも皆が死んでしまう。――ディアンも死ぬだろう。

 

 奥で、ディックが血の中に沈んでいる。大半の者があちこちで倒れる。

 

 リディアは、震える手で銅板を拾い上げて上から下まで何度も見つめ直す。


 それから、顔を上げてディアンを見つめ返す。

 すると、彼は訝しげに見つめ返す。いつも感情の見えない目が、今は当惑している。


「リ……ディア?」



”――我が君よ、我ら人の体に命を与えしものよ。肉体の死を迎えし人間の、命の火を我にみせたまえ”


 蘇生魔法の詠唱をしながら、目を閉じる。


 ――空間に全ての人間の生命の火を感じる。

 

 これらは、肉体の死ではない、約束された死でない。


 だから――生の魔法の管轄ではない。

 

 去りゆく魂を肉体に留め、命の流れを引き寄せる蘇生魔法は効かない。

 

 ただ空間に溢れているのは――いびつな呪い。黒い霧。それが命の上に被さっている。



(来なさい――こちらに)


「リディア、待て! 止めろ!」


 ディアンの声が遠くで聞こえる。


 彼の上に被る黒い呪いも、こちらに呼び寄せる。

 

 去りゆく命の流れを引き寄せるかわりに、全ての呪いを呼び寄せる。


(黒い呪いよ。行き場をなくした怒りと悲しみ、黒い思いよ、こちらに来い)



 蘇生魔法は、流れ行く命を自分に取り込んで、そして相手に戻す。


 けれど今は、命ではなく空間に満ちた呪いによびかける。


 やがて、彼らの命に混ざり取り付いていた黒い霧がこちらに流れてくる。


(そう、それでいい)



 そして、リディアの中に呪いが流れ込む。

 全身を巡る魔法の流れに呪いが混じり、そして――リディアは意識を失った。




――その日を堺に、世界から蘇生魔法は失われた。






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