第45話

 本来ならば、足手まといになる一也が鬼神を続けるべきではないのだろう。だが、今の一也にはそんな事は関係ない。あるのは悪鬼が溢れているこの現状で、自分に何が出来るのかという事だけだ。その証拠に一也の瞳は決意に満ち溢れていた。


 瞳に涙を溜めてそう訴える志穂に一也はゆっくりと言葉を返す。


「――確かにお前の言ってることは正しい。でももう嫌なんだ。目の前で誰かが傷付くのは……」


 今の一也を突き動かす原動力は亡くなった母親であり、目の前にいる親しい人間達を傷付けさせないという思いだ――。


 力強い瞳で見ている一也に向かって、志穂がぼそっと呟いた。


「そんなの私だって嫌だよ……私は傷付く一也をもう見たくない!」

「はぁ~。全く面倒くさい女だなお前は……」


 一也は少し呆れながら大きなため息をつく。 


「はあ!? 私はただ、本当のこと――」


 そう反論しようとした志穂の肩を、一也が勢い良く引っ張ると、自分の方へと抱き寄せる。


「えっ!? なっ……なっ……」


 驚きながら顔を真っ赤に染め、声にならない声を上げている志穂の耳元で、一也が小さな声で告げる。


「いちいち言わせんなよな。バカ……他の誰かの力じゃなくて、俺の力でお前を守りたいんだよ……」

「……バカは一也でしょ。本当に融通が利かなくて、どうしようもないバカなんだから……」


 しばらく抱き合って一也と志穂が余韻に浸っていると、一也の耳に憤る狐鈴の声が聞こえてきた。


「主様……この妾に良くもまあ、まじまじと見せつけてくれておるのう! この女たらしがッ!!」


 狐鈴がそう言い放つと、勢い良く履いていた靴を一也に投げつけた。


 一也は咄嗟に志穂の体を離すと、その靴を手で受け止める。


「何すんだ! 危ないだろ狐鈴!」

「それはこっちのセリフじゃ! 年中発情しおって! 危なくておちおち動物園を楽しめぬ! 女を抱きたければ妾を抱けばようじゃろう!」


「……よし! 良いだろう。来い、狐鈴!」


 一也はそう言って両手を狐鈴に向かって広げる。


「行くぞ! 主様!!」


 そう言い放つと、狐鈴は全速力で一也に向かってくる。

 頬を赤らめながらぼーっとしていた志穂が慌てて叫ぶ。


「……だっ、抱くって――だっ、ダメに決まってるでしょ!?」


 っと次の瞬間、一也が自分の胸に飛び込んできた狐鈴を抱きかかえて膝の上に乗せると、きょとんとした様子で2人が尋ねる。


「何がダメなんだ?」

「なんでダメなのじゃ?」

「えっ? えっと、ダメじゃない……かな」


 恥ずかしそうに苦笑いを志穂を余所に、一也は狐鈴を抱っこしたまま立ち上がる。


「ほら、時間は有限なんだ。日も強いし、早く見て涼しい場所に行こうぜ!」

「えっ? う、うん!」


 一也が志穂に手を差し伸べると、志穂はその手を取った。

 それから動物園の中を散策すると、結局閉園時間になっていた。


 まだ遊び足りない様子の狐鈴をなんとか説得して、夕食はその狐鈴の強い希望で回転寿司を食べに行く事になった。


 店に入って席に着くと、各々好きな物を食べ始める。

 いなり寿司を食べながら、狐鈴が口を開く。


「やっぱり狐は良いのう! 特に黒と黄色のしましまのと、首にふわふわの毛を着けていた狐は凄かったのじゃ!」


 興奮気味にそう言った狐鈴は、またいなり寿司を口に入れた。


「……黒いしましまと首にふわふわの毛のキツネ?」


 志穂が首を傾げてぼそっと呟くと、皿の上のサーモンを口に運ぶ。


 一也はその話を聞いていて、皿の上のブリを食べ終えると、呆れながら呟く。


「いや、狐鈴。お前の言ってるのは狐じゃねぇーから……小麦色なら狐ってわけじゃないぞ?」

「ああ、なるほど。トラとライオンか~。……びっくりした」


 志穂はほっと胸を撫で下ろすと、今度はハマチを口へと運ぶ。


「ちなみに狐はイヌ科であって、トラとライオンはネコ科だぞ」


 一也は大トロを食べ終えると、狐鈴の前に置かれた皿を見る。


「それにしてもお前……いなり寿司しか食ってないな。ほら、これ食ってみろ。旨いから」


 一也は大トロの乗った絢爛豪華な皿を狐鈴に差し出す。


 狐鈴はその皿の上に乗った大トロと一也の顔を交互に見ると、意を決して大トロを口に運ぶ。

 瞼を閉じてもぐもぐと口を動かす狐鈴を、志穂と一也は緊張した面持ちで見守る。


 その後、ゴクンッ! っと飲み込んだ狐鈴が徐ろに口を開く。


「確かに……これは美味じゃ。舌の上でとろけ、食べている事を忘れるほどじゃ……」

「旨いだろ? ほらもう1つ。どう――」


 そう一也が差し出そうとしたその時! 狐鈴が「じゃが!」っと呟き、バッと一也の前に手を突き出す。


「――こやつは人に媚びておる! いなり寿司には遠く及ばぬ!」

「なっ!? 大トロより旨いって……。いなり寿司どんだけ寿司ネタ上位に食い込んでるんだよッ!!」

「あはは……狐鈴ちゃんは本当にいなり寿司が好きなんだね」


 一也が驚きのあまり叫ぶと、その横で志穂が苦笑いを浮かべた。

 結局なんだかんだで、一也が15皿、志穂が7皿、狐鈴がいなり寿司だけを20皿完食した。


「うぅ~。主様……体が重いのじゃ~」


 会計をしている一也に凭れ掛かるようにしている狐鈴に一也が呆れながらため息混じりに言った。


「はぁ~。あんなに食えば当然だ。だいたいお前のどこにあの量がが入るんだよ」

「……仕方ないじゃろ? 美味しいものは別腹じゃ!」

「……でも気持ち悪いんだろ?」


 狐鈴はぐうの音も出ないと言った表情で俯く。


 一也はその場に屈むと狐鈴を背中に乗せて、横にいた志穂をに目を向ける。


「志穂わりぃー。手が塞がっちまったから、カード受け取っておいてくれ」

「うん。分かった」


 志穂は店員からカードを受け取った。

 外に出た志穂は少し不機嫌そうにしている。

 そんな志穂に一也が首を傾げる。


「どうした?」

「いや、一也ってゴールドカードなんだなって……普段はお金ないって喝上げしてるのに……」

「いや、だから生活費はこれが使えるだけで、それ以外はこれ使えねぇーんだよ!」


 言い訳をする一也を疑惑の目で見る志穂に、一也が更に言葉を続ける。


「お前も知ってるだろ? 俺の親父はそういうとこ、ケチなんだって!」

「通学の為にマンションまるまる1つ買うくらいなのに……?」


 そう言って目を細める志穂に一也が声を荒げる。


「ばか野郎! あの親父は無駄を無駄としない男なんだよ! 前に格ゲーの大会に出た時は『そうか! お前も男だな! 格闘が好きか……分かった!』っと勝手に納得したと思ったら、一ヶ月間。親父の知り合いの山寺で修行させられた挙げ句、俺は全国格闘技選手権に出場させられた経験がある!」

「へぇ~。それで結果は?」

「もちろん優勝した! 出たからには一位以外は意味はないからなっ!!」


 狐鈴を背負ったまま胸を張る一也を見て、志穂は「優勝したんだ……」っと顔を引きつらせている。


 帰り道、狐鈴を背負ったままマンションに歩いていると、背中の狐鈴が突然空を見て声を上げた。


 空を見上げ、星を指差している狐鈴に志穂が尋ねる。


「どうしたの? 狐鈴ちゃん」

「前に見たテレビで見たさそり座って、どれなのじゃ?」

「えっと……それは……」


 志穂は困ったように空を見上げた。


「ああ、それはあれだな……」


 一也は指差しながら告げる。

 それを見て狐鈴は良く分からないのか、首を傾げている。


「線が引いてないからのう、良く分からないのじゃ!」

「そうだよね~。点だけだと分からないよね~」


 志穂が微笑みながらそう言うと、一也が更に言葉を続ける。


「それと意外と知られてないけどな。狐鈴にぴったりの星座があるんだぞ?」

「なに!? 主様。それはなんなのじゃ?」


 目をキラキラさせて聞き返す狐鈴に、一也は指を動かしながら説明を始めた。


「ほら、あの、強く光っているデネブ、ベガ、アルタイルを線で繋ぐと、夏の大三角になるんだが……そのデネブとアルタイルの間にあるのが、こぎつね座だ!!」

「な、なんじゃと!?」


 真剣な顔で空を見上げている狐鈴。


 星に手を伸ばして必死に三角を書いている狐鈴に、笑みを見せている一也に志穂が声を掛ける。


「一也って意外と星とか詳しかったんだね。以外だね!」

「なに言ってんだよ。小学校の自由研究でプラネタリウム見に行っただろ?」

「あっ、あれ? そうだっけ……?」


 首を傾げている志穂に、呆れながらため息混じりに一也が言った。


「はぁ~。なら、今度また見に行くか? プラネタリウム」

「本当!? 行く! 行きたい!」

「よく分からぬが、妾も行くぞ! 主様!」


 一也の頭をポンと叩くと、狐鈴は好奇心いっぱいの瞳を向ける。


 一也はそんな2人に頷くと、感慨深げに空を見上げた。


 能力の大半は失ったが……やっぱ、やって良かったな。あの時の決断があって、今この時を過ごせているんだから……


 一也はそう心の中で静かに呟いていつまでも2人と星が煌めく空を見上げていた。



 そう、人の人生は長い――その長い人生の中で分岐点は何度も訪れる。

 だが、その時どんな決断をしたとしても、自分の下した判断を卑下してはいけないのだろう。


 何故なら、自分の人生は自分が物語の主人公であり。その全ての選択肢は、自分だけに決定権があるのだから……。 

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鬼を喰らう鬼神~最強の力を手にした少年の復讐の物語~ 北条 氏也 @kazuya1334

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