第12射目 SH戦 中編

パシュ······


四方八方から矢の射出音が聞こえてくる。会場には山が呼吸をするかのように、風が断続的に吹いていた。カラフルな弓を持った高校生達が1列に並び、各々矢を放っている。


試合開始後まもなくして、夏希は困惑していた。額にべっとりとした汗を浮かべ、風が乾そうと撫でていく。


自分の射は、射った感覚は、これまでの中で1番良い。夏希はそう確信していた。フリープラクティスでは矢は緩やかに弧を描き、的の中心を貫いていた。しかし、


「当たらない!」


試合が始まると突然、矢は狙いから外れるようになった。中心から外れ、青の域、5点や6点にばかり的中していた。原因は、


「風······。」


夏希は的の上の旗を見て呟く。黄色い小さな旗が、右へ左へ激しく翻され続けている。

他の的の旗もそれは同じだった。


アーチェリーにおいて、風の存在自体はそれ程大きな問題ではない。アウトドアでの競技では避けられるものでは無いし、風や雨などを含めてアーチェリー競技であるとも言える。


問題はそれらの条件下で、どれだけ影響を受けずに射てるかである。夏希はセオリー通り、旗の動きを頼りに風を読もうとしていた。普通は旗のなびく向きで、ある程度風の吹いている方角が読めるからである。


しかし、この場ではそれが通用しなかった。旗はデタラメにたなびき、どこから風が吹いているか検討がつかない。夏希の立っている辺りでは東から西に向かって吹いていたが、的の付近は同じではないことを、それまで犠牲にした矢が示していた。


夏希は為す術なく12射目を射ち終える。的前に着くと、少し前までよく見ていた光景が広がっていた。夏希は強く拳を握り締めた。


「これじゃ······、こんなんじゃ私は」


夏希は苛立ちと焦りに支配され始めていた。自分は以前より成長しているはず。

その成果を純粋に見たい。

成長したと確信したい。


それなのに風のせいで······

自分が原因ではない外的影響による失点。それも対処できる目処がつかない。


このまま終わってしまうのかという不安が、徐々に夏希の思考を支配する。助けを求めるように、夏希はふと周りを見渡した。矢の刺さり具合を見る限り、他の高校生達も苦戦しているようだった。


それでも所々から高いスコアが聞こえてくる。その1人は後輩の滝だった。やけに声を張り上げて点数を伝えているため、嫌でも聞こえてくる。滝は入部当初から、風を読むことに長けていた。彼女のようなタイプが、今日のような試合でも好成績を残せるのだろう。


他に登米工業高校の2人。

彼女達は常に優勝争いをしていた。会場にいた殆どが、今回もどちらかが優勝すると思っている。夏希は点取りと矢取りを終えると、足早にWLに戻った。


「どうしよう······」

夏希は足元に置いていたペットボトルを手に取り、キャップを外しながらぼやいた。口に含んだ麦茶は少しぬるく、美味しくない。


射つ立ち順が入れ替わり、CとDのゼッケンをつけた人がSLに並ぶ。夏希は麦茶を味わいながら、その光景をぼんやり眺めていた。


ふと優勝候補の1人、白戸静しらと しずかが目に付いた。彼女はSLに立つと、ひどく淡々と射ち始める。楽しそうにでもなく、辛そうにでもなく、ただ無感情に。


神藤や冴木とは違う、オーラのような、熱を感じさせない射。その姿はまるで単調な動きを繰り返す機械のようだった。


あっという間に3射を射ち終えると、彼女はWLに戻ってきて弓を置き、水分補給を始めた。程なくしてブザーがなり、夏希達AB立ちの順番になる。呆気に取られていた夏希は、僅かに遅れてSLに立った。


こうなれば、真似をしてみるのも良いかもしれない。夏希はそう考え、頭の中で白戸の射を再生する。印象的だったスピード、早いリズムを意識して射ってみる。


1射目、2射目、3射目と淡々に。その間は何も考えず、一定のリズムと流れのみをキープする。するといつもより早くクリッカーが切れることに気づかされた。頭と体の疲労もそれまでより少ない。


早々に射ち終え、弓を置いて休む。普段より遅く、矢取りのブザーが鳴った。矢取りに行くと夏希の矢は3本とも赤以内に収まっていた。正確に言うと、3本とも4時方向7点に互いに接触しながら刺さっていた。


「あれでグルーピングするんだ。」

夏希は驚きと感心が混ざったように言った。

点数を言ったのか?と同的の3人が顔を向けてきたので、顔の前で手を振り、なんでもないですと伝える。


点数自体は21。

それ自体はそこまで喜べる点数ではなかったが、夏希の目は輝きを取り戻し始めた。


リズム、リズム、リズム⋯⋯

心の中で言い聞かせるように唱える。夏希は早足でSLに戻ると、すぐに弓を手に取って的を睨みつけた。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

「あの子、やっぱりお兄さんと同じく才能あるみたいですね。」

こなっちゃんが納得したように笑って言った。神藤は何も言わず、視線だけ夏希に向けていた。


楓も返事を返さずに、淡々と射つ夏希の姿を眺めていた。先程まで、会場にいた高校生たちは、全員が風に苦戦しているように見えた。


表情もこわばり、風に抗おうと射にも力が入っていた。神藤に優勝候補だと伝えられた2人も、時々、風に乱されて無理に射っているように見えた。


ただ夏希、金矢夏希は違った。

正確に言えば途中から変わった。


前半の20分くらいまでは周りと同じく、力みや狙いこみで射型が崩れていた。彼女の表情から、当たりも悪いことは容易に推測できた。


ただ途中から急に力みが無くなり、速いテンポで射つようになった。優勝候補の1人に同じような速さで射つ子がいるが、彼女よりも早く、一定だった。

周りとは違って淡々と射つその姿は、彼女の存在を一際目立たせていた。


いいなー、とこなっちゃんがぼやく。

「結局、あの子も才能に恵まれた選手なんでしょうね。羨ましいなー。」


神藤は遅れて言葉を返した。

「······、確かに彼女には才能があるかもしれない。ただ彼女も今まで苦労してたのは聞いてるだろ?

才能に頼ってきた訳じゃない。何かしらの努力の結果、才能も芽生えだしたんだよ。」


「そんなもんですかねー。」

こなっちゃんは軽く溜息をついて立ち上がり、どこかへ行ってしまった。


楓は2人の会話を聞いて、才能について考えた。スポーツは綺麗事を言っても、結局は才能が必要だと、楓は信じている。


よくスポーツ漫画は、普通の主人公達が努力をして、才能がある者に勝つ展開が好まれる。大衆は自分より才能があるものを無意識に妬む。だから努力によって彼らに勝つ展開を支持する。しかし、これは現実逃避に近い。


実際は才能あるものが、さらに努力をして上位に君臨する。ウサギとカメの話をだすなら、ウサギが走り続けたらカメは絶対に勝てない。本当に力のあるものは慢心はしない。


努力をしても、そこに差がでる。

金矢夏希は兄、春彦と同じくアーチェリーの才能があることは自明だった。弓を変えてからの成長スピードが速い。速すぎる。


今日の彼女もそれを証明していた。苦戦していたと思えば、突然克服した。才能があるものは全てが速い。


「結局······」

楓は消え入るような声でその二言ふたこと呟いた。溜息混じりに言ったその言葉は、一瞬にして風に掻き消される。


それにしても、と楓は1つ疑問に思った。

神藤は何故そこまで夏希に肩入れするのだろうか?つい先日あったばかりのはずなのに。


疑問に思い神藤の背中を見ていると、突然振り返られ、目と目が逢う。慌てて顔を背けたが、間に合わなかった。


「ん、どうした?」

神藤が訊ねてくる。楓が口篭り何も言わずにいると、何かを察したのか神藤が続けた。


「不思議か?」

「え······?」


「なんで俺が夏希さんに、そんなに肩入れするのかって思ってるだろ?」

「なんで!?」


何故わかったのだろう。楓は不気味に感じつつも頷いた。神藤は楓の顔を見ると、笑顔になって言う。


「俺も一応主将だからな。部員が何考えてるかくらい、何となく分かる。」


楓は呆気に取られていたが、構わず神藤は続ける。


「似ているんだ。妹に。」

「······え、妹さんいるんですか?」


神藤は普段自分のことはあまり話さない。そんな彼に妹がいると知り、楓は驚く。年はいくつかを聞こうとすると、神藤は的の方へと目をやり答えた。


「正確にはいた······、かな。」


過去形に言い換えたことから、楓はすぐさま察した。慌てて、悪い事を聞いたと謝ろうとすると神藤は違う違うと否定した。


「いたって言っても死んだわけじゃない。親が離婚して別れたんだ。暫く会ってないのは事実だけどな。」


神藤は普段見せない、寂しげな表情を見せた。楓はなんて言っていいのかが分からなくなり、沈黙した。僅かな時間、場に静寂が訪れる。弓の音や風の音が鮮明に耳に入る。

ふいに神藤が口を開いた。


「幼い時に別れたからかなぁ。妹との記憶はおぼろげにしか覚えてないんだ。ただ今の夏希さんは何となくだけど、似ている気がしてね。」

神藤が溜息をつく。その目はじっと一点を見つめていた。


「力になってあげたいと思うんだよね······。」


日頃の神藤には見られない、老年男性のような優しくも力のない言葉に楓は再び驚く。いつも明るく、周りを引っ張る存在の神藤が、こんな言い方をするなんて。


楓はそうなんですか、と一言返した。

神藤は楓に視線を戻すと、ふっと笑って言った。


「勿論、楓や玲奈、こなつや他の部員も同じ位、大切に思ってるからな!いつでも頼ってくれ。」


楓にはその時の神藤の顔が、いつもより優しく映った。普段の練習の時は鬼のような厳しさを持っているが、それも優しさの1つであることは理解していた。本当に、この人は主将として、人として良い人だと楓は感じていた。


丁度その時、前半戦が終わるブザーが鳴った。弓を置いて、一斉に皆がテントに戻る。神藤は立ち上がり、自分達もお昼にしようかと声をかけた。


楓たちは頷き、各々持ってきていた弁当をだす。楓が1口目を食べ始めた時、先程立ち去ったこなっちゃんが戻ってきた。


「お、どこ行ってたんだ。もう昼食べるぞ。」

「了解です。」


神藤に促され、こなっちゃんが座ろうとすると、突然神藤があっ!と声を出し、動きを止めた。


「前田を忘れてた······。悪いけど、こなっちゃん様子見てきてくれない?起きてたら連れてきて。」


えー、と文句を言いながらもこなっちゃんは指示に従った。何だかんだ言っても彼は、神藤の指示にはいつも従う。互いに信頼関係ができているようだ。


数分後、こなっちゃんは前田を連れて戻ってきた。前田は先程までとは打って変わって、かなり低いテンションで、お疲れ様ですとだけ言った。


「前田、調子はどうだ?」

神藤が訊ねる。


「あまり、良くはないです······」


前田の言葉にそうか、と一言だけ返した。

仕方ないとはいえ、悪いとは思っているようで水を飲むよう促す。大人しくなった前田を囲み、楓たちは和やかに昼食をとった。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

結構、調子よくなってきた!と夏希は心の中でガッツポーズをした。SHの前半戦、50mの競技が終わり、心地よい疲労感を感じていた。


始まって暫くは、風に苦しみながら射っていた。焦り、不安、苛立ちに支配され、一射を射つのが辛く感じられた。弓を買い換える前程ではなかったが、その頃を彷彿とさせる時間だった。


ただ途中から、白戸の真似をし始めてからは調子が良くなった。風は変わらず吹いていたが、的に刺さる矢はその影響を受けていないに等しい当たりになった。


「この調子で午後も!」


夏希は気合を入れなおす。

矢先に、前半の結果の掲示を知らせるアナウンスが入る。間もなくして、2箇所のテント付近に人だかりが出来た。


夏希も気になって、人だかりの1箇所に分け入る。近づくと、テントの支柱に2枚の紙が貼られていることが確認できた。


1枚は男子の結果。1位の点数だけ確認すると50m36射で305点。この風の中では高スコアである、はずだ。


2枚目の女子の結果を見る。夏希はこれまでの習慣から、下から自分の名前を探した。

最下位ではない。


視線を上げていく。


夏希は中間順位まで見て、自分の名前がないことに動揺した。今まではその間に必ず名前が書かれていたからだ。記入漏れの可能性も疑いながら、さらに上を見ていく。



······20位までにもない。




············10位までにもない。





1桁台まで見るようになって、夏希は自分の名前を見つけた。


3位、金矢夏希、274点。


夏希はその場で固まった。そのまま放心状態になる。暫くして、後ろで見ようとしていた人に追い出され、漸く現実を理解した。


点数自体は採点した時に知っていた。だが自分がその点数なら、周りはもっと高いと思っていた。男子の1位を見た時に内心、少し低いか?と感じていたが、それは自分の点数に近かったからだ。


自分の点数は良い方だった。順位も今までになく上がった。夏希は初めてのことに武者震いする。


成長していた。夏希にはその事が、何より嬉しかった。


「漸く、漸く兄さんに少し近づけた。お母さんにも嘘をつかずに済むんだ。」


夏希は意気揚々と同じユニフォームを着た者達がいる所へ戻った。









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エックス・テン-X10→ 白音 @Shirane

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