赤ずきんと狼男

阿浦慎

第1話

今日も、私は森を通ってお婆さんの家に行く。

頭に、真っ赤な頭巾を被って。

右手にはバスケットを持って。

バスケットの中には、パンとワイン。


私は出来損ないだ。

お父さんとお母さんは、弟ばかり可愛がって。

頭も良くて、顔も良くて。

誰にでも愛される弟。

きっと私は生まれる時、母の中に良いところを全部置いてきてしまって。

弟は、それを全部拾って生まれてきたんだと思う。

お父さんも、お母さんも、弟も嫌い。


森には狼男が出るって、お母さんがいつも言っていた。

狼男は、小さい女の子が大好きで。

服を裂いて、乱暴して、喰い殺してしまうって。

私をひとしきり怖がらせた後、私にバスケットを押し付けて。

「森を通って婆の家に届けろ」と言う。

毎日の決まり事、繰り返される出来事、いつもの意地悪。


「赤ずきん!今日もおつかいかい」

森の手前で、猟師のおじさんに声をかけられた。

私は頭巾を目深に被り、おじさんの前を駆け抜ける。

顔を見られたくなかったから。

何も喋らなかった。

どもって、変な目で見られたくなかったから。

「挨拶も無しか、クソガキが」

後ろから声が聞こえた。


森に入る。

狼男が私の前に現れたことはない。

でも、森を歩くと、感じる。

視線、息遣い、風にそよぐ何かの音。

獣の臭い。

狼は、小さい女の子が大好きだけど。

醜い私のことは好きでなくて。

だから襲わないんだろうと思った。


私は森の中を歩いていく。

お婆さんは大嫌い、お父さんより、お母さんより、弟より、ずっと嫌い。

意地が悪くて、すぐに嫌味を言って。

何かあると、しわがれた声で私をがなり立てる、物を投げる。

枯れ木のような腕で、私を叩く。

もうすぐ森を抜ける、お婆さんの家に着く。

私の胸がざわついて、おなかが痛くなった。

酸っぱい味が口の中に広がった。

「げえっ」

私は木に手を付くと、口に溜ったものを吐き出した。

透明の液だけが、地面に落ちた。


不意に、獣の臭いがした。

草をかき分けるガサガサと言う音がして、大きな毛むくじゃらの、狼の耳が生えた、ヒトガタが現れた。

「やあやあやあ!お嬢ちゃん、どうしたのかな!具合でも悪いのかな!?」

ヒトガタが言う。

声はがらがらで、お昼を知らせる鐘のよう。

狼男だ、と私は思った。

逃げなきゃ。

逃げないと、服を裂かれて。

ひどいことをされて、食べられて、殺されてしまう。

でも、どこに逃げよう。

お婆さんの家?それとも、村まで引き返す?

お婆さんは狼男に追われる私を家に入れてくれるだろうか。

村の人たちは、嫌われ者の私を守ってくれるだろうか。

それに、逃げたら、生き延びられたら。

何か良いことがあるんだろうか。


『大丈夫だったかい、怖かっただろ』

私を抱きしめるお父さんを想像してみる。

『森なんか通らせてごめんなさい、あなたが無事で良かった』

泣き崩れるお母さんを想像してみる。

『狼なんて僕がやっつけてやる!』

頭に鍋を被って、手に棒切れを持った弟を想像してみる。


可笑しくて、涙が出た。

そんなこと、あるわけない。


私は狼男に向き直り、手を下げて、俯いた。

狼男が私みたいな子でも、好きになるなら。

食べられて、殺されてももいいと、そう思った。

「あ、あんまり、痛く、しないでね」

途切れ途切れに、狼男に告げる。


「に、逃げないのかな」

狼男が言った。

「森を行く君を見ていた。いつも見ていた。浮かない顔をして、森を走る君を見ていた。涙を流す君を見ていた」

がらがらだけど、やさしい口調だった。

振るえる足が見えた。

狼男の顔を見上げる。

大きな耳に、大きな目、大きな口。

話に聞いた、怪物の姿。

「声をかけたかった。頭を撫でたかったでもできなかった。俺は化け物だから。俺を見ると、みんな逃げたから。誰も俺を好きになってくれなかいから」

怪物の姿だけど。

耳はひょこひょこと動き、目は輝き、口の端は嬉しそうに吊り上がっていた。


私は、狼男の体に手を伸ばす。

狼男は少しだけビクッと動いたけど、触らせてくれた。

外毛はごわごわして硬かったけど、中にはふっくらしている。

「話しかけて、逃げられたらどうしようかと思った。いつもそう思って、陰で見ているだけだった。今日は、辛そうな君が見えた。勇気を出して話しかけた。逃げなかった。怖がってるのは分かった、でも逃げなかった。嬉しかった」

「あ、あなたは、何がしたいの?」

「何がしたいの、だって!?」

狼男の口が大きく開かれる。

鋭い牙がたくさん見えたけど、不思議と怖くはなかった。

「何だってしたいさ!君がしたいことならなんでも!」

狼男は両手を広げると、天を仰いで叫んだ。

「そうだ、デートをしよう。でもデートって何をするんだろう。中の良い二人がするって、死んだ母さんが言ってたけど。手を繋いで一緒に歩くのかな」

狼男の嬉しそうな顔が可愛くて、私はふふっ、と笑う。

笑うのは、いつぶりだろう。

「そうだ、君が楽しい事を沢山しよう。綺麗な水が飲める岩場に連れて行ってあげたい!鹿がたくさん集まるところに行って、美味しい肉を食べさせてあげたい!柔らかい葉っぱをしきつめたベッドに寝かせてあげたい!」

私は狼男の手に触れた。

手は人間の形なのに、鋭い爪がある。

でも掌に、ふにふにとした柔らかい感触がした。

「君が望むなら、君を虐める家族も、意地悪なお婆さんも!村のやつらだって!みんな引き裂いて、肉にしてあげる!俺は、俺は化け物だから!できる!やれる!」

狼男の手が震えていた。

村の人たちは、銃を持っている。

鹿を、たくさん狩っている。

領主様に命令されて、税金を払えない人を囲んで棒で殴るのを見たこともある。

牙も爪も、鋭いけれど。

この狼男が、どうにかできるとは思えなかった。


私は首を横に振る。

そんなのこと、しなくていい。

私を好きな人がいるなら、私を嫌いな人なんてどうでもいい。

「行こ」

私は、頭巾を脱ぐ。

「私の顔、気持ち悪くない?」

「何てこと言うんだ!可愛いよ!」

私は頭巾をバスケットと一緒に放り投げる。

「ありがと」

私は、狼男の手を引いて歩きだす。

狼男が引っ張られて着いてくる。

「デートしましょ。連れて行って、色んなところ。楽しいところ」


森には狼男が出る。

狼男は、小さい女の子が大好きで。

大きな耳で、私の話を聞いて。

大きな目で、私を見つめて。

大きな口で、私に話をしてくれる。

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赤ずきんと狼男 阿浦慎 @longon333

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