変わらない場所
レイノール斉藤
第1話
月日が人を変えるのは当然で、ましてや十年ともなれば、人相や雰囲気なんて相当変わるものだ。
それなのに俺の目の前に居る彼女は、最後にこのアパートを出て行った時と全く変わらない姿でそこに居た。
「ただいま」
それは皮肉か、そう聞くのすら躊躇われるほど自然に、彼女は部屋に入ってきた。まるでそこが今も自身の帰る場所だと言わんばかりに。
「変わってないね、ここは。ずっと住んでたの?」
「どうしたんだ?百合子、いきなり来て、あいつに浮気でもされたか?」
「……」「……」
互いに答えたくない質問をしたせいか、沈黙が降りる。
俺は黙って冷蔵庫からビールを二本取り出す。今の彼女が飲めるかは知らないが、他に無いから仕方ない。
そうして目を離した隙に居間から歓声が上がった。
「あ、これ。懐かしい!まだ持ってたんだ!」
見ると彼女は一冊の本を手にしていた。
全てを捨てようとしたあの日、どうしても一冊だけ捨て切れなかった初の自作の写真集だ。とはいえ存在自体忘れていた。よく見つけ出せたものだと感心する。
「あの頃が一番楽しかったな、三人で、この場所で夢を追ってた頃が」
「…そうだな」
あの頃とは違う『今』の俺にはそう返すのが精一杯だった…。
その後は二人で思い出話をした。決意を胸に三人でこの部屋に住み始めた時から、三人が二人と一人になる直前まで。
誰が悪いわけでもない。ただ俺たちを取り囲むありとあらゆるものが変化して、俺たちもまた変わらなければならなかった。
「後悔…してるのか?」
俯いたまま彼女は静かに首を振る。
「どんな選択をしても後悔はしてたと思う。でもね、後悔は避けられなくても、生きている限りは、やり直すことはできるんだよ。君は、どうなの?」
「…………」
真っ直ぐに俺を見つめる瞳は、あの頃と何も変わらない。ただ、そこから涙が溢れている理由までは分からなかった。
そして、彼女はそれ以上何も言わずに去っていった。テーブルに一冊の写真集と、栓の開いていない缶ビールを残して。もう二度とここへは来ないだろう。
後日、部屋を出て行く際の様々な手続きを済ませ、全ての持ち物を処分した。
キャリアバッグには僅かなお金と、着替え、そしてあの写真集と新品のカメラだけだ。
部屋を出ようとした時、ポケットに入れっぱなしだった携帯が鳴った。登録はされていないが、よく知っている番号だった。
通話ボタンを押し、無言でいると向こうから話を始めた。
「番号…変えてなかったんだな。悪い、もう連絡しないって言ったのに…でも言わないともっと悪い気がして…」
「で?」
「百合子な……死んだよ。今朝…半年前からずっと入院しててな……すまん、百合子からお前には黙ってるよう頼まれてて、今の今まで言えなかった」
「知ってるよ。向こうから会いに来てくれたからな」
相手が何か言う前に携帯サイトの電源を切り、部屋の真ん中に放り投げる。
辛くない筈がない。ただ、彼女が最後に自分の事を考えてくれた事は純粋に嬉しかった。
移りゆく時間の中で何時までも変わらない場所がある 。ボクにとってはキミが側に居てくれるこの場所がそうだった。
扉を開け、十年ぶりに見上げた夏の青空は、あの頃より微かに滲んで見えた。
変わらない場所 レイノール斉藤 @raynord_saitou
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