31話 捲土重来

 なんという莫大な野望だろうか。国造りの神は、自らが造った国を壊し、神の国を再建しようという。

 これに弁天は顔をしかめた。道真公も眉をひそめ、穏やかではない。


「神の国……高天原は天にある。これを地上にもつくろうというのが、君の目的かね。まぁ、大方気づいてはいたのだがね。そんな馬鹿げた野望は打ち砕かねばなるまいよ、恵比須神」

「まったくその通りだわ。一体、どうしてしまったの? あなた、そんな人じゃなかったじゃない」


 弁天も思わず口をはさむ。しかし、恵比須は不気味に笑うだけで、非難をもろともしない。


「成程。君の考えは分かったよ、恵比須。神の国とはすなわち、わたしたちを葬り去り、人間たちを、カミゴたちを神にした国ということだね? 成程。そこで邪魔だったのが大黒天と、この私だったわけだ」

「なんですって」


 道真公が導き出した答えに、弁天と亜弓は目を見開いた。


「そんなことがまかり通ると思って?」

「まかり通るのさ。だって、とやかく言う私達が消えてしまえば、恵比須のものとなったこの地、さらには全土にまで勢力は広がるだろう。神消しのカミゴたちを従えてね。そのために己の中にあった大黒天を引き離し、孤立させ、カミゴを作らせた。違うかい?」

「ご名答、と言うべきじゃろうのう」


 恵比須は顎をさすりながら愉快に言った。そんな邪神に、道真公は嘆かわしく溜息を吐いた。


「やはり、十年以上前から計画していたんだな……この執念、敵ながら天晴あっぱれと言いたいところだが」

「む?」

「残念ながら、私の目はそこまで甘くはないのだよ」


 道真公は笏を口に当て、茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。そして、蒼穹の空を見上げる。同時に、恵比須も弁天も亜弓も視線を上げる。


「あ!」


 亜弓が指をさす。その方向には、金色の獣と、それを追いかけるような白い光が猛スピードで落下してきた。どんどん近づく。


「ちょっと、待って待って! そこ、どいて!!」


 あろうことか、道真公と恵比須の間に突撃しようとする。その獣と光から、一同は一斉に逃げた。亜弓は咄嗟に弁天を水の膜で守る。道真公はスマートに飛びのけ、恵比須は社殿にのぼる。

 砂煙を巻き上げ、きちんと着地を果たした獣の上から、二人の少女が震え声を上げる。


「はぁぁぁぁ……死ぬかと思ったぁぁぁ」

「それはこっちのセリフよ!」


 すかさず弁天の甲高い声がツッコミを入れる。


「おっと、失敬失敬。何せ、急ブレーキは搭載してないもので。いやぁ、ごめんねぇ、皆の衆」


 場違いなほど明るい倉稲魂命うかのみたまのみことの声に、恵比須も弁天も亜弓も安堵の息を吐いた。一方で、道真公は爽やかにニコニコと笑みを浮かべて近づく。


「やぁ、ウカ。それと、お嬢さんたち。ようこそ、特等席へ」

「はぁ……どうも。なんか雅な格好ですね、道真さん。お久しぶりです」


 よろよろになった玉城と、恐れのあまりに顔面蒼白な沙与里。二人は後ろを振り返った。


「で、あれは……大黒さん!?」


 一緒に流れ落ちてきた光は、相変わらずの軍神Tシャツを身に着けた、ひげもじゃの神――大黒天が小さな子供の首を掴んで立ち上がった。


「なんで大黒さんが!?」

「あぁ、大黒には、八坂神社へ行ってスサノオと話をしてきてもらったのだよ。その様子じゃ、奇人同士うまくいったようだね」


 道真公は悪戯に笑いながら言った。一方で、大黒は苛立たしげに黒いオーラを放っている。


「クソったれめ。散々な目に遭ったぜ、こんちくしょう。まずはこのジェットコースターを指示したやつをひっぱたかせろ。話はそれからだ」


 気絶しているらしいオーバーオールの子供を容赦なく地面へ落とし、不機嫌な大黒は一同を睨んだ。



 ***



 同刻。

 空の戦いは白熱していた。霧咲から受け取った空牙の柄を握ると、しなやかに強い剣が顕となった。これは持ち主によって力を変える妖刀である。青光の稲妻が剣に宿り、清水原は楽しげに笑った。


「やっと主人公っぽくなってきたやろ。これさえありゃ、おめーなんか一網打尽だぜ」

「あまり調子に乗らないほうが身のためですよ。そういうところが、あなたの悪いところです」


 すかさず福本が挑発し、手のひらから炎の渦を巻き起こす。これを、空牙で切り裂けば、あっという間に炎が刃に移った。否、奪った。福本はようやく目を見開かせ、戸惑いの顔を浮かべた。


「まさか、あなた」


 何かを悟ったのか、福本が息を飲む。驚愕の色だ。これに、清水原は気を良くした。炎が刃に吸い込まれていく。宙を蹴り、間合いを詰めていく。燻った煙の中から、顔を出したのは――


「どげんした〜? 顔色悪いやん?」


 ニヤリと笑う福本勇魚に化けた清水原。空牙を振りかぶり、一瞬の間に清水原へと戻った。そして、刃は福本の腹を裂いた。真っ二つ。かと思いきや、裂け目はない。しかし、福本は圧倒されたようにその場で動かなくなった。そのまま、落ちていく――


「左様なら〜」


 剣を振り、黒く小さな人影を見送る。煙の彼方へと消えてしまうのを見届けて、清水原は足場にしているGatesビルの屋上に降り立った。


「慎ちゃん!」


 すぐに霧咲の声が耳をつんざく。


「慎一兄さん!」


 ついでに祥山の声も後ろから追いかけてくる。


「無事みたいね。それで、終わったのかしら?」

「少しくらい心配したらどーなのよ」


 無愛想な霧咲の言い方に、清水原はため息を吐いた。すると、祥山が突進してくる。がっしりと全身をホールドされ、祥山は耳元で感極まった声を上げる。


「無事で良かったです!!」

「おぉ、お前は激しすぎな。痛い、痛い、痛いって! 折れる!」


 馬鹿力の祥山をどうにか引き剥がす。見れば、二人とも切り傷や擦り傷をつくってボロボロだ。清水原は祥山の頭にぽんと手を置いた。


「ったく、あのちびっこだったボンボンがよくここまで頑張ったなー。祥山、おつかれさん」

「そういうのは余計です」


 祥山は苦笑して、清水原の手を払い除けた。まったく、子供のくせに妙に大人ぶっている。

 清水原は少しさびしく思いながら、空牙を霧咲に返した。


「咄嗟に福本に化けて、ヤツの喰べる力もコピったら、案外あっさり倒せたなー。あはは。あいつの悪い癖は、計画が狂ったときの判断が遅いことやね。ざまぁ見ろ」

「慎一兄さん、いつの間にそんな能力を」


 祥山の驚きように、清水原はますます調子に乗る。これに霧咲は顔をしかめて、二人の頭を柄で殴った。ガツンと頭蓋骨が割れそうな音がこだます。


「着々と修羅人となりつつあることに、情けなく思うわよ。まったく」

「……そいつは悪うござんしたな」

「ともかく。まだ決着はついていないのよ。今からすぐに十日恵比寿神社に行かなくちゃ」


 霧咲は長い髪を肩から払い、眼下に広がる壊れた街を眺めた。


「ここからどうやって行く? 走るには距離があるわよ」

「それなら私が運びますよ、二人を」


 すぐに祥山が言うも、それは清水原が止めた。


「いいや。福本からかっぱらった神通力がまだ残ってるからな。瞬間移動くらいできんだろ、ほれ」


 そう言い、霧咲と祥山の手を繋ぐ。二度、瞬きをすれば目の前は荒廃した街ではなく、厳かに静まった神社の境内だった。

 目の前には道真公が、灯籠の上に立って高みの見物。そして、何故か恵比須と大黒が近距離で睨み合っていた。足元には少比古那命が怯えたように頭をおさえてしゃがんでいる。それを見守るのは玉城、弁天、ウカ、八尋姉妹である。


「なんこれ……」


 これしか言いようがない。


「あ! 清水原!」


 玉城が声を上げれば、皆一様にこちらに視線を向ける。恵比須と大黒も鬼の形相でこちらを見た。なんだかただならぬ気配である。


「おやおや。どうやら、決着がついたようだよ、恵比須。清水原くんが福本くんに勝ったらしい。これで、君の負けは決定じゃないかね」


 澄まして言う道真公。これに対し、恵比須は顔を真っ赤にした。


「ならぬ。ならぬぞ。そのようなことは断じて許さぬぞ」

「やーかましいんだよ、このクソジジイめ。うちの清水原が戻ってきたんだ。で、どうだ、お前さんとこのボンクラはどこに逃げやがった? 裏切られたんだよ、てめーはよ。人間なんぞ、所詮そんなものだ。わはは」


 大黒が嘲笑を飛ばす。


「ほら、さっきから挑発してんだよ、あのおっさん。清水原、止めてよ」


 玉城がすがるように言った。清水原は素直に「えぇ?」と嫌そうな顔をしてみせた。


「それよか、俺の帽子知らん?」

「持っとーよ」


 玉城がポケットから、ニット帽をぐいっと引っ張った。ようやく手元に帰ってきた。清水原は帽子を目深にかぶり、ごほんと咳払いして道真公を見やった。


「これ、ほっとくと天変地異級のやばいやつ起こりますよね? てか、もう起こってますやん。どーするんすか、ボス」

「ボスか。悪くない響きだね。いや、確かにそろそろここらで止めねばいけないな……弁天、ウカ、力を貸してくれないか」


 道真公の頼みなら、と言うよりも、このいざこざに呆れ返っていた彼女はすぐに承諾した。これに道真公は満足に頷いて、足元でうずくまる少比古那命を呼んだ。


「少比古那命よ。君もよろしく頼む」

「おー。まったく、神使いが荒いわい」


 今回、一番酷い仕打ちに遭っているのは、おそらく少比古那命だろう。くらくらと目眩を起こしているようで、子供の風貌なのに千鳥足だ。


「道真さま、どうなさるの?」


 霧咲が問う。すると、道真公は灯籠からふわりと飛び降りた。


「神同士のいさかいは、神で片を付ける。君たちは、その証人となってくれたらいい。そのために、君たちが必要だったのだから」

「はぁ……」


 霧咲と祥山、玉城も八尋姉妹も顔を見合わせて首をかしげた。それを清水原はクスクスと愉快に笑った。


「神は、人なくしては存在しない。願われなければ存在できない。だから、俺たちが必要なわけだ。それも、菅原陣営の証人がな」

「何よ、それ。要するに『願え』ってこと?」


 霧咲は不満そうだが、すぐに理解したらしい。清水原は「あぁ」と頷いた。


「日常を願うくらい、どうってことねーだろ。こんなことになるくらいならさ」


 あっけらかんと言い放つと、全員、納得した様子で苦笑した。


「ま、そういうことなら」


 玉城の声が合図となり、皆一様に見守ることに徹する。

 追い詰められた恵比須に、大黒が意地の悪い笑みを浮かべる。弁天とウカ、少比古那命は恵比須の周囲に立った。そして、正面には道真公。

 彼の口がゆっくりと開いた。


「さて。もう逃げられないよ、恵比須。君が起こしたことは重罪だ。人々を惑わせ、神を消そうと目論見、またこの世を危険に晒した。次回の出雲いずもで正式な罰は下るだろうが……しかし、ここまでしておいて野放しは良くない」


 そうだろう? と振り返る。全員が頷いた。


「証人もこのとおりだ。封じるのは不可能だが、何らかの罰は下さねばなるまいよ。異論は認めない」


 厳しい口調と、どう見ても劣勢の恵比須は口をパクパクと開かせ、まるで水揚げされた魚のようだった。なんとも哀れな最後である。

 道真公が下した罰――それは、全カミゴの解体という、人なくしては存在が不安定となる神にとっては重すぎるものだった。

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