30話 修羅人と笑わない福神
煙の中に、あいつの影を見つけた。
「どこ!?」
沙与里ちゃんが訊く。あたしはまっすぐに上空に指を伸ばした。
「あのGatesビルの屋上に! 煙で全然見えんけど! あそこに清水原と福本がおる!」
「分かった! シノさん、聞いてた?」
沙与里ちゃんは何もない空間に向かって叫んだ。空中では爆音が鳴り響き、戦場のようだった。
「うん、分かった。OK」
シノさんとの通信が完了したらしい。沙与里ちゃんはあたしに向かって声を張りあげた。
「予定変更! ぼくたちは清水原さんに援護する。シノさんたちもこっちに来れるって! とにかく、まずは碓井くんを待とう!」
「え? 何? ちょっと待って、色々分からん!」
清水原を援護するのは分かった。もちろんそのつもりだ。そして、シノさんたちがこっちに来るという。最初の話ではあたしたちがシノさんのところに行かなくちゃいけなかったし、そして碓井くんの到着を待つってなんなんだ。
こんがらがるあたしに、沙与里ちゃんは面倒そうな顔をした。
「シノさんはどうやら敵を制圧したっぽい。んで、先に碓井くんがこっちに来てくれるから、それを待って、清水原さんに援護。OK?」
「碓井くんのくだりだけが分からん」
素直に言ってみると、沙与里ちゃんは困ったように首を傾けた。腕を組む。
「それはぼくも分からん」
「まじかよ……」
碓井くんにどんな力があるのかは、そう言えば謎だった。彼の到着を待つしかないらしい。
あたしは空中に広がる不穏な煙から目をそらさず、とにかく清水原の居場所だけを感知していた。
***
博多駅に着くと、そこは既に戦場だった。ビルは倒壊し、道路は割れ、荒れに荒れていた。人はいない。
終末――そんなことをふと頭の中に浮かべる。
「ぼうっとしないで、祥ちゃん。こんなこと、想定内でしょ」
「いやいやいや! まったくの想定外ですよ! まだ始まってないと思っていたのに」
背後を見ると、荒江会長も鬼木も、明水さんも綾乃さままでが呆然としている。この状況に順応しているのが霧ねえだけだ。彼女は腕を組み、全員を見渡して鼻で笑った。
「街がちょっと壊れてるだけで大げさねぇ」
普通はそんな簡単に街が壊れることはないし、瓦礫の山を見ていれば誰だって言葉をなくすと思うんだ。
すると、霧ねえは突然、鬼木の頭をがしっと掴んだ。「ふぇ!?」と奇妙な悲鳴をあげて驚く鬼木。
「鬼木さん、私の言葉を伝えてもらえる?」
「誰に、ですか?」
「この街にいる全員に命令するの」
無茶振りにも程があるだろう。しかし、確かに当初の予定ではそういう手筈だった。この様変わりした博多の街を見てすっぽ抜けてしまっていたが。これに鬼木もハッと思い出したように口を開いた。そして、霧ねえに頭を掴まれたままで、目を閉じる。
すると、この場にいる全員にも彼女からの言葉が直接頭に流れ込んできた。
《博多駅に集合せよ、ここにいるすべての者達に告ぐ。博多駅に集合せよ》
敵味方関係なく、この街にいる全員に呼びかけているのだ。さて、どのくらいの人数が集まるのか。
私たちは身構えて、無人の博多駅構内で待つ。
「……本当にやってくるんですかね」
荒江会長が誰にともなく訊く。
「でも、敵ばっかやったら、やっぱし大変じゃないですか? 向こうはどんな力持っとーか分からんのやし」
「それは綾乃さまがすぐに判断できるから大丈夫よ」
霧ねえがあっさり答える。すると、綾乃さまが引きつった笑みを浮かべた。
「そうね……えぇ、まぁ、そうよ。私だってね、藤磐の人間ですもの。できるわ、きっと」
大丈夫じゃなさそうだ。
「霧咲、綾乃は本番に弱いんだから、あまりプレッシャーをかけてくれるな」
明水さんがすぐにフォローに回る。しかし、霧ねえはそれをただ笑って返すだけだ。
「藤磐さんたちは安全な結界の中に入れておくから大丈夫よ。心配ないわ。て言うか、超強力な結界師の私がいるんだから死ぬことはないわよ」
「それはどうでしょうね」
背後から鋭い声が聞こえた。全員が振り返る。駅の向こう側、つまり筑紫口側から黒い服に身を包んだ細長い男が現れる。その背後には同じく黒い服を着た集団が。数は数え切れないくらい大勢。
「あわわわ」
綾乃さまが場違いな悲鳴をあげた。すぐに霧ねえが私たちの周りに結界を張る。
「あなたが、横江先生……福本勇魚かしら? こうしてお会いするのは初めてよね。うちの祥ちゃんが随分とお世話になったようで」
霧ねえは強気な態度で前に進み出た。あれは横江先生なのか。となれば、背後の集団の中に敷島先輩や辻井先輩がいるのだろう。睨みつけていると、横江先生もとい福本勇魚はクスクスと笑った。
「荒江くん、鬼木さん、今からでも遅くない。こっちに来ないか。そっちにいる限り、君たちは《絶対に助からない》よ」
その言葉が、なぜか耳にも頭にも直接訴えかけてくる。結界の中にいるのに。これは私だけでなく、この場にいる全員がそうだった。そして、一番驚いていたのは鬼木だった。
「どうして、あたしの力を……!」
その言葉に、霧ねえが素早く振り返り、すぐに鋭い目で福本を睨む。
「あなた、まさか」
「お察しのとおり……って言うか、もうすでに周知だったと思っていたんですが、黒崎の四神家もまだまだですね」
福本は帽子のつばを握り、深くかぶりなおした。そして、口元だけを見せて笑う。
「私は喰人ですよ。他人の力……しかも、恵比須さまが与えた力ならば喰うことも、それを使うことも容易。それくらい、よく考えたら分かるはずですよね?」
なんてことだ。これはまずい。今、私たちの頭の中では絶望だけがひしめいていた。
《絶対に助からない》
その言葉に縛り付けられている。
「ははっ、チートかよ、クソが」
荒江会長が頬を引きつらせて言った。まさしくそのとおり。こんなのを相手にどうやって――
私は拳を握った。鬼木の足が前に進む。荒江会長も苦痛に歪んだ顔をしている。
霧ねえは険しい顔のまま。藤磐の二人は福本の背後にいる人間たちを見据えている。
双方、沈黙が続いた。どうする。どうすれば勝てる。でも、勝てない。絶対に、絶対に絶対に……
そんな負の思考の中、突如、上空に破裂音が響いた。盛大に窓を割って何かが飛び込んでくる。
「やぁ、おまたせ! パーティーには間に合ったところかな?」
白と金色の毛並みが美しい大きな狐――稲荷神が明朗に言う。場違いなほどに明るい。その上に乗るのは、巨漢の青年だった。こちらは何の装備もなく、パーカーにズボンというラフなスタイルである。
「ウカちゃん、窓破るなんて聞いてないんですけど」
青年が髪の毛についたガラスの破片を払いながら、不満げに言った。それに対し、稲荷神は甲高く「きゃははは!」と笑う。
「だって、こんなこと滅多にないじゃん! 百姓一揆以来だよ」
「なんて罰当たりなことをおっしゃる……まぁ、いいや。すいません。そんなわけで、碓井大介、ただいま参上仕りました」
「ウカちゃんも!」
青年は呆れたように言いながら、稲荷神の上から飛び降りた。着地に失敗し、よろけるも、どうにか踏ん張る。
「あら、誰かと思えば碓井くんじゃないの」
それまで殺気立っていた霧ねえの顔がパッと明るみを帯びる。そして、急に勝ち誇った笑いを見せた。
なんだろう。私も、荒江会長も鬼木も、全員の緊張が緩んだ。先程までの絶望が嘘みたいに消えている。
「彼はね、100%の幸運だものね。大介くんがいるなら安心だわ」
綾乃さまの声も弾む。なるほど。100%の幸運とは。とんでもない神通力をお持ちで。
荒江会長風に言えばこっちも「チート」である。
これに、福本勇魚は歩みを止め、踵を返した。
「あ! 逃げるぞ!」
会長が叫ぶ。その声に力が入りすぎたのか、駅構内にある土産売り場の品物がすごい勢いで敵の黒集団へ突っ込んでいった。思わぬ攻撃に、集団らが悲鳴をあげる。
「……あーあ。まだ開戦って言ってないのに」
ウカちゃんの残念そうな声が呟く。
これを皮切りに、霧ねえがブーツの中に仕込んでいた空牙の柄を掴んだ。
私も背負っていた木刀を取る。鬼木は下がり、ウカちゃんと碓井さんの近くに避難。荒江会長は制服の上着を脱いで、それを盾にした。
向こうも準じて、各々構える。ただ、福本の姿だけがない。
「さっさと片付けましょ」
走ってくる黒集団を目の前にし、霧ねえが空を裂いた。空間に裂け目ができる。この一振りだけで、黒の集団が散り散りに霧散した。
「すっげー!」
会長は笑いながら自販機を持ち上げる。それを向こうへぶん投げる。黒の集団も負けじと念力を使うが、一向にこちらへたどり着けない。霧ねえの結界がさらに拡大されていくからか、空間に押し戻されていくようだった。
「どけ!」
黒の集団から男の怒り声が聞こえた。それは紛れもなく、辻井桃麻であり、彼は炎の柱をまとって突っ走ってきた。
「霧ねえ、ここは私が」
「祥ちゃん……」
なにか言いたげな霧ねえだが、あまり多くは言わなかった。私は眉間にシワを寄せて、辻井先輩を睨んでいる。
「鹿島、殺すなよ」
会長が半笑いで激励する。
「ほんと、そのとおりだわ」
霧ねえが溜息を吐き、空牙を振るった。結界に穴が開く。それでも護りは身にまとわっているので、私自身は霧ねえがいる限り安全である。
一歩ずつ歩み、その歩調が速くなり、私は炎の中へ突き進んだ。ここまで駆り立てるのは、何故だろう。あの時、我を失って勝敗が分からなかった。それもある。しかし、大事な友人をあんな風にしたことが一番許せないのだ。そして、辻井先輩がこうなってしまったことも許せない。
風をまとい、私は木刀を力いっぱいに振るった。
***
「……っていう具合にね。博多駅を壊したのは、どっちかっていうと、恵比須勢じゃなくてほとんどシノと鹿島の坊っちゃんだよ」
ウカちゃんの説明に、あたしと沙与里ちゃんは唖然とした。
まだ見ぬ黒崎陣営の猛剣や恐るべし。つーか、あんたらが壊すなよ!
制圧が完了する前(もうほとんど壊滅状態の間際)に、ウカちゃんと、100%幸運男の碓井くんは中洲に現れた。
「いやー、さすが100%の幸運だよね。碓井くんさえいたら百人力だよ。まぁ、街は壊れてるけどさ」
「それ、幸運って言っていいのか分からんけどな……」
あたしがじっとり言うと、碓井くんは口をすぼめた。
「とは言え、ここまで一人も死人は出てないわけですし。不幸中の幸いですよ」
「それを幸運と言っていいのかどうか」
まぁ、人命に別状はないのならいいのかな。そんな風に捉えられるからちょっと悔しい。
「それで? 清水原くんはどんな様子だい?」
ウカちゃんが訊く。あたしは空に目を向けた。
「あのね、さっきからずっと福本の攻撃を避けてんの。あいつ、やる気ないわ」
そう。清水原は、福本が次々と繰り出す「チート技」を避け続けているのだ。身軽に、空を踊るように。まったく、あいつもなにか派手に一発ぶちまかせばいいものを。
「まぁ、化人だからねぇ」
そう言ったのは沙与里ちゃんだ。
「でも、あいつ、福本とおんなじで他人の力をコピーできるんだよ?」
「それでも偽物じゃん。福本のは本物を使えるから、偽物じゃ太刀打ちできないよ」
「消去はどうなの?」
「消去は化人や喰人みたいに他人の力をコピーはできないよ。ただ消しちゃうだけ」
うーん。同じ修羅人にも無理なものは無理らしい。面倒な設定だなぁ。と、呑気に考えた矢先だ。清水原の背後からブラックホールのようなものが迫っていた。
「清水原! 後ろ!」
あたしは思わず咄嗟に叫んだ。それが通じたのか、清水原はくるんと翻して避ける。
「あっぶねぇ〜」と笑う声が今にも聞こえてきそうだった。そんな彼の周囲に、透明なバリアが張り巡らされる。
「やってるわね。お疲れ様」
背後から声がし、振り返るとそこには長い黒髪のライダースジャケットの女がいた。豊満なバストが目に留まる。その後ろには鋭く鷹のような目をした男子高校生が一人。こっちは頬や腕に擦り傷をつくってボロボロだ。
「お初にお目にかかります。私がシノさんよ。で、こっちが祥ちゃん。よろしくね、玉城さん」
彼女は手早く紹介すると、清水原に向かって叫んだ。
「慎ちゃん! これをあなたに貸すわ! 受け取りなさい!」
それを合図に、祥ちゃんが何かを空に向かって投げる。短刀のように見えた。
「霧ねえ、これで大丈夫なんでしょうか」
祥ちゃんが不安そうに訊く。あたしも同じく不安は拭いきれない。しかし、シノさんはあっけらかんと爽やかに笑った。
「大丈夫よ。何せ、ここには100%の幸運と、大事なものがわんさかあるんだから。あいつは、義理堅い男だし、なんとかしてくれるでしょ」
100%の幸運男は、いきなり話を振られてプレッシャーを感じていた。
うーん。本当かな……大丈夫かな……これで負けたら洒落になんねーぞ。街も壊れたまんまだし。
「街は今、藤磐の人達が全力を尽くしてくれているわ。それに、神様もいる。すぐ元に戻るでしょ」
あたしの不安を見透かすように言うシノさん。これには苦笑するしかない。
「じゃあ、あとは清水原に賭けるしかないんですか」
「そうねぇ。いざとなったら私と祥ちゃんが頑張るけれど、ここは慎ちゃんの方がいいでしょうね。全力の一騎打ちのほうが、あいつらのためにもなるわ」
シノさんは含むように言った。その言葉の意味はなんだかよく分からない。
祥ちゃんを見ると、こちらも困ったように鼻を掻いていた。
私たちの知らない何かが、あの二人にはあるのだろうか。これは、生きて戻ってきた時に問いたださなくては。
「さ、あなたたちは十日恵比須神社に行ってきなさい。そこに道真公がいるから。ついでに、亜弓ちゃんも弁天さんも道祖神様もいるわ」
シノさんがあたしと沙与里ちゃんの首を掴む。そして、力任せにウカちゃんのもふもふした毛並みに向かって投げた。まったく、とんでもなく乱暴なお姉さんだ。
ウカちゃんのもふもふに受け止めてもらい、あたしたちは問答無用で背中に乗せられる。
「よーし、それじゃあいっくよー!」
ウカちゃんの足元に風が巻き起こり、地を離れる。足が宙を歩いて、あたしと沙与里ちゃんは慌てて毛並みにしがみついた。
「わっ、いや、やだ! やだやだやだ! おろしてぇぇぇぇっ!!」
空を飛ぶ狐の下、シノさんと祥ちゃん、碓井くんが小さくなっていくのが薄目から見えた。
いや、でも、今はそんな場合じゃない! 怖い! 超怖い!!
***
同刻。
十日恵比寿神社の境内は、息を殺さねばならないほどの緊張に包まれていた。
虫一匹でさえ、この神聖で厳粛な空気に尻込みし、避けて飛ぶほどである。その真っ只中に、弁天と亜弓は固唾を飲んで双方を見つめていた。
大きな社殿の前には恵比須神が。いつものようにアロハシャツを着用し、でっぷりとした腹を抱えて佇む。そこに笑みは一つもない。
対し、参道に仁王立ちするのは穏やかさを湛えた菅原道真公。こちらは厳かな装束姿で、手には笏を持ち、それを一定のリズムで左手を叩いている。
「――あぁ、どうやら、君のとこのカミゴはほとんどが壊滅したようだね。念入りに準備してきた割には、随分とお粗末じゃないか」
恵比須は何も言わない。口を真一文字に結んでピクリとも動かない。
道真公は笏を打った。
「まったく、私の子供たちの危険を脅かすものは許さないよ、恵比須。それは分かっているはずだった。重々に。なのに、人間にそそのかされ、落ちぶれて、本当にもう……無様だな」
喉の奥で笑う。その声には愉快さはなく、嘲りだけが含まれている。
「神なんてね、人がいなけりゃ存在もできない。我々はそういう存在だ。忘れたのかい?」
「……菅原こそ、忘れていまいな」
ようやく口を開いた恵比須。その口が横へと釣り上がる。
「儂は冥府を手に入れたのじゃ。己を切り離し、入念に積み上げてきたのじゃ。これさえあれば、再び国を再建することも叶うじゃろう。あっはっはっはっはっはっは!」
かつての国津神は、口を大きく開かせ、笑いを轟かせた。
「そうすれば、この世は豊かになるじゃろう。そうしたほうが良いではないか。神にとっては最善じゃ」
「君は一体、何を創ろうとしているんだね」
道真公の問いは、答えが分かっているような口ぶりだった。気づかない恵比須ではないが、この高揚を知らしめたいがごとく自信満々に答えた。
「無論、神の国じゃ」
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