29話 兵どもが夢の跡

「いーから、はよ解いてよ。もう腕が痛くて嫌んなる」

「はいはい」


 トンっと身軽に通路へ上り、清水原は縄をナイフで切った。あっさりと解けてしまい、なんだか呆気ない。


「……それにしても、よく分かったね。ここが」


 ふてぶてしく言ってみると、清水原はやはりまだ気まずそうで、縄を蹴飛ばしながら言った。


「お前の力をさ、っちゃん」

「は? なんそれ、そんなんできるの?」


 コピーだと?


 訝っていると、彼はもう一度頷いた。そして、手品をするみたいに両手を広げる。


「これができたっちゃんねー。てか、できちゃうもんなんだなーって、俺自身も感動しとーとこ」


 あたしは目を大きく開き、ついでに口も開いた。ぽかーんとしてしまう。そんなあたしに清水原は、ようやくいつもの調子で笑った。


化人ばかしびとってのは、自分をも騙せるっちゅーことやね。改めてすげーよな、神通力ってのは」


 感慨深く言っている。

 呆れた。でも、すごい。そんなことができるなんて、素直に驚くし、羨ましいし、それに……

 あたしは、そっと清水原のシャツの裾を掴んだ。そして、うつむき加減に小さくボソボソと言う。


「……ありがと」


 助けにきてくれて、嬉しかった。もう駄目だと本当に思っていた。時間が経つと、その実感が段々と湧いていき、安堵と同時に清水原への恩を感じる。

 今度は彼が口をぽっかり開けた。そして、顔を上げて、首を回して、あたしから背を向ける。


「……ん、まぁ……この借りは仕事で返せよな」

「分かってるよ」


 らしくない空気に動揺しつつ、あたしと清水原は線路に飛び込んだ。


「んじゃー、最後のシメといきますか」



 ***



 線路を歩くのは怖い。でも、電車は通っておらず、それがどうにも不思議で、また奇妙で、怖い。

 清水原の後ろをついていきながら、あたしは彼に質問を投げた。


「上はどうなってんの?」

「見たらびっくりするよ」


 すぐさま返ってくる清水原の声は、おどけているが、緊張感がないわけではない。これもまた奇妙で、胡散臭く思えてくる。


「ねぇ、清水原ー」


 あたしは少しだけ気にかかることを言ってみることにした。


「あんた、福本と友達だったの?」

「えっ?」


 清水原は振り返った。目は隠れて見えないから分からないけれど、驚きようは伝わった。

 それから彼は逡巡しながら、首をかしげた。立ち止まる。


「え? そうなん?」


 なんで、あたしに訊くんだよ。


「こっちが訊いてんだけど」

「いや……知らんなぁ。福本が友達って、いつの間にそんな」

「とぼけとっちゃないやろーね?」

「うん。知っとったら、こんな苦労しとらんわ」


 まぁ、それはそうかもなんだけど。

 どうにも怪しい。ここであっさり白状でもしてくれればいいのに、あたしは疑り深いので、清水原から一歩下がった。


「助けにきてくれた時点で、あたしはあんたのこと結構、信頼してるんだけど。でも、ここで白を切ろうっていうんなら、話は別だ」

「……なんだ、あいつから妙なことでも吹き込まれたか?」


 清水原は何かを察したらしく、鼻で笑った。


「その辺は追々、話すとして。今は上に行かないかんやろ。ほれ、こっから行けるぞ」


 そう言って、彼は真上を指差した。


「どっから行くん?」


 訊いても、清水原は口の端を伸ばすだけで何も答えない。ほんと、こういうとこあるからなー……と、溜息を吐きかけたその時。

 地上から、黒い球が落ちてきた。ずるんと柔らかいゼリーのような、それが突然に現れ、あたしは咄嗟に目をつぶった。飲み込まれる――!


「……玉城」


 声をかけられ、恐る恐る目を開ける。

 あたしはアスファルトの上に座り込んでいた。


 目の前に博多座。道路の真ん中だ。車はなく、というか、人気もなければ、目の前の建物や信号が崩れている。


「嘘……」


 それしか言いようがなく。

 嘘みたいに荒廃した中洲の街を目前に、あたしは放心した。そうするしかなく、何も考えられない。


「な? びっくりしたろ?」


 清水原が得意げに言うけれど、その言葉は今の状況に不似合いで、場違いだった。


「やっべーよなぁ。街がぶっ壊れてんの。こんなのなかなかお目にかかれんやろーね」

「言ってる場合かよ! 馬鹿じゃないの! 何攻め込まれてんだよ! しっかりしろよ、代行屋!」


 能天気な清水原の腹を殴る。華麗に鳩尾へ入り、清水原はえずいてうずくまった。


「いや……俺のせいじゃねーし……」

「じゃあ、誰のせいよ! 道真さんか! 大黒さんか!」

「どっちのせいでもねーよ……誰か、と言えば、恵比須さんやろ」


 至極まっとうな答えが返ってくる。あたしはやり場のない怒りを膨らませた。

 その時、真上から人影が現れた。


「おーい!」


 その声に、顔を上げる。川端商店街のアーチの上。太陽を背にしてこちらに手を振るのは、亜弓ちゃんと沙与里ちゃん――八尋姉妹だった。


「元気そうで何よりだわぁ」


 こちらも緊張感がない。知り合いが外にいたから声をかけてみた、みたいなノリだ。荒廃した街中でする話じゃないと思う。


「消去人の力を応用すれば、空間移動が可能だってことに気がついたんだ」


 清水原が不敵に笑う。なるほど、暗いトンネルからワープしたのは、そういうカラクリだったか。

 改めて見上げると、沙与里ちゃんが笑っている。出会い頭には怖い顔をしていたのに、随分と柔らかくなっちゃって。微笑ましい。その横に亜弓ちゃんがいるものだから、なおのこと。


「それじゃあー、手はず通りに行ってくるねー」


 亜弓ちゃんが大声で言い、沙与里ちゃんが生み出す黒い球に入って、一緒にその場から姿を消した。しみじみしている場合じゃない。


「状況はどうなってんの?」


 清水原に訊くと、彼はスマホを出した。立ち上がって覗き込む。

 地図アプリのようだ。地図上で、無数の矢印が一点に集中している。赤い点が示すこれはなんだろう。


「この矢印は敵だ。福本は北九から傭兵を持ってきた。そいつらが今、狙ってんのはウカちゃんだ。奴がおとりになって、引き寄せてる」

「ウカちゃんが!?」


 あんなか弱い神様にそんな大役を任せていいのか。


「しょうがねーだろ。人手が足りねんだから」


 しれっと言い、清水原はスマホの画面をスワイプする。


「んで、本丸は十日恵比須神社だ。そこに恵比須さんと道真さんがおる。話し合いをしよるらしいけど、まぁ、どうだか。俺と八尋姉妹はお前の救出。それが終わったけん、次はウカちゃんを守りに行く。ここで、シノさんたちと合流だ」

「シノさん……」


 その名前の人物をついに拝めるのか。あたしもなんだか妙に浮足立ち、不謹慎にもワクワクした。


「ちなみに、街の人達はどこ行ったん?」

「それは吉塚さんに任した。ヤフオクドーム周辺に避難してもらっとうはず」


 それなら良かった。


「恵比須の誤算は、吉塚さんと沙与里ちゃんやったわけ」


 清水原はニヤリとほくそ笑んだ。くくくっと喉の奥で笑い、何やら楽しげだ。


「そう言えば、大黒さんは?」


 大黒さんも避難しているんだろうか。それならそれでいいけれど、でも、納得がいかない気もする。


「あのおっさんは、ちょいとおつかいに行っとっちゃん」

「おつかい?」


 思わぬ言葉に不信が湧く。本当にあたしがいない間にいろんなことが起きすぎている。何がどうなっているのか、いまいち掴めない。

 清水原はスマホをポケットに仕舞った。そして、大きく伸びをする。


「よーし、沙与里ちゃんが帰ってきたら、俺らもウカちゃんとこに行くぞ……」


 そう言った瞬間だった。背後の映画館が大きな爆発音を起こす。


 ドーーーーーーーーーンッッ!!


 地面が揺れるような感覚。足元がふらつき、あたしは道路に伏せた。清水原はあたしをかばうように前に立つ。


「なんだ!?」


 驚いているところ、予想外だったんだろう。

 煙や火の粉から顔を守りながら、映画館の方向を見つめる。黒く細長い人影が見えてきた。


「――あなた方はそこに居てください」


 この馬鹿丁寧な口調。柔らかなのにヒリつくような危険さをはらんだ人物――福本勇魚だ。


「よう! どこに隠れてるかと思えば、ようやくお出ましかい」


 軽妙に言う清水原。こちらも負けてはいない。近づく福本に挑発的な態度を見せる。


「なんか、俺ら、友達らしーやん? 俺は知らんけど」


 すると、福本の視線があたしに向いた。冷たい眼光が帽子の下から見えて、思わず首をすくめる。


「爽奈さん、本当に口が軽いんですね」

「こいつは悪くないやろ。悪いのはお前だ。街をこんな風にぶっ壊したヤツに、とやかく言われる筋合いはねぇよ」


 正論だ。清水原の言うとおり。これほど拍手を送りたいと思ったことはない。

 福本は辺りを見回した。燃えた看板、崩れたビル、橋も欠けており、川に水はない。道路も危なげに亀裂が入っている。どれほど暴れたらこうなってしまうんだろう。映画のスクリーンを見ている気分だ。


「……世界を創り直すには、致し方ない犠牲です。文明を壊して、新しい世界を造る。それが、あの方のお考えです」


 石を焼くバチバチという音を掻い潜るような、最低限の音量で、福本は単調に言った。


「別に、ここだけに限った話じゃないんですよ。日本各地で革命を起こす。そして、壊し、新しく創り直すんです。あなた方は邪魔です。いい加減、フィールドから出ていってもらいたい」

「一切、聞く耳持たねーな。まぁ、話の分かる悪人なんていねーしな……しゃーねぇ」


 清水原はあたしを振り返った。そして、しゃがんでボソボソと言う。


「お前は、沙与里ちゃんが来たら逃げろ」

「えっ?」

「大丈夫だって。一瞬でウカちゃんのとこ行けるから」

「いや、でも、」


 しかし、清水原はもう立ち上がって、あたしから背を向けてしまった。黒いTシャツが火の粉へと向かっていく。


「待って、清水原! あんたはどうすんだよ! ねぇっ!」


 近づこうとするも、次の突風で彼の姿は忽然と消えた。

 何かに化けてしまったんだろうか。見回してもどこにもいない。そして、福本もいない。


「ちょっと、こんなとこで一人にせんでよ、あの馬鹿!」


 絶対に死ぬなよ。生きて帰ってきてくれなきゃ、あたしが殺してやる。

 何も出来ずに立ち尽くしていると、上空で大爆発が起きた。


 ドーーーーーーーーーンッッ!!


 今度は空を揺るがす轟音だった。鼓膜が破れそう。


「今度は何!?」


 見上げると、黒い人影が宙を歩いていた。あれは――なんだか、見覚えがある。

 北九州のニュースで見た、宙を歩く人間。そして、紛れもなくあれは福本だ。空を飛ぶ福本を追っていると、あたしの目の前に焦げた何かが落ちてきた。

 ニット帽。それは、清水原がかぶっていたものだ。


「そんな……嘘やろ……」


 熱くて手が火傷しそうでも、そのニット帽を握りしめた。

 どうしよう。清水原が負けたら、死んでしまったら……嫌なことばかりが思い浮かんでしまう。


「ねぇ、ちょっと。早く指定の場所に来てよ。どうしたの?」


 背後から声をかけられ、振り返るとそこには沙与里ちゃんが腰に手を当てて、怪訝に見ていた。

 でも、あたしが持っていたニット帽を見て、彼女の顔色が変わる。


「嘘……」

「どうしよう。清水原、死んだらどうしよう。こんなことって……」

「お、落ち着いて! 一旦、落ち着こう! まだそうだとは決まってないし……」


 しかし、彼女の声はしりすぼみになっていき、あたしたちは絶望的な結末を信じずにはいられなかった。


「ま、まずは持ち場に行こう。お姉ちゃんにこのこと話したら、何か知恵をくれるかも」


 そう言い、沙与里ちゃんは手のひらをあたしにかざす。しかし、何か思いとどまるように彼女の動きが静止した。耳に手を当てがい、何かを聞こうとしている。


「……ん?」


 不審に首をかしげながら、彼女はあたしの頭に手のひらを置いた。

 なんだろう……そう思う間もなく、脳の中に知らない声が響いてきた。


《あ、良かった。つながった? もしもし、あなた、玉城さん?》

「えっ?」


 びっくりして沙与里ちゃんを見る。彼女は首を振って「ぼくじゃない」と口パクで言った。


《はじめまして。黒崎のシノです。今、テレパスの子と沙与里ちゃんを中継してあなたに伝言を送っているの》


 急な展開に追いつけない。でも、黒崎のシノと名乗られただけで、妙な安心感を覚えた。


《今、清水原の様子はどうかしら? 大方、福本からこてんぱんに叩きのめされてるんだろうとは思うんだけれど》

「えっ、あ、はい! 今、空で爆発が起きて……そして、帽子だけが落ちてきて……どこにいるのか分からなくて……」


 しどろもどろに説明すると、脳の中で盛大な溜息が響いてきた。


《はぁーーーーー。あーあ。まったく、何やってんのよ、あのボンクラは。調子に乗るなってあれほど言っておいたのに》


 調子に乗るって感じじゃなかったぞ。

 シノさんは呆れたように唸り《そうね》と思案げにつぶやいた。


《玉城さんって、確か、探知の神通力だったわよね? とにかく、清水原の居場所を突き止めてもらえる? 沙与里ちゃんもそこに待機。こっちは私たちで片付けるわ。なんたって、精鋭揃いなんだから》


 訊いてないことをペラペラと説明してくれる。言いたいことだけ言うと、シノさんは《また連絡するわね》と一方的に通信を切った。


「……なるほど。ここであたしの力が発揮されるわけだ」


 シノさんの助言がなけりゃ、すっかり忘れていたが、あたしは「探知」の神通力を持っていた。

 全神経を集中させ、清水原の居場所を突き止める。沙与里ちゃんは両手をギュッと握って、固唾を飲む。

 あたしもごくりとつばを飲んで、息を吸った。目を瞑る。自分の奥深くへ潜り込むと、周囲の騒音がかき消えていった。


 無。


 無音の中、脳内に張り巡らせた膨大な矢印が旋回する。うねり、ひねり、一点に集中していく。


 清水原の居場所は――


「……見えた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る