20話 神隠しの正体

「――その名前で呼ばんでよ」


 亜弓は嫌そうに顔を歪めながら言った。清水原も口角をつって、無理矢理に笑う。

 その様子を道祖神が舐め回すように見ていた。


「ふうむ。なんだか不穏な空気だねぇ。嫌だねぇ。そういう腐れた空気は兎にも角にもただちにやめておくことさ」


 なだめるような言い方をする。それにより、清水原が肩をすくめた。


「まぁね。和解が成立していることを蒸し返すのは良くなかった。もう十年前の昔話やし、亜弓ちゃんにもふかぁい事情があるけんね。個人的な恨みはあれども」

「うん……清水原くんには恨まれても仕方ないことはしてるよ。許してくれとは言わないし、今も昔も」


 亜弓も緊張を解いたのか、肩を落として地面に座り込んだ。小さく丸まるように。

 そして、溜息を吐いてコンクリートを指で触った。


「要するにさ、結局あたしも大國主さまから逃げられないわけなんだよね……道祖神さんから聞いたよ、全部。あんたの考えは間違いないと思う。妹がこっちに来てるんだと思う。ずっと連絡とってなかったから知らなかったけど、まぁ、予想はできるよね。妹もあたしとおんなじ目に遭ってんだって」


 亜弓と同じく「どっこいしょ」と道祖神も脇に座り、彼女の話を頷きながら聞いていた。

 清水原は黙り込んでいる。


「でもね、もう嫌なんよ。大國主さまは怖い。そして変態。本当に嫌い。あいつのカミゴやってて良かったためしがない。言うこと聞かなかったら仕事が増えるし、嫌なことばっかりだったし。だって、だって、気に入らない神様を消したり、人も消したりするんだよ。全部。それを、あたしの家はずっと大昔から代々、神隠しの仕事を担ってきた。逆らえないから」


 言ってるうちに引っ込みがつかなくなり、彼女は胸の内をさらけ出すように言った。息を吐いて、吸って、また吐いて、頭の中に残るものも全部出してしまおうと言わんばかりに。

 だが、嫌な記憶ほどしつこいものはなく、どれだけ頭を振っても消え失せることはない。


「あたしは一人だった。誰も信用できんかった。親も。あの人たちも大國主さまに怯えていたから。だから、篠武さんにお願いしてカミゴ解除してもらうまで、自分のことで精一杯だった。こんなことになるなんて思わなかった……」

「亜弓ちゃん、」

「だって、分かるわけない。まさか、別の誰かを使って篠武さん家を、全部、喰らってしまうなんて。清水原くんがこうなるなんて、分かるわけないよ。どうしろって言うんだよ」

「うーん……」


 なだめようにも、清水原も思うところはある。関係ない人間を巻きこまなければ人一人が幸せになれないという、この結果が腹立たしいもので、上手く言葉が出せない。巻き込まれた側だから尚更だ。

 すると、道祖神の口がぱっくり開いた。


「なるほど、なるほど。すなわち、神隠しの正体は消去人といったところだねぇ。まったく、おっかない話さ。神が神を消すだなんて、あさましくって嫌になるねぇ」

「神様がそんなこと言っていいの?」


 すかさず清水原が道祖神に訊く。すると、爬虫類じみた細い目と口が同時に曲がった。


「いいのさ。私も神なのだから。誇り高くも面倒で、何よりも真っ直ぐでねじくれた道の神なのだから」

「あぁ、そう……」


 道祖神なりのフォローなのか、それとも単に言いたいだけなのか。

 清水原は薄く笑って、俯く亜弓の頭に手を置いた。


「昔なんてのは、どうにも変えらんねーしなぁ。まぁ、今はそれを乗り越えなきゃいけない時期なんじゃないの? シノや俺もだけど、今は君の妹のことをどうにかせないかん。そうやろ?」


 少しぶっきらぼうだったかもしれない。でも、気の利いた言葉なんか思いつかないのが清水原だ。

 彼は、亜弓の綺麗なマロンカラーの髪を乱暴にクシャクシャ撫でた。途端、バシッとスナップのきいた手で振り払われる。


「あれえぇ……」

「はぁーあ、泣いたらスッキリするかなぁって思ったけど気が抜けたわ」


 気まずい清水原をよそに、亜弓は手のひらをふぅっと吹いた。そこから小さな水たまりが浮かび上がる。その水を手のひらにこすりつけ、手ぐしで髪を元通りにした。

 その様子に、清水原が笑う。屈託ない、吹き出すような笑いをあげた。


「弁天さんに拾われて、本当に良かったね」


 言うと、彼女は鼻をすすって「うん」と微笑む。


「ちなみに、恵比須さんって目がザルなんやろーかねぇ? 俺や亜弓ちゃんが神通力で化かしてるの、まったく気づかんよな」


 不思議に言うと、道祖神が「あぁ」と割り込んできた。


「神は人の顔なんか覚えてないのさ。特に、恵比須はカミゴが多いのだし、見破れるわけがないのさ。人の腹や頭の中なんかいちいち気にしないからねぇ」

「なるほど。それで騙しやすいわけだ。亜弓ちゃんもなかなか上手く騙してるよねぇ」

「その言い方はやめてよ。あたしだって毎朝、化粧水で同じ顔をつくるの大変なんだから」

「化粧水で顔変えてんだ……すげぇ、さすが水の神通力」


 清水原が苦笑交じりに言う。道祖神は腹をかかえて笑っているが、亜弓は顔をむっとさせていた。


「消去よか全然いいやん」

「そりゃあね」


 もう一度鼻をすすって、亜弓はすくっと立ち上がった。


「はい、もうしんみりはおしまい! で? うちの愚妹はどこにおるっちゃろーか。もう見つかりそう?」


 調子を取り戻したのか、その声はいくらか明るい。

 清水原も「ふふん」と得意げに笑った。


「今夜にでも、ケリはつくやろーね」

「そっか。んじゃあ、あたしは見つかるまで、道祖神さんの人質になっとくわ」

「おう、こっちのことはまかしときい」


 くるりと振り返り、ビルの隙間の参道から出ようと一歩進む。追いかけるように道祖神も立ち上がる。

 そんな後ろ姿に、清水原は小さく手を振った。


 ***


 同刻。

 あたしと大黒さん、そして橋の反対側で待機していた碓井くんと酒本くんを連れて、大黒橋から離れて日陰の涼しい場所まで避難してきた。ビルが太陽を遮ってくれるから助かる。

 何故、移動したのかは、まぁ涼むのも目的の一つなんだけれど、この道で内緒話をするのは少しばかり厄介が伴うとのことだった。


「ここをまっすぐ行くとな、横町筋って道に出る。んでだ、この横町筋からさらにまっすぐ行くと小学校があって、大博通りに出る。大きな通りよ。そこを渡って行けば恵比須通りに足を踏み入れちまう。さらにさらにまっすぐ行くと、恵比須神社が見えるんだが、要はこの道は恵比須のもんなんだよな」


 大黒橋は中洲の三角の先っぽにある。先っぽの両端に弁天橋と大黒橋があり、この大黒橋から東にまっすぐの道を歩いて歩いて歩いて歩けば、恵比須神社に行きあうという。と言っても、博多川を越えたら古い問屋町に入るし、通りや筋で区切られているから恵比須神社へは四町分遠いわけで。

 縄張りみたいなものなんだろう。現に、須崎町と古門戸町の境は大黒通りである。橋から須崎町までが大黒さんの領地みたいなものだ。


「大黒天よ、須崎町には下鰮しもいわし恵比須神社があることをお忘れですぞ」


 酒本くんがこっそりと言う。大黒さんは「あぁ」と不機嫌に、忌々しそうに唸った。


「そういうこった。結局、縄張りがあってもヒソヒソ話は良かねぇんだわ。ということで、俺の庭に来てもらったわけだが」


 庭ねぇ……ただの道路の片隅なんだよなぁ……とは言えず。

 大黒さん曰く、中洲に入っちまえばこっちのもんよ、らしい。


「ウカを消したヤツの居場所を探さにゃならんのだろう?」

「そうそう」


 あたしと碓井くんが激しく頷く。話が進みそうで何よりだ。


「だが、相手は消去人ときたもんだ。同じ修羅人の清水原が動けねぇのは厄介だが、探す手立てはまだあるぞ」

「おぉ!」


 まさかこのおっさんがやる気になってくれるとは思わなかった。一体、どういう風の吹き回しだ。

 あとでこのことを話していたら「酒の相手がいなくなるのが惜しいのでしょうな」と、酒本くんが言った。さすがは酒の神。分かってらっしゃる。


「俺のカミゴだからな。探すのなんてわけないさ。ただ、居場所を突き止めるくれぇしかできん。あとは、玉城。お前にかかっている」


 突然の名指し。あたしの肩に緊張が走る。


「よし、分かった。それじゃあ、探して!」


 みんなが固唾を飲む中、あたしの応援もあり、大黒さんは大きく息を吸い込んだ。両手を掲げ、バンザイする。


 そして、


「みんみんみんみんみんみん、みみみみみみみ」


 変な音を発し始めた。

 これは笑ったほうがいいのか、よくないのか。碓井くんを見ると、真顔だったのでここは笑っちゃいけないんだろう。

 大黒さんはつぶらな目を閉じて、さらに「みみみみみみ」と唸った。


「かっ!」


 言葉通り、カッと目を開く。それから、パンッと両手を打ち付ける。


「……よし、分かった。玉城、天神だ。天神南方面の地下街にいる。一つに髪を縛った背の低い女の子。灰色のスウェット。年の頃は二十くらい。さぁ、急げ!」


 吠えるようなその号令に飛び上がる。あたしはすぐさま駆け出した。



 しかし、ここから天神南まではかなりの距離があることを忘れていたあたしは、天神に着く前にバテバテだった。


 ***


 結局、天神南の地下街に行っても、ゴーグルを装着して探せども、それらしい女の子は見つからなかった。


「おらんやん!」


 スマホで碓井くんに怒鳴る。すぐに「すいません!」って返ってくるけど、八つ当たりして本当に申し訳ない。


《まぁ、慌てるな。やつぁ、まだ天神にいる。どうも何かを探しているらしい。地上に上がれ》


 大黒さんが横から割り込んできた。


「地上? あんた、あたしをどんだけこき使う気よ」


 足がふらつきそうなくらい全力で走ったっていうのに。

 仄暗い地下街を早足で歩く。石畳をバタバタ走る姿は阿呆丸出しだったろう。オシャレな福岡市民たちが奇異の目で見ているのが分かるけど、ここまできたら構っていられない。

 レンガの壁をつたいながら階段を駆け上がって、三越の真ん前までたどり着く。


《そこから大画面まで行け》


 大黒さんの指示に従い、天神っ子たちがこぞって待ち合わせに使う大型ビジョンの前まで走った。

 見回すも、若者ばかりでカモフラージュされそう。ここでゴーグルは使いたくない。目だけで力を使うも、やっぱり見つからなかった。

 でも、


「――あれ?」


 パンクなライダースーツ女と、オフショルのブラウス女子を見つけた。

 道祖神さんと亜弓ちゃんだ。




 ***


 夜――

 この日は月がなく、博多川は黒い墨のようにぬったりと波打つ。それがビルの隙間にある参道からも覗き見られる。

 清水原は差し入れの缶ビールとおつまみで静かな夜を過ごしていた。

 忘れていると思うけれど、ここは神社だ。神社ひとん家で勝手に酒を飲んでていいのだろうか。まぁ、ウカちゃんなら許してくれるだろうけれども。マブダチだし。


「どうせなら月夜で呑むのがいいのにね」


 そんな独り言をぽっかり浮かばせる。

 と、上空から視線の圧を感じた。それは、この場にいる全員も感じたらしい。

 おもむろに清水原が宙を見上げる。


「そろそろくるか」


 そして――黒い弾丸が、彼を襲った。


「清水原!」


 堪らず叫ぶ。真っ黒なシャボン玉みたいな、大きな玉に包まれていく。

 目の前の出来事が、本当に起きているのか、あたしの目がおかしくなったのか、不安に駆られる。

 しかし、心配は無用だった。


「うっはぁ、あっぶな! 怖いわー」


 言葉とは裏腹に、彼は愉快そうに笑っている。口元しか見えないけれど、彼が心の底から楽しんでいるような気がした。彼の身体は軽い。

 ひらっと、木の葉のように、跳ぶ。弦を弾くように、跳ぶ。

 社の屋根に着地して挑発した。上空にいる、何かに向かって。

 あたしの目が、ようやくそれを捉える。揺れるポニーテール。重たいスウェットは色が夜に溶けている。

 彼女は、鳥居の真ん中に指先から黒い弾丸を飛ばした。散弾銃。散る火花が危なかしい光を放つ。

 かわす。躱す。躱して、跳ぶ。回る。廻る。それはまるで、ダンスをするような。楽しい、楽しい、命がけのダンス。


「ちょっと、清水原! あたしたちの安全が危ういんだけど!」


 黒い弾丸は今や、あたしたちが隠れている鳥居の陰にまで及んでいる。碓井くんは怯えて動けなくなっている。いや、狭い鳥居とビルの隙間から抜けなくなっている。

 いくら清水原の神通力で隠されているとは言え、弾丸に当たりでもしたら堪ったもんじゃない。

 屋根で宙返りを披露する清水原に文句を言うも、彼はまったく聞きゃしない。


「やるねぇ、お嬢ちゃん。でも、」


 屈伸を一つ。よっ、とジャンプして、鳥居の上に立った。


「そろそろやめにしよーか。ひっさびさに動くのは面白かったけど、」


 一歩、跳ぶ。鳥居を渡る。

 弾丸のスピードが落ちた。動揺。その隙が命とり――

 またひとっ飛びすると、彼は宙で逆さまに手を伸ばした。その目……。彼の眼球が見えた。ニットキャップがめくれてしまい、空気に触れて、鼻まで伸びる前髪が開いた。

 手を伸ばし、彼女の腕を掴んで、動きを封じる。


「あっ」


 誰が言ったか分からない。全員かもしれない。

 清水原が彼女の動きを封じたら、その身体は当たり前に後ろへ落ちていった。

 コンクリートに打ち付ける鈍い音と、人が二人分落ちた衝撃を迎えてすぐ、あたしは参道に飛び出した。


「清水原!」

「……だいじょーぶ……いや、いってぇ」

「大丈夫じゃないやん……」


 下敷きになった清水原が、ほろっと笑うから気が抜けてしまう。

 腰を打っただろうに彼は、女の子を後ろ手に掴んで頑として離さない。


「玉城、碓井くん、確保!」

「すいません、無理です!」


 碓井くんはまだ挟まっていた。しょうがない。だったら、あたしがやるしかない。清水原に掴まれた女の子に思い切り飛びついた。


「おらぁ! ウカちゃん返せぇっ!」


 がっしりとボールド。清水原も体勢を立て直し、ようやくあたしたちはウカちゃんを消した犯人を捕らえた。


「はなせ!」

「お、こいつ抵抗するぞ、清水原!」

「やめろ、そんな言い方したら俺が親分みたいやん!」


 何故か怒られた。この期に及んで好感度を求めるな。


「女の子捕まえてる時点で悪党だろーが! とっとと吐かせろ! ウカちゃんを返せ!」


 無我夢中であたしは彼女のあちこちを触った。それがくすぐったいのか、彼女は苦しそうに笑い出す。

 清水原は「もっとやれ!」と調子に乗る。

 やがて彼女は、


「分かった! だから、もう、やめて……!」


 ようやくウカちゃんを返す気になったらしい。

 まったく、手間のかかるやつめ。

 彼女は、肩で息をしながら後ろ手に組まれた手をもぞもぞ動かした。そして、手のひらからコロンとガラス細工みたいなキツネを落とす。

 地面に落ちた瞬間、白ジャケットのウカちゃんがぐったりと横たわった。


「ウカちゃん!」


 あたしと碓井くんが同時に叫ぶも、ウカちゃんはむにょむにょと何か唸っている。


「僕の……」

「え? 何?」


 清水原が訊く。すると、ウカちゃんは弱々しい声で訴えた。


「僕のお酒……残しといてね」


 聞かなかったことにしよう。

 ようやく抜け出た碓井くんに犯人を渡す。やっぱり力の強い人に任せるべきだわ。


「は、な、せー!」


 静かな川面にジタバタとやかましい波紋が広がっていく。


「往生際の悪い子やなぁ……誰かさんを思い出すね」


 聞き捨てならない清水原の言葉。あたしは眉をひそめた。


「おい、それは誰のこと言いよん?」

「誰やろーね。つい最近も同じことあった気がするなぁ」


 あはははと楽観に笑うも、女の子を躊躇なく羽交い締めにするし、この男はやっぱりとんでもなく危ないやつだと思う。


「ウカちゃんを消した理由ば吐いてもらわんと、そう簡単には逃さんけんねぇ。場合によっちゃあ、警察よりもおっかないとこに放り込むけん、覚悟しい」

「あーっ、もう、分かった! 分かったから! 言うよ、言う言う! だから離してってばーっ!」


 彼女は観念したように俯いた。ポニーテールが揺れる。


「消したのは、神通力を試すためだったの」

「試すためねぇ……すぐに解放することもできたよね?」


 清水原が静かに訊く。その声は低く冷たい。

 それでも臆することなく、彼女は強気な目で睨んだ。


「取り込む気だったよ、神そのものを。でなきゃ、授かったばかりの力は弱い。神を喰らえば、力が得られる、はずだった、のに……」


 段々と声が掠れていく。

 清水原の圧が強い。彼の口は厳しく結ばれていた。


「ご、ごめんなさい……お姉ちゃんを、探しにきただけだったの……」


 彼女はついに目を伏せた。

 同時に清水原が笑い出す。楽しげに。


「あはは。さすがにはキツいかぁ」


 意味が分からないあたしと碓井くんは首を傾げる。

 すると、鳥居の向こうから呆れた声が聴こえてきた。


「清水原くん、それはさすがに笑えんわ……最低」


 ヒールをカツンと鳴らす音と一緒に現れたのは亜弓ちゃん。

 あたしは清水原の顔をよく見た。


「うわあ……」


 さすがに引いた。


「え、だめ?」


 ふざけた調子の清水原。いや、だった。

 最低。

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