19話 消えた巫女
「確証のない状態でベラベラ話すのは気が引けるから、あんまし言いたくないんやけどね……まぁ、お前らには協力してもらわないかんし、俺の考えを話そうと思う。その前に、ちょいと昔話をしようか」
そう言う清水原の口は重い。鬱々とした空気があり、どことなく寂しげだった。
あたしは即座に手を挙げた。
「亜弓ちゃんは待たんでいいの?」
「うん。あっちはまぁ、よかろ。今からお前らにやってもらいたいことがあるけん、その前に俺と大黒さんと黒崎カミゴ倶楽部について話す。よーとついてきーよ」
さて。話とは一体なんなのか。
あたしと碓井くんは姿勢を正して、清水原と向き合う。彼は咳払いをして、唇を舐めた。
「……俺は、元々は黒崎、北九州市内にある黒崎にいた。気づいたらいたっていうのが正しいな。そのお偉いさんたちがいわゆる黒崎カミゴ倶楽部の四神家で、まぁ、その辺はいいとして。ある日、黒崎からは少し距離がある小倉の八坂神社で、巫女さんが消えた」
一呼吸の間。
あたしは「え」と口を開けたまま、声には出せなかった。
「消えた。
私たちは黙って聞いた。彼の口は早く、理解するのに一苦労で。
清水原は消去人ではない。それは分かっているけれど、分からないことが多すぎてこんがらがる。でも、質問は許されない気迫があった。
「当然、反論したけど信じてもらえんかった。って、言うのもそれまで誰のカミゴでもなかったし、当時は悪ガキやったもんで、親もいないし身よりもないから、生贄としては都合がいいよね。んで、博多へ左遷。平成のど真ん中でそんなことが起きた。
ここでようやく大黒さん登場。
清水原は少し息をつき、また話を続けた。
「大黒さんは、すでに分裂を起こしたあとだった。恵比須さんとの分裂をしたあとってことね。そんで、何度か話をしようと口説き続けた。ずっと。めんどかったけど、シノさんの命令なら仕方ない。その時、ちょうど俺の疑いが晴れたらしく、また博多で神の分裂なんてことが起きてるから引き続き、俺は博多の調査をすることになった」
「それで、大黒さんから欺きの力をもらったん?」
堪らず言うと、彼は「そう」とあっさり返した。
「この欺きの力はさっきも言ったけど、『
「はい、先生」
唐突に碓井くんが手を挙げる。
少し重ための話の中、ちょっと気が抜けた。
「どーぞ、碓井くん」
清水原が指す。碓井くんは三角座りをしたままで言った。
「そのコピー&ペーストってなんですか?」
その疑問はあたしも持っていたところだ。
清水原は首をかしげた。そして、自信がなさそうに言った。
「分かりやすくなかった?」
「分かりくいわ」
驚いて口を開ける清水原。
いや、分かるわけなかろうもん。
「要するに、コピーは複写、ペーストは貼り付け。対象物をコピーし、俺が今、ウカちゃんになっているように見せられる」
パッと、目の前の清水原が白スーツのホスト、ウカちゃんに変わる。
「これが、コピペ。分かった?」
「分からん……でも、なんとなく理解はした」
首をかしげるあたしたち。
ウカちゃん姿の清水原は悲しそうな顔をした。
パチン、と指を鳴らして解除する。黒Tシャツにニットキャップの冴えない男が再び現れた。
「そういう経緯があって、俺は大黒さんを見張ってるんだ。でも、あのおっさんはなーんも話してくれん。てか、記憶が抜けとーとこがある。毎日ぼけーっとしよる。今んとこは無害やね」
「なぁんだ。てっきり大黒さんが黒幕なのかと。黒だけに」
あたしが言う。
どうやらつまらん冗談を言ったようで、誰も笑ってくれなかった。
「はい、先生」
碓井くんがまた手を挙げる。
「どーぞ」
「あの、そんで結局、大黒さんが分裂した時ってのは、消えた後の話なんですか?」
「いい質問だ、碓井くん」
調子に乗り始めた清水原。その顔は少しだけ機嫌が戻っていた。
「おそらく、消えたあとの話やね。そんで、分裂したっていう。時系列で言うと、恵比須さんの一部(大黒さん)が消える→大黒さん(冥府のカミゴ)が現れる→川に住み着き始める→今、って感じかな」
「ってことは、恵比須さんの中にあった冥府の力みたいなものが取り出されたって感じ? 恵比須さんはそれを知ってんの?」
「知っとうよ。だって、大黒橋ができたのは大黒さんが住み着いてからやもん」
さも当然のように言う。
まぁ、こいつの言葉足らずぶりなところはそろそろ慣れてきたから、もう言及しないけども。腹が立つけども。
「大黒さんが冥府の力を与えてしまうって話はもうみんな知っとうよね?」
「うん」
あたしと碓井くんは同時に頷いた。
清水原が満足そうに頷く。
「そこで、本題。もしかすると大黒さんに近づいた誰かが冥府の力を授かった――消去人、化人、運が悪ければ喰人になったかもしれん人を探さないかん」
「はぁ……え、それって」
聞き流しそうになるくらいサラリと言われたので反応が鈍った。
あたしは頭をフル回転させて考える。
「つまり、大黒さんが力を与えちゃったからこうなったってこと?」
「かもしれん」
うーん……曖昧だなぁ。信じたくないけども。
「ちなみに探すのは?」
碓井くんがおずおずと手を挙げる。そんな彼に清水原はまっすぐ指をさす。そして、あたしにも。
「え?」
碓井くんが驚く。
「え」
あたしが声を上げる。
「へ?」
清水原が素っ頓狂に口を開く。いや、お前が言ったことやんか。
「マジで言いよーと、それ?」
あたしは頬を引きつらせて言った。
修羅人を探せだと? そんなことができると思ってるのか、こいつ。
確かに、あたしは探しものを見つけるのが得意だけども、でも、博多だって広い。中洲だけならまだしも。もし、福岡市内と広範囲に及ぶなら見つかる保証なんてない。どうやって探せばいいんだよ。
碓井くんも頭を抱えていた。
そんなあたしたちに、清水原は「まぁ、待てや」となだめすかす。
「誰かは絞れるんだよ。でも、それもまぁ、亜弓ちゃん次第なんだけど」
「はぁ? 亜弓ちゃんがなんなん」
「だって、あの子が俺を貶めた張本人やもん。消えた巫女=亜弓ちゃん。彼女、八坂神社の巫女さんだったから」
彼はそう言って、ニヤリと笑った。赤い舌がチラチラ見える。その危なげで不気味な笑顔に、あたしは背筋が凍った。
暗くて涼しい神社の中、季節は初夏。寒さなんて感じるはずないのに鳥肌が立つ。
「マジですか……」
碓井くんも絶句と言った様子。しかし、このデカブツは鈍感らしく、まったく寒気など感じていなかった。
「巫女消失事件を語るには長くなるからはしょるけど、今回の消失事件で弁天さんが八坂神社の名を出したとこでピーンと確信したんよね。これ、確かにあの八坂神社の件と同じなんよ」
清水原は顎をさすりながら笑った。
自分を貶めた事件と同じことが起きているというのに、この余裕ぶりが意味わかんないから怖い。
ということは、亜弓ちゃんが大きく関係しているんだろう。だから、わざとこの場から外したんだろうか。道祖神を探すという無理難題を押し付けて。
「まぁでも、亜弓ちゃんは犯人じゃないよ。今回は」
あたしたちの顔を見てか、清水原が慌てて言う。
そして、三日月の口が迷いながらもしっかりと話す。
「でも、亜弓ちゃん関係ではあるやろう。多分、犯人は亜弓ちゃんの妹だから」
これは、黒崎カミゴ倶楽部の四神家の
見つけたら即刻確保。しかし、亜弓妹の顔なんて知らないからどう探せばいいのか分からない。
「えーっと、話を整理すると、要するに清水原は亜弓ちゃんに裏切られて北九州からこっちに来たってことよね? それで清水原は追い出されて、今は別の理由でここにいる。それには消去人ってのが絡んでいる。今回も同じことが起きている……ってことね?」
「そう。そゆこと」
「今になって教えるって、なんなん?」
もう少し早く教えてくれたら良かったのに。
あたしは頬を膨らませて清水原を睨んだ。碓井くんは腕を組んでいる。清水原の口はミミズみたいに曲がった。
「んー……まぁ、今になって教えたってのは、
「伝言?」
藤磐のおっさんというのが誰か分からないからスルーする。
「うん。消去人を探して博多カミゴ倶楽部へ渡せ、とさ」
「えぇ……?」
なんだか司令官みたいな。それに許可が降りる、ということは清水原は言いたいことがあまり言えない立場にいるのか。
それならこいつの言葉足らずぶりも、まぁまぁ納得はする。要は、清水原は黒崎から送られたスパイみたいなものなんだろう。
「あぁ、でもそれは大黒さんも弁天さんも恵比須さんも菅公も知っとうことやけん」
あたしの考えがあっさりと覆された。
……まぁいい。これ以上訊いても、いい返事がかえってくることはないのだろうから、こいつの指示に従うしかないのだ。
ウカちゃんが帰ってきてくれれば、それでいい。
「よし、そんじゃあ今日はこれで終わろっか。亜弓ちゃんは当分帰ってこんみたいやし、お前らは先に帰りー。おつかれさん」
その号令により、本日の会議は解散と相成った。
***
三日目。
結局、昨日から亜弓ちゃんには会えずじまいでいる。あたしと碓井くん、時々酒本くんといったメンバーで亜弓妹の保護活動を開始した。
と、その前に。
清水原からの言伝で、あたしたちはまず大黒橋にいる大黒さんの元へ向かった。
「こんちはー」
川を眺めるひげもじゃおっさんの背中(今日のTシャツは五穀豊穣と書かれていた)に向かって挨拶をする。振り返る。ひげもじゃの上にあるつぶらな瞳があたしと碓井くんと酒本くんを捉えた。
ちなみに、碓井くんと酒本くんはあたしよりも一歩後ろにいる。(話せないし怖いからだって)
「んあ、なんだい、ちびすけ」
のっけからひどい。
「ちびすけたぁなんだ! あんた、あたしに名前くれたじゃん!」
そして、挑発に乗るあたしもあたしでひどい。
「やかーしいチビだなぁ。ったくよぉ、こちとら毎日、暇してんだよ。清水原を出せ。あいつ、ろくに出てこんじゃないか。顔見せろっての」
めちゃくちゃ文句を言う大黒さん。
毎度毎度思うけど、本当に神様なのか疑わしい。
「今、清水原はウカちゃんの代行をやってるから来れません。だからあたしが代わりに来てやったんですよ」
イライラしながら説明する。
大黒さんは「ふーん」と軽く頷いた。
「あぁ、そっか。聞いた聞いた。ウカのやつ、消されたんだってな」
「そう。多分、消されたんだと思う。だから今、みんなで探してんの」
「探すって何をさ。消されたらそれまでだろうに」
あまりにも冷たい言い方だ。これにはあたしだけでなく、酒本くんも前に進み出た。
しかし、言葉は出せない。なぜなら、大黒さんの周囲に黒いもやが浮かび上がっていたからだ。
「瘴気です。これは瘴気です。碓井さん、近づくと危ないですぞ」
大柄な酒本くんが大柄な碓井くんの体をホールドして遠ざかる。あたしは逃げ遅れる。けれど、不思議と何も危険はない。
酒本くんと碓井くんが遠ざかるのを恨めしく目の端で追いかけていると、大黒さんが小さく言った。
「お前さんは俺のカミゴだからな。ちっとは免疫があるのよ。んでだ、ちょっくら話をしようか」
人払いをしたのだろうか。大黒さんの声はさっきよりは真剣なトーンだった。
「話って?」
「ウカが消えた理由さ。確証はねぇが、消したやつならなんとなく察しがついている」
「なんですと」
あたしは思わず大黒さんに飛びついた。なんか磯くさいけど構わない。
大黒さんはもじゃ毛をわさわさ揺らし、低い声で言った。
「ウカと酒を飲んだその時、後ろから話しかけられたんだ」
「誰に?」
「女の子だった」
「女の子……」
「そう。んで、俺もうっかり口を聞いちまったんだよな。お前さんくらいの子だった。ってことは、神が視える女の子が俺の冥府の力でうっかりと、これまたうっかりと消去の力を手に入れてしまったのかもしれん」
「なるほど」
それが本当なら、やっぱり犯人は亜弓妹。容疑者は女の子。消去の力を持つ人。
それもうっかりと力を与えられた……
「やっぱり元凶はお前かい!」
ちくしょう。大黒さんが元凶だって、信じたくなかったのに。
当の本人は「あ、そっか」と納得している。気づいてないのかよ。
「おい、おっさん。いい加減にしいよ、ほんとに。そうやってうっかりホイホイとカミゴ作ってんじゃねーよ、自重しろ!」
清水原に代わっておしおきだ。
あたしは大黒さんの背中を思いっきり叩いた。一方で、大黒さんは「でへへへ」とお茶目に笑った。まったくもってかわいくない。
***
玉城が大黒に説教している間、清水原はスマートフォンを眺めていた。
そろそろ、霧咲から連絡がくるはずだった。
「まだかなー……」
ずっと座って黙っているのも暇なので、独り言が多くなる。
すると、画面が明るくなった。霧咲からの着信だ。すぐさま通話ボタンをタップする。
「もしもし。あ、姉ちゃん? どうやったー?」
安穏に訊く。
すると、電話の奥で彼女のバイクのエンジン音と息を吸い込む音が聴こえた。
《どうもこうもないわよ!》
耳をつんざくような金切り声に、思わずスマホを耳から離す。
「え……なに、どうしたん」
《あぁもう、うるさいわね! 今の私はとてもとても腹立たしいのよ! えぇ、そうよ、だって、逃げられたんですもの! あぁ、もう、嫌になっちゃうわ! 畜生っ!》
「まぁまぁ、落ち着きーよ」
やばい、と清水原は焦りを覚えた。これは怒りの霧咲襲来だ。野放しにしておくと、竜巻が起こる。物理的に。これは祥山か明水に連絡した方がいいかもしれない。
《でもね、明水さんからの伝言でちょっとは落ち着いたのよ、これでも》
少しだけ静かになり、エンジン音が聴こえるくらいには戻った。
「あ、そうなん? やっぱあの人、すげえな」
《何もすごくないわよ。思い出したらムカついちゃうから、先に伝えておくわね》
電話の奥の霧咲は深呼吸し、それから一息に言った。
《「あらゆるすべての事象の一方はきまぐれ、もう一方はそれを利用するもの」。綾乃さまがお告げを聞いたそうよ》
「おぉ、ここでようやく真打登場か」
《
即座に冷たく言われる。ふざけたつもりはなかったのだが、もう余計な茶々は入れまいと決めた。
《まぁ、綾乃さまが表に出てくることは勘弁願いたいものだわね。そんな事態になるほどの災害が起きても困るし、そもそもあの人が災害レベル……失敬。なんでもないわ》
自分を棚に上げた毒舌に、清水原は思わず苦笑する。
《とにかく! 私は忙しいのよ。まったく、あっちこっちで変なことが一度に起きてパニックよ。要件があるなら今すぐ言いなさい》
「言ってることがとっちらかってんなぁ……あぁ、ごめん。なんでもないです。えーっと、一つ頼まれてくれん?」
《何かしら》
口調はきついが、聞いてくれるだけまだいい。清水原は唇を舐めながら言った。
「八坂神社に行ってきてほしい。で、行方不明のカミゴがおるはずやけん。名前はサヨリ」
《はぁ、八坂神社ね。まったく、なんて人使いが荒いのかしら。明日になりそうだけどいいの?》
「いいよ。身元が分かればいいだけやし。もしかしたら、このサヨリちゃんがこっちのとそっちの鍵を握ってそうだし」
《ふうん? それじゃあ、あなたのその脳みそを信じましょ》
言いつつも不満そうな霧咲。それから《幽霊関係なら本職だったのに、超能力なんて専門外よ》などブツブツと独り言ちはじめる。もう切り上げたほうが良さそうだ。
「それじゃあ、ありがと。これでそろそろウカちゃん消失も決着がつくと思うわー。そしたら、そっちのこともどうにかできるやろ」
《そうね……順序よく進めていきましょ。それじゃあ、さようなら》
「はいはーい」
通話が切れる。清水原は大きく伸びをした。そして、振り返る。
「……これで、少しは安心できるやろ。良かったね、沙耶香ちゃん」
社の向こう側――博多川がゆうらりとなだらかに見えるビルの隙間に、暗い顔をした亜弓とその横で監視するように立ち、ニコニコと笑う道祖神がいた。
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