18話 消去人と喰人と化人

「――まぁ、あんまり話したくないものだわね」


 弁天は気乗りしない様子だった。きらびやかなドレスが、仄暗い明かりでてらてらと光る。その動きを眺めながら、碓井大介は口をすぼめた。

 大柄でゴツゴツとした見た目は岩そのもので、威圧感のある彼だが、その齢は二十歳になりたてである。子供っぽい仕草が恐ろしく似合わない。

 倉稲魂命うかのみたまのみこと捜索中という名目で、CLUBMUSEは店休日である。昼間だからそもそも店は開けてないのだが。


「だって、話したらに知れ渡るもの。特に恵比須。あいつには聞かれたくないものだから」

「筆談じゃいけないんですか」

「ダメよ」


 すかさず却下される。碓井は首を傾げた。


「どうしてですか」

「だって、面倒じゃない?」


 弁天はきっぱりと言い放った。


「話せば長いの。だから、面倒なの。そして、話したくない。でなきゃ、私まで消されかねないわ」

「弁天さんが?」


 驚いて返すと、弁天は「えぇ」とあっさり。

 これはもしかしたら耳寄りの情報かもしれない。碓井は顎に手を当ててしばらく考える。

 有益な情報か、否か。彼には判断ができない。


「ともかく、清水原に伝えなさいな。大黒の件は、北九州小倉にすべてある。八坂神社を訪ねなさいと」

「はぁ……了解しました」


 一体どうして、北九州などという地名が出てくるのか。

 碓井にはやはり見当もつかなかった。


 ***


 碓井くんが弁天さんの話を聞いていたその頃、あたしは窮地に陥っている――かに思われたが、状況は至って良好だった。

 黒い服の針金男はにこやかに穏やかで、あたしをスマートに吉塚古着店の裏口へ案内してくれた。


「おや、すまんねぇ。こっちから来てもろて」


 浅黒くシワだらけの吉塚の旦那さんが驚きの顔で出迎えてくれる。


「どーも。こっちからですいません。ちょっと、用事があって」


 しかし、この針金男の前でベラベラと清水原の話をするわけにはいかない。

 あたしはちらりと怪訝に振り返った。彼はやはり、三日月の口元のまま。怪しい微笑み。


「あぁ、この人はね、博多倶楽部の人よ。恵比須さんとこの」


 察したのか吉塚さんが言う。すると、針金男はあたしに向かって一礼した。


福本ふくもと勇魚いさなと申します。恵比須神のカミゴです。と言っても、末端の末端で、恵比須様にお会いなんてそうそうできないのですが」


 残念そうに言う針金男もとい、福本。ただ、恵比須の名が出ただけであたしの警戒心はギュンッと跳ね上がる。そろそろと福本から離れた。


「お嬢さんのお名前は?」


 警戒しているのに、福本は距離を詰めてくる。

 あたしは口をすぼめて目を逸らした。


「……爽奈そうな

「ん?」


 何故か吉塚さんが反応する。一方、福本は「爽奈さん、ですか」と含むように言う。


「よろしくお願いしますね、爽奈さん。同じカミゴ同士ですし。私、まだまだカミゴの友人がいないもので、仲良くしましょう」

「よ、よろしく……」


 得体が知れない人間とよろしくやるわけにはいかない。が、今は理性を働かせなければならない。

 これについては清水原に話しておかなくては。


「そんで、爽奈ちゃん。なんの用ね?」


 吉塚さんが訊く。あたしの誤魔化しを咄嗟に理解してくれるところ、この人は本当に頼れる。

 しかし、なんの用で来たんだっけ……忘れた。


 ***


 そそくさと吉塚古着店から離れ、商店街から全速力で國廣神社へ帰還する。

 手を挙げて迎えてくれた清水原は、手ぶらのあたしを見るなり口を歪めた。


「アホか、お前! 俺の飯、どうしてくれるん!」

「あ、忘れてた。そうだ、あたし、うどんを作ってもらうんだった」

「おつかいもまともに出来んとか、玉城、お前マジで使えんやつやなー!」


 そんなに空腹なのかよ。めちゃくちゃ文句言いやがる。

 だが、それどころじゃない。

 空腹で不機嫌な清水原の口をおさえ、あたしは息を吸い込んだ。


「やばそうなやつに遭った」


 それを言えば、清水原は大人しくなる。


「やばそうなやつ?」

「うん。真っ黒の針金みたいにひょろいやつ。福本勇魚っていって、恵比須さんのカミゴって」

「福本……知らんな」


 清水原でも知らないか。


「まぁ、恵比須さんのカミゴなんて全国にうじゃうじゃおるし、博多は特に多いんやし。何せ、商売の神様……一月に十日恵比須神社でお祭りやるし、カミゴから信者までものっすごい数がおる。いちいち覚えちゃいらんねーよ」


 なるほど……それじゃあ、福本もそのうちの一人なのか。いや、でも、あたしが感じた得体の知れない空気感はただものじゃなかった。

 なんだろう。気にしすぎ?

 黙っていると、清水原は地面に座り込み、ポケットから何かを出した。


「んまぁ、用心はするべきだ。玉城、コンビニでうどん買ってこい」


 五百円玉を放り投げられる。


「ワカメうどん。それがいい」

「はぁーい……」


 おつかいくらい出来ることは証明しなければ、清水原の機嫌は治らないだろう。

 来た道を戻り、鳥居から出る。

 すると、突然デカブツにぶち当たった。よろっと後ろへ弾かれる。


「ぶへっ」

「あ、玉城さん。ごめんなさい」


 碓井くんが申し訳なさそうに、巨体を折り曲げて私を助け起こした。


「んもー! お前、でかいんだから気をつけろよ!」

「すいません。あ、清水原くん、聞いてきたよ!」


 岩のような男は、そのナリに似合わず無邪気に言った。鳥居の向こうにいる清水原へ向かうも、参道が狭いからあたしもつられて戻る。

 清水原の口角がさらに落ちた。


「弁天さん、やっぱり教えてくれんかった」


 そして、報告も大したものじゃなかった。清水原の口角のみならず、肩までも落ちていく。


「でも、これには訳がありそうで。話したら弁天さんも消されるかもしれんと」


 弁天さんも消される?

 それはなかなかやばい案件だな。

 あたしと同じで、清水原もこれには真剣に耳を傾ける。


「しかも、大黒さんに関しては北九州市小倉の、八坂神社を訪ねなさいと」

「はぁ? なんそれ。北九州?」


 博多からえらく遠い場所まで話が飛ぶ。一体どういう意味なんだ。

 さっぱり分からないあたしと碓井くんは、清水原の言葉を待った。彼は「うーん」と思案めいた唸りをあげる。

 そして、顎を擦りながら言った。


「……はーん。なるほどね、分かった」

「え、意味分からん。清水原、何が分かったと?」


 きちんとした説明を求める。

 そんな私と碓井くんを制す清水原。


「……まぁ、この仮説を確かなものにするにはちょいと情報が足らん。亜弓ちゃんが帰ってくるまで、お前らはコンビニで飯でも買ってきぃ。なんなら、コーヒーまでつけてもいいし」


 そう言って彼はポケットから小銭をバラバラ落とした。十円、五円、五円、五円、五十円、百円、また五円……いくつもいくつも、チャリンチャリン音を鳴らして。


「……お前、これ、あそこの賽銭箱から取っとらんよね?」


 階段の上にあるあかい社を指さす。

 だって、あまりにも細かい小銭の量だ。

 疑いの目を向けると清水原はニッカリと笑った。

 ――ウカちゃん。帰ってきたら、この賽銭泥棒に神の裁きを下してくれ。


 ***


 清水原が何やら目論んでいる間。

 玉城と碓井がコンビニで昼食を物色している間。

 八尋やひろ亜弓は、天神のど真ん中に立っていた。中洲から歩いて五分もあればたどり着く、九州最大の繁華街である。

  木の葉を隠すなら森の中。バスと人々が行き交う大通りを歩く。うるさい雑踏に紛れていれば、早足にヒールを鳴らして歩こうとも目立たない。

 彼女は、スマートフォンの画面をチラチラ見ていた。時刻は十四時。探し始めてから二時間は経過している。


「おらん」


 呟きには僅かな苛立ちが混ざった。


「マジで見つからん……」


 噂には聞いていたのだ。

 道祖神はよく天神のショッピングモールに出没しているらしい。そして、馴染みのパンクファッションのショップへ足繁く通うと。

 それを清水原から教えてもらい、その通りに探しているのだが――見つからない。


「道祖神さんの行く店は全部見たし……はぁ、疲れた」


 同じ道を行ったり来たりを繰り返している。


「つか、清水原くんも人が悪いって。なんであたしが探し物せないかんのよ。探し物なら玉城ちゃんやろ」


 疲れから不満が絶えない。

 若者が待ち合わせに使う駅下の大型ビジョン前で立ち止まる。

 タイトスカートにヒール、オフショルのブラウス。いつもは結い上げている巻髪を、無造作に下ろしている。仕事時とは違い、彼女にとってはラフな格好だ。

 周囲の人間も同じようなスタイルの女性が多い。だから、ライダースーツの女を見つけるには容易なはずだった。

 駅から降りてくる人の波から目を逸らす。


 その、瞬きをした直後だった。


「やぁ、すまない。待たせてしまったようで」


 目の前に、爬虫類に似た顔があった。


「お水の女神んとこの娘だね。ちょいと野暮用で黒崎にいたのさ。申し訳ない」

「その言い方、やめてくれっていつも言ってますよね、道祖神さん」


 キャバクラ嬢とは思えない、不機嫌あらわなしかめっ面を見せる。

 そもそも亜弓は、道祖神が苦手だった。


 ***


 亜弓ちゃんが苦戦している一方で、國廣神社では遅めのランチタイムが繰り広げられる。暗い参道で三人が肩を寄せあっている姿は異様だろう。

 しかし、周囲からは見えないようになっている。清水原がウカちゃんの代行、つまり神様の代行をするために欺いているからだ。


「ふぅ。話は分かった。仮説はホンモノになったよ」


 うどんにありつき、つやつやとした頬で笑顔を見せる清水原が機嫌よく言い始める。


「は、マジで」


 ちゃんぽんをズルズルすすっていた矢先にそんなことを言うから、思わずむせかけた。

 そんなあたしに構わず、清水原はうどんの汁をぐいっと飲み干した。


「マジマジ」


 軽々しく言われ、あたしも碓井くんも気が抜ける。

 ちなみに碓井くんはカップ麺。二つ目がそろそろ食べ終わるらしい。


「そのホンモノって?」

「うん。大昔、確かに大黒さんが消された。いや、違うな。大黒さんは元は恵比須さんだった。しかし、分裂した。大黒さんが消されたんだ」


 サラサラと話を進められる。

 あたしと碓井くんは麺をすすりながら顔を見合わせた。

 清水原は尚も続ける。


「つまり、大黒さんが大黒さんになった時代の話。大黒さんとして一つの神様になった話。で、それを行ったのは恵比須であり、恵比須の配下にいる者。それが、」

「天狗?」

「そう、天狗。


 清水原はぺろりと唇を舐めた。ニヤリと笑う。

 あたしは口に残っていたスープをごくんと飲んだ。


「当時、天狗と言われていた存在……つまり、神通力を使うやつ?」


 碓井くんが言った。

 清水原が頷く。

 同時に、あたしは「あっ」と息を飲んだ。


「じゃあ、天狗って、カミゴ?」

「そう。でも、ただのカミゴじゃない」


 ただのカミゴじゃない?

 思考が追いつかないあたしは、碓井くんに助けを求める。が、彼も首を傾げているから頼れない。

 清水原はゆっくり溜めて、溜めて、溜めて、息を吐くように言った。


消去人けしびと喰人くらいびと、そして化人ばかしびとと呼ばれる、冥府のカミゴ。つまり、修羅人だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る