11話 最強の矛と最強の盾
「――わ、私、そんなの、知らん。超能力とか、持っとらんし」
2年3組の廊下にいた彼女へ問いかけると、そう切れ切れに返された。顔を俯け、目を泳がせて。怯えたように。
刑事ドラマやミステリだったら、これはもう紛れもなく「私が犯人です」と明言しているようなもの。あからさまな様子が余計に怪しい。だが、私と寺坂が追求する間も与えずに、敷島和子先輩は首を横に振って、涙目を作った。
「バカバカしい。私が、何を根拠にそんなん……あるわけないやん」
震えた声。頑なに示す拒絶。
それを目の当たりにし、私は何も言わずにいた。いや、言えずにいた。
お調子者の寺坂でさえ敷島先輩のただならぬ様子に怖気付いたらしく、何も言わない。しかし、彼は帰り際の廊下で「なんかガッカリだなー」と感情のこもっていない感想を述べた。
「いやぁ、でもよ。俺、ちゃんと聞いたんよ?」
私は何も言ってないが、無言に気まずさを感じたのか、寺坂はごにょごにょと言い訳を始める。
「本当か?」
「ほんとほんと。敷島先輩が超能力者やって。なんかさ、念動力みたいなん。今んとこ、名前が割れとう人っつったら敷島さんっち言われたんやもん」
「念動力……」
私はゆっくりと反芻する。
念動力とは意思の力で物体を操るというもの。科学的に研究が重ねられている、もっともポピュラーな「超能力」……だが、これは神通力の類であると私は思う。
それこそ「念じ」の力と言われており、父が似たような力を使える。私にとってはもっとも繋がりが深いものなのだ。
「ちなみに、男子生徒の念動力使いはいないのか?」
私が聞いたウワサはそれだ。敷島先輩も怪しいが、超能力を吹聴している人物も怪しいだろう。
訊けば寺坂は真面目な顔つきになった。
「俺は男にゃ興味ねぇ」
やけに神妙な声で言うが、言動が見合っていない。私はため息を吐いた。
「おい、寺坂。お前、いっぺん、沈めちゃろーか」
まったく。真剣に訊いているというのに。
私は指を鳴らしてみた。途端に寺坂は顔を引きつらせる。
「お、おい、やめろ。お前の馬鹿力喰らったら死ぬどころやない……」
「ふん。冗談やし」
それに、別に殺しはしないぞ。まったく、失礼なやつだ。
「大体、敷島先輩が超能力者だってこと、誰に聞いたんだよ」
兼ねてよりの疑問だ。彼女が何故、超能力者であるとウワサが立ったのか皆目分からない。
「あぁ、なんか……見たっち言いよった」
「誰が」
「俺の先輩が。敷島先輩と同じクラスの。なんかね、敷島先輩が手洗い場で水をこう……ぐにょんと、そんな感じで操りよーのを見たっぽい」
水を操る……それは念とやらでか。
「で、そっからウワサが持ち切り。まぁー、犯人扱いされとんのやろーね。顔色悪かったし、一人でおるし」
ノリで来たとは言え、寺坂はきちんと彼女の様子を見ていたようだ。
確かに、敷島先輩は肩身が狭そうに縮こまっていた。
中学の時は委員会が同じで、明るく朗らかな人という印象の敷島先輩。それが久しぶりに会ってみれば、すっかり変わり果てている。疲弊した顔が痛ましく思えるが、彼女が超能力者ならば同情はしかねる。
「鹿島。お前、敷島先輩と知り合いなんやろ?」
ふいに寺坂が訊く。
「知り合ったときもそんな、なんか怪しー力持っとったん?」
「いやぁ……」
記憶の糸をたぐっても、彼女が超能力で人を困らせている場面はなかった。まぁ、委員会でしか会うことはなかったが。
ならば、彼女の力(仮)は先天性ではない。宿った授かりもの――やはり、神通力じゃないか。
まだ力を目の当たりにはしていないから断定は不可だが、これは霧ねえに報告すべき案件だろう。
***
「――スプーン曲げって、そういや誰もしよらんっぽいねぇ」
放課後、私は前席の鬼木に「超能力」の話を持ちかけた。彼女は苦笑いだったが、私の必死な「超能力興味あるオーラ」に観念したように、ゆるゆると話を合わせてくれる。
「スプーン曲げ?」
「そう。だって、超能力の定番やん。昔、なんか超能力の番組で見たよーな」
そして、彼女はスプーンの代わりにシャープペンを出して握った。
「こうやって、こうやって……ぐにゃんと曲げるってゆーの」
「はぁ……」
鬼木がして見せたのは、手品なんかでもよく見るスプーン曲げの形。軽々と人差し指で曲げてしまうシーンを思わせる。そして、寺坂が話していた敷島先輩の念動力……水曲げも思い出す。
念動力者は、何かを曲げずにはいられないのだろうか。しかし、食堂のスプーンが全部曲げられたなんて話はない。
「もしかしたら、犯人は派手好きなんやろーね。ほら、3年のちょっと目立つ人とかおるやん? ああいう人かもしれんねぇ」
「なるほど……」
この助言は参考になりそうだ。
「嫌でも耳に入るもんね……一部じゃ、超能力者探しや犯人探しをしよーみたいやし」
私は彼女の話をメモしながら聞く。時折、相づちも交えて。
「あ、あとね、オカルト・超常現象研究会の仕業っちウワサもあるよ」
「は? オカルト……? え、そんな部活あるんだ」
思わずメモする手を止めてしまう。見れば、彼女は笑いながら「うん、非公式のクラブらしーけど」とさも当然のように返した。
「ほら、学校案内では絶対に記載されん部活よ。生徒会とか先生に承認されんでもどっかで集まってやりよんの。先輩に聞いたよ」
彼女は吹奏楽部だ。だから、そういう非公式クラブには関わりはないだろう。
でも、私も先輩から学校の秘密や裏話なんかを聞くことがある。非公式クラブというのはないが。
「なるほど……分かった、ありがとう」
「どういたしましてー……うーん、でも、なんでまた急に超能力に興味持ったん?」
鬼木は不思議そうに訊いた。
昨日まで超能力騒ぎに参加しなかった私である。まぁ、気にはかけていたし、むしろ憤りを感じていたが、これまでは一切も話題にしようとはしなかったのだ。不思議に思うのも無理はないだろう。
さて、なんと誤魔化せば良いのか……うーん……
「えーっと……う、うちの」
口を開けども、顔が引きつっていく。
「うちの姉が、そういうのに興味持って……調べろって言われて……」
固い。声が固くなる。ガチガチに不格好な言葉の並びになってしまい、私は思わず鬼木から目を逸した。
事実と言えば事実だ。内容はともかく。
「へぇ、お姉さんが……鹿島くんとは正反対なんやねぇ」
「そう。姉はそういうのが、好きで……うん、そう、そうなんだよ」
誤魔化せたのか。目を見ることができないからなんとも言えない。ただ、鬼木は感心したように唸るばかり。
「ふうん? なるほどねぇ」
含むような声が耳に入るも、私はどうやり過ごそうかと悩むばかりだった。
***
昔、幼い頃に「神さまの力」を友人に話したことがある。
すると、その友人は私を馬鹿にした。笑い飛ばした。「そんなもの、あるわけない」と真っ向から否定した。
私は、父にそのことを話した。
悔しかったことを話した。そして、皆が私と同じではないことを知った。
隠さなくていい。誇っていい。鹿島祥山は神さまに選ばれたのだから、何も自分や周囲に嘘をつかなくていいのだと、父は言った。
しかし、世界はそう私に甘くはない。
馬鹿正直に神通力の説明をしても、誰も納得しない。だから隠すことに決めたが、私はそれを「逃げ」だと情けなく思う。今も。
それをつい、神に悩みを打ち明けたことがある。吐き出すようにすべての思いをぶちまけた。怒りや悔しさ、不甲斐なさを。すると彼は全てを聞き終えてから、面白そうに愉快そうに私を嘲った。
「大馬鹿じゃのぅ、祥山は」
しきりに「大馬鹿」と罵るのだ。神さまが。それはあんまりだろう。
しかし、彼は皮肉屋だ。角ばった顔と体で、口から出る言葉はすべてが皮肉なものだから、何度私が泣いて怒ろうとも、床に転がして笑い飛ばすだけなのだ。
そんな環境で16年過ごしていても、霧ねえみたいに機転が利かない。鬼木の追求を上手く回避できたとは思えず、そればかりが脳内でぐるぐると後悔の渦を巻いていた。精進しなくては……
部活を終えて、皆が帰る準備をしている際も私は胴衣のままで悩ましく、ぼんやりと考えていた。
神通力云々を信じてもらおうなんて、もう子供じゃあるまいし道理ややり過ごし方くらいは分かっている。もう、鬼木についても考えないでおこう。気になるけれど。何が気になるか分からんけども。
今は、はびこる超能力についてだ。敷島先輩のことと、念動力男子のこと。
ちなみに、念動力男子については少しだけ分かったことがある。佐々木先輩に思い切って訊いてみたら、すんなりと名前が飛び出した。
「まず最初に超能力っていい出したんは、生徒会長やったよ」
まさかの証言に、私はしばらくフリーズしたものだ。
「えっと……生徒会長って誰でしたっけ」
恥ずかしながら、今期の生徒会はまだ把握できていない。だが、佐々木先輩も「うーん?」と記憶になさそうで、仕方なく他の先輩に訊いた。
生徒会長の名前は、
入学して3ヶ月……まだまだ開拓できていないものがたくさんあるものだ……
「おーい、祥山。なんか、お前にお客さん来とーよー」
八重島の声に、私はハッと我に返る。
「お前、まだ帰らんのや」と呆れられたが、それを無視して私は武道場の玄関まで向かった。
「客?」
「うん。すっげー
……それは、なんだか覚えがある。
そろそろと外を覗くと、そこにはオレンジヘルメットを小脇に抱えた霧ねえの姿があった。
「あっ、祥ちゃん! おそーい! 早く、着替えてきなさい!」
「……はい」
まさかのお迎えに、私は複雑に顔を歪めた。
急いでジャージに着替え、私は彼女が待つ校門まで走った。
霧ねえはどうやら、神さまを参りに行った帰りらしく、丁度学校の前を通ったから私を探しにきたという。
「そしたら、まだ胴衣のまんまだし。何、精神統一でもしてたの?」
「いや……ちょっと、今日収穫したものを整理していて」
しどろもどろに言うと、彼女の苛立ち顔は一気に晴れやかなものに変わった。
「ほう。それじゃあ、何か分かったのかしら」
言ってご覧なさい、と手のひらを見せる。私は咳払いをして、素直に事の次第を話した。
敷島先輩のこと、生徒会長のこと、あとは……鬼木のこと。
何故、私は鬼木について話をしてしまったのだろう。自分でもよく分からないが、もしかすると分からないから相談したかったのかもしれない。彼女のことを。
――だからね、今起きていることは全部、あたしは望んでないことなんよ。見なかったことにして、あたしの中にある架空異世界を守ってんの。
特に、今朝の言葉が未だに違和を与えており、すっきりしない。
霧ねえは、私の話を静かに黙って聞いていた。腕を組んで、目を瞑っている。
「怪しい者は確かに多いわね……特に、その鬼木さんは注意しましょ」
やがて、彼女はそうゆっくりと考えるように言った。
「え、鬼木ですか?」
「そうよ。その敷島さんやら荒江くんやらも要注意だとは思うけれどね。でも普通なら、一般人は突然に宿った力に驚き、恐怖するものよ。喜ぶ人もいるでしょうね。ともかく、感情の揺れが激しくなるの。敷島さんや荒江くんなんかが、聞いててそう窺えたけれど。寺坂くんや八重島くん、佐々木くんもそうよ。当事者でなくとも、こーんなお祭りみたいな大騒ぎには浮かれたり怯えたりするものでしょう――でも、鬼木さんに至っては違うわね」
なるほど。ようやく私が抱いた違和感や不自然さが顕になった。感心していると、彼女は神妙な顔つきであとを続けた。
「鬼木弥宵には、別の何かが見えているような気がする――」
「別の?」
「そう。私にはそう思えて仕方ない」
それは一体なんだろう。私は、普段から接している彼女を途端に「異質」だと思えてしまった。そしてそれを受け入れられない。
「ま、明日よ明日。時間をかけて慎重にいきましょ。ね?」
「そう、ですね……」
私の顔を覗き込んで、霧ねえは励ますように言った。
しかし、私の話しだけでこれを分析できる霧ねえは、とんでもない直感力と洞察力を持っている。恐れ入った。
「何にせよ、用心はしておかなくっちゃ……」
そう静かに言い、言葉が切れる。そして、彼女はおもむろに宙を見上げた。私もつられて見上げる。
雲が夜の群青に染まり始めているがその暗がりの中、私の目に何かが映り込んだ。
落下する、何か。それが段々と大きくなっていく――
「祥ちゃん!!」
霧ねえの目にも見えたらしい。その弓を射るような声で弾かれ、私は持っていた傘を振りかぶった。素早く思い切り空を打てば、それは落下の軌道を変えて私たちより真ん前の道路に落ちていく。
ゴーーーーーンッ! と金属が重たく反響する音を、瞑った視界の中で聴いた。
「な、なん、これ……」
恐る恐る目を開けば、霧ねえの驚愕めいた声が隣でした。
「看板……?」
見ればそれは金属製の、錆が浮いた鉄工所の大きな看板だった。私の身長(174センチメートル)くらいはあるだろう。それが、風のない夜に落ちてきた。
私と霧ねえは、そろりと顔を見合わせる。
「これは……」
「殺る気マンマンだわね……一体、誰がこんなものを落としてきたのかしら」
すぐさま浮かんだのは敷島先輩だ。そして、一昨日に見た屋上の人影。
もし、これが同一人物だったら……あまり信じたくないし、考えたくもない。でも、動機ならいくつも思いつく。私が探りを入れたというだけでも、彼女が行動を起こす起爆剤になり得るだろう。そんなこと、あってほしくないのだが。
一方、霧ねえの火を点けるには十分だった。彼女は不敵に笑い、看板を足で叩いている。
「まぁ、私と祥ちゃんがいれば、こんなものどうってことはないけれどね」
「間一髪でしたよね……」
彼女の護りと私の一振りで、どうにか回避したようなものだ。それでも霧ねえは聞いちゃいない。
「そうそう。あのね、祥ちゃん。私、道祖神さまに話を聞いたのよー。最近、北星高校で起きている事件についてをねー」
突然に霧ねえは声高に言った。だめだ、興奮で我を忘れている。これは「怒りの霧咲」襲来も近い。
「でね、ここ最近、怪しーーーー人影をよく見るんだって言ってたのよねぇ。それがどうも、女の子らしいのよー」
霧ねえの声はますます大きくなる。大声で話をすることでもないのだが、今、彼女に触れるのは危険だと本能が忠告している。私は比例した小さな声で「はぁ」と相づち。
すると、背後のフェンスからガサガサと物音が聴こえた。
「ふふん。どうやら、ちゃあんと聴いてたみたいね」
霧ねえが不敵に笑う。私はフェンスと霧ねえを交互に見やった。
「まさか……」
「近くにいるわよ、祥ちゃん。追いかけましょ」
言うやいなや、彼女は抱えていたヘルメットをバイクに放り、校門を再びくぐった。私もそのあとを追いかける。
校門を入ってすぐに、渡り廊下がある。そこを突っ切って中庭へ。霧ねえの直感に任せて追いかける。
私たちの上に看板を落とそうとした犯人――まさしく、それは念力の類である。完全に、私たちを狙っての犯行だった。それをみすみす逃してなるものか。
霧ねえほどではないが、私も段々と怒りを湧かせていた。
捕まえる。
誰だろうとも。
やはり、私は神の力を悪用する人間が許せないのだ。それはきっと、霧ねえも同じだろう。
「いたっ」
彼女は、息を吸うような音を上げる。視線の先に、黒い人影。学校指定のジャージを着た人物が校舎の角へと身を潜める。
霧ねえはそのまま直進し、私は犯人が走った方へ先回りする。校舎の裏側だ。道は一つしか無い。フェンスに囲まれた隅だ。挟み撃ちにして捕まえる。
しかし――
鉢合わせたのは霧ねえだけだった。
「――上か」
私の姿を見るなり、彼女は舌を打つ。そして、宙を睨んだ。
ひらりと髪の毛らしき黒い束が、二階の窓へと滑り込んでいくのが見える。
「ちくしょう。逃した」
悔しげに歯噛みする霧ねえ。私も息を吐きながら、二階の窓を見つめた。
一瞬しか目にすることは出来なかったが、髪の毛の束や、長さからしてあれは女子のものだと思う。
ジャージだったから、おそらく運動部の人間か。しかし、一般の何の訓練もしていない生徒が二階の窓へ飛べるほどの脚力を持っているはずがない。
「神通力よ……いるんだわ、この学校に――」
息を吐きながら、霧ねえは低く唸った。
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