10話 堅実少女も夢を見る
翌日。私はいつものように朝練のため、早朝5時に起床した。6時には到着しておきたい。
今朝はトーストと目玉焼き、サラダと、俵のおにぎりを3つたいらげて支度を整えた。軽く屈伸をしてからジャージに着替えて家を出る。
「行ってきます――」
未だ寝静まっている家に向かってひっそりと声を投げた。
今日は雨が降るらしい。まぁ梅雨どきだから当然なのだろうが、天気が悪いと嫌な予感がちらついてしまう。
自転車を全速力でこぎ、車通りの少ない道路を滑走する。気温はじわりとした温かさで、やや湿っぽい。そんな空気を吸い込みながら学校に続く坂までたどり着いた。
「――ん?」
校門前に誰かがいる。
私は坂をのぼりながらその人影に目を凝らした。どうやら向こうも気がついたようで、そのシルエットが私に向かって手を振る。
タイトなパンツに、ラフなシャツを合わせた格好。サラリとした長い黒髪と発達しすぎた胸が特徴的な
「おはよう、祥ちゃん」
「なんだ、霧ねえでしたか」
「昨日の今日だからねぇ。早速来てみたのよ」
得意げに言う霧ねえ。その傍らにはKAWASAKI W800が車体を光らせ、堂々鎮座している。
なるほど、バイクの方が圧倒的に速い。彼女の相棒を恨めしく見やりながら、私は自転車から降りた。
「早朝から張り込みをするとはさすがですね」
「いや、違うのよ。私はただ、あなたに傘を届けにきただけ」
彼女は澄まして言うと、濃い青の傘を差し出してきた。折りたたみではない。普通の長いジャンプ傘。
「えーっと……別に私は雨に濡れても良いのですが……」
たとえ雨が降ろうとも、自転車で帰るのだから雨ざらしでいい。訝りながらも受け取るが、やはり私には不要なものに思えて仕方なく釈然としない。
その様子を見てか、霧ねえは鼻で笑った。
「別にあなたが雨に濡れて風邪引くのは勝手だわ。でもね、あなたは必ず
「はぁ……」
彼女はたまにこういった不可思議な物言いをする。
予言のようだが、霧ねえには「閃き」やら「悟り」なんかの神通力はない。むしろ、こういった力は綾乃さまが得意なはず。しかし、これが不思議なことに外れることは決してないのだ。
私は経験から一応の納得をした。
「じゃあね、祥ちゃん。私は今から神さまたちにお話を伺いに行くから。んで、あなたは学校で怪しそぉーーーーな人を探して、」
「叩くんですね」
「違うわ、ど阿呆」
暴言とともに激しいデコピンが飛んできた。バシィッ! と激しい音が早朝の静けさに響き渡る。
「っ!!」
まともに喰らった……これは……痛い……っ!
「ぬぉぉぉぉ……っ」
「悶えてるとこ悪いんだけれどね、まだ叩くには早いのよ。怪しいやつを全部、逐一、私に報告をするの。分かった?」
「い、いや、しかし」
それでもし、何か事件が起きたら。
私の前で何かが起きれば、次こそそれを食い止めねばならんだろう。
言いかけると、霧ねえの指が再び額に向かう。寸でのところで避ける。さらに額をガード。
私と霧ねえはしばらく睨み合った。
「……何か起きたらその時はその時よ。それにあなたの力じゃ、倒すことはできても護ることはできないんだから。大人しくしていなさい。無茶なことしたらしばくからね」
ピシャリと言われてしまえば、もう言葉はない。
護ることはできない、か……この一言はなかなか胸に刺さる。
「わ、ワカリマシタ」
「なんでカタコト……まぁ、分かればよろしい」
突きつけていた指を下ろす霧ねえは、勝ち誇った笑みを見せてきた。あぁ、悔しい……
つい、持っていた傘の柄を握りしめる。バキッとプラスチックにヒビが入った。
一方で、霧ねえは私の悔しさなどつゆも悟ることなく、スマホを出して画面を操作していた。どうやら着信らしい。
「はいはい? 珍しいじゃないの、シンちゃんがこんな朝早くに起きているなんて」
「また慎一兄さん……」
連絡が頻繁だな。こう、まめな報告をした方が霧ねえの手伝いをきちんとできるのだろうか。
「まったくもう、そんないちいち連絡寄越さなくていいのに。ちったあ自分で考えなさいよ……え、何……」
苛立ちの声に不穏が混ざる。私は砕いた傘の柄をポケットに押し込みながら聞き耳を立てた。
「まぁ、ウカちゃんが……そう……」
ウカちゃん?
「うーん……なんだかそっちも妙な気配ね。分かったわ。綾乃さまと明水さんに聞いてみる。さすがにウカちゃんが消えたとあっちゃ、話は別だわ」
《あぁ、よろしく頼むよ。俺だけじゃあどうにも出来んし、こうなった以上は動けんしさー》
霧ねえの耳に近づけば、慎一兄さんの声が易々と聴こえた。そんな私に、霧ねえは嫌そうに眉をひそめながらも許してくれる。
「そのようね。しかし、困るわねぇ……ウカちゃんの代行なんて。見つからなかったらずっと神さまのフリしてなきゃいけないじゃない」
《勘弁してくれよぉ……いくらなんでも外じゃ寝られんし。屋根で寝れってか》
「それは、ウカちゃんに失礼よ。ま、あんたのとこのソファもガッチガチで寝れたもんじゃないけれどね。ではでは、可愛そうな慎一のためにお姉さまが一肌脱ごうじゃあないの。今回はうてあってやってもいいわよ」
憔悴の慎一兄さんに、霧ねえはなんだか嬉しそうに笑いながら言った。しかし、うてあうって……なにも、慎一兄さんは構ってほしくて言ってるんじゃないのだろう。
だが、慎一兄さんは、嫌がるでもなくすんなり《助かる》と言う。よほど困っているらしい。
「じゃあ、何か分かったら連絡するわね。神さま代行、頑張って」
《はいはーい》
気だるげに、覇気のない返事を聞き流して電話を切る。私もすぐさま霧ねえから離れた。
「……とまぁ、そういうわけだから、あんたはちゃんと私の言うことを聞きなさいよ。いいね?」
慎一兄さんとは対象に、彼女はギラリと両眼を光らせるように私をじっと睨む。
「はい……」
これは本当に言う通りにしなければなるまい。でなきゃ、あの「怒りの霧咲」が襲来する。慎一兄さんが死にかけたやつだ。なんとしても避けたい。
「じゃ、私はひとまず綾乃さまのとこに行くわ。連絡はいつでもつくようにしてあるから、何かあったらすぐに言いなさい。あと、危険が迫ったら」
「逃げること。迎え撃つな、でしたね」
言葉をすかさずかすめ取る。霧ねえは面食らうでもなく「その通りよ」と嬉しそうに笑った。
それから彼女は、オレンジのヘルメットをかぶり、キラリとメタリックなバイクにまたがる。
「じゃあ、お勉強頑張ってね、少年!」
エンジンをかければ、気合いの入った音が鳴る。彼女は私の見送りをあしらい、蒸した音をなびかせるように坂道を軽快に下っていった。
北星高等学校は、文武両道を校訓に掲げる男女共学の公立高校だ。特進、進学、普通科と3つのコースがあり、各学年5クラス。部活動も盛んで、スポーツ以外に美術や吹奏楽も大きなコンテストに出場するほどの実力を持つ。
霧ねえ曰く、北星は「いい子ちゃん揃い」とのこと。確かに、目立った不良はいない。だが最近、校内を賑わす「超能力」の存在が大きいことは明白であり、平穏が脅かされていると言っても過言ではない。
結局、朝練の時間は15分しか取れず、私は渋々制服に着替えて校舎へと向かった。朝課外にはきちんと出席したい。
1年2組。そこが私のクラスだ。
出席番号順で並んだ机と椅子は昨日並べたとおり、綺麗にきちんと整列していた。特に異変はない。
「超能力」の騒ぎが起きているのは各学年どこもそうなのだが、私のクラスでは目立った変事は起きていない。今のところは。しかし、話はやはり嫌でも耳に入るもので、いろんな事件が相次いでいるのは知っている。
部活仲間の八重島が言うには「授業中に全員の教科書が飛ばされたんだ」と。
また、別のクラスである友人の寺坂は「朝、一番に教室へ入ったら窓ガラスが綺麗になくなっていた」と。
それに、佐々木先輩の証言では「授業中、全員が睡魔に襲われて、全員が同じ夢を見ていた」などなど。
他にも音楽室でボヤ、男子トイレの水道管が破裂、校内停電、机や椅子の大移動と挙げたらキリがない。
これだけ見ればただの不可思議な怪現象だと皆が思うことだろう。しかし、これをなぜ「超能力」であると広まったのかと言うと、とある生徒が吹聴したからだった。
「俺は、手で触れなくても物を動かすことができる」そう言ったらしい。
何者なのかは知らない。男子生徒という以外に素性が分からない。あくまで、ウワサだが。
私はそれを徹底的に調べねばならない。誰もいない今がチャンス。あちこちに不自然な異変がないか調べておく。
「――おはよう、鹿島くん……なんしよん?」
背後でガラリと戸を引いて現れたのは、ふんわりとしたセミロングの女子生徒、
「おはよう。いや、何か異変があったかどうか調べてて」
「はぁ、異変……まさか超能力? あんなん、ただの偶然やろー」
彼女はいつも同じことを言う。偶然やろ、と実に軽く簡単に。
こういった面から、鬼木は超能力否定派であると私は踏んでいる。
「みんな、これは超能力者がやったんだーっち言いよるけどさ、あたしはあんましそうは思わんかなぁ……事件が相次いだらそれを一つの事象だと捉えがちになっちゃうのね」
「じゃあ、鬼木はここ最近の事件は、すべて偶然だと考えるんだ?」
「そうね。何か糸でつながってるみたいな、それこそフィクションみたいなことそうそう起きんやろ」
なかなかに現実主義者である。
彼女はクスクスと控えめに笑いながら、自分の席についた。
「でも、意外やね。鹿島くんも超能力信じてんだ」
「超能力は信じてない」
私はすぐさま断言した。
霧ねえも「超能力はある」と言っていたが、それはやはり「神通力」によるものだと思う。自発的に己に力が宿るなど信じがたいものだ。そう思えてしまうのは、私の家庭環境による意識なのだろうが……
「あはは。鹿島くんて、変わっとーよねぇ」
鬼木はしみじみと呟いた。変わり者だとは、確かに綾乃さまをはじめ、霧ねえ、慎一兄さん、父も言うから慣れている。しかし、自分自身では分からないものだから、私はつい「どのへんが?」とすぐさま問うた。
「え、どのへん……なんか、雰囲気? おじいちゃんっぽい」
「えぇ……」
それは少しへこむな……歳は偽っていないのだが。
「あ、あと、喋り方も。堅苦しいって言うか。そういうキャラなんだって思うことにしたけども」
鬼木は優しくもからかう調子。私は肩を落とした。
喋り方は学校と家では使い分けているはずだ。みんなに合わせている……はずだ。
でもまぁ、そうか。これはキャラなのか……私は生まれ持った性格なんだと思っていたが、周囲からはそういう認識でいるらしい。よく分かった。
鬼木とは席が前後なのでよく話す間柄。話しやすく、クラスの女子の中でも一番よく会話するだろう。
だが、これを聞いてみてもいいものか、どうなのか。
私は少し、緊張気味に言葉を紡いだ。
「なぁ、鬼木。お前は、超能力は信じないんだろう? それは一体、何故だ」
彼女は現実的思考を持っているのだと思う。この「現実」というのは、すなわち超常的な力が存在しないという概念世界である。
それだけでも立派な理由だろうが、彼女がこうも「超能力」を否定することに、なんだか……不自然さを抱く。
周囲は皆、「これは超能力だ」と中には面白がる連中もいるが、授業中の妨害や昨日の机椅子めり込みなどで怖がる生徒もいるにはいるのだ。
それなのに、彼女は平然と知らぬふりをしている。何故だろう。
鬼木は私を見なかった。教科書やノートをきちんと揃えて机の引き出しに仕舞っている。その間「うーん」と宙を睨むようなうなり方をした。
「そうだね……夢は夢のままがいいって思ってるから、かなぁ?」
「夢?」
「そう、夢。幻想っていうか。そういう、フィクション」
彼女は照れくさそうに笑って、こちらを振り返る。その笑みは上品に穏やかなのに、さり気なくエクボがあった。
「小説とか、ああいうのはフィクションだから娯楽になるんよ。それなのに、現実世界でも超常的な力が使えてしまったらもう娯楽じゃなくって『現実』になるわけだから……そうなっちゃうと、もう楽しくないのよ」
それから、彼女は寂しそうにあとを続ける。
「だからね、今起きていることは全部、あたしは望んでないことなんよ。見なかったことにして、あたしの中にある架空異世界を守ってんの」
***
その頃、霧咲は藤磐家の門前に立っていた。古式ゆかしい日本家屋の屋根付き門には「藤磐」と達筆な表札が堂々と掲げられている。
その表札の下には、屋敷にそぐわないインターホン。それを連打していると、門の奥からドタバタと何かが雪崩れるような音がしてきた。
「はいはいはい、どちら様でしょう」
ガラリと引き戸を開けたのは、ご当主本人、綾乃だった。
「おはようございます、綾乃さま」
「あら、おはよう、霧ちゃん。いらっしゃい」
昨日の取り乱しが嘘のように、綾乃は朗らかな笑みを浮かべて霧咲を出迎える。これは話も簡単につきそうだ。霧咲はにっこりと口をつりあげて笑った。そして、単刀直入に申し出る。
「あのね、綾乃さま。ちょっと調べてほしいことがあるの」
「……何、かな」
途端に警戒の色を見せる綾乃。しかし、霧咲は一歩踏み出して門を閉めさせないように足で固定した。逃さないとばかりに。
「博多で神消しが起こったらしいのだけれど、それについて調べてくれないかしら。中洲の國廣神社に住む
「中洲? 博多の? えぇ……それをどうして私が調べないけんの……」
「お願いよ、綾乃さま。これ、もしかしたら今まさに北九州で起きていることと関係が深いかもしれないのよ」
身を乗り出して言う霧咲。始終、不敵な笑みを浮かべる彼女のその剣幕に、綾乃は一歩ずつ後ろへ下がっていく。
「うぅ……でも、まぁ、そうね……早いとこ解決しなくちゃだもの……とにかく、明水兄さんに相談するわ」
「えぇ、それが一番いいでしょうね。ではでは、よろしくお願いします」
一方的に押し付けて、霧咲は満足そうに笑いながら門からようやく離れた。綾乃は苦笑を浮かべている。
よほど、面倒ごとに巻き込まれたくないのだろう。それに、昨日の今日である。
だが、霧咲の圧力は綾乃のパニックをも怯ませるのだ。
「よーし、そんじゃあ今度は、神さまたちからお話を聞かなくっちゃねぇ……」
藤磐家の豪華な瓦屋根を見やりながら、霧咲は楽しげな表情で相棒のバイクにまたがった。
***
鬼木の言葉は、それから昼休みの間まで私を悩ませた。
彼女は現実的思考の持ち主ではなく、フィクションを愛してやまない年相応の少女だった――それは、今まで(まぁ、3ヶ月きりだが)の彼女のイメージを崩すほどの威力を持っていた。
私も堅物だとは薄々気づいていたが、彼女も堅実で真面目な人だと思っていたから。人との付き合いも、日が経てば見方が変わっていくものなんだろう。
とにかく、鬼木のことはひとまず置いておき、私は「超能力が使える」というウワサの男子生徒を探すことにした。
クラス、名前が今のところでははっきりしていない。しかし、手を触れずとも物を動かせるというのなら、一昨日の机椅子めり込み事件の犯人であるやもしれないのだ。そこまでの推測くらいは他愛もない。
「なぁ、鹿島ー、現社の教科書貸してー」
他クラスを調べようと席を立ったら、隣のクラスであるはずの寺坂がズカズカと我が物顔で2組に侵入してきた。情けない声で私に懇願する。それを素早くかわして私は廊下に出た。
「鹿島ってば。なんで俺の話無視するん」
しかし、寺坂はしつこかった。
「今はお前に構ってる暇はない」
「はぁー、酷いやつ! てか、どこ行くんよー」
「超能力者のところ」
鬱陶しく追い払うように言ってみる。すると、寺坂はそれまで死んでいた目をパアッと輝かせた。
「マジで! 俺も行く!」
「いや、足手まといだから来んな……」
「まぁまぁまぁ。俺もちょっと興味あったんよ。まさか鹿島も興味あったとはなぁ……確か、2年の先輩やったろ? しき、なんとか先輩」
思わぬところで証言が飛び出した。私はピタリと立ち止まり、寺坂をじっと見やった。
「しき?」
「うん、えーっと、しき……しま? なんとか先輩。吹部の人やったっけ。女子の先輩」
「ふむ……もしかして、敷島
私は中学時代の先輩を思い出しながら訊いてみる。すると、寺坂の頼りなさげな顔が一気にまた華やいだ。
「そうそう! それ! なんだ、知り合い? だったらちょっと行ってみようぜ」
まさか、彼女が念動力を持っているというのか。しかし、ウワサでは男子だったはずだが……うーん?
「おい、鹿島。難しい顔せんで、はよ行こうよ」
何も事情を知らない寺坂の満面な笑みが、どんどん先へと遠ざかっていく。
私はこの違和感を除けないまま、仕方なく彼の後を追いかけた。
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