第二幕:由緒正しき四神家の集い《黒崎》

9話 黒崎カミゴ倶楽部

「――では、ここ数週の間に起きた件について、お話いたします」


 鹿島かしま祥山しょうざんは凛と背筋を伸ばし、はっきりとした声を部屋に響かせた。

 太い眉をキリリと立たせ、彼はただ一点だけをまっすぐに見つめて口を開く。それは重々しくもあるが、告げねばならんという信念の強さに背を押されているようでもある。


 それを固唾を飲んで見守るのは、壮年のふくよかな女。フレームのない眼鏡をキラリと光らせながらも、奥にある目は柔らかで頼りない。

 そんな彼女の隣に座るのは無表情の男。そして、その隣には涼しげに座る若い女。皆が少年の言葉を待っている。


「単刀直入に申し上げれば、私の学校では今、“超能力”が流行しております。春先、入学した際には特にそういったものに遭遇することもなかったのです。しかし、ここ数日で異常な数の怪現象が起きています」

「それはつまり……この間の魚雨さかなあめと似たような?」


 眼鏡の女――藤磐ふじいわ綾乃あやのがこわごわに訊く。祥山はコクリと頷いた。


「まさしく、その通りです。校内でのボヤ騒ぎ、トイレの水道管爆破、そして相次ぐポルターガイスト……机と椅子が全て校庭に放り出されたり、屋上に積まれたりといった現象が続きます」


「あぁ、もう。なんてことなの」


 緊張の糸を切るように綾乃は床板に突っ伏した。嘆く。

 それを見て、隣の男――藤磐明水めいすいが無表情にたしなめる。


「綾乃さま、まだお話は終わってません。祥山の話を聞いて……」

「いや! もううんざりよ! この間の空中浮遊や、学校での現象、極めつけは魚の雨! あぁ、もういやだ……いやだ!」

「聞き分けなさい。ほら、祥山が困ってる」


 取り乱す綾乃に、明水の声も徐々に苛立ちを含む。

 一方で祥山は呆気にとられ、両眼を瞬かせていた。壊れてしまった空気に心地の悪さを覚える。

 ヒステリックに取り乱す綾乃と抑える明水を尻目に、祥山はこっそりと若い女に視線を移した。彼女は、綾乃や明水よりも一回り若い。祥山に負けず劣らず、背筋を伸ばしたままで渋い顔つきをしている。


「あの……霧ねえ……」


 呼べば、彼女――篠武しのぶ霧咲きりさきは苦い顔つきから一変し、「ん?」と朗らかな表情を作った。


「なぁに?」

「いや、あの、集いとはいつもこうなのでしょうか」

「いつもこうよ。綾乃さまったら、パニックになっちゃうとしばらくこうだもの。放っておきましょ」

「はぁ……」


 祥山は一応の納得をしておいた。微動だにせず、まっすぐに居直ることとする。

 話はまだ終わっていない。だが、この様子では先に進めない。待つしかない。


「あーーーーーっ! なんだってこう次から次へと面倒なことばっかり起きるのよぅ! やっぱりやめるわ、私、もういやよ! めんどくさい! ニートになりたい!」

「何をいまさら。それに、あなたは普段からニートのようなものだ。その心配は無用無用」

「ちょ、明水さん、いくらなんでもそんな言い方あんまりよ」


 放っておこうと言ったものの、さすがの霧咲も鎮めようと参戦する。こうなったら蚊帳の外なのは、最年少の祥山だけだ。だが、この混乱を鎮められるほどの力はない。


 祥山は腕を組んで唸った。

 ここには、由緒正しいカミゴ一族の家柄である四家が集っているはずだ。


 まず、この春日神社で最も力のある家柄、藤磐家。綾乃は若くして藤磐の名を継ぎ、えにし番として神と人を引き合わせる役を担っている。まかり間違ってもニートではない。立派な名家の当主だ。


 そして、藤磐の分家頭である明水。彼は当主の助役であり、御言みこと番を担う。そして、四家代表の最年長でもある。


 次に、篠武家の代表である霧咲。こちらは除霊師の家系だが、今は彼女の代で廃業。だが、代々からカミゴの継承を続ける家柄だ。


 それは鹿島家も同じことであり、祥山はこの日、父に代わって集いに参加したのだ。鹿島の長男であることも含むが、今回は事情がコチラ側にある。その話を聞いてもらうべく、緊張の面持ちで足を運んでみたというのに、まさかこんな事態になろうとは思いもしなかった。


 綾乃は普段、とても穏やかで優しい。それが今や駄々をこねる子供のようだ。もう今年で45になるはずだが……


「霧咲、悪いが話を進めておいてくれ。僕はちょっと、綾乃を落ち着かせるから」


 床板にうずくまった綾乃を引きずりながら明水が涼やかに言う。それを受け、霧咲は「分かりましたー」と軽く答えて手を振った。


「――さて、祥ちゃん。お話をたっぷり聞かせてもらおうじゃあないの。その超能力とやらを」


 退場した藤磐家を見送りながら霧咲が安穏と言う。お茶を飲みながら、まったりとくつろいで。


 これでいいのか、どうなのか。

 祥山の中で「四神家の集い」という厳かなイメージが脆く崩れ去っていった。




***


 では、事の次第を話そう。


 その日、私は剣道の朝練のため、早く登校した。早朝6時である。自転車で坂道を一気に駆け上がり、一息つきながら真っ先に校舎へ向かっていると、何かが激しく叩きつける衝撃音が聴こえた。

 つい先日、大雨と共に魚が降るという現象が起きたばかりだから警戒は強くなる。私は急いで音のする方へ――校庭に出た。


「なっ……」


 言葉を失うとはこのことだろう。地面にめり込んだ無数の机と椅子の残骸が転がっていたのだ。

 屋上から投げたとしても、地面にめり込むほどではないと私は思った。これは経験からくる確信だ。私も幼い頃は、自分よりも大きなものを地面にめり込むまで力を加えたことがある。


 さて、私はこの現象を目の当たりにし、すぐさま屋上を睨んだ。そこにはやはり人影がある。ゆらりと動く黒いシルエット――私の目では男か女かの判別はつかない。今から屋上へ走っても間に合わんだろう。


 仕方なく私は、地面に落ちた机と椅子を調べることにした……




「え、ちょっと待って。待って、祥ちゃん。あなた、そんな危ないところによくもまぁ武装もせずに行ったわね。そういう無鉄砲なのは良くないわ」


 霧咲――霧ねえが私の回想に入り込んで言う。その様子は慌てているようで、私にはなぜ彼女が慌てる必要があるのか皆目分からなかった。首をかしげる。


「さすがに竹刀で迎え撃つわけにはいかないでしょう。私の腕は折れずとも、竹刀が耐えきれない」

「いや、そうじゃなくってね。余計なことに首を突っ込むなと言ってるの。別に竹刀で打ち返さなくていいわよ」

「はぁ……」


 しかし、校庭に机やら椅子やらが降ってくるということは滅多にない。一体、どういう意味をもたらすのか。先日の魚雨しかり。


「現場に居合わせたのだから検証するのは当然の義務ですよ、霧ねえ」


 得意げに言ってみると、彼女はため息を吐いた。


「あなた、刑事ドラマの見すぎよ。いつかあの人の相棒になればいいんだわ」

「いえいえ、私は相棒には程遠いです。まだまだ未熟ゆえ、あのお方の隣に並ぶなど到底……」

「冗談に決まってるじゃない、馬鹿ね」


 霧ねえは呆れたた口調で遮った。途端に私は押し黙る。

 そういう冗談は良くない。本気にしてしまったじゃないか。


「……それで、検証した結果どうだったの?」


 消沈した私に霧ねえが訊く。

 曲がった背を伸ばして居直り、咳払いの後、話の続きを思い出した。


 検証の結果、机と椅子は2年生のものだと分かった。我が校は、学年ごとに机と椅子に色別のテープを貼っている。2年生は青。クラスは分からない。教科書を置いて帰った人の机だったらしく、めり込んでひび割れた地面に教科書やノートなんかの教材が散らばっていた。机と椅子はどちらも数は同じで7卓7脚。


 無残だった。それは異質さを極める。悪雲のごとき禍々しさ。これを目の当たりにすれば、誰もが混乱するだろう。


 私はすぐさま職員室へ向かった。だが、あまりに大きな音だったのに教師が気づかないわけがない。時刻は早朝6時。用務員さんの元へ方向転換した。


「そして、私が用務員さんにことの顛末を告げていた頃に、教師や生徒が登校し始めたのです。用務員さんをはじめ、教師や生徒は私を犯人扱いはしませんでした。さすがに、あれは人の手で成し得ることではありません。ただ、私が見た犯人は紛れもなく人だったのですが、つまりこういった力を使えるのは私たちのようなものであると推測します」


「私たち……要するにカミゴってことね。それも、未登録の」


 霧ねえが鋭く言う。私はごくりと唾を飲んで「はい」と低い声音で返した。


「まぁ、概ねそうでしょうよ。超能力、なんてものは確かに存在するんでしょうけれど、大抵は神通力の働きによるもの……綾乃さまの無許可でカミゴとなった者が存在しているというわけだわ。それも、高校生」

「もしくは教師やもしれません。あの人影では男か女か、子供か大人かも判りませんでしたので」

「赤ちゃんってわけではないでしょ?」


 即座に茶々を入れてくる。私は霧ねえのイタズラっぽい笑みを冷ややかに見た。


「あるわけないじゃないですか」

「怒らないでよ。からかっただけじゃない」

「事態は深刻なんですよ。それに、私も例外じゃありません。こうも超能力ブームが続けば私の力もそのうち超能力だって言い始める輩が出てきますよ」


 まったく、神聖な神通力をわけのわからんことに使わないでほしい。神に選ばれたのなら、もっと実になる使い方をするべきだろう。

 だが、私のこの憤りを霧ねえはつゆも感じ取ることなくあっさりと、それも電車を乗り換えるような手軽さで言った。


「なっちゃえば? 超能力者に」

「ばっ、馬鹿を言うな!」


 思わず声を荒げると、霧ねえの目が大きく見開いた。


「やぁね、冗談よ」

「そういう冗談は謹んでもらえますか。笑えないので」


 まったく、霧ねえはいつもからかってくる。それさえなければ、実は綾乃さまや明水さんよりも頼りにはなるのだが。


「ついつい、からかいたくなるのよねぇ……あら、電話だわ。ちょいと失礼」


 ハンドバックから流れるバイブレーションに気づき、霧ねえは茶目っ気たっぷりなウインクを飛ばして私に背を向けた。そのままで通話を開始する。丸聞こえなので、背を向ける必要はまったくない。


「あら、シンちゃん。昨日ぶりね。何よ、今こっちは大変なことになっているのよ、忙しいのよ」


 電話に出た瞬間、一息にまくしたてる。 

 シンちゃん、と霧ねえが呼ぶ相手は一人しかいない。相手は慎一しんいち兄さんだろう。

 彼女はそれからも早口で兄さんをあしらっていく。


「……でしょうね。まぁ、とにかく、あんたは大黒の見張りを徹底することだわね。北九州こっちの事件は私たちでなんとかするし、て言うか私も手一杯だから、博多そっちのことはシンちゃんに任せるわ」


 なんだろう。博多でも何かあったのだろうか。

 もしも兄さんの住む地域でも怪現象が起きているならば、これは大規模な事件ではなかろうか。それなのに、霧ねえはつれない。

 私は慎一兄さんの困った様子を思い浮かべた。


 すると、


「うるさーい! 口答えはなーし! 以上! では、さらば」


 無慈悲にもそう言い放ち、一方的に電話を切った。


「あーもう、まったく。向こうのことなんか知らんっちゅーの。こっちは超能力騒ぎで手一杯なのに」

「何かあったんですか」


 訊けば彼女は手のひらをブンブン振った。


「祥ちゃんは気にしなくていいの。まぁ、なんか博多川の魚が消えたとか、大黒のカミゴが増えたとか、恵比須が神好み探してるとか、ただの愚痴よ、愚痴」


 愚痴、にしては不可解なワードがいくつも並んだような。


「魚って……もしかしてこっちで降ったあの魚雨でしょうか」

「どうだか。まぁ、頭には入れておくけれど、今はまず祥ちゃんの学校を調査しなくちゃ」


 霧ねえはスマホをバッグに放り投げた。そして、音を立ててズズッと茶を飲み干し、一息つく。それを見やりながら私は眉を寄せた。


「まぁ……学校の事件については早急にどうにかしてほしいところではありますが……でも、どうやって調べるんです? 私も出来る限り動きますが」

「それはもちろんよ。私も周辺の聞き込みをしてみるし」


 きっぱりと言い放たれた。それはとても心強い。しかし、問題は……


「あの、これを勝手に私たちで決めて良いものなのでしょうか」


 藤磐の二人がいないことと、今回は当主ではない私が加わっている。

 父は今、ぎっくり腰で動けない。それに、いち高校生の私では力不足だと思うのだが。


 すると、霧ねえがケラケラと笑い飛ばした。さらに私の背中を思い切り叩く。背骨に痺れが走り、私は声も出せずに床に突っ伏した。痛いどころの騒ぎじゃない。


「まったく、なーにしょぼくれたツラしてんのよ。大丈夫、私が上手くやるし、今までだって私がなんとか事件を解決してきたのよ。黒崎のシノさんを舐めないでちょうだい」


 いやぁ……そう自信満々に言われても不安が募る一方だ。上体を起こして背をさする。


「霧ねえはともかく、私に務まるでしょうか……」

「務まってくれなきゃ、鹿島家は継げないわよ。それに、あなたの矛と私の盾があれば『最強』だっていうのはシンちゃんが証明してくれたじゃない」

「うーん……」


 また古い記憶を持ち出してくるな。

 確かそれは、慎一兄さんが調子に乗って霧ねえを怒らせたから出来た偶然の産物というやつだ。

 怒りというのは力を発揮するに絶大なエネルギーを生み出すもの。また、このときの兄さんは神通力を持ってなかったからということも含む。

 ……あれは酷かった。私が手加減しなかったら兄さんは死んでいたかもしれない。


 まぁ、そんな過去、今は不要だ。話を進めよう。


「では、具体的に何をするのでしょう」


 まだ痛む背筋を伸ばし、彼女に問う。

 すっと目を細めて笑う霧ねえは、赤い舌で唇を舐めながら言葉を紡いだ。


「未登録のカミゴが学校にいるのは確かで、しかも2年生――17歳の子を徹底的に調べたらいいのよね。今の時代、ネットがあるから神さまネットと併用して上手く洗い出すの」

「なるほど……そうして犯人を突き止めるんですね」

「えぇ。でも、しばらくは泳がせる。実際、ここ最近の北九州で頻発している事件は未登録カミゴなのだろうから、おそらく彼らは複数人でグループを作っているのよ。それをあぶり出して、一気に叩く!」


 バンッ! と、手のひらを床に叩きつける。その音に私は肩を震わせた。

 一方、霧ねえは気を良くしたようにニヤリと微笑む。


「な、なるほど、叩く……いわゆる成敗ですね」


 気を取り直して言うと、彼女はニヒルに笑った。人差し指を振る。


「違うわ。よ」


 怪しげに言う彼女の顔は、まるで獲物を狙う獣のような危ない色があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る