8話 鏡川に浮かぶ月

 神さまを見る目は、色んなことに応用がきくらしい。

 一つめ、町を見渡していると、人と神さまの区別がつく。神さまは物に宿ることもあるから、それとの区別がつくようになった。

 二つめ、どこに神さまがいるか察知すること。あたしが見ていなくても、神さまがどこにいるか把握できるようになった。

 三つめ、探しものが早く見つかること。これが一番不可解なんだけど、神さまレーダーだけかと思いきや物を探る力がぐーんと上昇した。道なんかも直感で分かり、知らない土地でもスムーズに目的地にたどり着けるのだ。


「探りの目、かな……」


 清水原の見解はこうだった。


「直感的な。野性的なそういう本能というか……生命力すごそうとは思っとったけど、元々そんな力を秘めてたのかもしれんね」

「ははあ、なるほどな。動物的感覚を持っていると……」


 言いかけて止まる。


 おい、誰が動物だ、はっ倒すぞ。


 殴ろうと拳を振りかざしてみると、清水原は怯んだようにヒラリと後ずさる。そして、繕った言葉を述べた。


「まぁまぁ、これで恵比須避けができるわけやんか。己の身は己で守るべし。俺の護衛なしでも仕事できるけん、良かったね」

「うーん……」


 あたしの拳と怒りが引っ込む。

 なんか、まるめこまれた感……でも、ヤツの言う通り、好きに自由に動けるのはいいことだ。

 どこへ行くにも清水原が面倒そうについてきていたから、煩わしいことこの上ない。


「というわけで、玉城には探しもの&おつかい代行担当に任命する」


 そう言いながら、彼はパソコンの画面を見せてきた。

 代行屋 天萬のホームページ。お仕事一覧の中にNEWと書かれたアイコンがある。


「ここに玉城専用のお仕事依頼コーナーを作っといたから」


 ニヤリと企みのような笑いを向ける清水原。

 まったく……仕事だけはお早いことで。


 ***


 あたしの単独初仕事は、迷子を送り届ける仕事だった。

 子供だけでなく、迷子のおじいちゃんおばあちゃん、そして外国人という。特徴と、どこにいるかが書かれた一覧がざっとメモされて、それを渡された。

 連絡を受けた清水原がささっとなぐり書きしていたのだ。


「なんか、迷子がいっぱいおるらしいけん、とりあえず冷泉れいせん公園に行ってきて。あと、川端商店街とキャナルにも迷子がおるってさ。頼んだよ」


 誰に頼まれたのかは知らないが、とにかくガイド代行を任された。

 でも、人をその場所まで導くだけのことだから、これでお金をもらうのは気が引ける。これを仕事にしちゃうのもどうかと思うあたしは、手当り次第に迷子を道案内しまくった。


「Thank you !」


 朗らかな笑顔で手を振るアジア系外国人カップルを見送れば、もうこれで最後。

 ひと仕事終えた清々しい気持ちで「さー、帰るか」と踵を返した。


 その時――


「君はボランティアか何かかい? 無料で道案内をして、それで満足なのかい?」


 電柱にもたれかかり、スマホを眺めている女の人があたしに話しかけた。


 人通りのない四ツ辻。辺りにはあたししかいないから、恐らくあたしに話しかけたんだろう。

 切りそろえられた丸いボブヘアに、スラリと長い足。モデルみたいにスリムな体を黒と赤を基調としたライダースーツで包んでいる。まつ毛が長く、目の周りが赤ベースのシャドウで塗られた、いわゆるうさぎメイクの派手なバージョン。

 そして、彼女の周囲には赤色のオーラが漂っている。そんな珍しい格好の彼女が、スマホから目を離してあたしを見た。


「やぁ、はじめまして。君が代行屋のバイトちゃんだね」


 にっこりと笑えば、なんだか爬虫類を思わせる顔になる。

 神さま、なんだろう。でも、どうしてあたしに話しかけるのか。


 まさか、恵比須の刺客か……?

 訝っていると、その人物は穏やかに言った。


「私は道祖神だ。知らないかな? 道の神さ」

「はぁ、どうも……」


 素性は分かった。しかし、警戒は解けない。


 彼女は高いヒールをカツンと鳴らし、一歩近づいた。赤いオーラだからか、なんだか怪しく思えて仕方ない。赤は警戒色なんだっけ。

 そんなあたしの不審な顔を見てか、道祖神は何か思い当たったように「あっ」と手を打った。


「清水原、なんにも言っていないんだね……いや、実はだね、私が君に迷子の道案内を頼んだのさ。だから、報酬を受け取ってもらわなきゃなのさ」


「あ、なぁるほど」


 そういうことか。

 おのれ、清水原。あいつ、マジで言葉足らずだな。帰ったら説教だ。

 そんなことを恨めしく思っていると、道祖神はあたしの目の前に降り立つようにヒラリと飛んだ。


「いいかい? 無料の奉仕というのは実に都合のいい、悪しき風習さ。本来、働きにはそれなりの報酬を与えなくてはならない。なにごとも過不足なく、均等にね。清水原には金を振り込んでおくが、働いた君への報酬も用意しないとだからね。私から直々に参ってみたのさ」


「はぁ……」


「それに、君、これが初仕事だというじゃないか。記念すべき初仕事が私の仕事だというのだから、君はとても運がいい」


 一息に言うと、道祖神はあたしの頬を触り、クスリと上品に笑う。ちなみに、あたしはこの長ゼリフを理解する間もなく受け流していた。


 ちょっと、言ってることがよく分からない……ただ、彼女が不思議な人だというのは分かった。いや、神さまなんだけども。


 あたしの不審がべつのものに変わった時、道祖神はさらに調子よく話を続けた。


「道は君の味方をしてくれる。もっとも、君には不要かもしれないが、万が一という事態に備えて道の加護を授けよう。噂を耳にしたものでね、君はどうやら神たちのくだらないお遊びの景品らしいじゃないか。そういうものから守るように手配をしておくのさ」


「うわぁ……まさかそんな噂が立ってるとは……じゃあ、恵比須の耳にももう入ってたりして」


「それはどうだろう。彼奴きゃつはなかなかに嫌われ者であるから、もしかすると知らないかも。知っているかもしれないけれどね。だが、君が隠れている限り、見つかることはないのさ」


 自信満々に言ってくれちゃう道祖神。

 それでもあたしは腑に落ちない。それに、やっぱり恵比須が嫌われ者だということに違和感を覚えている。


「ねぇ、どうして恵比須は嫌われてんの?」


 福神であるはずの恵比須。それなのに、あたしが会う人や神は避けようとしている。確かに、わがままそうで強欲な成金っぽいけども、だからと言って不幸になることはないだろう。

 道祖神は「うーん」と、顎に手を当てて背筋を伸ばした。


「彼奴は、元は大國主命オオクニヌシノカミだったのさ。しかし、ある日に分裂した。その片割れが君もよく知るあの親神さ。そやつを追い出してから大國主命は恵比須と呼ばれ、人を根こそぎ自らの配下に置き始めた。それからだろう。何せ、カミゴを持つ神は信仰が強くなるし、力を得やすいのだから、他の神々が良くは思わないのも自然なのさ」


「ほぉ……」


 分かりにくいけど、ぼんやりとは理解した。

 要するに、他の神さまたちから顰蹙ヒンシュクを買っているのだ。そりゃ、確かに嫌われても仕方ない。

 それに、恵比須と分裂した神って……もしかして、大黒さん?


「家なしの理由はそれだろう。しかし、私は道を教え、示すだけで答えは与えない」


 道祖神は首をすくめて、にっこりと微笑む。なんだか親切なのか不親切なのか分からない。

 それに、彼女は私を狙わないのだろうか。欲しがる気配がひとつも無い。いや、自惚れているわけではなく……純粋に疑問に思っただけ。


「えーっと……あなたは、あたしをカミゴにしようとか思わないの?」


 思い切って訊くと、道祖神は目を丸くさせた。そして、すぐに顔を伏せて吹き出す。


「あはは。私は道祖神だ。道行く人を守る神なのさ。道があるだけで私は存在する。人は道を通るものだから、それだけで私にカミゴなどは不要なのさ」


「ふうん……」


 なるほど、神さまにも色んな事情と種類があるのね。納得したような、ないような。

 しかし、まだまだ知らないことばかりだなあ。


「困ったことがあれば私を呼ぶといい。わたしは必ず君を導く。まあ、あまり必要ないかもしれないけれどね……たまには顔を見せておくれよ」


 道祖神は名残惜しそうに言うと、あたしの頭を二回ぽんぽんと叩き、カツンとヒールを鳴らして飛んだ。

 アスファルトに彼女の足音が響く。それが段々と遠のくまで、あたしはぼーっと佇んでいた。


 ***


 辻をまっすぐ行き、あたしは川沿いの道を歩いた。

 なんとなく、大黒さんに会いに行こうと思ったから。

 あの道祖神が言っていたことが本当なら、大黒さんは元々は恵比須の一部なんだろう。

 清水原に訊くとまたはぐらかされそうだし、てっとり早く本人に聞いたほうがいい。

 だから、大黒橋に直行していた――はずだった。


「嘘やん……」


 道に迷わないという自信があったのに、何故か一本違う道を歩いていた。導くとか言ってたくせに、さっそく道祖神のご利益がないことに残念な気分になる。


 ここは、博多川よりも幅が広い川……橋の名前を見れば、なんと知った名前だった。


「あれ? ここ、弁天橋っていうんだ……」


 広い川に架かる橋に立って辺りを見回す。

 すると、橋の中心部にある電灯の上に白鷺が佇んでいた。しかし、なんか違和感。

 青い空を背景に凛と佇む鳥。でも、ただの鳥じゃない気がする。


 あたしはふと、ポケットに突っ込んでいたゴーグルを取り出した。

 人がいないことを確認し、なんとなく装着してみる。すると、やはり白鷺の周りに金色のオーラがもやもやと見えてきた。

 やばっ、このゴーグル、馬鹿にしてたけどめっちゃ見やすいぞ……


 ゴーグルの見やすさに感動していると、唐突に白鷺が嘴を開かせた。


「――おや、玉城じゃないの」


 そう、滑らかに言葉を話す。


「うわっ、え、まさか……弁天さん?」


 問うと、白鷺は「えぇ」とお澄ましに答えた。


「何してんですか、そんなとこで」

「見回りよ。ほら、博多川の魚が消えたそうじゃない。だから私も警戒をしておかないと、と思ってね」


 魚がいなくなったというのは、なかなかに深刻な事態らしい。困るのは大黒さんだけじゃないのか。


「えーっと……何か分かったんですか?」


 声を張って、もひとつ訊いてみる。しかし、弁天さんは「いいえ」と長い首を横に振った。


「ただ、良からぬ風が運ばれているのは間違いないわねぇ……嫌だわ、ほんと」


 そう嘆くように言うと、弁天さんは翼を広げてあたしの元まで舞い降りてきた。天女さまみたいな羽衣に変わり、ツンとした美女が目の前に立つ。

 こう見ると、やっぱり神さまなんだなーと感心してしまう。


「何も起こらなければいいけれどね。それで、あなたは一人でうろうろと何をしているの?」

「え、あ、あぁ……ちょっと大黒さんのとこに行こうかと」

「大黒? あら、そう……私も久しぶりに行こうかしらね。ちょっと文句のひとつやふたつ、言ってやりたいものだし」

「そうっすか……んじゃ、一緒に行きますかー」


 まさか弁天さんと二人で並ぶとは思わず。でも、心強い。まっすぐに弁天橋を通り、あたしたちは道の先に見える大黒橋へ向かった。


 ものの数分歩けば着く大黒橋だが、肝心の大黒さんは見当たらない。あたしと弁天さんは橋下にまで降りてくまなく探したけれど、見つからなかった。


「一体どこに行ったのかしらねぇ……」


 どんなに待っても大黒さんの姿はなく、弁天さんはすぐに飽きてしまった。


「帰るわ。どうせ、ウカとでも酒を飲んでいるんでしょう。玉城も今日は諦めて早くお帰りなさいな。夜は危ないわ」


 その言葉にはがっくりと項垂れて、素直に従うしかなかった。



 ***



 ところ変わって、代行屋 天萬にて――


 それは、玉城が大黒橋にたどり着く数時間前のこと。事務所内で清水原は、スマホから電話をかけていた。


「あ、もしもし? 姉ちゃん?」


 少し声音を低くめ、密やかに言う。すると、相手の女が気だるげに返してきた。


《あら、シンちゃん。昨日ぶりね。何よ、今こっちは大変なことになっているのよ、忙しいのよ》

「あー、うん、それは知っとうけども。ちょっとこっちも色々あってね。昨日言えんかった報告だけでも」

《報告?》


 相手はわずかに声をうわずらせた。そして「なんなの?」とすぐに促す。清水原は唇を舐めて言いづらそうに唸った。


「大黒さんのカミゴが一人、増えたっちゃん。しかも神好み」

《あらまあ……それはなんだか勿体ないわね。先に北九州こっちへ送ってくれたら良かったのに》

「まあね……でもほら、大黒さんってば、うっかりさんなとこあるし。まあ、恵比須に見つからんだけマシやったというか、なんと言うか」

《神通力は?》


 すぐさま問いかけてくる。清水原は苦い顔つきになった。


「多分、探りの力やろうね……searchサーチとでも言うのか……」

《なあんだ。消去人デリートじゃないだけ良かったわよ。でなきゃ、こっちで処理しなきゃだし。あぁ、そう言えば恵比須の噂は道真さまから聞いたわ。神好み探しをしてるって》

「さすが、耳が早いな」


 彼女の言葉に、清水原は渇いた笑いを上げる。ソファにもたれかかり、深い息を吐いた。


「えーっと、その新しいカミゴちゃんが神好みだからさー、恵比須から逃げるしかないわけよ」

《でしょうね。まぁ、とにかく、あんたは大黒の見張りを徹底することだわね。北九州こっちの事件は私たちでなんとかするし、て言うか私も手一杯だから、博多そっちのことはシンちゃんに任せるわ》


 そう早口に彼女は言う。なんだか早々に通話を切りたいようで、清水原は顔をしかめた。


「いや、さすがに俺一人じゃ無理って」

《うるさーい! 口答えはなーし! 以上! では、さらば》

「あ、待て! おいこら、霧咲きりさき……」


 しかし、通話は呆気なく切られてしまった。

 虚しい電子音がツーツーと耳を流れるだけ。


「はぁ……」


 何か良からぬことが起きている、そんな気がしているのに頼みの綱がこうじゃ、どうにもならない。


 恵比須の異常なカミゴ作り、神好み探し、博多川の魚の消失……何一つ解決していないし、これからも何か異変がありそうで途方に暮れる。


 清水原はスマホをテーブルに放り投げて、ふて寝することにした。






 *


 *


 *



 宵月にふらり歩く者――その白ジャケットは決まって0時には帰路につく。


「こちのぉーお庭にぃー、お井戸ほれぇーば……」


 機嫌よく、祝いの唄を口ずさむ彼は、ぽぽんと手を叩きながら根城へと戻る。


 今宵は、大黒と久しぶりに酒を飲み語らったところである。しかし、大黒と話をしても噛み合わない。機嫌がいいのは、ただ単に酒に酔っているからだ。

 やがて、調子のずれた唄は不可解な語へと形を変えていく。


「あ、しょんがね、あれわいさそ、えさそえー、しょーんが、ね……んん?」


 はたと止まった。みはる。


 眼前には人一人分の幅しかない隙間から見える緩やかな博多川。そんな鏡のような川を挟んだ向こう側には、浅葱の屋根が目に鮮やかな社がそびえる。月明かりを浴びており、実に美しい。


 しかし、月はもう一つあった。こちらは光ではない――ぽっかりと黒い影のような。それが水面に浮かんでいるような。いや、そもそも川に映っているのか。

 視界は全てさざなみを打っている。じっと見やれば、次第にぼうっと両目がぼやけてきた。


「むむむ? えーっと……黒い、月?」


 認めて口にした瞬間、それがなんなのか気づいた瞬間、彼は「あっ」と驚くも、すぐに意識を手放した。

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