7話 家なし神のお願い

 カミゴ登録は、名簿帳に本名と仮名と住所、連絡先もろもろを記入するというものだった。

 実家を書くのは気が引ける……何せ、親とケンカして飛び出してきたのだ。あいつらの世話になんかならないと決めての家出なので、実家の住所を書いてしまうということ自体が嫌だ。

 ……反抗期の子供みたいな考えだってのは分かってるけども。


「いいよ、別に書かんでも」


 記入している間、清水原がこっそりと言った。

 吉塚さんは、うどんの準備をしに台所へ行ってしまったので近くにはいない。


「俺の住所書いとくけん、ごまかしとこ」

「それでいいの?」


 呆気にとられて訊けば、彼は「うん」とあっさり返してきた。

 そいつは助かる。あたしは本名と仮名を書いた紙を清水原に突き出した。


「あ、あとカミゴの親も書いとこ。だ、い、こ、く……よし、これでOK」


 サラサラサラリと記入が終わった。これだけで登録できちゃうなんて、なかなかお手軽だ。そしてこのご時世になかなかのアナログさ。


 すると、その丁度に吉塚さんがお椀を二つ持ってこちらにやってきた。おつゆのいい匂いが漂い、鼻腔をつけばすかさず腹の虫が暴れだす。


「いっぱい食べりー。ゆがいたらまだあるけん」

「いただきます!」


 テーブルに置かれたうどんは、シンプルなかけうどん。でも、形は少しだけいびつなもの。

 お椀を覗いていると、すでにズルズルとすすっていた清水原が言った。


「吉塚さんは趣味でうどん打ちよーとよ。ね、吉塚さん」

「うん」


 吉塚さんは得意げに頷く。その笑顔はとても信頼できるもので、あたしもすぐさまお椀を取ってうどんをすすった。


「うまー!」


 口に入れたら噛まずにちぎれてしまうくらいの柔らかさ。つゆはアゴ出汁で、さらさらした口当たり。元祖博多うどんって感じで、めっちゃ美味い!


「おかわり!」

「あたしもおかわり!」


 夢中で食べるあたしと清水原に、吉塚さんはニコニコと嬉しそうだった。


 ***


 さながらわんこそばのごとく、食べてはおかわり食べてはおかわりし、互いに5杯以上はたいらげて、あたしたちは事務所へ帰った。


 戻るなり清水原はソファにごろんと寝転がり、テレビを点ける。

 あたしは寝床にしようとしていた物置に戻る。そしてダンボールの山を見て瞬時に思い出した。


「あーーーっ! 布団! 忘れてたぁ!」

「はぁ? 何? 布団?」


 絶叫が聴こえたのか、清水原の声が遠くから聴こえる。あたしは声を張り上げて訴えた。


「布団買うの忘れてたの! お布団ないと寝れないよ」

「あーね……んじゃ、買いにでも行くか……」


 段々とその声が消えていくも、布団を買いに行くために物置から這い出して清水原の元へ行く。ヤツに金を出してもらうしか手はない。


「ねぇ」

「………」


 呼んでも反応なし。テレビの音だけが流れていく。

 あたしはソファに近寄った。


「買いにいこーよ」

「うん。ちょお待って」


 清水原は液晶画面に釘付けで、あたしの声をうるさそうに遮る。

 映っているのは福岡ローカル番組の特集コーナーだった。


『北九州で謎の飛行物! 宇宙人? それとも人?』


 そんなテロップが上部に配置されており、ローカルタレントやコメンテーターがフリップや画面を見ながら話をしている。それを清水原はじっと黙って見つめていた。帽子の中から。


《これはSNSに投稿された動画なんですが、これだけだと、うーん……?》

《上空に人のようなものが見えなくもないですね》

《専門家によればUFOの可能性も否定はできないとかで》

《ただ、人が空中を歩いているなんて、そんなことが現実に起こり得るはずがないですもんね》

《見たって人も多いみたいですが》

《この不思議な現象の正体はなんなんでしょうか》


 取り上げるだけ取り上げて解決にはならない。そんなご当地トピックス。

 ただ、これにはあたしも不穏を感じた。

 青空に浮かぶ人のような物体。それが、ゆらゆらと宙を歩く。この間までのあたしだったら「ないない、ありえない」と鼻で笑っていただろう。

 でも、今は思い当たる節が一つ二つ……


「ねぇ、清水原。あれって、もしかして……」


 神通力なのではないか。

 しかし、訊けども彼は反応してくれない。身を乗り出して、テレビのチャンネルを別のローカル番組、ニュースへと送っていく。そして、ピタリと止めた。


《北九州黒崎で記録的豪雨を観測しました。その中に魚が混ざっており、近隣住民の男性が怪我をするなど……》


 ニュース原稿を読み上げるアナウンサーの戸惑った顔がアップに映し出される。

 これには脳内処理も難しいだろう。魚が降ってくるなんて、異常気象すぎる。通り越して怪現象だ。ありえない。

 すると、清水原がボソリと小さくつぶやいた。


「ファフロツキーズ……」

「え?」

「ファフロツキーズ現象。怪雨かいうだよ。怪しい雨で怪雨。雨や雪以外の『絶対に降ってこないもの』が降ってくる現象の名称」

「へぇ……」


 そんな現象が実際にあるのか。

 うーん? それじゃあ、これは神通力じゃないってこと? 本当に異常気象?


「はぁー……なんか、北九が大変なことになっとーね。こりゃ、やろ」


 清水原は渇いた笑いを投げながらソファにもたれかかり、だらしなく首をもたげた。


「こういうのってさ、昔からあるんだよ。都市伝説とか怪談とか、そういうのってつまりは神さまの力が働いてるってことなんよね」

「じゃ、さっきの空を歩く人も?」

「そう」

「うはぁ……マジか……」


 やっぱり、神通力によるものか。てか、そんなド派手な力があるのね。

 ここまでくると感心してしまうもので、また自分の地味な力にどうしようもなく脱力してしまう。

 そんなあたしの横で、清水原は低く唸っていた。


「うーん……ちょっと電話してみるか」

「誰に?」

「ん? え、あー……えーっと……」


 急に歯切れが悪い。説明を考えているのか、渋っているのか。口元だけじゃ分からない。


「あのさ、清水原」


 あたしは少し背筋を伸ばした。意識して声音を低くさせる。

 これだけは言っとかないと、この先やってけなさそうだ。


「あたしも今日からここで働くんやし、ちょっとくらい説明とか準備とかやってくれてもいいんじゃない?」


 強めに詰め寄ると、清水原は嫌そうに口を曲げた。いや、これは困ってるのか。どっちだ。


「はぁ……あー、まあ、そうね。うん。説明がだるいから、つい」

「だるいを理由にするな」

「ごめん」


 まったく。よくこんなで仕事が務まるよな……理不尽にクビにされてきたあたしにとって、こいつの態度は本当にイライラする。でもまぁ、素直に謝ってくれただけマシか。


「……で、誰って?」

「あぁ、そうそう。えーっとね、黒崎のシノさん」


 少し考えるようにして彼は言う。なんで考える必要があるのか。そして、それだけ言われても伝わらない。

 あたしの視線に、清水原は慌てて付け加えようと口を開いた。


「北九州の黒崎ってとこのカミゴだよ。ちょっと偉い人。まぁ、昔に俺が世話になった人やね」

「ふーん……なるほどね」


 まぁ、今日はそれくらいで勘弁しちゃるわ。


 あたしからの追求を逃れたヤツは胸を撫で下ろして、そそくさとスマートフォンを出した。そして、黒崎のシノさんとやらへ電話をかける。


「もしもし? 今、大丈夫?」


 軽い口調で通話を始めた直後、唐突にチャイムが鳴らされた。ぴんぽーんとインターホンの音が響く。

 すかさず、清水原が「出て」とジェスチャーを送った。

 なるほど、ここはお客さんがインターホンを鳴らすのか。家みたいだ。

 そうこうしているうち、ぴんぽん、ぴんぽん、ぴんぽん、音が連打されていく。


「はいはーい」


 慌てて出ていき、扉を開ける。すると、そこには黒いもじゃ毛のおっさんがいた。


「うわっ、大黒さん!」


 釣り竿を持ち、あの黒Tシャツのままで突っ立っている。その顔はなんだか浮かない。


「ちょいと、助けてくれ」


 落ち込んだようにしょんぼりと言う神さまは、まったく神さまらしくなく、ただのおっさんである。

 しかし、周囲にまとったオーラは金色。これがやっぱり神である証なんだろう。

 急な訪問でいきなり「助けて」なんて言われれば、あたしだってうろたえてしまう。


「ど、どうぞ……」


 とりあえず、しょんぼりな大黒さんを事務所の中に招き入れた。




 台所で簡単に食器を洗い、コップにお茶を注ぐ。冷蔵庫の中にあったペットボトルのお茶だけど別に構わないだろう。

 冷えたお茶を大黒さんに手渡し、そのままソファに座らせた。

 清水原はまだ電話中……


「えっと……どうしたんですか?」


 おずおずと訊いてみる。

 いつもは横着なあたしも、神さまを相手にしていたらかしこまってしまうもので。それに、大黒さんが落ち込んでいるからなおさらだ。


「ちょっとな、助けてほしくて」

「はぁ……神さまが人に助けを求めることってあるのね」

「あるよ。て言うか、俺は家なしだからお前たちを頼るしかないんだ」


 むすっと無愛想な大黒さん。本当に神さまなのか疑わしく思えてくる。


「そ、そうなんですね……それで? 何を助けてほしいの?」


 とにかく先を進めよう。大黒さんはお茶をちびちび飲みながら、不満げに唸った。


「菓子くらい出してくれよ」


 おぉふ……なんだ、急に厚かましいな。

 だが、相手は神さま。例え、黒Tシャツに「軍神」と書いてあっても神さまなことにかわりない……はず。無下にあしらうわけにはいかない。


 仕方なく冷蔵庫をあさってみる。

 奥の方にアーモンドチョコレートを発見……食べかけの。

 でも、お菓子と言えばそれくらいで、あとは干からびた長ネギがゴロンと一本あるだけ。

 チョコを掴んで持って行き、テーブルに置いた。


「雑だなぁ、お前」

「悪かったね。それしかなくって」


 清水原のだろうけど、まぁいいだろう。大黒さんが食べたって言えば許されるはずだ。

 厚かましい神さまはやっぱり不満そうだったが、渋々とチョコの箱を開けた。もじゃ毛の中に放り投げてもぐもぐ食べる。


「それで、何を助けてほしいって?」

「あぁ」


 再び問えば、ため息混じりに声が落ちる。

 チョコを堪能し、ようやく大黒さんはもごもごと重たい口を開いて要件を言い始めた。


「川あるだろ。川。俺がいつもいる川」

「えーっと、あの大黒橋のとこ?」

「そう」

「川がどうしたの」

「魚がいなくなったんだ」


 チョコをもじゃ毛に放り投げながら言う。その言葉からは何も読み取れない。ただ、不審感は湧いた。


「魚がいない?」

「あぁ、一匹もな。川底さらってもいないんだよ、これが。俺の趣味を邪魔する不届き者が近くにいるに違いねぇ」

「はぁ……」


 まぁ不思議な話ではあるけれど。でも魚だし、あの博多川は博多湾に続いている。

 みんなで海にでもお引越ししたんじゃないかな……そんなことを考えていると、大黒さんは3つ目のチョコをもじゃ毛の中に放り込んだ。


「だからよ、清水原に魚の代行を頼もうかと思って来たんだが」

「あぁ、なるほどね……」


 ん? ちょっと待って。

 魚の代行って何!?


 この違和感、めちゃくちゃ気持ち悪いぞ。

 危うく納得しかけるところだった。


「ちょっと、大黒さん。さすがにそんな代行は嫌だわ、俺」


 電話を終えた清水原が会話に加わった。ソファの後ろで腕を組んでいる。大黒さんを見下ろす形で立っており、彼の声音は深く暗い。

 対して、大黒さんは不思議そうに首をかしげ、見上げる。


「何を言ってんだ。お前、俺のカミゴだろう? だったら助けてくれよ。俺を退屈から救ってくれ。退屈が後から後から追いかけてきて昼寝もできやしない」

「いやいや、さすがにやだ。お断り。ただ、その潔さは100点満点」


 清水原はピシャリと言った。まぁ、退屈しのぎに遊んでくれっていう潔さは認めるけど、理由がクズだ。話にならん。


 大黒さんは太い眉を寄せて、ソファにもたれかかる。


「ケチだなぁ」


 この横柄な態度……呆れるしかない。


「なんとでも言っていいけど、これは誰が聞いても100%大黒さんの味方はおらんことは保証しよう。ワガママ言うな、ジジイ」

「ちっ」


 大黒さんは舌打ちして、4つ目のチョコをもじゃ毛に放った。


「分かったよ。もうお前らなんか知らん。俺が退屈で死にかけてもいいってんなら、そうやって反抗しときゃいいさ」

「退屈で死ぬ人はおらんし、神さまは死にません。はい、帰った帰った」


 冷たい清水原に、冷ややかなあたし。それを睨んで大黒さんはチョコの箱を掴んでソファから立ち上がった。そして、ため息を吐きながら出口へトボトボ歩く。出ていく間際も、その背中は寂しげだ。

 なんだかんだ言って、相当へこんでいるってのは大いに分かった。


「……あのおっさん、たまにめんどくさいこと言い出すんよね。そういう時はああして冷たく適当にあしらっていいけんね。分かった? 玉城」

「はーい」


 いやぁ、いい勉強になった。これからああいうのを相手にするのは面倒だけども。

 なんか先が思いやられるな。


「しかしまぁ、何だって? 川の魚がおらんごとなったって言いよったね、あのおっさん」


 おっさんが座ってたソファに体を投げるように清水原が座る。そして、思案げに顎に手を当てて唸った。

 やがて、口元がニヤリと笑う。


「うーん……博多川の魚が消失と、黒崎の怪雨。これ、なんかつながりがあると思わん?」

「まあ、普通ならね。小説とかドラマならそうやろうけど、でも博多こっち北九州あっちじゃ相当、距離あるし。現実的じゃないと思う」


 博多から北九州と言えば、新幹線で20分かかる距離。どういうカラクリかは想像できないが、不可能だと思う。

 しかし、清水原はニヤニヤと笑ったまま。


「いや、でもね。さっきシノさんに聞いたら、魚の種類はシーバスとかハゼだったって」

「ほう……」


 魚の種類は分からないから、なんとなく頷いておこう。


「これね、調べたらどうも博多川で釣れる魚らしい」

「あらま」


 それなら少しは信憑性を帯びてきた。

 もしも、黒崎の怪現象が博多川の魚だとしたら……いや、でも北九州にだってシーバスやハゼはいるだろう。ただの偶然とも言えるし。


「……なんか、不思議やねぇ」


 お手上げだ。分からない。頭が悪いあたしにはどうにも不可解で、脳みそが早々に諦めてしまう。

 清水原も諦めて「そうやねぇ」と苦笑するだけ。


「――さて、何の前触れか。それとも、ただの怪現象か。今の段階じゃなんとも言えんけど、大黒さんが退屈すぎて暴れだす前に魚をどうにかしときたいところやね」


 気だるそうに言う清水原は、ごろんとソファに寝転がる。うーん……なんだかんだ言って、こいつも甘いな。


 あたしはため息を落とした。そして、くつろぐ清水原の背中を叩く。バシンっ! と大きな音が響けば、弾かれたように飛び上がった。魚が水揚げされたみたいに。


「いったぁ! 何!? 急になんなん!」

「なんなん! じゃないわ。ほら、布団買いに行くぞ」


 言いながらあたしはヤツの腕を引っ張る。嫌そうに背中をさするけど構うもんか。あたしの今日の寝床の方が一大事なんだから。

 まぁ、危うく忘れるところだったけれど。

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