5話 笑う福神

「――いらっしゃいませ」


 厳かに深い声音で一礼する黒服の男。巨漢のそいつは、神の力で欺いた清水原である。休んでいる黒服の碓井うすいくん(20)の姿らしい。


 え、別に清水原のまんまで良かったんじゃね? と思ったけれど、そうはいかないとのこと。

 それを知るのはまだまだ先のことで、とにかく店に入ってきたVIPを出迎えれば清水原の格好なんてどうでもよくなった。


 ふくよかなおっさん――満面の笑みであるその人こそ、十日とおか恵比須えびす神社の主神である恵比須。ぽーんと大柄で、アロハシャツのそれを見た瞬間、


「あーーーーーーこいつ、やばそう」


 そんな直感が私の脳内で働いた。脳のみならず、あらわになった腕に鳥肌が立っていた。

 それに亜弓ちゃんが言っていたあれも相まって、あたしはガッチガチに固まっている。

 ビシビシと感じる「やばいオーラ」。権威に弱い下々の気分だ。

 そして、さらにあたしの緊張が高まったのは、恵比須さんの後ろにいたスマートなおじさまだった。


「いやぁ、久しぶりだねぇ。元気にしていたかい、碓井くん」


 ラフな白シャツとジーンズ、快活な笑顔、そして俳優顔負けの若々しくも深みのあるイケおじ。


「えぇ、おかげさまで。恵比須さまも菅公もお元気そうで何よりです」


 イケおじは菅公だった。


 あれが……


「道真、さん、ですか」


 となりにいたウカちゃんにたどたどしく訊くと、あっさり「うん、そだよー」と返ってくる。

 ていうか、あれ? ウカちゃんじゃない。金髪の超絶美少女がいる……え、ダレ? って思ったらやっぱりウカちゃんだ。うん、だって、ウカちゃんって気がするもん。いつの間に金髪美少女に転生してしまったのだろう。それに、声もかわいらしい。なんか、美少女声っていうか……きゃぴっとしてる。誰だよ、マジで。


「あれ、あたし、なんでウカちゃんって分かったんだろ」


 姿形がまるっきり変わっているというのに、すんなりと「ウカちゃん」だって分かった。なんだ、直感か?

 ……今日のあたしはなんだか冴えている。


「玉城ちゃん、玉城ちゃん」


 亜弓ちゃんがこそこそとやってきた。ちなみに、碓井くんが恵比須さんと道真さんを案内している先に弁天さんがいる。


「私と弁天さんであの神さま二人を相手にするから、玉城ちゃんとウカちゃんはほかのお客様の相手をよろしくね」

「え? え? 待って? あたし、なんもできんよ……」

「だーいじょうぶ。ウカちゃんが慣れとうけん、ねっ」


 いや、「ねっ」て。そんな無責任な……

 亜弓ちゃんが慌ただしく弁天さんの元へ駆けるのを名残惜しく見送り、あたしはちらりと横の金髪美少女を見やる。


「う、ウカちゃん……?」

「はーい♡」

「うっ……いや、あの、慣れてるってマジで?」

「まーね。僕、かわいいからよく駆り出されるんだよ。でも、やっぱ気分が上がんないとやってらんないし? まぁ、ちやほやされるのはいいよね。あと、やっぱりタダ酒!」

「………」


 コンパクトの鏡を見ながら口紅をチェックする美少女もとい、ウカちゃん。


「……君は、男の子なんじゃあないのかね」


 恐る恐る訊いてみる。すると、あっけらかんとした答えが返ってきた。


「え? 僕、性別とかないよ?」


「は」


 目と口が同時にかっ開くなんて今までにあっただろうか。そんなあたしに構うことはない美少女。


倉稲魂命うかのみたまのみことって、稲荷神のことだし。かわいいお狐さまなんだよー? こんこん!」


 そう言って、手を丸めて招き猫のようなポーズをあざとくキメる。

 いや、稲荷神って言ってもさぁ、性別くらいあるでしょうよ。ないわけないじゃない。でも、神さまだと常識なのか?


「じゃあ、あのホストみたいな格好は……」

「あれは道真さんに着せられてるだけだよ。まぁ、確かにあの格好の方が変なおっさんから話しかけられることがなくなったけどねー」


 ……さいですか。

 相手は神さま。もう何も驚くまい。


「そしたら、その……なんだ、そのおっぱいは? 偽物?」


 おかしいなとは思ってたけど、胸元の開いたドレスから見える谷間は本物っぽいし、まぁ神さまだし、七変化の一つや二つはやってのけそうだと思ってたけど。

 性別がないんなら、おっぱいも下のアレもないってことでしょ。いや、どっちもないってのもやっぱり不安になってくる。え、待って。ちょっとあたし、情緒不安定。


「偽物じゃないよ! 本物だし! 自由自在だし!」


 得意げに言うウカちゃん。脳内処理がおぼつかないあたしは、おもむろにウカちゃんの胸元に手を当ててみた。むにっとしてる。

 うおおお! やっわらかい! やべぇ、ふかふかだ! ぽよぽよだ! こいつは本物じゃあないか!


「ちょ、やめてやめて。くすぐったいからやめて」


 嫌がるウカちゃんをしばらく突きまわす。ひとしきり触って確かめて、あたしはなんとか平静を取り戻した。


 ふぅ、と落ち着いてソファにもたれる。ウカちゃんも落ち着きを取り戻し、コンパクトの鏡で髪の毛や化粧を再チェック。

 幸い、まだ客はいない。

 弁天さんのテーブルはなんだかんだ盛り上がっている。暇なあたしは、こそっとソファの陰から覗いてみた。


「あっはっはっはっはっはっはっは!」


 大きな笑い声が店内に響く。思わず首をすくめて、恐々見る。

 笑いの主は恵比須さんらしい。ふっくらしたアロハシャツの陽気なおっさん……あれを怒らせると殺されるレベルでやばいのか。

 うーん……見た感じはそうでもないんだけれど、あたしの腕は鳥肌がまだおさまらない。

 すると、ウカちゃんが何かを察したようにボソボソと言った。


「恵比須はねぇ、見た目あぁだけど権力はものすごいんだよ。十日恵比須神社、行ったことない?」


 ない。

 首を横にブンブン振る。


「そっかぁ。あそこはね、まぁおっきな神社だよ。博多区の東公園、県庁が近いのかな。博多区で商売繁盛の神と言えば恵比須だろうね。毎年1月の正月時期に大きなお祭りをやることで有名。すごいんだよ、この時期は神社にたくさんの人が集まるんだから」

「へぇ」

「エビスってのは、元は大漁を呼ぶ福神なんだ。ほら、ビールのマークにあるじゃない。釣り竿持ったデブのおっさん」

「あーはいはい、なるほど。あれかぁ」

「そうそう」


 さり気に「デブのおっさん」とディスってることはスルーしておこう。


恵比須あいつ、財力がすごいから力もどんどん強くなってってね、今じゃ道真さんと肩を並べてこーんなクラブに来れるくらいなんだもん。最近、道真さんが僕と遊んでくれないのは絶対あいつのせいだよ。言っとくけど、僕のほうが道真さんと先に仲良くなったってのにさ、ずるいよ」


 ウカちゃんは恵比須さんに向かって「べーっ」と舌を出した。向こうからは見えないのだろうか。恵比須さんは弁天さんと亜弓ちゃんの接客に気を良くしている様子。「あっはっはっはっはっはっはっは!」と大きな大きな笑い声が絶え間ない。ご機嫌だ。


 一方で、イケおじの道真さんは静かでおしとやか。静かにグラスを傾けて、ニコニコとしている。なんだろう。さすが、平安貴族というか。あんなラフな格好でも、堂々とした佇まいがさすがだなぁと素人目にも分かる。とにかくタダモノじゃない雰囲気だ。


「こらこら、ウカちゃん、あんまし悪口ばっか言いよったら恵比須さんに聞こえるよー」


 背後からぬっと強面が覗いてきた。ひくーい声であたしたちの間に入ってきたのは碓井くん……じゃなく清水原だった。

 黒いスーツが隆々な筋肉でぱっつぱつの碓井くんから、みるみるうちに安そうな黒Tシャツ男へ変わる。でも、あたしとウカちゃん以外のみんなにはのままなんだろう。


「いいかい、君たち。ここでおとなーしくしとくんよ? 特に、玉城さんは目立たんようにしてね。恵比須の目に入ったらニコっと笑って逃げること。はい、笑顔の練習」


 そう一息に言って、パンっと小さく手を叩く。あたしはあたふたと口の端を人差し指で持ち上げる。

 なんか、ギシギシ言いそうなぎこちない笑顔になった気がした。清水原とウカちゃんの顔が一気にくもる。


「……そんな顔じゃ、いかんよ。怖いわ」

「急に笑えつったって、無理に決まっとろうもん」

「はぁーっ、つまらんなぁ! そんなんじゃあ接客は務まりませんよ」

「でもね、清水原くん。別に愛想悪くてもそれが『個性』なわけだから別に問題ないと思うよ」


 ウカちゃんがフォローに回ってくれた。しかし、そのすぐあとにボソボソと「逆に彼女を笑わせたら災いが起きるよ」と言うので、あたしは思い切り睨みつけてやった。


 そんな険悪ムード漂うテーブルに構わず、弁天さんのところは賑やかだ。


「そう言えば、恵比須よ。あんた、この間言ってたわよねぇ」

「何をじゃ」

「ほうら、あれよあれ。神好みが欲しいって。あれ、どうしてなの? あんたのカミゴ、たくさんいるじゃない。まだ欲しいっていうの?」


 弁天さんはチラリとあたしの方を見ながら言った。清水原が立ち上がる。こちらのテーブルには目もくれない恵比須さんだから、まだあたしの存在は知られてないんだろう。

 大きな声で話をするから、こちらにまで聴こえてくる。ウカちゃんも息を殺して耳をそばだてていた。


「いやあ、まぁなぁ、そりゃあカミゴにするなら、神好みの人間じゃろう。弁天だってそうじゃないか? 欲しいじゃろう? やはり儂らは一級品が好きじゃ。それに、この辺りでうろついてる神好みがいるって耳にしてなぁ。どうも行き場がなさそうじゃから儂が拾ってやろうって」

「お優しいのですねぇ、恵比須さまは」


 亜弓ちゃんがクスクスとかわいらしく笑う。


「しかし、どこに行ったんじゃろう。かわいい女の子の神好みだって聞いたんだが。とんと見つからんのよ」

「ほほう、かわいい女の子ねぇ」


 道真さんも食いついた。


「神好みならお会いしたいものだね。その時にまだ君が見つけていなかったら、私が拾ってもいいかい?」


「………」


 一時の間。

 しんとなった空間は少し、冷ややかさを帯びているよう。

 あたしの肌も一層粟立つ。


「――あっはっはっはっはっはっはっは!」


 突如、恵比須さんが笑う。その大音量に、その場にいた全員(道真さんも)がビクリと震えた。


「菅公のお望みとあらば、それを横取ろうなんざ滅相もない。しかし、あんたもカミゴは多かろうに。欲張りなお人じゃ」

「まぁ、うちには姫がいるからねぇ。姫の遊び相手にでもなってくれたらいいなぁって思ったんだよ」


 道真さんが肩をすくめる。すると、弁天さんは繕うように甲高く笑った。


「あぁ、それも良さそうだわぁ。しかし、恵比須の目的がいまいちよく分からないわねぇ。かわいい女の子を一体どうするおつもり?」

「女に甘い神はさすが疑り深い。ただ、まぁ、あれじゃ。コレクションってやつじゃ。お前だって菅公だって、そういう人間はおるじゃろう? 特に、神好みなら揃えたいものよ。それに、力を授ければ使いみちはいくらでもある」


 カラカラとグラスを回す音が重なって聴こえる。亜弓ちゃんが作っていたお酒を恵比須さんの前に置いた。それをすぐさま喉に流し込む恵比須さん。

 清水原が入り口付近まで静かに忍び寄り、段々と低くなっていく会話に近づいていく。それをあたしとウカちゃんはじっと見守る。


「それじゃあ、ここら一帯の神たちで探すかい? 誰が神好みを見つけるのが先か。見つけた者がカミゴにするってわけで」


 道真さんが愉快そうに言う。それを遮ろうと恵比須さんが口を開くけど、道真さんが制した。


「もっとも、既に誰かのカミゴになっていたら無駄なお遊びになるだろうけどね。おっと、それならウカや大黒、住吉の方にも知らせなくちゃ」

「そうね。ここは公平にいきましょ。恵比須、ズルはなしだからね。あんたは本当に大黒のことが嫌いだから、どうにかこうにかあのひとを除け者にしたがるわよね」


 弁天さんの目がチラリと清水原に向かった。怪しい微笑みに、清水原はその場に立ち止まる。

 その時、店のベルがガランゴロンと音を立てた。


「……いらっしゃいませ」


 くるりと踵を返す清水原は、黒服になりきって恭しく案内をする。そして、あたしとウカちゃんのテーブルにお客さんを連れて寄越した。


「さぁ、お仕事だよ、玉城ちゃん。張り切っていこう!」


 場違いなほど明るいウカちゃんの声が、固まったあたしの耳をつんざいた。



***


 そのお客さんが、ウカちゃんの紹介もなしで「酒の神さま」だと気づいたのは、そう時間はかからなかった。

 だって、なんか、目が合っただけで直感が働くのだ。しかも目を凝らせば、神さまの周りにもやもやと金色や銀色、キラキラなオーラが漂っている。

 それはウカちゃんも同じで、こっちは白だ。ちなみに、恵比須さんと弁天さんは金色で、道真さんは透き通った水色。神さまの色、とでもいうのだろうか。

 あたしの目はどうしてしまったんだろう。


 その神さまオーラに気を取られるばかりで、ウカちゃんと酒神が飲み比べし始めても、ただただそこにいるだけで、たまにお酒の調達を黒服の碓井くんに頼むことしかしていない。

 まぁ、酒神もウカちゃんも満足そうだからいいのか。良しとしよう。

 不穏な会話をしていた弁天テーブルも今や談笑にあふれているし。みんな楽しそうで何よりだわ……


「――やぁ、君。新人さんかな?」


 背後から声をかけられ、あたしは思わず肩を上げた。

 すぐさま振り向くと、そこには白シャツのおじさま――道真さんが穏やかな笑顔をあたしに向けていた。


「はっ……あ、あぁ、はぁ、まぁ……」

「ん? 顔が固まってるねぇ。大丈夫かい? お酒でも飲んだらちょっとはリラックス出来るんじゃない?」

「いや、あの、あたし、未成年ですので……」


 真面目な返しをしてしまった。これでいいのだろうか。てか、どうやって喋ればいいのさ。ウカちゃんは飲んだくれてるし。もう一杯! じゃねーよ。

 道真さんは「そっかー」と残念そうだし。


「どうかなさいましたか、道真さま」


 ヘルプ信号を送ってたら、颯爽と碓井くんがやってきた。


「あぁ、ちょいとこちらのテーブルが気になってね。かわいい新人さんがいるものだから……しかし、君はいつまでそうしているつもりなのかな、


 道真さんの顔は変わらずにこやかだ。そして、碓井くんもにこやかに見返している。そして、


「さすがですね」


 あっさりと白状した。道真さんが「くくっ」と肩を震わせて笑う。


「そりゃあね、あの恵比須は騙せても私の目は騙せないよ。まぁ、何か事情があったんだろうねぇ。内緒にしておくよ。そこのお嬢さんのことも、ね」

「助かります」

「なんのなんの。君にはこれからも働いてもらわなきゃだからね。いいよ、これくらい」


 清水原の肩をぽん、と叩いて言うとお茶目にウインクを飛ばす。そして、道真さんは機嫌よく弁天テーブルへと戻っていった。


 はぁ。まったく、生きた心地がしない……


 清水原はちらりとあたしの方を向いた。欺きは、もうずっとあたしだけ解かれている。

 帽子に隠れて見えない目元は、どんな形をしているのか……知る由もなかった。

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