3話 ご入用は代行屋 天萬まで

 ――じゃあ、君の名前は今日から玉城ね。神様の前ではそう名乗るように。


 とは言うものの。


「つまり、偽名ってこと?」


 事務所に戻って、ホコリっぽいソファに座らされ、あたしはようやく口を開くことを許された。それまでどれだけ訊いても「静かにして」とうるさそうに黙らされていたもので。


「てか、客に水の一杯も出さないわけ、ここは」


 喉渇いたし。

 腕と足を組んで不満を表してみると、目の前の清水原は「うーん」と浮かない。こちらは表情がまったく読めないから声のトーンで判断するしかない。


「客、じゃなくて君は保護観察対象、というか」

「あぁいいから、そういうの。とにかく喉渇いた、お腹空いた、風呂入りたい!!」

「……君、家なき子の割になかなかワガママだよねぇ。生命力すごそう……まぁ、いいや。分かったよ」


 仕方なさそうに言う。分かれば良し。


 清水原は事務所の奥にある扉へ移動して、何やらごちゃごちゃと片付けを始めた。


「あー、玉城さん。あの、水とか食いもんとかは台所勝手に使っていいから」


 セルフかよ。

 いや、それよりも。「玉城」って付けられたばかりの名前が妙にくすぐったい。


「――ねぇ」


 狭くてボロい台所から、グラスを探しながら言ってみる。どうも風呂場を片付けている清水原は「んー?」とふんわり軽い返事をする。


「そのさぁ、偽名? なんなわけ?」

「あー……」


 清水原は思案げな声を上げた。同時にガチャガチャとした音が止まる。

 どうも彼は考えることに向いてないらしい。動いた方が早い、みたいな。だから答えはしばらく待つことになる。


「要は、名前ってのはその人の映し身みたいなもので、単なる記号じゃあないんですよ」

「はぁ」

「名を縛る、とか聞きません?」

「聞かんなぁ」


 あまり、そういうの詳しくないんで。


「幽霊とか妖怪とか、そういう魑魅魍魎に名前を知られたら悪用されるんですよ」

「なるほど、悪人に個人情報を握られる感じか」

「あーね……そんな感覚やろうね」


 清水原は笑いながら返した。作業の音がゆっくりと聴こえ始める。そんな彼にあたしは尚も問いかけた。


「つーか、幽霊とか妖怪とかそんなんおるの?」

「おるよ。でも、最近は絶滅しかけてるっぽい。神様の方が多いです」


 ふうん。そういうの、本当にいるんだなぁ。でも、やっぱり信じがたい。

 あの神様たちだって全然神様っぽくないし。普通の格好をしてるから、あんなの道端にいたら人と区別がつかないじゃないか。そんな適当でいいのか、神様たち。


「よし、風呂場はなんとかなりました。水とかお湯は出るはずやけん、玉城さん、好きに使っていいですよ」

「うっしゃ!」


 礼もそこそこに風呂場の中へ飛び込む。


「ほんとーはきちんと整理せないかんのやけどねぇ……どうにも人手不足だ」


 扉を開けたらそこはもう風呂場で、脱衣所なんかはない。扉を閉めた向こう側で清水原の声が遠ざかっていく。


「じゃあさー」


 Tシャツを脱ぎ捨てながらあたしはふと思い立ったことを言う。


「あたしを雇ってよ」

「ほう……それはいい考えかもですねぇ。あ、玉城さん、バスタオル置いときました」

「うぃっす」


 全部脱ぎ捨て、外に放り出して、シャワーの栓をひねる。水とお湯を調整しながら浴びること数分。


「まぁ、でも。君の神通力によるよねぇ。さて、何が出るか……」


 シャワーの音に紛れる清水原の声が、うっすらと耳に入ってきた。





 あたしを雇え、とは言ったけれど、そもそもこの「代行屋」とはなんぞや……と考える。

 シャワーが済んでスッキリしたはいいけど、気持ちはまだまだ落ち着けない。


「ねー、清水原ー」


 扉越しに呼んでみる。「はーい」とすぐ近くで声が返ってくる。


「ちょっと、どっか行っててよ」

「あ、着替えます? なんだ、玉城さんにも恥じらいってもんがあったんやね」


 当たり前だろーが。はっ倒すぞ。


 どうにも掴めない彼の言動に、あたしはイライラしながらもササッと扉から手だけを伸ばしてバスタオルと服を探った。


 それにしても、清水原は不思議な男だ。歳は、20代後半くらいか。いや、最近の30代も若々しいからもしかすると30歳前後? 目元が見えないからどうにも分からないな。

 ラフなのか丁寧なのか、使う言葉のせいか親しみやすい。イントネーションは博多の人っぽい。同じ県内や市内でも音や方言に違いがあるもので、彼のは博多弁寄りだと思う。こってりした博多弁って感じでもなく、今どきの若者っぽいというか。テレビで見るようなあのわざとらしい方言じゃなく。

 じゃあ、都会っ子なのか。中洲ここに長く住んでいるのかも。あとの特徴と言ったら……神様と仲がいい。今のところ分かるのはそれくらいかな。


「玉城さん、着替えた?」

「うん、着替えた。もういいよ」

「じゃあ、ちょっと話そっか」


 バスタオルで頭を拭きながら、あたしは扉をそろりと開けた。清水原はソファ周りだけスペースを作り、あたしに座るよう促す。


「えーっと、まずは神様の話でもしましょうかね」


 座ってすぐに、彼はゆるりと切り出す。


「日本は神様大国なんですよね。津々浦々、神社や寺をあちこちで見ると思います。そんで、みんなが知らんだけで実は八百万の神々が人間社会に溶け込んでいる。ウカちゃんや大黒さんみたいな。実は、あの橋は『大黒橋』と言ってね。名にちなんだ場所に住み着きやすかったりします」


 多分、分かりやすいように言ってるんだろう。でも、この言い方だと神様はなんか野生動物みたいな扱いに思えてくる。

 そんなツッコミは控えておくけども。あたしは神妙に頷いてみせた。


「人ってのは、昔から神への信仰心があります。この国も例外なく。信仰して神様と縁を結んだり切ったり。その中で、神様の方からも信頼された人を『カミゴ』と言います。そんな彼らはを使うことができる」


 あたしは思わずごくりと喉を鳴らした。

 喩えるなら、これらは非現実的な現実。この目で見たものは現実リアルそのもの。あたしの常識が覆された瞬間だった。


「俺は大黒さんのカミゴです。このカミゴってのはね、結構たくさんいるんですよ。特にこの博多は商売の町やし、祭りもようやるし、何かと神様のお世話になってますよね、ここの人たちは」

「じゃあ、清水原みたいになんか変なことができるってことね?」


 訊くと彼は「変なこと……」と苦笑交じりに呟きながら「まぁ、はい」と投げやりに返してきた。


「ちなみに、カミゴになったら町の倶楽部に登録しなきゃいけない。町内会みたいなもんです。中洲だったら博多部……でも、実家は糸島市でしたよね?」


 急に話が進むとあたしの頭は追いつけない。なんとか「そうね、糸島……」と答えかける。その時、ふと違和感に気がついた。慌ててソファの背まで体を引く。

 なんで、こいつ……


「なんであたしの実家知っとーと?」


 恐る恐る訊くと、彼は「あっ」と口をぽっかり開けた。


「すいません。君を探してる時に全部調べちゃいました」


 ……仕事がお早いことで。


「神様に聞けばこの手の情報、いくらでも簡単に調べはつきますよ」

「そっすか……へぇ……」


 抜かりねぇな。ってことは、あたしの個人情報を知られているってことでは。

 でもまぁ、あの家は捨てたようなもの。着替えとスマホと現金10万を持って飛び出した。友達は市内に散らばってるから連絡すれば泊めてもらえたりするけれど……この生活も限界が近い。


 厄のせいでバイトが続かなかったのも、そもそも実家で「疫病神」扱いされていたのも全部あのつぶれまんじゅうが招いたことなんだろう。そんな考えがフッと湧いて、思わず苦笑を飛ばした。


「今朝も言ったように、厄は良くない神様です。人の運気を食いもんにして、全部吸い尽くします。それは当事者の周りにも影響を与えます。だから、この商売の町で厄持ちの君がうろついてると困る。そんな困りごとを、菅公から聞いてね。それで、俺が菅公代理で君を探していたんです」


「はぁ」


 言いたいことはここまででなんとなく分かった。理解はできる。受け入れる態勢はまだできてないけれども。

 それよりもまず、新たな登場人物が気になってしまう。


「……あの、菅公って誰?」

「菅原道真。ほら、太宰府だざいふの」

「あぁー……ね、なるほど……マジか」


 確か、学問の神様で有名だ。名前だけは知ってる。平安時代の人だっけ。日本史で習った。何をしてたのかはあんまり知らんけど。

 人なのに神様なんだな……


「博多部の人らが迷惑してるから清水原くん、どうにかしてくんない? って半強制的に仕事させられて……菅公に逆らったら後が怖いし……まだ死にたくないし」


 清水原は口では笑いつつも、頭を抱えている。よほど怖い神様だってのは大いに分かった。


「俺は大黒さんのカミゴですから、ちょっとワケありなんですよ。大黒さんはなので……あぁ、なんか玉城さんに似とうね」


 その冷やかしは余計だ。

 それに、あのおっさんと同じ扱いにされるのはなんかしゃく。まぁ、間違ってないけども。


「じゃあ、あたしも大黒さんの『カミゴ』ってやつなん?」

「まだ分からんけどね」


 清水原は鼻から息を吐きながら言った。その抜けるような音は困ったような。そんなものを感じる。


「大黒さんは、本来なら豊穣の神。でも、ちょっと前にごたついてになったらしくて。家を失った名のある神は、表裏のうちの裏が強くなるらしいです。神様というのは表と裏の性格を持っているんで。冥府の神通力ってやつらしく、逆さの力とも言います」


「サカサの力……」


 反復すると彼はこくりと頷く。少し、声音が慎重になってきた。


「俺もそうなんです。逆さの力である『欺き』ね。世の理には不要な、マイナスなものとでも言ったら分かりやすかろーね」


 マイナス……あまりイメージが良くない。そうか、欺くということは人を騙すということ。イメージが悪いわけだ。


「だから、君に備わるのもおそらく逆さの力やろーなってのが俺の考え。何が出るか分からんから、君のカミゴ登録もお預けと言うか。どっちにしろ、実家が福岡市外だからどうなるかは分からんけど」

「ふーん……だから保護観察か」


 まぁ、納得しといてやろう。あたしにそんな摩訶不思議な力が宿ればの話だけども。


「ご理解いただけて何よりですー」


 言葉とは裏腹に、軽い口調で清水原は言った。

 まったく、本当に厄介なことにつきあわされたんだなぁ。そして、これからもそうなんだろう。厄は払ったはずなのに。


「でも、誰かのカミゴになっとけば他の神様からスカウトされない限り、護りは強力です。マイナスって実はプラスよりも強いんですよ。あんなナリやけど、大黒さんは意外と強い」


 確かに「軍神」だしね。それは心強いことだわね。信じらんないけど。

 励ますように言う清水原に、あたしは思わず鼻で笑った。


 ***


 保護観察中のあたしは自由に外へ出ることも許されないらしく、窓や扉はびくともしなかった。でも、鍵は開いている。

 清水原を睨むと、彼はニヤッと意地悪そうに笑っていたのでこいつの「欺き」が効いていることは悟れた。

 でも、いくら「開いている」と頭で思い込んでも、開けられないから何か別のものが仕込まれているんだろう。諦めてソファに寝転がっておく。


 時間が過ぎゆく中、取り立ててあたしに異変はなく、彼もまたノートパソコンでメールのチェックやネットを巡回しており、各々好きにだらけている。


「――ねぇ」


 暇すぎるので声を上げてみた。


「代行屋って何すんの? 誘拐の代行だけじゃないっしょ」

「誘拐なんてしとらんよ……」


 心外だとでも言いたげな口調だけど、お前に弁明の余地はないからな。昨夜のあれは忘れない。

 そんな恨みを露も感じ取らず、清水原は「うーん」とのんきに唸る。


「まぁ、なんでも屋みたいなもん、かなぁ。運転代行とか有名よね。他にもオフィスワークや販売員、バイトなんかの仕事関係、商店街のおっさんたちの店番監視とかもあったなぁ。奥さんがいない時に遊ぶからってんでその監視ね。あとは家事、育児、学生の宿題、墓参り、ヘルパー、家族、親、兄弟、彼氏、彼女……」

「え、待って。家事や育児はともかく、仕事とか家族の代行までやんの?」


 あまりにも幅広い、というか。そこを代行しちゃダメだろっていうラインナップにあたしの頭はこんがらがる。

 清水原は澄ました様子で「やるよ」とサラリ。


「神様の代行もやるよ」

「あー……そう言われてしまったらね……なんか納得した」


 こいつの「欺き」があればなんでも出来るわけだ。天職じゃん。


「それでも、やっぱり中洲だからホストクラブの助っ人が多いかな」

「え、ホストやんの?」

「やるよ」


 本当になんでもやるんだな。顔が見えないから分かんないけど、その辺どうなんだろう。


「あぁでも、さすがにキャバクラは嫌だなぁ……女装クラブの仕事はまだこんけど。まぁ、それ系が来たらウカちゃんにやってもらおう」


 呟きの中に何故か神様の名前が出てくる。神様をそんな扱いでいいのか。


「玉城さんが正式にうちで働くんなら、キャバの仕事が増えそうね」


 恐ろしいことも呟いている。


「お、ウワサをすれば……弁天さんの店から助っ人依頼きとうやん。めずらしー」


 パソコンを操作する清水原は嬉しそうに笑った。

 嫌な予感……


「ねぇ、玉城さん」

「やだ」

「即答かい……でも、雇われたいんでしょ」


 それを出されたら押し黙る。でも、あたしにも譲れないものはある。


「無理だよぉ……さすがにキャバ嬢は無理……あたし、かわいくないし」

「化粧すりゃ、多少はごまかせるよ」


 失礼なヤツだな。


 でも、まぁ、こんな野暮ったいあたしが務まるわけない。基本、仕事はイエスマンだけど、いくらなんでもこれだけは許容範囲外だ。


「職場体験って感じで行ってみたら? 採用試験も兼ねよう」

「職場体験で採用試験……」

「俺も行くし、今なら出血大サービスでウカちゃんもつけるし」

「は?」


 思わず素っ頓狂な声が飛び出した。


「だから、ウカちゃんもつけるって」


 再度言うけれど、あたしの引っ掛かりはそこじゃない。


「いやいや、あんたも行くならあたし、別にいらんやろ?」

「いやいや、さすがにキャバ嬢やりたくないもん、俺。黒服で入れてもらうようにするし」


 なるほど……こいつはどうしてもキャバ嬢になりたくないらしい。


「……ちなみにウカちゃんは?」


 参考までに聞いておこう。


「あいつにはキャバ嬢やらす」


 きっぱり言い放つ清水原に慈悲なんてものはどこにもなかった。

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