2話 中洲の守神と、はぐれ軍神
ビルの中は蛍光灯が冷たい雰囲気を醸し出している。細長い建物らしく廊下もエレベーターも狭い。
陰気なビルを降りていけば、途端、眩しい光に目をつぶった。恐る恐るまぶたを開くと、前を行く清水原。こいつ、あたしが逃げるかもしれないとか考えないのだろうか。
立ち止まって辺りを見回すとそこは、中央通りではあるものの色街から離れた場所だった。
「なんしょーと」
神社の鳥居から顔を覗かせて清水原が手招きする。あたしは渋々ゆっくりと鳥居まで行く。
朱い鳥居には「
ビルと駐車場の間に鎮座する小さく狭い神社。参道を行くと、たちまち明度が落ちる。駐車場の奥にビルがあるから社殿は建物の隙間に位置しているのだ。本当に陰気臭い。暗い。でも、隠れるには最適だ。
「よぉ、ウカちゃん」
清水原が社殿の屋根を見上げた。そこには何もない。
「悪いね、急に。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけどさぁ」
清水原は何もない空間に話しかける。あたしはすぐさま彼のシャツを引っ張った。
「なんもおらんけど」
「いや、いますよ。そこに。ここの主神である
そう言い、彼はクスリと笑った。あたしはじっとりとした目で睨む。
「そこにいる、と思えば見えます」
「はぁ?」
なにが見えるって言うんだよ……と、言いかけて息を止める。
「あ、見えた? やっと目が合ったねぇ。こんちは、お嬢さん」
目の前に、つややかな白肌の男の子がいた。それは清水原ではなくて、て言うか清水原はその横で笑ってるだけ。突然現れた第三者にあたしの頭は追いつかない。
「はじめまして。僕は倉稲魂命。ウカちゃんって呼んでね」
彼は人懐っこそうな笑みを浮かべてあたしの手を取った。
白いスーツに髪の毛は金に近い茶色。
なんだか……
「ホスト……?」
第一印象はそれだった。キャッチのお兄さんみたいな。中洲にゴロゴロいるよね、こういう人。
「うん、よく言われるー」
この自称、倉稲魂命は面白そうに言うと、あたしの手を取ったまま離してくれない。
「ねぇ、清水原くん。この子、あれだよ。神好みってやつだよ。いい匂いがする」
「あー、なるほど。だから厄がへばりついとったん。納得」
「ちょっと待って」
あたしを置いて話が進んでいくのはいただけない。内容が読めない。
「あの、要するに、この人は正真正銘、神様ってこと、なの?」
自分で言って恥ずかしくなる。
神だなんて。そんなのいるわけ……
「そうだよ」
手を握っていた自称、倉稲魂命がサラリと言う。
「もう、清水原くん、回りくどいことやめて見せてやりゃいいじゃん。『神好み』ってことはもうどのみち神様から逃げられないんだし」
もどかしげに言う神様。対し、清水原は口をへの字に曲げて渋っている。
「うーん……まぁねぇ……どっちみち大黒さんに引き渡すつもりやったし、うん、そうしようか」
まとまったらしい。
しかし、「引き渡す」ってなんかまた不穏なワード……思わず後ずさる。でも、それは許されない。清水原はあたしの手をすばやく掴んだ。
「言うの忘れてましたね。厄をくっつけた君は神様にとって害悪。君のことはダイコクさんに処理してもらうつもりだったんです」
赤い舌がチロリと見える。その不気味さには逆らえない。固まったままでいる。それまで柔らかで和やかだったのに、この空間だけ温度が下がったよう。
怖い――とっさに、そんな言葉が脳裏をよぎった。
その時、ぐるんと素早く体が一回転する。背負投げされたような空中浮遊のあと、あたしは清水原の肩に担がれていた。
「は? え?」
「よし、行こうか。んじゃ、またね、ウカちゃん。ありがと」
「ほいほーい」
「いや、待って待って待って! ちょぉ、待ってって!」
ジタバタ逃げようとするも、清水原の腕があたしの足を掴むのでもう振りはらえない。こいつ、ひょろいと思ってたら意外と力強いぞ。
「待ちません」
「待てって言いよろうが! おい! こんなんしてたら誰だって怪しむに決まっとうやろ!」
「あんまし暴れると落ちますよ」
「じゃあ降ろせ!」
いくら人通りが少ない中洲の先端とは言え、今は昼間。
警戒に走る清水原に向かってウカちゃんが手を振っているのが見えるけど、この状況は明らかに異質さを放っていることだろう。
いや、神様? がいること自体、異質なんだけども。
暴れるあたしに、清水原は「まぁまぁ、大丈夫ですから」とやんわり言う。
「君の姿は他人には見えないようになってますから、心配ないんです」
「いや、何言ってんの?」
「君の姿を別の物に置き換えているから、大丈夫大丈夫。不審には思われません」
「………」
何を言ってるのか分からない。でも、確かに道行く人は担がれたあたしにまったく気がつくことはない。
え、これが中洲の普通? 普通なのか、これが。
糸島の、ど田舎から転がり込んで早数ヶ月。道を覚えるくらいこの都会に慣れたはず。
でも、まさかこんな珍事に出くわそうとは思わないし、しかもこの状況に誰も見向きしないって。どこの都会も他人には冷たいんだろうな。
清水原は道路を渡ると、ひたすら道をまっすぐ歩いていく。川に沿って。ここは確か博多川。色街から離れれば、景色は冷たいビルの色と薄れた下町に変わっていく。
「橋向こうが
なんか教えてくるけど無視しよう。
ぷらん、と腕をヤツの背中の前で垂らして、あたしは遠ざかる太陽を睨んだ。
光を浴びる商業施設、博多リバレインの近くにまた小さな神社がうっすら見えたけど、今は神様を見る気になれないので逸らしておく。
「お、おった。ダイコクさん」
神様を見たくないと言った矢先にそれだ。清水原は少し、足を速めた。
博多川は緩やかな流れで、橋下には昼休みなのかスーツを着た人や、作業服の人が階段に座ってご飯を食べている。
そのどこにも「ダイコクさん」らしきものはない。でも、清水原は何か見つけたように橋下に手を振った。
「おーい、ダイコクさん」
呼んでいるけど、誰一人として反応を返すものはない。
清水原は担いでいたあたしをようやく地面に下ろす。でも、腕は掴まれたままで逃げようにも逃げられない。
「あれ、聞こえんのかな。おーい、ダイコクさーーーん」
橋下へ向かい(あたしも着いていき)ながら、清水原は尚も呼ぶ。
「どこおるん」
つい訊いてみる。
「ん? そこにおるやん。ほら、あの黒いTシャツ着たおっさんが大黒天」
彼はピッと人差し指で示した。その方向には、何もない……いや、いた。本当に黒いTシャツ着たヒゲもじゃのおっさんが。浅黒い肌に、黒いもじゃ毛。ヒゲと一体化している。そして、Tシャツには筆で書かれたような「軍神」の文字が。
このおっさん、博多川で優雅に釣りをしている。
「なんしよーと、大黒さん」
おっさん(大黒天)に近づくなり、清水原は馴れ馴れしく話しかける。
「おー、清水原か。久しぶり」
「昨日も会ったよ」
「ふーん」
おっさん(大黒天)はつれない態度で、清水原を見ようともしない。
「ねぇ、ちょっと」
さすがに不審満載なので、あたしは清水原の服を引っ張った。
「大黒って、あの大黒?」
神道に疎いあたしでもなんとなくは知っている。大黒天、と言えば七福神の一人。なんの神かは知らないけど、大黒と言えば小槌を持ったふくよかなイメージ。
でも、目の前の「大黒」は普通のおっさんで、小槌じゃなく竿を持っている。
「まぁ、大黒さんにも色々ありますよね」
よく分からない答えが返ってくる。すると、もじゃ毛が僅かに揺れた。
「なんだよ、清水原。お前、口で言うのがメンドクサイからって、説明もなしに連れてきたのかい」
おっさん(大黒天)がちらりと流し目でこちらを見た。でも、すぐに目を川面へ向ける。
竿の向こうでは時折、魚が飛び跳ねているけれど一向に大黒さんの竿にはかからない様子。だからか、つまらなさそうな顔で川面を眺めていた。
「まぁ……だって、一般人にどう説明しろって言うんよ。分かるわけないやん」
「そこがお前のいかんとこだなぁ……」
大黒さんは「よっこらせ」と立ち上がると、短パンのポケットからタバコを取り出した。口に咥えて火をつける。煙をふかしながら、おもむろに手のひらをこちらにずいっと押し付けた。
「出しな」
一切、こちらを見ないけど、清水原はすぐさま察してズボンのポケットからあのつぶれまんじゅうを取り出した。
「あー……こいつか」
そう言って、大黒さんは自分の手のひらに置いたつぶれまんじゅうに、ふかしたタバコの火を押し付けた。じゅわっと、溶けるような音が立つ。段々と増える火が大黒さんの手を包む。
その時、火の中のつぶれまんじゅうが目をかっと開き、恨めしそうに大黒さんを睨みつけた。それでも何も言わないつぶれまんじゅう。いや、厄とやらは大きな炎に食べられていく。
やがて燃え尽きれば、細かい塵となった。なんの火傷のあともない、大黒さんの手のひらは綺麗さっぱり何も残らなかった。
「はい、おしまい。おつかれさん」
気だるそうに言う大黒さん。
あたしは何がなんだか分からず、今起きた現象に目を瞬かせるしかなく、清水原と大黒さんを交互に見やった。
「えーっと、まぁ、厄払いと言うやつです」
あたしの視線に、清水原が手短に答える。
「はぁ……」
「君にくっついていた厄、あれのせいで君は仕事をクビになってたんですよ。名の通り厄介な神で、ことごとく君の邪魔をしていたはず」
「へぇ……」
あのつぶれまんじゅう、そんなに厄介なヤツだったのか。
いや、ちょっと待て。
今の現象が本当に本物なのか。あたしの目はおかしくなったのではないか。そんな疑心が生まれてくる。
「厄は悪いものの
「好かれたから憑かれた、の方だろうな、今回は」
大黒さんが割り込んでくる。でも、やっぱりこちらを見ようとはしない。
無愛想なおっさんはタバコの煙に顔を隠しながら言う。
「このお嬢ちゃん、神好みだからな」
「やっぱりそれが原因か……俺、初めて見たからよう分からんのよ。本当におったんやね」
静かに言う大黒さんと、感心する清水原。あたしは置いてけぼり。
「あのさ」
だからもう黙ってられない。
「その、なんなの。さっきから」
「神好みってのは、神に好かれる人のことを言う」
素早く答えたのは大黒さんだった。
「まんまじゃねーか」
「そう。そのまんま。分かりやすくていいだろ」
別に分かりやすいからと言ってすんなり受け入れることはないぞ。
「八百万の神々に好かれやすいんだ。ただ、この世は表裏一体。善があれば悪もある。さっきみたいな厄が『悪』とすれば、あの國廣神社のウカは『善』といったところか。まぁ、そういうのに好かれやすいのよ。大変だねぇ」
そう言ってクツクツといやらしく笑う。あたしはちっとも面白くない。清水原を見ると、こっちは肩をすくめているだけ。
「それ、治らんの?」
「治る治らんの話じゃないよ。生まれつきって言ったほうがいいのか。まぁ、そんなもんだから諦めな」
大黒さんは手のひらを払う仕草をする。このお手上げ感。腹立つわー。
「……でもさ、それって神様と関わりを持たなきゃ良かった話やったんやないの? 大黒さん、この子と喋ったからもう」
清水原がおずおずと言う。すると、大黒さんは「あっ」と短い声を上げた。
あっ、てなんだ。なんか嫌な予感しかしない……
「大黒さんと喋ると、困ったことが起きるんですよ」
清水原が仕方なさそうに言う。
「この神様ね、神通力を人に与えちゃうんです。意思と関係なく」
またよく分からないワードが出てきた。でももう驚かないぞ、あたしは。
ここまで非現実的な現象が起きてるんだ。多分、明日になったら全部夢が覚めているに違いない。きっと。
「神通力……?」
「簡単に言えば、超能力とか異能とか。そういうのに分類される……ほら、アニメとか漫画で不思議な力的なのあるやん。あれです」
「……そんな雑な説明初めてだわー」
もはや笑うしかない。呆れよりも疲れが強い。
「まぁ、様子見か。明日あたりになんか症状が出るだろ。なんの神通力かによっちゃ、お嬢ちゃん、無事じゃ済まないかもしれない」
なんだか深刻に大黒さんが言うけれど、いや、あんたが元凶なんじゃないのか。
しかも「症状」って言っちゃったし。ウイルスか何かかよ。
「じゃあ清水原もそうなの?」
なんとなく訊いてみる。
「うん。俺もそういうの持っとうけど、地味なもんですよ。人の目を欺くことしか出来んから、変装くらいしか」
「例えば?」
薄く笑いながら試す。すると、清水原は渋るように指をパチンと鳴らした。
その音に驚いていると、
「えっ……」
ヒゲもじゃの黒Tシャツのおっさん――大黒さんが二人になっていた。
「まぁ、そういうこと」
一方の大黒さんが照れくさそうに笑う。竿を持つ大黒さんは無愛想のまんまだけど、ヒゲがうっすら震えているから笑ってるんだろう。
「昨日の警官が俺だったのがこれで分かったやろ」
そりゃ、見たものは信じるけどね。受け入れることはまた別問題だ。
「え、じゃあ何。あたしもなんか、そういう、変な力が使えるようになるの?」
「ちょっと、声の端々に笑いを含ませるのやめて。恥ずかしいから」
大黒さんになった清水原が言う……いや、あれ? さっきまで大黒さんの姿だったのに、なんだか皮が剥がれるように清水原の姿に戻っていく。
このゆるりとした流れを、あたしは笑いを引っ込めて凝視した。
「俺を大黒さんに見せかけようと目を欺いた。けれど、君は俺が『清水原』だと気づいたから解けた。そういうカラクリ。ね、地味やろ」
清水原は嫌そうに口元を歪めた。
「んじゃ、そういうことで。この子に備わった力がなんなのか、まだ分からんからうちで預かる。それでいい? 大黒さん」
「そうした方がいいね」
あたしの意思はまるで無視である。口を開きかけるも、清水原の声が早かった。
「どうせ行くアテ、ないんでしょ」
「ない、けど、さぁ……」
寝床があるのはいいけども。なんか釈然としない。やっぱりあたしの意思を無視している。
「どっちにしろ保護観察的なものだから、君に拒否権はないんですよね。悪いけど」
それなら無視されて当然ですね。不服だけども……飽きたら逃げるか。
まぁ、今のあたしは宿無し。タダで住むならそれでもいいかな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、清水原と大黒さんは何やら話し合っていた。
「名前、どうする?」
「名前ねぇ……」
大黒さんは唸りながら、煙で宙に文字を書く。
浮かび上がる灰色の文字は「
「タマキ……? どっから出てきたんだよ」
清水原が不思議そうに首を傾げる。
「あ、間違えた。
大黒さんは慌てて言うけど、灰色の文字はくっきりと空にしみついてしまい、もう戻せないみたい。
ようやくこちらを見ると、大黒さんは目を細めて笑った。なんて無邪気な笑顔……
「――じゃあ、君の名前は今日から玉城ね。神様の前ではそう名乗るように」
しばらくの沈黙後、清水原が後ろめたそうに締めくくった。
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