第58話 ネロ 導きの銀の鳩


 そうとなれば話は早かった。

 ネロ一行は禁足地を目指して歩き出した。眼はまだ精霊を視れるようにしているが、一切その姿を確認することができない。魔の精たちだけは例外で、なんとか蝶のような姿に転変するよう説得できたので、今はネロの体の周りを黒揚羽のようにヒラヒラと飛んでいた。

 マーガレットのロッドを返し、代わりとして貸していた杖はネロの腰にある。そして魔法剣も。

 ピクスリアもたいそう立派な魔剣を提げていた。

 そして二人の足取りは山道に慣れたもので、おぼつくことなく木の根が地表から網のように露出した獣道を進んで行く。

 きちんとした寝床で休んだお陰か、マーガレットの体力はすっかり回復したようだ。とはいえ、いつ転んで坂道を転がってしまうかわからないので、ネロは登りのしんがりを務め、ピクスリアが先頭で導いて行く。

 しかしピクスリアの歩く速度はかなり早い。歩くと言うよりも走るに近いのではないだろうか。なにか堰を切ったように、一つの場所を目指している。時には道をそれ、草木を踏みつけながら近道をずんずん進んで行く。

 無駄口を叩くつもりはないが、会話もままならない。

 鬼気迫る。そんな言葉がぴったりだった。ネロの胸の中を冷たいものが流れていた。

 もしかして、自分はなにかの封を切ってしまったのではないだろうか。

 ピクスリアにかけられていた魔法がどんなものか詳しく知りもしないのに、余計な『呪文』をかけてしまった。そう思えてならないのだ。けれども、心のどこかではしめしめとほくそえんでいる。

 ネロはピクスリアとマーガレットの後ろ姿を眺めながら、自分には強い絆で結ばれた仲間など一生出来ないなと再確認したのだった。



 登り道は終わり、丘の上に出た。

 視界がいっきに開けると、疲れが一瞬吹き飛んでしまう程の、壮大な光景が眼下に広がった。

 リテリアの森が一望できる。崖の下の向かい側には、大きな滝。大量の水が流れ落ちる轟音が、水煙とともに舞い上がる。

 虹がかかっていた。

 そして深い緑が広がる先に、キラキラ光るものがある。

 海だ。

 ハルリアの港が近い。

 鮮やかな青い空がある。

 海鳥の声が聞こえそうだった。

 ネロの喉の奥に、いつか頬張った新鮮な果物の滴る果汁がよみがえる。

 そして鼻腔には、潮の香り。

 様々な記憶が呼び起こされる度に、それが焼き払われたという事実に胸の奥が乱れた。

 焦燥感が生まれる。確かめたい、信じたくない、助けたい、どうなっているんだ、生きていてくれ。

 殺す。

 ハルリアを奪ったやつを、殺す。

 ネロの感情は一閃となって頭から突き出て、消えた。

 沸騰した心は嘘のように鎮まり、ハルリアのある場所を見つめる。

「ここから見ればすぐ行けそうなんですけどね」

 マーガレットがおなじくハルリアの方向を見ながら言った。

「ネロさん、飛んで行っちゃいます?」

「飛ぶ?」

「そうです、魔法でぴゅーっと」

「マーガレットは飛行魔法が使えるのか」

「え、いや、基本的な浮遊魔法だけです。浮きませんけどね」

「あれか、体を上へと持ち上げる訓練か」

「はい。学校でやりました。実際に使うことなんて無かったですけど、ネロさんならそれを進化させたようなすっごい魔法使えるんじゃないかなーって」

「すっごい魔法、ねえ……」

 飛行魔法、浮遊魔法に分類されるものは一通り使えた。

 けれど、普段の生活ではあまり出番がない。

「んー……無駄に魔力を使うから、使おうとは思わないんだよな。空中には気流があるだろう? 地面に立っているときとは違う力が体にかかるから、それに抗うと魔力の消費が激しい。だったら風魔法を使って滑空するほうが楽だ」

「そっちの方が高度な技術が要りそうですけど」

「『魔法』を使うようになってから、魔力や法力を使う魔法があまり好きじゃなくなったんだ」

「へえ。いや、言ってる意味分かんないです」

「魔法学ってのは分類なんだよ。そして組み合わせ。だからさ」

「やっぱり分かるようで分かりませんよー」

 マーガレットがへにゃりと笑った。

「そろそろいいですか?」

 ピクスリアが赤い目を向けてきた。

 チャラさもなければ好青年でもない、心が欠けてしまったような表情で、ネロは思わず口をつぐんだ。

 ピクスリアはそれを是と判断したようで、無言で背を向けると左側へ歩き出した。

「あ! 待って下さい勇者!」

 それを追いかけるマーガレット。

 ネロは小さくため息を突いてから、少し間をおいて駆け出した。



 ピクスリアが速い。

 歩くのさえも難しい根の道を全速力で駆け降りている。

 風を纏い、まるで野生の鹿のような跳躍と方向転換だ。息を乱すことなく、そして振り返ることをしない。

 マーガレットが追い付けていない。

 ネロも辛かった。

「ピクスリア! 少し止まれ! ピクスリア!」

 ネロの声は無視された。

 ピクスリアの速さが増した。

「勇者、待って下さい!」

 マーガレットの言葉も届かなかった。

 ピクスリアの姿が小さくなって行き、時折見失ってしまう。


《追え!》


 命じると、一体の魔の精が姿を大きく転変しピクスリアに向かって飛んで行く。


《先導しろ》


《はい》


 もう一体が姿を転変させてネロの背後に付く。精霊の先導というのは不思議なもので、言葉は必要ない。第六感に働きかけるものと言った方が近い。『こっちだ』と思うほうにすすんで行けば間違いない。逆に信頼していない精霊や妖精、人間に悪意を持っている精霊や妖精に先導されてしまうと死に繋がるだろう。

 ネロはマーガレットを気にしつつ走ったが、もはやピクスリアの姿はとうに見えなくなっていて、一度足を止めた。


 はあ、はあ、はあ……、

 マーガレットも足を止めすぐにしゃがみこんだ。苦しそうな荒い呼吸はなかなか治まらない。

 ネロも、心臓が今にも爆発しそうなほどに鼓動していて、汗が吹き出して止まらなかった。

「ネロさん、ピクスリア……どうしちゃったんでしょう……」

「わからん……。けど、俺の言葉がなんかの引き金になってしまったみたいだ。……あいつ、術者に呼ばれている……感じがする」

「……」

「押さえ込んでた術を、俺が少しだけ解放してしまったんだ。……多分……」

 それから呼吸が整うまでマーガレットは無言だった。ネロも気まずくて言葉を発することができなかった。

 ざわざわと木々が風に揺れている音がして、次いで涼しい風が吹き抜けていった。

 その瞬間、ネロの目の前を風の妖精の群れが通りすぎていった。

「っ!」

 ネロはビクッとして目を見開いた。辺りには水の妖精や風の妖精、土に光に影に石、小さな小さな妖精たちが、まるで羽虫がわいたかのように飛び回っていた。

「戻った!」

「え?」

「世界が戻った」

 マーガレットが困惑ぎみに立ち上がる。

 その手首から小さな蛇が顔をだし、妖精達をつまんでは食べていた。

 そして魔の精が囁いた。


《あの者達を 見つけた》


《あの者って》


《姿を消し 行方を追わせていた 二人》


《どこにだ!》


《あっち》


 魔が指を差したのは、ピクスリアが向かっている方向からずれているのが分かった。

 同じ場所ではない。同じ場所に向かっているわけではない。

 それがネロに更なる不安を募らせる。

「…………、マーガレット、消えた仲間二人が見つかったぞ」

「ほんとですか!」

「しかしピクスリアの向かってる場所とは違うところにいる」

「……」

「どうする? どっちに向かう?」

「ネロさんは?」

「……俺はピクスリアを追う」

「……私は……、私もピクスリアを追います。あの勇者は、いつもと違うから、心配です」

 ネロは一度ゆっくりと屈伸をした。

 目の前を飛び交う妖精たちが煩わしい。視るのをそっこくやめたいが、妖精たちの有無はどうやらピクスリアや仲間たちの変化となにか関わりがありそうだ。


《ネロ様 ここの妖精たちは 話が 通じない》


《どういうことだ》


《リテリアの精霊は 妖精たちに ネロ様に協力するよう言っていた しかし ここの妖精たちは それを 知らない》


《ではこの妖精たちはリテリアの妖精ではないのか? 他から送り込まれた?》


《わからない》


《敵意はあるか?》


《特にない 今は》


 今は。

 羽虫の大群に襲われたら無事では済まない気がした。それこそ大魔法で焼き付くすくらいの事態である。ネロは息をのんだ。今、敵になるかもしれない無数の妖精に取り囲まれている。

「ネロさん、あの、実は言わなくてはいけないことがあって」

 マーガレットが躊躇いながらネロを見上げた。

「どうした?」

「……私、魔法が上手く使えないんです」

「……なんだって?」

 言っている意味がわからない。けれどマーガレットは、ネロの小さな一言に怯えたように体を震わせた。

 どうやら、嘘偽りではない。

「それはいつからだ? なんで言わなかったんだよ。このよく分からない状況の影響か?」

「違うんです、そうじゃないんです! 杖が……、ロッドが壊れてから……、全然。ネロさんから貸してもらった杖でも全然魔法が使えなくて」

「いや、今朝使ってたじゃないか。綺麗な水球を出していただろ」

「あれがやっと出せた魔法なんですよ!」

 マーガレットが叫んだ。

「やっと出せたんです! だから、私は、魔法が……、全然ダメなんですよ……。……足手まといに……なります……」

 そして今にも泣き出しそうに顔を歪めたのだった。

「………………、」

 ネロはどう言葉をかければ良いのか分からなかった。

 脳裏には、本気で使えないな、という酷い考えも浮かんでいた。そして、目の前の少女がとてもかよわい一般人にも見え、早く避難されなければという義務感も芽生えた。

 魔法師団に連絡して、フェリシアあたりに救助にこさせようか。

 けれど、マーガレットは勇者の仲間なのだった。

 勇者の仲間を弱き者として扱うのは、勇者の仲間とは認めないと暗に言っているようなもの。

「………………、本当に使えないのか? そのロッドでもか?」

 壊れたロッドは、精霊がおらずともロッド自体が素晴らしいため、ネロはいつも以上に高度な魔法を使えた。

「わかりません……。自信ないです……」

 試しにやってみろ、と迂闊に言いそうになり、とっさに止めた。これで本当に使えなければ、マーガレットの心は折れる。今の状況でそれは困る。

「よし、よく言ってくれた。……なら、……そうだな、よし」

「……」

「こうしよう。えーと、……マーガレットは剣は使えるか?」

「……いえ」

「だろうな。うん」

 ネロは魔法剣を下ろした。

「第一案だ。この魔法剣を使え。これはロッドがわりにもなる。しかし魔法使いが使用する杖のような性能は期待するな。せいぜい四大元素魔法の簡単なものが簡単に出る程度。代わりに刀身に四大元素の加護をつけられる。魔力を込めて振るえばより効果的だ」

「……でも、」

「でもは今は口にするな。第二案だ。……その壊れたロッドに、……むりやり精霊を封印する」

「……」

「リテリアの精霊を屈服させ、ロッドの芯にする。そうすれば、以前と同じくらいの性能を取り戻せるだろう」

「……それは、……」

「オススメは第二案だ」

 簡易的に、魔の精霊を憑依させることをネロは考えていた。

 壊れているにも関わらずあの素晴らしさである。大精霊が封じられていたときはどれだけの逸品であったのか知りたい。

 それに、魔の精霊が宿っていれば、いざというときはネロが助けに走れるかもしれない。

 しかしマーガレットは第二案を選ばなかった。

「魔法剣にします。そのロッドは……扱える自信がありません。それに……、私には相応しくない……」

「けどこれは姉君からのプレゼントだろ?」

「……本来宿るべき精霊がいるかもしれないのに、他の精霊を封印するのは……嫌です。…………、なにより、……私は、実力が無さすぎるから……」

 今は何を言っても無駄だろう。

 時間もない。

 きっとマーガレットは、杖の補助に慣れすぎていたのだ。補助を無くとも魔法が使えるようになれば、かなり有能な魔法使いになれる素質はある。

 あのサラマンダーの炎を呼び出せるのだから。

「分かった、じゃあこの剣を貸す。試しになにか魔法を使ってみろ。鞘から刀身を抜かなくても良い。鐔の部分がロッドの魔法石みたいなものだと考えろ」

「分かりました」

「使い方をみせる」

 ネロがまず魔法を使って見せた。


《マキュー》


 拳ほどの水の玉が五つ浮かんだ。

 それの玉は瞬時に巨大な針と化し、五つバラバラの軌道を描いて気の隙間を縫い、下方に折れて転がる腐った巨木に突き刺さった。

 五つの水の針は同じ場所に刺さっている。

 そしてパンっ弾けると、腐った樹も砕け散った。

「こんな感じだ。水球から次の動作にうつるまでに少し時間がかかったけど、やりようによってはもっと早くできるはず……! あとは……よくわからん必殺技名を叫びながらぶん回せば、なんかカッコいい技が出てくれる」

 子供の頃に憧れた勇者の伝説の剣ごっこを大人が本気でやるにはぴったりの剣なのである。

 恥ずかしいからやったことはないが。

 マーガレットがやったら、自分もやろう。ひそかにそう心に決めた。

 ネロは両手でマーガレットに魔法剣を渡した。

 持った瞬間、マーガレットはその重さが想像以上だったのか、腕ごと地面に落ちそうになり、

「うわっ!」

 と、叫んでなんとかとどまった。

「お、重い……」

 不安である。

 それでもマーガレットはくじけることなく、鞘の先をざっくりと地面に刺して、魔法剣の柄に手を添える。


《マキュー》


 ゆっくりだが、水が集り、小さな球が出来はじる。やがて、美しい球体が一つ、剣の前に浮かんだ。

「できた……」

「大丈夫そうだな」

 その言葉にマーガレットはほっと息を吐いた。

「他に心配なことないか? 今のうちに言ってくれ。助けられることならどうにかしたい。これでも、補助魔法や結界魔法は得意なんだ。職業柄ね」

「……もう一つ、気がかりなことがあります」

 先ほどとは違い、マーガレットはしっかりした声で言った。

「ピクスリアには聞けなかったんです。……、カルが、どうしていないのかって」

「カル?」

「フルト鹿です。馬車を牽いてくれていた、……フルト鹿のカル。ファールーカやデュジャックと一緒に消えたんでしょうか? でもピクスリアはカルについては何も……」

 そういえば、ゾエの魔法師も勇者一行には火の魔法を使う鹿がいて、一緒に結界を壊して森に侵入したと言っていた。

 夜、外にはフルト鹿がいたのだろうか。

 鹿。

 たかが鹿だが、されど火の魔法を使う巨大な鹿である。

 不安材料が一つ増えた。

「心配だな。……ピクスリアを早く取っ捕まえて聞いてみるか」

「はい」

「ならとっとと追い付くぞ」

「けどどうやって。勇者に追い付けますか……?」

 ピクスリアが消えた森のなかを、マーガレットが見つめた。

「これでも俺は、補助魔法のプロフェッショナルだ。地味な仕事をさせて右に出るものはいない魔法師団の団員だぞ? 任せろ」

 ポンとマーガレットの肩を叩く。

 正直なことを言えば、ピクスリアを取っ捕まえる方法などいくらでもあった。

 無傷でなくて良いなら、ソワゾを捕まえたようにふんだんにある水を使ってしまえば良いし、大地の力を借りて地中に引きずり込めば良い。植物によって絡めとるなり突き刺してしまっても良い。光の結界で閉じ込めても良いだろう。

 しかし今の条件は、勇者は無傷。そして自分達が速やかに追い付く。ワープ魔法は使わない。

 そして、無駄な魔力の消費は避ける。


《ラピリオル》


 ネロは呪文を唱えた。

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