第59話 ネロ 疾るピクスリアと翔るネロ 


 ネロは駆けていた。

 周りの景色の色が溶けて混ざるほどの速さで、森を駆け抜けている。

 少し遅れてマーガレットもついてきていたが、同じく人間離れした駆動で木々を蹴り、飛ぶように駆けている。

 目の前の木々や妖精たちが、円を描くように避けた。

 その中をネロは走り抜けるのだ。

 爽快であり快感でもある。


 ラピリオル。

 かけられた者の俊敏性を上げる魔法だ。

 ネロは正直に言えば、好きではなかった。肉体の反応を上げ、かつ普段は抑制されている筋肉の動きを解放する。上手い術者が使えば、効果が切れた時の肉体への反動は微々たるものだが、下手をうつと酷い筋肉痛に襲われるばかりか、肉体を壊すかもしれない。

 だがそれが、ラピリオルをあまり好きではない理由ではない。

 この魔法は動体視力と反射が上がるわけではないのだ、それが理由である。

 目の前に突然現れる障害物を避けきれない。

 多少は上がることは上がる。反射も動体視力も肉体の一部だからだ。だが筋肉への作用と同等ではない。

 なので、ネロは木々を駆け向けながら風の道を作った。

 小さな風道が小枝を拭き払い、目の前を遮ろうとする虫や小動物を吹き飛ばしてくれる。

 その道を駆け抜ける。

「マーガレット、まだいけるか!」

「はい!」

「重ねがけするぞ!」

「は、はい!」


《ラピリオル》


 体が熱くなり、筋肉に力が巡った。

 蹴る力がぐんと強くなり、次の瞬間には一気に加速していた。

 視界がより狭くなる。


《魔よ!》


《はい》


 伝わってくる、あっち、という位置情報に従って風魔法を飛ばす。木々の間を縫い、やがて崖の上から空に架かる風の道。

 その先には、勇者ピクスリアの気配。

 崖の下の森、禁足地の近く。

 ラピリオル重ねがけで追いつかないどころか、振りきられている。

 一体どれだけの早さで移動しているのだ、ピクスリアは。

「マーガレット飛ぶぞ!」

「は……?」

 狭い視野の先が青に変わる。

 空だ。

 森を突き抜け、空にかかる風の道。

「このまま行く! ピクスリアは崖の下だ!」

 ネロは足首に意識をし、森の最後の木の枝に到達すると思い切って、跳んだ。

 空へむかって。

 広がる青。

 普段は見ることのない、足元の景色。緑の絨毯。その隙間から立ち込める靄のような水煙。

 一瞬、重力が消えた。

 落ちる。

 ネロはラピリオルの素早さで風のチューブを放った。

「マーガレット」

 背後を飛んでいる少女に手を伸ばし、その腕を掴んで引き寄せると、風の筒に飛び込んだ。

「いいか、問題は着地だ! ロッドを掴め!」

 滑空しながらネロは壊れたロッドを前にだし、マーガレットを背後から包むようにしてロッドを横に構えた。

 腕の間でマーガレットもロッドをつかんでいる。

 その間ネロとマーガレットはきりもみするように回転しながら下降していた。

 ネロはマーガレットの手に自分の手を乗せた。

「繰り返せ!」

「は、はい!」


《光の眼よ》

《ひ、光の眼よ》


 ネロの魔力がマーガレットの手に入り込み、マーガレットの魔力を無理やり引っ張ってロッドへ通る。


《風の鎧よ》

《風の鎧よ》


《光の盾よ》

《光の盾よ》


《我が体へ 来い》

《我が体へ 来い》


《我となれ》

《我となれ》


 ネロの体が風の護りに包まれた。頭の後ろに光の魔方陣が現れ、脳を通って眼球へ突き抜けると、左の目の前に時計盤ににた光のモノクルが浮かんだ。

 そしてパッと、体の周りが一瞬白く輝いた。

 それらはマーガレットにも同じく顕れた。

「光と風に守られた。上手く着地しろよ!」

「えっ、は、はい!」

 ネロは前へ一回転してマーガレットからはなれ、壊れたロッドを片手で持つと、風の壁を蹴った。

 きりもみ滑空ではなく、魔の示す方向へ風の道を伸ばしながら、その壁を走り、時には滑りながら、猛スピードで空を翔た。

 マーガレットもネロについてくる。

 光のモノクルは狭まっていた視界を広げ、また世界をより鮮明に取り込む。

 森の木々の種類も、その影にいる動物も、僅かな異変も、そしてピクスリアの銀色も判別できる。

「いたぞ!」

 ピクスリアはラピリオル無しとは考えられないほどの俊敏さで森の中を走っていた。

 向かう先は禁足地だが、なぜその方向なのか。

 禁足地に入るだけならもっと近くから入れるはずだ。

 なぜ入らない。

 ネロは風の道の方向を変えながら、ピクスリアを追いかけていく。それこそ禁足地に入るギリギリのところを飛んだ。

 禁足地は《悠久の壁》がある。

 触れれば魔法の力が消滅する。今の状況で魔法が解けたら、転落死は免れない。

 それにしてもピクスリアが速い。明らかになにかの魔法がかかっている。

 それでネロはやっと分かった。

 禁足地に入れないのは、かけられている魔法が解けるからだ。解けては困るやつがいる。

 ピクスリアが向かっているのは術者の元か、もしくは、禁足地の……

「結界の書き換え……、これが目的か!」

 全てが結び付いた。

 禁足地に穴を開ける。

 《悠久の壁》に穴を開ける。

 原初の魔王、星の魔マナが生まれたこの地の、禁足地に入るため。

「くそっ、全部これのためか!」

 ピクスリアが向かうのは、《悠久の壁》の綻びかもしれない。

 中に入られてはいけはい。

 魔法が使える状態で、《悠久の壁》の中へ入らせてはならない。

「おのれぇえ! 一体どこのどいつだ、こんなことを企んでるやつは!」

 許さない。

 ピクスリアを止める。

 その命を奪ったとしても、止める。


 ネロは更にスピードを上げ、ピクスリアを先んじると、勢いよく着地した。

 大地が揺れて、周りには風の渦が起こった。

 ピクスリアが固まったように足を止めた。

 そのピクスリアに、ロッドの先を向ける。

「止まれ」

「……せん、ぱい……、退いてください……」

「行くな」

「行かなければ……」

「俺が悪かった。行くな。行かなくていい」

「…………せ、……ん、」

「行くな」

「………………」

 ピクスリアの赤い眼が光った。

 誰かの魔力を感じた。

 ピクスリアの側に魔の精が姿を表す。ネロを見つめながら、その腕をピクスリアに絡ませる。頬を撫で、観察し、口づけをした。

 思わずネロは眉を潜めたが、ピクスリアはそれらすべての行為に反応をせず、赤い眼はネロを見据えている。

 精霊を感知しない一般人ならともかく、ピクスリアは魔の精が見えているはずだ。

 動じないのはなぜだ。まるで気づいていないかのようだ。

 ピクスリアから魔の精が口をはなした。

 するとピクスリアはすらりと剣を抜いた。切っ先がネロに向けられる。

 ナンチャーでもなく、盗賊アーチでもなく、その圧は勇者。

 隙のない、実力者。

 ネロは息を飲んだ。

 ピクスリアの側にいる魔が、ピクスリアの肩に手をだらりと乗せて、ネロを見ながらゆっくりと首を傾けた。

 するとネロの背後にいる魔の精が囁いた。


《ネロ様 あの人間 一度 死んでいる》


 その言葉に、ネロの心臓がドキリと高鳴った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る