第57話 ネロ マントの影の一閃



 ネロは直ぐに近くの川へ降りた。生きた水辺にはかならず水の精がいる。公園の噴水にすらいるし、井戸にもいる。リテリアのような場所ならば、水辺でなくとも水の精が飛び交っているのだが、川の側にも水の精の姿は一つもなかった。

「まさか、そんなことあり得ない」

 自分が精霊憑きではなくなったのかもしれない。

 ネロはそう、祈りにも似た可能性を考えた。

 しかしそれは違うのだ。第一、ピクスリアが妖精がいないと言っていた。魔の精が詳細に見えているピクスリアの能力は、疑う余地がない。

 このまま水門付近をくまなく調べたかったが、ネロは水門小屋に戻った。

 そしてすぐに魔法師団へ必要最低限の報告を急ぎ作成して送った。

 精査できていない状態での報告は、混乱を招くだけのようにも思えたが、異常な胸騒ぎがする。誰かこの連絡を受け取ってくれ。

 幸いにも直ぐに受信と既読の印が出た。

 同時に電話の受話器を上げて緊急連絡番号を押す。

『こちら魔法師団コーカル支部 お名前を』

『ネロ・リンミー、結界課所属、リテリアにて結界修復中に異常を検知、報告文書を送りましたが詳細を伝えたく、所長に繋いでいただきたい』

『まず所属長へお繋ぎいたします』

 言われると思った。

 真っ先にサヴァランに伝えたかったのだが、最高責任幹部と一般平団員では直接報告は難しい。

 電話は結界課に回され、やや疲労困憊ぎみの課長が出た。

『やあネロ……。旅は順調かね』

『順調に異変を関知しましたよ。簡単に文書で送りました』

『さっきみたよ。精霊課の課長も読んだみたいだ。たしかにおかしいね。自然な状態じゃない。けど、周りに異変はないんだろう?』

『ええ、全く。川魚も食べました』

『食べちゃったかー。目に見えない異常があったら、なにか影響が出るかもね。あと、この、勇者ピクスリア一行にかけられた正体不明の魔法と、二名の消息が不明っていうのは?』

『勇者ピクスリアのパーティーと合流しましたが、どうやらなんらかの魔法をかけられている模様。勇者本人の魔法は一時的に解除しましたが、他二名は解除前に姿を消しました。その言葉通り、消えたんです。使役の精霊を放ち、行方を探しておりますがまだ発見にいたっておりません。現在は勇者ピクスリアとその仲間の魔法使いマーガレットと行動を共にしております。私が精霊を視ないようにしていたために、今回の状況を直ぐに把握できませんでした。勇者ピクスリアが気付き、私に訊ね、周辺を調べたところ妖精や精霊の気配を一切感じられず、急ぎご報告いたしました』

 ネロは早口で、しかしはっきりとした発音で伝えた。これからの行動の指示を仰ぐものではなかった。

『こちらとしては至急戻り、勇者もふくめて精密検査を受けて欲しいところではあるんだが、……君は所長命令で動いているからなあ』

『私の報告がお役に立てれば幸いです。ところで、私の報告は、どのようにお役に立ちましたかね』

『さあて。こればかりは判らんなあ。こっちは上の動きとは真逆に動いている、としか言えん。市民たちからの相談を受けて解決する仕事に忙殺されているよ。……いわば君と同じだ、これも情報収集だよ』

『コーカル市ではどのような異変が?』

『結界が書き換えられた、もしくは壊れたことによる様々な支障ってところかな。あとは動物たちの混乱』

 出張に出る前と変わってていないようだった。

 ネロも、市内及び郊外でどのような異変があるか知りたいところではある。共通点が分ければ、対処の方法や原因が絞れそうだ。

 しかし、訊ねても課長は答えないだろう。

『……リテリアでは動物はあまり見ません。鳥はいるようですし、魚もいます、……が。どうも静かだ。……魔獣も神獣も、まだ出会っていませんね』

『そうか、……そのあたりのことを専門家に調べさせたいとこなんだが、まだ立ち入り許可が下りないようなんだ』

『前の報告の際に、こちらからも嘆願したのですが』

『上がどうもねえ』

『所長ですか』

『いや』

『市長?』

『いや』

『……国』

『ともかく、気をつけて調査を進めてくれ』

『はい。ありがとうございます。それと、ピクスリアの聴取から分かったのですが、……ハルリアは望みありません』

『……聞かなかったことにしようかな』

『この目で確認して来ますよ。それと、ワープ魔法は使わない方が身のためのようですよ。……業火であったそうなので』

『分かったよ。血迷ったロゼあたりが、君に助けを求めてワープしないように言い含めておこう』

『はは。よろしくお願いいたします』

 受話器を置き、フーッと息を吐き出した。

「……」

 なにやら雲行きが怪しい。増援などは見込めなさそうだ。

 軍も動かず、魔法師団も来ない。辛うじて、森の自治権を少しだけ持っている森林警備員などが動けているだけだ。

 どうやら、サヴァランはギリギリの所で、なんとか矢を放ったらしい。

 ネロは奥歯を噛み締め、ニヤッと口を歪めた。

 そしてロキも、ギリギリのタイミングで、矢を放った。

「これだから上のやつらは」

 擦れあう二つのペンダントを、服の上から握りしめた。

 あの二人は原因が分かっていて、自分を差し向けたのか。そう考えたが、違う気がした。

 具体的にはなにも見えていないのだ。見たいし知りたいし動きたい。

 しかしそれができない。

 上のやつらは、やつらで見なければならない相手がいる。

 国だ。

 カンバリア共和国、その中心。

 あの二人は今、国に顔を向けている。外に背を向けて。

 そしてその背にたなびくマントの影で、ネロは動いているのだ。

 国が異変を関知し、それゆえに動かないと決めた、その前にあった依頼。

 そして市長の家族という私的な繋がり。わずかな隙間を縫って放たれたのは自分。カンバリア共和国の全魔法師と全軍隊の代わりとして、たった一人で放たれた。

「はは。無茶苦茶だ」

 猶予は、彼らが隠す背の向こうに、国が興味を示すまで。

 いいね。

 面白い。

 上に立つより、やはりずっと面白い。

 『弟』を勝ち取って、本当に良かった。

 




 通信を切るとネロは外へ出た。

 マーガレットとピクスリアが玄関脇で待っていて、ネロを振り向いてそれぞれ声をかけてくる。

「ネロさん、お仕事無事済みました? もう出発できそうですか?」

「先輩。これからどうしますか?」

 返事をしようとして、ネロは一瞬言葉が出てこなかった。

「どう……、というと?」

「どうというと、というと?」

 ピクスリアが困惑気味に聞き返してくる。

 そして

「もしかして、まさか、先輩……また俺を捨てて行くつもりですか!」

 と凄い勢いですがり付いてきた。ひいっと小さく悲鳴を上げてしまったが、許されるはずである。

「俺強くなりましたよ、お役に立てますよ!」

「う、分かった、分かったから!」

 マーガレットは数歩離れて傍観している。助けてほしくて見たのに視線を顔ごと反らされてしまった。

「付いて行っていいんですね? いいんですよね?」

「分かったよ、いいよ付いてきても、だから離れろ!」

「ありがとうございます! 念願叶いました!」

 やっとピクスリアが離れてくれた。その時はすでに好青年然としていたので、ネロは目を疑わずにはいられなかった。

 こいつなんなんだ。

 なんでこんな変なやつに勇者の称号が与えられたのだ。

 不思議でならない。

「マーガレットはいいのか?」

「はい。消えた二人も、私だけでは探せそうもないですし。ネロさんが良ければ」

「……。俺はお前たちの仲間を探すことを優先しないぞ?」

 それについてはピクスリアがすぐに答えた。

「そこは大丈夫ですよ。……あの二人は、……大丈夫です……」

「では探しに出してる精霊を戻しても構わないか?」

「……それは……、どうでしょう……」

 ピクスリアは声を落とし、マーガレットは弾かれたように顔を上げた。

「安心しろ、呼び戻したりはしないさ。見捨てるつもりはない」

「いえ、そうではなく」

「ん?」

「……探し出せるなら、早めに探し出したほうがいいんですが、探しだす前に『出現』したときのために、……探させておいたほうが……いい、気がする……んすよ、ね……」

 ピクスリアは苦しそうに唇を噛んでいた。

「……分かった。先を急ごう」

 正確にはネロには分からないのだが、同じ魔法にかかっていたピクスリアには、なにやら感じるものがあるらしい。それを疑ってかかるいわれはない。

 なにより仲間を心配するのは当然のことだ。

 ネロでさえ、見捨てるのは正直良心がいたむ。




「まず第一目的はハルリアだ。ハルリア村へ行く」

「あそこは焼け落ちてますよ。まだ火が衰えていないかもしれません」

「だとしたら、それを確かめに行く。それが任務なんだ」

 ネロは地図を開いた。

 そこにはたくさんのバツ印が書いてある。

「この印の部分は壊れた結界や、火災などの災害現場だ。ここも見て回る」

「かなり遠回りになりますよ」

「結界修復の大部分は済んでいるが、物理的な破壊は遠隔操作ではどうにもならなかったんだ」

 というのは実は建前だった。

 ネロが気になるのは、コルセッカの配下である敵。

 ネロがリテリアの森の正門で、結界を張りなおしたときに邪魔をしてきた魔導士がどこかにいるはずなのだ。

 おそらく、結界の近くに。

 リヒャルをソワゾが操っていたとしたら、ヒューイやアンルー熊をおかしくした魔力右を作り出したのは、その魔導士の可能性もある。

「……」

 ピクスリアは地図を見つめながら考え込み始めた。

 真面目な顔をすると、頼りになる勇者に見えなくもない。マーガレットは地図を覗きこみながら、少し不安そうにしていた。

「マーガレット、なにかあるのか?」

 ネロが訊ねると、マーガレットは「いえ」と小さく首を振った。

「不安なのか?」

「……その、実は……」

 なにかを言いかけたとき、ピクスリアがそれを遮った。

「まだ早い、マーガレット」

「でも、」

「大丈夫さ」

 ピクスリアがマーガレットの肩をポンポンと叩くと、やっと笑顔になった。やはり仲間の絆というものは強いのだと、ネロは肌で感じた。

 自分には持ち得ないものだ。

 羨ましいが、少しだけ煩わしくもある。

「先輩。一ついいですか」

「なんだ」

「このバッテンの場所は、後回しにしましょう」

「どうしてだ」

「先輩がまた天才的に直しちゃってるんでしょ? なら大丈夫っすよ。それよりも、俺がオススメするのは、ここです」

 ピクスリアが指で突いて示したのは、リテリアの森の中央に位置する、特になにもない場所だ。

 つまり原生林。

 太古の姿を保たせるために禁足地とされている一帯である。

「ここです。ここ」

 ピクスリアの赤い目が、指で突いている一点を凝視している。

「ここに、いかなければならない。ここに。ここを、………………」

 様子が、おかしい。

「ゆ、勇者?」

「ピクスリア」

 マーガレットとネロの声が被った。するとハッとしたようにピクスリアは瞬きをした。

「あ、すいません……。なんか、……」

「お前……」

「大丈夫ですって! それより、ここ! 俺の勘を信じてください!」

 勘。

 違う。ネロは直感した。

 勘ではなく、これは魔法の影響だ。あの不可解なあの魔法の。

 経験則からそんな答えが導き出された。

「信じるさ。けど、それは勘ってやつじゃない」

「……っ」

「ここは、強制的にでもお前を魔法師団の治療院送りにするのが正しいことなんだろう」

 ネロは人差し指をピクスリアの額にゆっくりとあてた。

「だが、……。いいだろう。連れていけ」

「先輩……」

「そこへ導け」

「……」

「敵を、まんまと、招き入れさせろ」

 ピクスリアがニヤッと笑う。

「はい。喜んで」




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