第56話 ネロ それは余計なお話しだ


 明くる朝、ネロは仮眠室のベッドで目を覚ました。

 するするしたのもが胸辺りの肌を撫でている。

「……」

 服の下をまさぐり、小さな黒い蛇を引っ張り出した。

「くすぐったいだろ……」

 安眠妨害である。もう一眠りしたい疲れがあるが、蛇をぽいっと枕元に投げつつ、体を起こした。チャリっと胸元で音がした。魔公サヴァランのタリスマンと魔法師団のペンダントが擦れていたのだ。

 まるで音を聞き付けたように、蛇がするすると腕を登り、服の上で揺れるタリスマンにコツンと顔をぶつけた。

「……。お前もしかして、魔王マナの魔力を食べてたりしたり?」

 嫌な予感に慌てて蛇を腕から剥ぐと、シャーと威嚇をされた。

「いやいやいや、食べたら色々とまずい気がするんだよ。大丈夫? お前突然変異しない?」

 小さな蛇はシャーシャーと威嚇を続けるばかりだ。

「こんなん食べずに、大人しく妖精でも捕まえたほうがいいぞ。ほら」

 窓を開けて、棧に蛇をはなした。

 外は激しく流れる水の音とともに、むせかえるほどの水気に溢れ、見なくとも水の精が大量発生しているのが明らかだ。

 しかし蛇は妖精をついばむ仕草をみせず、再びネロの腕に巻きついてしまった。

「食べたくないのか? けどマナの魔力は食べちゃダメだぞ? お腹こわすといけないからな」

 言い含めると理解したのか、蛇はネロの手の甲や指をつつきだした。

「そうそう。妖精を食べましょう。お前はこの森で生きてくんだからな? 森で食べられないものを好物にしたら……大変だ」

 星の魔マナの魔力などを主食にしてしまったら、どんな事態になってしまうだろうか。

「飢えて死んじゃうかもしれないぞ。……もしくは、……無いものを探して街を襲ったり……。そんなことになったら、……俺が退治しなくちゃいけなくなるからな?」

 蛇の小さな頭を指先で撫でながら言い含めてみたが伝わったかは分からない。ネロは一般人程度には動物好きである。

 愛着のわいた動物の頭を潰したくはない。

 蛇の食事の合間、しばらくネロはぼんやりしながら景色を眺めた。

 蛇と言えば、異空間に閉じ込めている魔人、いや魔族のソワゾはどうしているだろうか。


《魔よ》


《ここに》


 呼応して一体の魔が姿を現した。可愛らしい大きさではなく、人と同じ姿だった。

 男か女かもわからないが、美しく妖艶な魔は

「朝に見ると胸焼けするな」

 というのが率直な感想だ。ネロの呟きに魔は無反応だった。


《捕らえている魔族はどうしてる?》


《どうも ただそこに》


《動きはないか》


《おそらく 命令を待っている マイマスター あなたからの》


《俺の?》


《はい》


《はは。命令を? なんだそれ》


 命令を待つなど奇妙である。


 ……タリスマン。


 ハッとして、ネロは胸元にある魔公サヴァランのタリスマンを思わず掴んでいた。

 これを所持しているせいか。

 耳の奥にノイズが生まれた。喉の奥には空気の塊が詰まったような苦しさだ。

 頭のなかに浮かんだのは、カンバリア種族平等法、その違反。そして、魔族を率いる者の、総称。立場。

 人間の敵。魔族に堕ちた者。

 貴族としてならそれは王家への謀反。

 魔法師としては、魔に魅いられた狂人。

「ロキのやつ。なんて厄介なものを……」

 帰ったら即刻押し付けてやる。

 ネロはふつふつと沸き上がる苛立ちを飲み込んで部屋を出た。



「あ、ネロさん。おはようございます」

 階段を降りるとすぐにマーガレットと鉢合わせた。すでに身支度は整え終えており、今すぐにでも出発できそうである。

「……おはよう……」

 冒険者は朝が早いのだった。マーガレットは少し呆れたように笑っている。

「やっぱり」

 なにがやっぱりなのかは分からないが、若干の劣等感が生まれた。

「……シャワーを浴びたら直ぐに支度するよ」

「慌てなくても大丈夫ですよ。ピクスリアもネロさんは朝はゆっくりするだろうって言ってましたし」

「……」

 ネロは頭をかいた。

 その腕を蛇がするする動いている。

「……じゃあ、後程……」

「はーい。シャワーでしっかり目を覚ましてきてくださいね」

 そんなに寝ぼけた顔をしているのだろうか。

 ネロは洗面台の鏡を覗き込んだが、いつもと変わらぬ自分の顔だった。

 豊富な水のためシャワーもずいぶん勢いが良い。


《魔よ。……あー……、昨日消えた二人の行方は分かったか?》


 頭から温めのお湯をかぶりながら訊ねた。シャワーの音が揺れる。背後に魔が現れたようだ。ネロは振り返らなかった。


《まだ戻ってきません》


《そうか》


 ネロの体に腕を巻き付かせて魔がささやいた。けれども直ぐに離れた。

 首筋に巻き付いている蛇が、威嚇している。

「お前、シャワーに流されちゃうんじゃないのか?」

 小さな体は水流に飲まれそうな頼りなさだ。威嚇も迫力に欠け、むしろ可愛らしい。


《いっそ流れてしまえばよいものを》


 魔が口惜しそうに言っている。


《お前も、これくらい小さくなれば肩にとまってもいいんだぞ?》


《……ソレがいる限り 難しい》


 ああ、ネロは思い当たった。この蛇は小さな妖精を食べる。下手をしたら精霊あたりもムシャムシャ食べる。

 魔がネロの命令を聞かずに妖艶な姿を見せるのは、この蛇のせいだったわけだ。

 可笑しくて笑ってしまった。


《翅の一枚くらい食べさせてもお前たちなら痛くも痒くもないだろう?》


《ネロ様は ソレばかり贔屓する》


 魔がふてくされたように呟いて消えた。


《え? おーい、ごめんって、おーい》


 まずい、機嫌を損ねてしまった。精霊の類いは機嫌を損ねるとなにをしでかすか分からない。

 主を見限り、その魂を喰らうべく襲いかかる時もある。

「やばい、これはやばいかもしれない」

 お陰で目が覚めた。急いで着替え、荷物を担いで外に出る。

 玄関の前の少し開けた庭ではマーガレットが呪文の練習をしていて、ネロを振り向くと満面の笑みを浮かべた。

「ネロさん、見てください!」

「マーガレット、こいつを頼む!」

 ネロとマーガレットの声がかぶった。

「え?」

「ん?」

 マーガレットはネロが貸していた杖を手にし、ネロは蛇を掴んでマーガレットに差し出していた。 

「蛇ちゃんがどうかしたんですか」

「ちょっとな。こいつを預かっててほしいんだ」

「いいですけど、……私になつくかなあ」

 ネロの手首に巻き付いて離れないが、それを無理やり剥がしてマーガレットの手の上に押しつた。

「マーガレット、掴め、早く!」

 蛇はどうにかしてネロから離れまいと細い体をじったんばったんさせていて、マーガレットは

「ああああ! 暴れないでー!」

 と叫びながらなんとか蛇の頭の下を掴むことに成功した。

 捕まった蛇は悲しげにぷらーんとしている。

「どうしちゃったんですか、ネロさん。蛇ちゃんがあからさまに意気消沈ですよ。ちょっと私も悲しいんですけど……ここまでがっかりされると」

「いや、こいつ、妖精を餌にするだろ。それで俺が使役してる精霊が寄り付かなくなったからちょっと……」

「……ペットの躾はちゃんとしないと……」

「まあいいや。それで、マーガレットはどうしたんだ?」

「そうそう! ネロさん見てください!」

 マーガレットはさっと杖をかざした。

 そして


《マキュー》


 杖の前に真珠の粒ほどの綺麗な水の玉が生まれた。

「おお!」

「ついにやれましたよ!」

「綺麗な球体じゃないか! 凄いな!」

「………………、え、あ……はい!」

 歪みの無い球体を作り出すのは、それだけ無駄の無い魔力の使い方ができているということだ。おおざっぱであろうマーガレットにとってはかなり苦労したに違いない。

 ネロはマーガレットの頭をたっぷり撫でてやった。

「頑張ったな!」

「…………はい」

 そして気がついた。

 もしかしてこれは、セクハラだろうか。

 ネロはゆっくりと頭から手を離し、そっと一歩離れた。

「今のはセクハラになるかな?」

「……ギリギリセーフ……です」

「そうか、すまん」

「………………なにしてるんすか」

 木陰からピクスリアが顔を半分だけだしてこちらを見ていた。

 ネロもマーガレットもビクッと肩を揺らしたが、木陰から出てきたピクスリアはその手に三尾の川魚を下げていて、

「なんとか釣れたんで、これで飯食ってから出発しましょー?」

 と、あたかも好青年のような笑顔を見せたのだった。



 ピクスリアは簡単に野営食の準備をしていた。

 施設内の調理場でごしらえを済ませていた食材と釣ってきた川魚を、野外の火起こし場で手際よく調理した。

 以前マーガレットが言っていたようにピクスリアの料理は旨かった。ネロの記憶に微かに残るナンチャーは、料理と呼べもしない毒物を生成していた。

 本当に同一人物なのだろうか。

 髪と目の色が同じだけの別人説を強く推したい。

「しかし……さすが先輩は違いますね」

「はあ? なんだてめえ」

「あの、なんで俺にだけそんなチンピラみたいな返しするんすか。悲しくなります」

「お前にチンピラとか言われたくないね」

「マーガレットと俺の差が酷すぎません? さっきはめっちゃ笑顔で良い子良い子してたじゃないすか! なんで!」

「なんでお前に笑顔で良い子良い子しなくちゃなんないんだよ。拷問かよ。どんな罪を犯したんだよ、俺は」

「塩対応にも程がある!」

 ネロの方にヒラリと魔が舞い降りた。

 小さな姿をしているが、ネロが期待したほどの可愛らしいものではなく、やけに色気がある。

 ヒラリヒラリと次々に魔が集まってきて、重さは感じないため邪魔ではないが、視覚的にうっとおしい。

 蛇がマーガレットの元にいったお陰だろうか。

 マーガレットを見れば、蛇はその手首に巻き付きながらも、じっとネロの方を凝視していた。

「つーか、先輩……ほんと流石っすね」

「だからなんなんだてめえ」

「……。いや、とんでもない精霊を侍らせてるなあ……と。はい」

 見えるのか。

「え、勇者は妖精を感知できるんですか」

 マーガレットも驚きの声を上げている。

「大群だったり力の強いやつだったら、こう、チラチラと……、光が反射するみたいなのが見えるときがある」

「知らなかった。そんな能力まで持ってたなんて。流石、本物の勇者!」

 マーガレットがべた褒めをしたので、ピクスリアはまんざらでもなさそうにニヤニヤしはじめた。

 しかしながらネロも感心をした。精霊憑きや精霊使いまではいかずとも、訓練をすれば精霊魔法を習得できる資質があるだろう。勇者になるには様々な資質が平均的に高いことが条件だ。

 盗賊崩れのなんちゃって勇者が、ほんとに勇者の資質持ちだったとは。

「先輩の側にはいつも沢山の精霊がいましたよね、……今思うと……」

 ピクスリアの言葉に魔の精が興味を示したようだ。

 皆ピクスリアに顔を向けている。

「今思うとってことは、ネロさんに昔会ったときはそうは思わなかったってことですか?」

 マーガレットが訊ね、魔の精たちがグッと前のめりになる。

「今の先輩の側にはいるのが、……凄いのが分かる。それだけ俺もあの時から成長したってことさ。……それで、思い返したら、あの時先輩の側にはいた精霊……? みたいなものも、今先輩にまとわりついてる黒い精霊たちくらい、はっきり見えていたから……」

「待て、お前はこいつらの色まではっきり見えるのか?」

「え、はい。そりゃあばっちり見えますよ。だから凄いなーって思ったんすよ。この辺りで見えるのは、水面の光の反射がどうか微妙な見えかたのだけだったんで、こんなにばっちり見えるなんて、自ら姿を現した大精霊と他国の精霊使いの使役くらいですしね」

「あ! 自ら姿を現した大精霊って、私が初めて一緒に参加した依頼のときのですか?」

「そうそう。あの鍾乳洞にいた水晶の精霊」

「綺麗でしたよね!」

「マーガレットがいたから姿を現したみたいだったぞ。だからてっきり精霊使いの素質があるのかと思ってたのに、まさか精霊魔法が使えないとか」

「もー、すみませんでしたー、その件につきましては! それで、ということは、ネロさんもまわりには今、黒い絶世の美女がいるんですね?」

 マーガレットが妙ににやついていた。

「いや……美女……か? どうだろ?」

 ピクスリアが目を細め、ネロの周りをじっと見つめた。色はみえてもその細部までは見えてないのだろう。

「よく分かんない。男かな?」

 撤回である。かなり詳細に見えているようだ。

「……男の精霊がべったりついてるんですか……」

「絶世の……美しさだけど、妖艶な……男……の、精霊が……九体」

「……九も」

「いやまて、女かな。女かも。ん? んー? ダメだ、じっくり見たら新しい世界の扉が開きそう」

 ピクスリアはパッと視線を外した。

「……お前、良く見えてるんだな」

「ということは、ピクスリアの言ってることは本当なんですね、ネロさん!」

「おい、マーガレット! 俺のことを疑ってたのかよ!」

「いやー、だってネロさんがオカマの精霊にまとわりつかれてるとか、あんまり想像したくないじゃないですか」

 オカマ。

 ピシリと空気が固まった。

 ネロはゴホンと咳払いを一つして、金縛りを解くと

「オカマと言うと語弊があるぞ。古い精霊には性別の無いものが多い。また両性を持つものもいる。古くからの魔導師の家系では、精霊と交わることを良しとしているところもある。そのような一族には両性具有の者がたまに生まれるんだ」

 そう冷静に伝えた。

「では先輩は、その周りの精霊と交わって、自分の子孫を残すつもりですか」

「俺は一貴族だ。魔導師の家系でもないし、結婚するならば政略結婚。魔導師の能力なんて意味がない。意味があるのは家柄と権力」

「あれ? でも先輩って、たしか最初の彼女が黒髪美女の魔女じゃなかったでしたっけ?」

 再び空気が硬直した。いや、硬直などという生易しいものではなかった。少なくとも、ネロの時計は見事に狂った。

「……なんでお前がそんなこと知ってるんだよ」

 必死に冷静を装うが、内心は目の前の男を滅したかった。

「あれ? なんか聞いた記憶があるんすよね。たしか、……助けてもらったあとに、お礼におねーちゃんのいる店奢りますよって言ったら、……そんな話しの流れになったような。黒髪のスラッとした女がいるなら行ってもいい、けどそのタイプは一番美しい女性を知ってるから、それ以下なら興味がない。ちなみにその美女は初恋で、しかも空間の魔女だぞ。……みたいなこと言われて、むちゃくちゃ煽った断り方された……ような」

「ネロさん性格悪いですねー。で、その情報だと、初恋相手ではありそうですが彼女とは断定できませんが、どうなんですか? 彼女なんですか? なんで別れちゃったんですか?」

 女子が嬉々として食いついてきた。

 しかもピクスリアも目を輝かせている。

「どーなんすか? どーなんすか!」

 いや、うるせえよ。

 そう言い放ちたかったが、誰が聞いているか分からないのだ。

 そう、誰が耳の後ろで盗み聞きしているか知れない。

 ネロは有らん限りの力でピクスリアを睨み付けた。これ以上無駄口を叩くな、と。それが通じたのか、ピクスリアとマーガレットはあからさまに視線を泳がせた。

「えーと、あー、にしても…………。あ、そうだ、なんで先輩の精霊はいるんですか?」

 ピクスリアは妙な話しの反らし方をした。

「……契約したからだが?」

「いや、今、妖精も精霊も消えてるじゃないですか。なんで先輩のは消えないのかなーと……」

「消えて………………、」

 妖精も精霊も消えている。

 その意味を理解したネロは急いで周囲を『視た』。

 どこにも妖精がいない。

 いつも蜜を吸うように周りをはためいている妖精も、これだけの水気溢れるなかで飛び交う水の精も、風も光も土も、いないのだった。

「そんな、どういうことだ?」

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