第55話 ネロ だから殴った。

 ドス!

 だから殴った。

 腹に一発重い拳が入った。確かな手ごたえがあった。

「ぐっ」

 ピクスリアが膝から沈む。

「……気軽に肩を抱いて、申しわけ、ございませんでした……」

 腹を抑えながら、銀髪赤眼の勇者は許しを乞うた。

「さっきから気色悪い言い方すんな」

「すみません……」

 マーガレットが、笑い顔のような驚き顔のような、奇妙な表情で固まっていた。

「……あの、ネロさん……、勇者とお知り合いだったんですか……?」

「偶然だ。俺が会ったとき、こいつはまだ薄汚いチンピラだったから。名前も知らなかったし」

「……あの、……ネロさん……、さっきピクスリアが……国家魔法師って……言ってましたけど」

「……」

「……」

「……」

 気まずい。

 いや、知られたからって実害があるわけではない。とうに極秘任務で来ていると告げているのだから。

 それでも知られたくないのは、マーガレットには嫌われたくないという意識ゆえだ。

 考えてみれば、魔法師という肩書きを抜きにしてかかわりを持った魔法使いはマーガレットが初めてかもしれない。

 ネロは気取り直した。いや、やけっぱちだった。

「ああ、そうだ。国家魔法師をしてるんだよ、本当は。魔法師のネロ・リンミーだ」

「……」

「黙ってて悪かった。騙そうと思ってたわけじゃない。……けど、ギルドの冒険者と魔法師は犬猿の仲だろ? ……お前に嫌われたくなかったんだよ」

「……、……、……、ええと、……そうだったんですね。なんか、びっくりというか、納得というか……、あれ? じゃあ、私、……魔法師相手に勇者見習いとか言っちゃってたんですか! しかも、魔法師ムカつくとか、ムカつくとか、ムカつくとか言いまくってました! あわわわわ、すみません、すみません! 本当にすみませんでした! ごめんなさい!」

 マーガレットが悲鳴のような声を上げたので、ネロの胸がズキズキ痛み始めた。

 こんなに魔法師であると名乗るのが嫌だったことはない。

 なんで胸が痛いのかも謎だ。

「マーガレット、お前ネロ先輩を勇者だと見間違えたのか。見る目あるじゃないか」

 正確には勇者見習いである。

 ピクスリアが踞りながら親指を立て、パチリと片目を瞑った。

 永久に両目を瞑ったままにさせてやろうか。

「ネロ先輩は勇者よりも強いからそう思ってしまうかもしれないけれど、どっちかっていうと大賢者とかそっちだ。でも勇者になるんだったら、俺は補欠勇者ってことでネロ先輩傘下になっても構わないと思っている、いや、なりたい。仲間になりたい」

「ピクスリア……、もしかしてさんざん話してくれた鬼の先輩って、ネロさんのことですか」

「そうだとも!」

 その時のマーガレットの目つきは「お前か」という言葉を含んでいたように見えた。気のせいだと思いたい。

「いや、反論させてくれ。マーガレットの仲間である爆炎の勇者とはどんな人物なのかは知らないが、俺の知っている盗賊アーチは」

「ナンチャーって呼んでください、先輩ってば! もー」

「こんなやつだ」

 ネロはまだ膝をついたままのピクスリアを蹴り飛ばした。

「あう! 痛い! 痛いっす!」

「お前はさっさとナンチャーから勇者に戻れ。そして異常事態に気付け」

「は、はい。ありがとう……ございます」

 復活したピクスリアに、ネロはデュジャックとファールーカが消えたことを伝えた。

 思いの外ピクスリアは冷静にそれを受け止めた。

「あの二人が。しかし先輩、俺はここにいますよ? いつもは三人同時に時間に飲み込まれていました」

 どうやらピクスリアの感覚では、時間に飲み込まれる魔法のようだ。

「お前がファールーカに眠らされた後、」

「ファールーカが俺を? なぜ」

「変な魔法がかかっていると聞いたんで、僭越ながらお前たちを調べさせてもらった。詳細までは分からなかったが、一つの荒治療を試みた。お前の体内にある魔力や法力を俺の魔法力を一気に注ぎ込んで外に出し、そのあとに魔力回復効果のある薬を飲ませて、自分の魔力や法力で体を満たしなおす、っていうな」

「え、じゃ、じゃあ、俺の中にはネロ先輩の魔力が入ってるんですか! 俺の中に!」

「え、でもネロさん、それって勇者やファールーカならともかく、一般人の魔力とたいして変わらないデュジャックには危険すぎるんじゃ」

 マーガレットもピクスリアの奇怪な発言を無視し始めた。

「だからこいつで試してみたんだ。こいつは腐っても勇者だ。勇者になれる人物は肉体的にも精神的にも、そして魔力的にも頑丈であることが多いからな。それに初対面の二人に、こんな……なんというか、気が引けるだろ」

「なんとなく言わんとしていることは分かります……。ということはつまり、勇者はネロさんの荒治療が聞いたために消えずに済んだってことですか?」

「はっきりとはわからないが、可能性は高いな。奇妙な魔力の痕跡が残っていなければ成功だと思う。が、どんな魔法かわかりきっていないから、断言はできない。経過観察をして、早急に魔法治療院で検査をしたほうがいい」

「いえ、ネロ先輩。俺はあの二人を探しに行きます」

 そう言うと思っていた。

 組織ではない、仲間。その強みであり、両刃の剣でもある。

「私ももちろん探します、勇者」

「マーガレット、ありがとう」

「だって仲間ですから。みなさん、私を探してくれましたし! とっても嬉しかったんです」

「俺だって、お前が俺たちと合流しようと戻ってきてくれたと聞いて、嬉しくてたまらなかった。一緒に探そう」

「はい!」

 爆炎の勇者のパーティーは強い絆で結ばれている。

 勇者の紋章を介して会話ができるだけはあった。

「そうだ。マーガレットとお前は通信魔法で会話ができただろ。その勇者の紋章で。同じようにあの二人とも通信できないか?」

「そうですね、ネロさん、頭いい!」

「さすが先輩です! では、お願いします!」

「……は?」

「俺、そんな繊細な魔法は使えないんで」

「……」

 結局ネロがやることになった。


 一度外に出た。マーガレットとピクスリアの紋章を手に取り、魔法をかける。

 通信魔法は二筋の光となって夜空にまっすぐに飛んで行った。

「はー、綺麗ですねえ。私もいつかは使えるようになろう……」

 マーガレットは魔法が消えた先の夜空を見つめている。

「魔法自体は成功だが、向こうにちゃんと届いたかどうか……」

 ネロは空を見上げながら言った。月明かりがまぶしい。

「そこなんですよ、先輩。……あの奇妙な時間魔法に飲み込まれている間、自分たちがどこにいるのかわからないんです。そして次にどこに現れるのか……。今の通信魔法は、どれくらいの持続時間なんでしょうか。すぐに受信できなかった場合、どれくらいで消えてしまいますか」

「持続時間ははかったことがないな。一晩くらいは持つんではないかな」

「一晩。……すると、マーガレットと会話ができたのは運が良かった。あの時、……一日以上、どこかに行っていたんですよ」

「……そうだったのか」

「先輩、ちょっといいですか」

 ピクスリアに呼ばれ、マーガレットから離れた場所に移動した。

「どうしたんだ」

「先輩は、もしかしてハルリアに向かっていますか?」

「そうだ。……最終到着地点はおそらくハルリア村になる」

「先輩って、瞬間移動できましたよね?」

「瞬間……それに近いことはできるが」

「その魔法を使わなくて正解でしたよ。きっと、ハルリアにそれで行っていたら、大変なことになっていた」

「……ハルリアで何があったんだ」

 世闇の中でも、ピクスリアの銀髪は月明かりによって輝いて見えた。

 その髪を所在なさげにかいた。

「勇者の称号を得ながら、詳しいことは分からないんですよ。本当にふがいない。けれど、一言言えるのは、……ハルリアは焼け野原です。黒い炎がやってきたんです」

「前触れはなかったのか?」

「そこなんですよ。何もなかったんです。音や、魔法の気配、もしくは熱風なんかが普通ありますよね。それが、無かったんです。あれは普通の炎ではない。光ったと思ったら、目の前に火が。……そのあとに、爆音がしたました。すごい音で、耳がおかしくなるくらいの、……そして体の芯を揺さぶるような衝撃派」

「似たようなことをマーガレットも言っていた」

「……マーガレットはどうやって生き延びたんですか」

「本人に聞けばいいじゃないか」

「先輩」

「……マーガレットの持っていた杖、あるよな。あれが守ったんだ。あの中にはとても力をもった古い精霊が入っていた。その力によって、精霊の生まれ故郷でもあるホリエナに飛んだらしい」

「……そうか、じゃあ……大丈夫、かな」

 ピクスリアはなにかを隠している。

「……なにが大丈夫なんだ?」

「……あの炎を浴びていない、と思って。……あの火、あの黒い火……、俺はあれを浴びたんです。でもこうやって生きている。……時間に飲まれる魔法はあの炎の影響なんですよ、きっと。……だから、……マーガレットは免れた……」

 ピクスリアは少し追い詰められた顔つきで自分の両手を見ていた。

「時間に飲み込まれる以外は、大丈夫なのか?」

「今のところは」

「怪我もないか? 火傷とかさ」

「ご心配なく! ピンピンしてますよ! どんな敵にでも勝てます」

「そーか、ならいい」

「心配してくれるなんて、幸せだなあ」

 すっかりもとの調子に戻ってしまった。呆れてしまう。

 一人にして来たマーガレットが心配になってきたので、勇者など放って置こう。

「先輩」

「なんだよ」

 煩わしくも振り返った。

 ピクスリアは真面目な顔をしていた。

「……マーガレットのこと、助けてやってもらえませんか。俺を助けてくれたみたいに」

「お前のことを助けたっていう意識がないんでね」

「マーガレットのことなら、素直に助けてくれますよね。先輩はは女性に優しいから」

「お前の仲間だろ。お前が助けてやれよ」

「俺が助けられなかった場合の話をしてるんです」

 ピクスリアは再び手を見つめる。

「俺が完全に消えてしまったら、もう戻ってこれなかったら、……マーガレットも……消えそうになったら……、」

「なに弱気なこといってるんだ。勇者なんだろ」

「はい。勇者になりました。……けど先輩の前では、勇者見習いのアーチにもどっちまうみたいなんですよ」

「なーにが勇者見習いだ、盗賊崩れの癖に」

「あはは、いや、否定できないとこがなんとも!」

「……。守ってやるよ、マーガレット。……場合によっちゃお前もな」

「……俺も、ですか……」

「なんだ? 勇者様は魔法師ごときに守られたくはないと?」

「そんなまさか! いや、だって、……そんな風に言ってくれるなんて思わなかったから……、感動で……震えがきました」

「あー、一応、なんか責任あるしな。お前が勇者になっちまったことの。……あと、身内には甘いんだよ、貴族ってやつは」

「身内……」

「他人だ」

「先輩。俺を改めて仲間にしてください」

「勇者が言う言葉じゃないだろ、それ」

「仲間になってくださいって言っても、聞いてくれないでしょ?」

「当たり前だ」

「仲間してください」

「……考えとくよ」

「ありがとうございます」

 ピクスリアは、どこで覚えてきたのか、まるで正統な騎士のようにかしずいた。

 久しく貴族として扱われていなかったためか、ビックリしてしまった。

 なにをやってるんだ、こいつは。

 今までの気色の悪さとは違ううすら寒さがあり、とっさに蹴り飛ばしてやった。

 もちろん、冗談めかしてだ。

 冗談にしておかないとまずい。後頭部から警鐘を感じた。

「なーにいっぱしの騎士みたいなことやってるんだよ、盗賊が!」

「騎士……? ……あ、あは、あははは、そうっすよね!」

 不思議なことにピクスリアも、自分の行動が理解できてなかったようだ。

 勢いよく立ち上がり、


「仲間かー。あー、夢みたいだなー。……まさか本当に再会できるなんて思わなかったし、その上仲間になれるなんて。夢かな。夢をみてるわけじゃないよなー」

 なんてブツブツ言いながら、マーガレットの側にスキップしていった。

「変なやつ」

 変でおかしいが、それよりもさらに深い場所に異質を感じた。



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