第44話 ネロ それは、夜空のホワイラ


《魔よ》

 

 にじりよってくるリヒャルを睨みながら、ネロは魔の精霊を呼んだ。

 魔はきらめく風をまとって、ネロの元へとやってきた。

 そして背後から、ネロに寄りかかるように肩に腕を回した。

 重みは一切感じない。まわされる腕もほとんど透けていた。

 ネロの腕に、魔の腕が重なる。

 同一化が進んだ。

 ネロは一抹の不安を感じながらも、魔を振り払うことなく、おもむろに杖を振った。

 一番近いリヒャルの頭を、煌めく風が穿つ。儚い音を立てて消滅した。ネロの右耳にキスが贈られた。

 どうやら魔の精霊はお気に召してくれたらしい。


《魔よ、こいつらは妖精を食う。お前も危険かもしれない。気をつけろ》


《はい マイマスター》


 ネロは杖を振った。

 魔の精霊の力がネロと同化し、魔法を使わずとも『精霊魔法』を使えている。

 煌めく風はネロの意思通りに動き、的確にリヒャルたちを薙ぎ払っていった。

 そして同時に唱えた。


《モルファ セファロ ロ ミローファ》


 ネロの魔法力は水属性へと変わってゆく。

 そして大きく腕を振る。

 玻璃片を含んだ風の刃が、巨大なリヒャルを一刀両断した。

 しかしその背後から別のリヒャルが飛び出してきた。

 大きく開かれた口にネロは一瞬驚くも、何かに引っ張られるようにして背後へ跳躍する。

 魔の精霊だった。

 そのおかげで間一髪難を逃れ、ふわりと宙を一回転してから着地する。

 その場所を狙っていたのか、別の場所から他のリヒャルが飛び出した。


《マキュー マキュー マキュー》


 巨大な水球が三つ、そのリヒャルを破壊した。

 精霊魔法ではなく、ネロの放った水魔法である。

「普通の魔法も効くのか」

 足もとに迫っていた小さなヒリャルを精霊魔法で吹き飛ばしながら、ネロはひとりごちだ。

 しかし、この森をどうにかするとカルジュにはいったものの、どうなっているのだ、この森は。

 アンルー熊のような魔力にあてられた生物や、木と炎の大蛇のようなまがい物の魔獣なるものがいると想像していたが、まるで妖精のようで妖精ではない蛇までいるとは。

 いずれにせよ、これらすべては人為的なものであろう。


《マキュリアス ロ ミローファ》


 呪文に呼応して、ネロの周りに水の粒ができ始めた。小さな小さな水球が一定の間隔をあけて浮かんだかと思えば、そこから無数に水の糸が伸びた。

 その最中にも、煌めく風がリヒャルたちを薙ぎ払ってゆく。

 薙ぎ払っても薙ぎ払ってもきりがない。なにも無い場所から生まれ出てくるかのようだ。

 水球と水球がつながり、立体的な網に変わった。


《マキュー ミローファ モルテロ セファロ》


 モルテロ。

 知覚。

 呪文の届く範囲、水球の発生した範囲、そして網が構築された範囲、ネロの魔力を含んだ水が存在する範囲。

 そこで起こっているあらゆるすべてが、魔力を通してネロに伝わってくる。

 木々の数、形、風の強さ、岩の大きさ、動物の種類に昆虫の種類、月明かりの柔らかさ、そして、精霊たちの息づく鼓動。

 リヒャルの数。

 視えた。

「捕らえろ」

 ネロは自分のこぶしに力を込めた。

 水の網が締まる。

 目の前にいるリヒャルが仰け反るようにして動きを止めた。


《魔よ、行け!》


《はい》


 水の網の奥、一点を指さしネロは命じた。

 魔の精霊は黒い光となって飛んだ。

 ネロが指さした方角、モルテロの網の中に一つの異質な魔力を見つけ出していた。

 精霊でもなく、魔獣や神獣でもなく、当然野獣の物でもない魂だ。

 人間の魂に似ている。

 すなわち、魔人の魂。

 術者だ。

 この奇妙なリヒャルたちを生み出し、操っている者。魔の精霊がその術者に追いついたのが分かった。

 ネロはマキューモルテロをさらに締め上げる。

 術者が苦しげにうめいているのが伝わってくる。

 魔の精霊が離れた今、ネロはもう精霊魔法を使えない。左腕のマキューモルテロだけに集中し、ほかの水の網をゆるめた。


 グァアアア!


 解放されたリヒャルたちが怒りをあらわにしているのだろうか。聞こえないはずのリヒャルの雄たけびが、鼓膜を揺らした。木々の間に、リヒャルの巨体がいくつもそびえる。威嚇のポーズのあと、伝説の蛇たちは背中の翼を大きく広げ、空高く飛びあがった。

 そしてネロに向かって急降下してきた。


《マキュリアス!》


 ネロは杖を振り上げる。

 大地から水の柱が吹き上げた。

 その柱は鋭く尖り、リヒャルたちを貫いた。そしてリヒャルと飲み込み、宙でとぐろを巻くように渦となる。


《マクロリア シュー》


 大地にいる小さなリヒャルたちには、無数の水の針は降りそそいた。

 針は蛇たちをを大地に縫い付けている。

 この地は水気が多い。水ならば余るほどにある。

 ネロが魔力を注ぐだけで、息を吐くように言うことを聞いてくれる。

 空で渦を巻く水は、ヒリャルを食んでいた。そしてたっぷりゆっくり時間をかけて、解析しているのだった。

 情報はネロに伝わってくる。

 そして、網の中で術者らしきものが必死に抵抗しているのも伝わってきた。

 なにやら呪文を唱えているようだった。

 残念ながら声や呪文の公式まではネロに届かなかった。

 なんと言ってるんだ。

 水の網に集中しすぎた。

 ネロの頭上の水が、しぶきを上げた。

「ちっ」

 集中が薄れた隙をつき、一体のリヒャルが拘束を振り切って、水から飛び出したのだ。

 その体はひときわ白く輝き、翼を大きく幅たせながら空を旋回した。

 でかい。

 ネロは空を仰ぎ見て、息を飲んだ。

 水で囲っていた時に非ではなく巨大化している。

 魔法に使ったネロの魔力を食われた。そう思ったが、違った。

 モルテロが、水の網の中で行われている術者の操作を感知した。

 この地にまんべんなくしみこんでいた術者の魔力が、頭上のリヒャルに集められているのだった。アンルー熊やヒューイをおかしくした魔力に似た動きだ。

 頭上のリヒャルが、閃光をほとばしらせた。

 白い光がネロに向かって撃ち込まれてくる。

 ネロは水を繰り、なんとか光の弾丸を弾き飛ばしたが、水も霧散する。


「くっそ」


 リテリアが水気に満ちていて助かった。

 水魔法であれば枯渇することなく作り出せる。

 霧散した水をすぐさま水球に変え、ネロは撃ち込まれる光線に向かって打ち上げた。

 木々の上で、光と水がはじけ飛びあっている。

 そしてリヒャルは、隙を突いて急降下を仕掛けてきた。


《水よ、戦士たちよ、その研ぎ澄まされし刃、なにものにも折れぬ刃を掲げよ! マキュー エンペラス!》


 ネロの攻撃によってリヒャルは空へと逃げた。 

 しかしそれによって生まれた風が太古の森の太い樹々を軋ませ、轟音が葉を巻き込んでゆく。

 周りにいる光る羽虫も葉と共に巻き込まれて行った。

 儚い妖精たちだ。

 ネロの設営したテントなどは影響をあまり受けてい居ないが、精神体に近いものたちはことごとく巨大なリヒャルに翻弄されている。

 精霊を呼び出さなくて良かった。

 ネロは心底そう思った。

 リヒャルは精神体だ。

 しかも圧倒的な力を持っているようだ。そこらの精霊では太刀打ちできないだろう。

 妖精など餌に過ぎない。

 この森には今、リヒャルのような精神体のモンスターが闊歩しているのだ。

 嫌な汗が出た。

 リテリアの精霊が言っていた、もう精霊は残っていないという言葉。

 どことも知れぬモンスターが、精神生命体の食物連鎖の頂点に立ったのだ。

 ネロは杖を振った。


《水よ モルファ セファロ ロ ミローファ ミローファ 我が力よ 水へと変われ》


 ネロはさらに水を呼ぶ。

 大地から、樹々から、そして空気中から、ネロの魔力に呼応した水が水滴となって出現した。

 頭の中によぎる、一羽の鳥。

 ライトニングバード、ホワイラ。

 リテリアの森に棲む、《フーイ》。

 光り輝く、神獣。

 その主食は、蛇。


《マキュリアス 水よ、あの蛇を喰らえ》


 水が集まってゆく。

 そしてネロの愛鳥のごとき白い鳥へと変わった。

 水のホワイラはハープの音色のような声を上げると、輝きながら空へと飛んでゆく。そしてまだ上空にあった水の渦と交わり、巨大な怪鳥へと変わると、その鋭い足の爪でリヒャルに襲い掛かった。

 リヒャルも、その長い体を器用に操り、ホワイラに巻き付いては噛みついた。

 けれど、ホワイラは水だった。

 リヒャルは巻き付いた場所は儚く霧散し、かと思えば分裂して新たなホワイラとなって再び襲い掛かる。

 リヒャルのほうも同じように消滅と破壊を繰り返していた。

 ネロはホワイラと水を繰りながら、小さなリヒャルたちに向かって水の矢を放つ。

 頭上でのリヒャルが再生するように、ネロにはい寄ってくる蛇たちもどこからか生まれい出ているようだった。

 術者の魔法がまだ生きている。

 そして材料がある。

 ネロのホワイラが水とネロの魔力が材料であるのと同じように、このリヒャルたちの材料は妖精たちと術者の魔力だ。

「どっちの魔法力が先に無くなるか、根競べと言ったところか」

 ネロの口の端に笑みが浮かんだ。

「けどな、……そんな力比べ、してやるつもりはないんだよ」


《強き精霊よ 儚き妖精よ 我が名はネロ ネロの名において調伏する 我に従え 側もとに下れ》


 わっと周りが華やいだ。

 ありとあらゆる色彩の羽虫が生まれ出でたのだった。


《我が名はネロ お前たちの主である さあ 我が力を食らい その力を我に捧げよ》


 羽虫がネロの体に群がった。

 ネロが純粋に魔力だけを放出し、さらに周囲に向けて広げゆく。

 妖精の休み屋の瑪瑙の岩をも覆い、そこから地脈へと触手を伸ばすと、大地を通してさらに魔力を広げていった。

 様々な精霊がネロの魔力を食らい、その力をネロに捧げてゆく。

 同時に、ネロの眷属となり、所有された。

 所有物の精霊を、他者の精霊が食らうことはできない。

 すなわち、水の網の中でもがいている術者のリヒャルが、ネロの眷属である妖精や精霊を材料にすることなどできないのだ。普通であれば。

 ネロは水の鞭で目の前のリヒャルを弾き飛ばした。

 リヒャルはあっけなくはじけ飛んだ。

 そして、それでもリヒャルはどこからともなく生まれてくる。

 けれど徐々にその姿は小さくなって行った。

 野良の妖精を食らう様も見せなくなった。

 当然だ、周りにいる妖精たちはもう野良の妖精ではなく、ネロの呼びかけに応え軍門に下った妖精だ。

 餌にできるわけがない。

 やがて、リヒャルたちは小さな小さな蛇しかいなくなり、それらが逆に妖精たちの背さとなった。

 ネロの周りは虹色に染まり、白く美しいリヒャルたちは、虹色に捕食されていた。

 ネロは空を見上げる。

 夜空の下で、巨大なホワイラがリヒャルを丸飲みにしようとしていた。

 これで戦いは終わりだろう。

 新参の魔物が、古参の神獣に食われる。そんな画だった。

 けれど、ネロは面白いことを思いついた。

 それは非常に嫌らしい考えだった。


《戻れ》


 ホワイラの姿を解き、ただの水の渦に戻す。

 その渦で巨大なリヒャルを再び捕縛した。


《…………我が名はネロ 伝説の蛇王 リヒャルよ ……お前の主である我が魔力を……喰らえ》


 そして、問答無用でその口の中に水を注ぎこんだ。

 先ほどまでホワイラの姿をしていた水は、たちまち内側からリヒャルを侵食してゆく。

 ネロの魔力がリヒャルに浸透するまで、もう少し。

 さて、今頃術者はどんな思いでいることやら。

 くつくつとした笑いが、漏れ出してしまう。





「ネロさん……もういいですか?」

 マーガレットの声がした。

 ネロはハッとして、集中力がちょっとだけ切れた。

「もうシャワー終わったのか?」

 それを狙って、網の中で捕縛した相手が暴れた。

 魔よ。

 魔の精霊がそいつを締め上げる。

 ネロも水に意識を集中し直した。

「ええ、一応。ネロさんはどうですか?」

「もうちょっとだ」

「じゃあ、出ないほうが良いですか?」

「出てきていいぞ。ただちょっと、この辺が水浸しだけれどな」

 シャワーのテントから、マーガレットがそろりと顔を出した。

 そして

「うわ」

 と、変な声をだした。

「……どうなってるんですか、これ」

 リヒャルの見えないマーガレットにとって、辺りは魔法水の水たまりだらけに見えるかもしれない。

 普通の違い、魔法によって出現した水は、魔法を使える者にほんのりと光って見える。

「精霊をとらえた」

「ネロさんの使役している精霊をですか?」

「はは、違う違う。この辺りで悪さをしている精霊だよ」

 正確には、精霊みたいなモノだ。

「……水で、ですか。水は物体ですよね? 実体のない精霊には無効だと思うんですけれど」

「俺もそう思ったんだが、……効いたんだよな」

「それって本当に精霊ですか? 透明な体の新種の魔物とかなんじゃ」

「そうかもしれないな!」

 マーガレットは冗談を言ったつもりなのだろうか。それとも勘が働いたのだろう。いずれにせよネロにはマーガレットの発言に満足し、ついおかしくなって笑った。

 マーガレットもおかしそうに笑い、空を見上げる。

「……あの水の塊、ネロさんが出したんですか?」

「まあな。ここは湿ってるから、材料にまったく困らない。楽だった」

「ネロさん水魔法がお得意なんですね」

 得意というほどでもない。

「お前は火魔法だったか。リテリアもホリエナも水気が強いから、火魔法を使うのには苦労したろう」

「そうでもないです。……多分、あのロッドのおかげだと思います」

「……あの杖も風と水の加護なんだがな……」

「はは……」

「まあいい。マーガレット、ちょっと頼みがあるんだがいいか?」

「はい! なんですか!」

 マーガレットはやけに嬉しそうに答えた。

「私にできるかことならなんだってしますよ!」

「じゃあ任せた。この辺を乾かしておいてくれ」

「え?」

「火魔法が得意なんだろ?」

「……え、えっと、……そうですけど」

 ネロは右手に持っていた杖をマーガレットに向かって放り投げた。

「うわ、っと」

 マーガレットは慌てたようにそれを受け取る。

「その杖を貸してやるから、この辺を乾かしておいてくれ。『火竜』のマーガレット殿?」

「うう、なんか嫌な言い方に聞こえるんですけど」

「昼に作った超簡易版杖(改)よりはましなはずだから、その杖」

 それからネロは、マーガレットのテントを支えている壊れたロッドを見た。

 手を掲げて、来い、と念じる。

 シュッと音を立てて壊れたロッドはネロの右手に収まった。

「代わりに、これ、借りていくぞ」

「いいですけど、え? 今、なにしたんですか?」

 マーガレットは目を丸くしていた。

「テントは戻ってきたら直すから」

「いや、そうじゃなくて、今……シュッって、シュッて……え?」


《水よ マクロリア 集合せよ》


 空に渦巻く水の塊が一つにまとまってゆく。そしてネロがロッドを回すと、地面に蛇を縫い付けている水が上昇しはじめた。

 水に捕まえられたままの蛇が暴れていたが、マーガレットには見えないようで、

「うわー、雨の真逆ですね」

 と楽しそうにしていた。

 中には水の針から逃れ、その翼で飛んでゆこうとするリヒャルもいたが、それがすぐに水の網の餌食となった。

 ゆるめてはいたが、まだ周りの水の網は生きているのだった。

 おとなしく上の水に吸い込まれていれば眷属としてやれたのだが、逃れたのなら消えるしかない。

 網にとらえられたリヒャルは衰弱し、儚い妖精たちに貪られることとなった。

 マーガレットがこれを見れなくてよかった。あまり良い光景ではない。

 周りの水はほとんどが吸い上げられたが、地面はぬかるんでいた。魔法力は含まれていないただの水だ。おかげで一気に辺りは暗くなった。


《風よ》


 薪の中の発火石が火を大きくした。


「じゃあ、ちょっと行ってくる。魔獣には気をつけろよ」


 そしてネロは唱えた。


《プォーヴォ》


 移動魔法。

 移動する先は水の網の中、魔の精霊がとらえている魔人の元へ。


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