第43話 ネロ それは、夜中のリヒャル

 魔は美しかった。

 篝火の色を反射する黒は、瑠璃の色合いにどことなく似ている。

 美しいものは強い、そのことをネロは思い出していた。いや、強いものを美しく思う、それが正しいのかもしれない。

 絶対的な強者が覇者となり、その世界の価値観を作ってゆく。

 魔は美しかった。

 マーガレットには見えていないらしい。ネロの視線の先を見上げては不安げに肩をすぼめ、時折ネロの顔色を伺っている。

 ネロは睨み付けてくる魔に対し、なるべく刺激しないように話しかけた。

「魔よ……どうした?」

 しかし、主であるはずのネロの声に、魔は反応すら示さない。

 その目は、小さな黒い蛇に向けられている。

「こいつが、どうかしたのか……?」

 小さな蛇はネロの手首に陣取っていて、魔を見上げながら、クリッ、クリッとその小指の先ほどの頭を動かしていた。

 そしてたまに、なにもない空中に向かってシュッと頭を出し、瞬時に元の姿勢に戻るのだ。

 小さな蛇は、魔に向かって、シュッ、と頭を突きだした。

 その瞬間、突風がネロを襲った。

「なん……っ!」

 頭をとっさに覆った。

 硝子が砕けるような音が、耳許をかすめてゆく。

 慌てて身を低くし、マントの襟を立てた。その直後、耳の後ろに何かがぶつかるような感触と、パリン、と薄い玻璃が割れるような儚い音がした。

 その音は風と共にいくつもいくつも降り注いでくる。

 恐怖を感じていたが、どこか小さな流れ星が降り注いでいるような、なんだか楽しい気もした。 

 キラキラ光りながら降ってくる小さな星たちだ。

 そして、ふと、ネロは気が付いた。  

 自分には一切のダメージが無い。

 そろりと頭を上げる。

 流れ星なんて降り注いでいない。

 かわりにネロの視界には、キラキラと輝く無数の光の粒が見えている。それは生き物のような風に乗って、ネロに襲いかかり、そして通り過ぎていった。

 時折なにか間違えたのか、小さな粒が通り過ぎることなくぶつかる。そして、パリン、と砕け、音とわずかな感触が伝わってきた。

 それでもダメージには至らない。

 マーガレットも無事だ。むしろ、ポカンと不思議そうな顔をしてネロを見ていた。

 けれど、美しい魔の妖精、いや精霊か、そいつは硝子片の輝く疾風をネロめがけて容赦なく放ってくる。

 硝子片の雨、嵐、竜巻。

 何が、起こっているんだ。

 状況に慣れたネロは、マーガレットと全く同じ呆けた顔で、魔を見上げた。

「ネロ……さん? なにが、どうしたんですか……?」

「それが……俺にも……分からない……」 

 容赦のない輝く硝子片の雨嵐は、ネロたちを通り過ぎてゆく。

 薪の炎が多少揺らめいているが、鍋やグラスは微動だにしていない。

 そして、蛇は平然としていた。

 魔は蛇を標的にしているわけではない、のか。いや、ではあの睨み付ける目は一体。

「俺と契約してる精霊が、暴れてるんだ。……、どうやら俺たちには危害を加えるつもりはないらしいが……こいつにはなにかあるみたいだな」

 蛇の頭をツンとつついて見せた。

 蛇はクリッとネロを見る。

 この異様な状況を理解していないのか、無邪気な瞳だ。

 いや、そんなわけがない。

 この蛇は確実に魔を見ていた。

 ともかく、この混乱をどうにか鎮めなければならない。

「あー……、マーガレット。俺はちょっと精霊をなだめる」

「……はい」

「その間、シャワーでも浴びててくれ」

「えっ? シャワー? ネロさん、なに言ってるんですか?」

「ん? もしや若い女子にシャワーを勧めるのはセクハラか?」

「そうじゃなくて! 単純に、シャワーなんてあるわけないじゃないですか! って意味です!」

 マーガレットはやけに強く否定した。

「ふっふっふ。そこは金と権力と魔力を備えた利便性の化身、頑張ればシャワーくらい持ってくるなんてわけないのだよ」

 ネロはわざとらしく笑い声を出してから、テントの中からゴソゴソと一枚の布を引き寄せた。

 天幕は大きめの円形で、その縁に、かなり長さのある黒い幕が縫い付けられている。

 吊れば身長をゆうに越える円柱型テントになるのだ。

「今呼び出すから、是非使ってくれ」 

 ネロは結界を張ってある領域ギリギリ、そして魔の攻撃が比較的ましな場所に、その円柱型テントを浮かべた。

 物理的に吊ってもいいが、風魔法で浮かせた方が楽だった。

 しかし。


 バスっ


 と音がして、テントが吹っ飛んだ。


「……」

 大きな硝子片が刺さっている。それは儚い音を立てて、砕け散った。 

「……」

「……ネロさん」

「大丈夫だ。なんとかする」

「わかりました。邪魔しません」

 理解が早くて助かる。なんちゃって勇者だと、俺に任せろ! とでしゃばってくる可能性もある。

 マーガレットが魔法使いで良かった。

 ネロは飛ばされたテントを拾い上げた。布は無事である。

 しかし風魔法は消えていた。

 物質には影響は無いようだが、魔法には効果てきめんのようだった。

 それに、すでに組み立て終えたテントには当たらないようにしてくれているようだが、たまに当たって揺れている。

 一体何がしたいのだ。

「仕方がない。マーガレットのテントの裏に吊ろう」

 きっとマントが盾になってくれるだろう。

「その布が……もしかして……シャワーですか?」

「ふっふっふ。そうなのだよ、ふっふっふ」

 わざとらしく返事をすれば、マーガレットは冷たい眼差しをくれた。

 おかしい。

 かしまし娘たちならノリで小芝居でも始めてくれるのに。

 三十代と十代の感覚の違いを地味に実感し、少し惨めな気分だ。

「えっとだな、この中に小さなシャワー室を出すから、タオルや石鹸や着替えなんかを持って、中に入ってくれ」

 ネロは円柱型テントを再び魔法で吊った。

 流れ弾は当たらなさそうだ。

 中に一旦入ると天幕に刺繍してある魔法陣と呪文をチェックした。壊れてはいないようだ。

 魔に消されたのは風魔法だけだった。

 そして外に出て、声は出さずに呪文を唱える。

 再び幕をめくって、無事シャワー室が呼び出されたのを確認すると、明かりをつけてマーガレットを向いた。

「よし、空間魔法はちゃんと発動できた。多分……動くと思う。中に脱衣場みたいな場所もあるから、荷物はそこに置ける。入り口もほら、重ね合わせになってるから風でめくれることもない。安心して汗を流してくれ。バスタブがなくて申し訳ないが、そこまで広い空間を作れるほど得意じゃないんだよ、空間魔法」

「……」

 マーガレットは動かない。

 どうしたのだろう。

 マーガレットの背後では、魔の精霊が間髪いれずに硝子片の竜巻を生み出し続けていて、なかなか奇っ怪な光景だった。

 早くあの魔を落ち着けないといけない。

 手首の蛇以外にも攻撃対象がいるらしく、魔はネロがいる場所とはまるで違う方向を向いている。

「もしや石鹸がないとかか? 仕方がないな、貸してやるよ。ミルクの香りだがどうかな? ハチミツもあるが、どっちがいい?」

 女性ならフローラルの香りやソルトスクラブ入りが良かったかもしれないが、あいにくネロは男である。持って来ていない。

 返事がないので、新しくハチミツ入りの固形石鹸をおろし、一緒にヘアトリートメントのボトルを渡した。

「男性用のヘアケアだが、石鹸でのキューティクルの軋みが気になるようなら使ってくれ。あ、その石鹸は一応全身に使える」

 マーガレットは石鹸とボトルを受け取ったが、無言で、しかも死んだような目付きをしていた。

 なんだ。どうしたんだ。

 背景と相まって異様だから、なにか反応してほしい。

「……あー、……すまない、スキンケアの類いは無いんだ……」

「……いえ、大丈夫です……」

「そうか? なんなら調合するからな」

「いえ、大丈夫です大丈夫です、もーほんとーにダイジョーブです」

「そうか、まあ、ゆっくりシャワーを浴びてくれ」

「アリガトウゴザイマス……」

 マーガレットはどこかぎこちない様子で、小さなタオルを手にするとシャワーテントに入っていった。

 すぐに中から、なー! なー! なー! みたいな叫び声が聞こえたような気がしたが、まさかテントをめくるわけもいかず、ネロはその場から離れた。

 虫でも紛れ込んでいただろうか。まあ、なにかあったら飛び出してくるだろう。

 それよりも、これでやっと荒れ狂う魔の精霊に集中することができる。

 まったく、今日は忙しい日だ。おかげでワクワクする。

 ネロは眉根を寄せ、魔の精霊を見据えた。



《魔よ》


 ネロは魔力を込めて呼ぶ。


《答えろ お前の主は誰だ》


 魔は反応しない。

 ネロはさらに力を込めた。


《言葉を 聞け》


 魔を中心にして、周囲はもとより、空高くまで光の粒の風が渦巻いている。

 暗闇に紛れていた木々を間を、いくつもの風の筋が通り抜け、天空の星と混ざる。


《魔》


 聞け。

 魔はゆっくりと振り返った。


《はい マイマスター》


《この攻撃をやめろ》


《いいえ マイマスター それは できません》


 断られた。

 普通の妖精なら絶対にありえないことだが、星の魔マナの魔であったのだから、そうとうな力を持っている。なくもない結果だ。

 けれども、使役している精霊に拒否されたことに少しばかり面食らった。

 こんな精霊ばっかりだな。まったく。

 場合によっては力で調伏させなければならない。この先の任務を考えるとなるべく力を温存しておきたい。そもそもこの精霊に敵うだろうか。にやりとした笑みが堪えきれない。ワクワクしてしまう。


《なぜ命令を聞かない?》


《やめるわけには いかない》


 なぜ。

 手首で静かにしていた蛇が、するりと腕のほうまで移動してきた。

 すると魔は、すかさず蛇めがけてキラキラの風を放った。

「おい!」

 一瞬ネロはびっくりしたが、蛇は動じず、シュッと首を前に出し、チロリと舌を見せた。


《マイマスター それを お放し ください 危険》


「危険……」

 確かにこの蛇はもとは巨大な魔物だ。けれどリテリアの精霊はこの蛇を森で受け入れると言ったし、なにより、この蛇にはマナの魔力が注ぎ込まれている。


《魔よ、この蛇はお前たちが大好きなマナの魔力で生き返ったんだぞ?》


《マイマスター なぜ その蛇ばかり かばう?》


 別にかばってはいないが、魔は非常に悔しそうに言った。もしかして、ふてくされているのだろうか。


《その蛇 まがいもの 危険》


《まがい物?》


《マナを 真似している そんな力 認めない》


 そう言うや否や玻璃片の混じった突風をぶつけてくる。

「ちょ、ちょっと待て!」

 自分に影響はないと分かっていても流石に驚き、反射的に一歩退いた。

 蛇が鎌首をもたげ、ネロの顔の横で小さく威嚇を始める。

 しゅーしゅーと音を出し、舌をチロチロと出し入れし始めた。


《この蛇はリテリアの精霊が仲間として受け入れた魔物だ。むやみに攻撃はするな》


《それは知ったことでは ない》


 魔はさらに攻撃を強めた。

 テントがはためきだし、周りの木々は軋みはじめ、茂みは悲鳴を上げるようにざわめきだす。

 ネロの肌にもビリビリと衝撃が走る。

「くっ……」


《その蛇だけではない マイマスター 周りに たくさん いる》


「周り?」

 見当がつかなかった。

 周りには魔物はいないし、ここは精霊の休み屋だ。

 ということは。

「妖精たち……か?」

 ネロは嫌な予感がして、《視る》ことにした。

 そうして新たに視界に入ってきた世界。魔の放つ小さな光の輝きが増す。 

 そしてネロの周りには、巨大な竜種ワームの群れが迫っていたのだった。




 リテリアの森に多く生息するのは、翼を持つ《フーイ》と言われる種類の動物である。

 神獣でも魔物も翼をもつものが多く、蛇の種類は動物に少しいるくらいだったはずだ。

 もちろん、翼を持つ蛇類もいる。

 小さな竜種ワームともいえるそのいでたちは、昔から人気が高い。

 特にリヒャルと呼ばれる白い蛇は、昔から様々なモチーフに使われている。

 リヒャルは白い身体に白い翼、金色の目をもち、その牙には猛毒を潜ませ、獰猛な性格で、巨木に迫るくらい巨大で、人の子供くらいならぺろりと丸飲みしてしまうのだ。

 実際にはそんな生物は発見されていない。

 言い伝えだ。

 けれど、人々は獰猛で美しい生物に憧れ、白くて翼のある蛇をリヒャルと呼ぶ。

 リヒャルの種類は多いが、純白の体と純白の翼を持っているものはおらず、大きさもせいぜい人の大人くらいなものだ。それでも巨大だが、魔獣や神獣にしては小さいほうだ。

 だがどうだろう、今、目の前にいるのは紛れもない《リヒャル》。



 ごくり。


 ネロは息を飲んだ。

 十数体の巨大なリヒャルが、ネロを見ている。

 その金色の目は、ネロを狙っていた。

 木々の隙間からゆっくりと這い出し、巨体を揺らしながら近づいてくる。

 そして時折、シュッと頭を前後に動かし、瑪瑙の岩を目指してやってくる儚い妖精を食べている。

 ネロは、腕に絡みついている小さな黒い蛇を見た。

 シュッと首を動かして、緑色の羽を口に咥えた。

 お前もか。

 どうやらこの蛇も、寄ってきていた小さな妖精を餌にしていたらしい。

 ネロの周囲にも魔力を吸いにやってくる妖精がいるので、ネロのことを都合のいい餌場だと思っているらしかった。

 なんだろう。ちょっとショックだ。

 巨大なヒリャルたちは魔の攻撃を受けていた。

 けれどさほどダメージを受けている様子はない。 

 決して魔の攻撃が弱いわけではない。

 現に、巨大とまでは言えないリヒャルたちは、攻撃を受けたとたんにパリンと音を立てて砕け散ってゆくのだ。

 魔がネロたちをおもんぱかって、全力を出し切れていないのもあるだろう。

 けれども群を抜いて巨大なリヒャルたちは、魔の攻撃を疎ましそうにしながらもじりじりと距離をつめてくる。

 なるほど。妖精が寄ってくるこの身体は、さぞ美味しかろう。

 ネロは腰から杖を引き抜いた。

 さて、この《リヒャル》、どうすれば倒せるのだろうか。

 困ったね。

 ワクワクしてしまうじゃないか。

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