第42話 ネロ それは、闇夜のざわつき

「は? 泊まらずに行く?」

 カルジュが頓狂な声をあげた。

「ええ、急ぎ、柵の修復に行きたいので」

「いやいやいやいや、いくら何でもそれはだめだ。やめろ。朝になるまでここで休んでくれよ、じゃなきゃ俺が心配でならないんだ」

 心配してくれるのはありがたいが、一刻も早く作業をしたい。そして入手した情報を精査したい。

「柵の修理は一刻を争うんで」

 ネロは頑として譲らなかった。

「それでも一人ではできないだろう。専門の技術者を呼び戻すまで待つか、もしくはせめてレンジャーに同行を」

「レンジャー……」

「ああ。現場はレンジャーが一番分かっている。野獣や神獣に遭遇しても、逃げ延びる術に関してはどんな職業よりも詳しいし、柵の補修の手伝いだってできるだろう」

 レンジャーとはつまり、機動力のある何でも屋である。動物への知識、自然への知識、魔法への知識から科学への知識、そして医療の知識もある。

「そうか。では……、専門の技術者が来るまでにレンジャーの皆さんにお願いをしたいことがある。できますか?」

「できないとは答えられないな、なんだか」

「結界には等間隔に、魔法公式を書きこんだ石を埋めているんだ。それを替えてほしい」

「そんなことでいいのか? ならレンジャーに任せたらあっという間だ」

「本当か! 助かる!」

 ネロは荷物を一旦おろすと床に座った。

 異空間から滑り出すように鞄を取り出し、すぐさま開けると、描かれている空間魔法の陣から魔法石作製のための機材をとりだす。

「……え、ネロさん……」

「ネロ殿、……なんだ、いまの……」

「これか? 研磨機だ」

「へえ、いやそうじゃなくてだな。今、なにをしたんだ?」

「は? 今から魔法石を作るから、それをレンジャーに持たせて欲しい」

 箱型のバッテリーからチューブが伸び、その先にペンに似た研磨機が付いている。研磨する先端には人工ダイヤモンドが振りかけられていて、形も様々だ。

 そしてネロはまたもや異空間を開き、中から三十個の人工魔法石を取り出した。

 それは拳大の紅玉、つまり人工ルビーであり、螺子のような形をしているが、凸部分にはまだ螺旋は彫られていない。

 ネロは研磨機を起動させ、右手に研磨のペンを持ち、左手に人工ルビーを持った。

 そしてペン先を回転させ、ルビーに細かな魔法公式を彫りこんでいった。

 先ほど新しく書き換えた結界呪文専用の公式だ。チュィイイイイイン……、嫌な音が響き渡るし、削れた宝石の粉末が飛び散った。それを小さな水魔法で流し、かつ熱を冷ましながら黙々と彫り進めてゆく。

 全部彫り込むと、ルビーを両手で包み、

「っ!」

 と魔力を押し込んだ。

 手を開けば、表面に刻んでいた呪文が宝石の中心部に押し込まれている。ネロは表面をなでてから、再び別の魔法公式を彫り込んでいった。

 それを数回繰り返し、最後に螺旋を彫って、大きなルビーの螺子が完成した。

「これを。結界の柵の下に、等間隔に三十個の魔法石が埋め込まれているはずなんだ。それをすべてこちらに取り換えていただきたい。結界柵の補修の人間が来たら、こちらの説明書を渡してほしい」

「あ、ああ」

 ネロは紙に呪文の説明と柵を補修する際に希望する材質などを書き記し、カルジュに渡した。

「結界は新しく書き換えた。しかし、その前に誰かの手によって、勝手に違う結界にされていたんだ。魔法石にもなんらかの影響がでている可能性がある。柵の素材自体に異変があったら今の俺にはどうしようもできないが、重要部品である魔法石を交換することは可能だ。それが、これ。この魔法石には、今の結界の呪文以外を跳ねのけるような細工をしてある。どこの誰が魔法師団の最高傑作を書き換えやがったかは知らないが、また同じように俺の結界を壊して乗っ取ろうと目論んでる可能性もある。それをさせるわけにはいかない、絶対にな」

「わかった。至急レンジャーを呼び戻し、交換させるよ」

「感謝する」

 ネロはそれから急いで人工ルビーの螺子を作った。予備を含めて三十四個。先に作っていたものと合わせて三十五個を作り終えたと同時に、荷物をもって立ち上がった。

「ではカルジュ監視員。簡単な修理となってしまったが、私は次の任務に移る」

「次?」

「ああ。結界はどうにかした。だから、あとは森とハルリアをどうにかする」

「……あんた、」

「任されたからな」

 






 夜のリテリアの森は、重たい静けさが息づいている。

 多分に含んだ水気のせいだろう。

 複雑に入り組んだ木の根が縦横無尽に広がり、瑞々しい苔をまとって太古の森を作り出している。しかし、あいにくの夜闇。その神秘的な美しさを目にすることは叶わない。それどころか、滑りやすい苔のせいでことさら歩きにくく、憎しみすら覚える。

 ネロとマーガレットは夜光石のランプを掲げて、無心で森を歩いていた。

 てっきりネロは、カルジュからの引き留めを断ったことにたいし、マーガレットから文句を言われると思っていた。

 だが予想外にもマーガレットは素直に夜行についてきた。

「マーガレット、大丈夫か?」

「はい。これでも冒険者ですから。夜の森には慣れてます。それにリテリアの森には最近までいましたから」

「頼もしいな」

 この少女はまがりなりにも冒険者であった。

「もう少し行けば、精霊が教えてくれた夜営場所に着く。そこで朝まで休もう。正直、あの正門より安全かもしれない」

「……あそこ、危険なんですか……? カルジュさん……、そのこと知ってます?」

「あそこは安全だよ。人工的に。今から行くとこは自然的に安全。つまり、精霊の加護があるってことさ。人間が作った結界はないが」

 完全に安全な場所など、この世には存在しない。あの場所だって完全無欠な結界が張られているわけではないし、これから行くところも神の領域というわけではない。

 確率の問題だ。

 保証されている安全を脅かすだけの脅威が、周囲にどれだけあるか。

 ネロが精霊から教えてもらった場所は、協会の領域よりも脅威が少ないということ。それだけだ。

 本来であれば、夜行性の魔物や神獣が活発に動き出している時刻だった。

 精霊からの何かがあったのか、運が良いだけなのか、ネロとマーガレットは何者にも遭遇することもなく、目的の地にたどり着くことができた。

「着いたぞ。ここだ」

 立ち止まると、胸の回りが苦しかった。肋骨が内側からミシミシ音を立てている気がした。

 空気が足りない。

 興奮にまかせてかなり強攻な前進をしていたようだ。体が酸素を求め肺を膨らませ、肋骨が悲鳴をあげている。

 そして急激に汗も吹き出した。

 マーガレットは樹に手をついて下を向いている。肩どころか背中で息をしていた。

 ここにきてネロは申し訳なく思った。

 空間魔法が失敗していなければ、シャワーを貸してやろう。

 息が整うと、ネロはあらためて、足元を夜光石で照らした。

 その場所には瑪瑙の岩がある、らしい。

 らしいというのは、夜闇でよく分からないからだ。

 夜光石の明かりはさほど強いものではなく、周囲を見渡すことはできないし、むしろそのような明かりは魔物や神獣を刺激する。

 瑪瑙の岩は小さかった。

 地面からにょきっと飛び出ている三角の岩。軽く足を掛けられるくらいだ。

「この辺りにテントを張ろう」

「ここ、ですか? ……樹や草が邪魔ですし、地面も凸凹していて、野営地には向かないと思いますが……」

 マーガレットは嫌そうだ。ネロも正直なところ勘弁したい場所である。

「この瑪瑙岩は、大地の妖精の休屋らしいんだ。常に妖精や精霊がいる。お前の杖にも精霊が宿っていたために、いつしか妖精が生まれただろ? そんな感じらしい。常に妖精や精霊がいるから、力がそこに生まれている。いわば、精霊の縄張りだな」

「ネロさんは見えるんですか? 今、その妖精たち」

「見えないさ。さあ、多少は過ごしやすくしよう」

 瑪瑙の岩に夜光石のランプを置いて、ネロは足元を整備し始めた。




 ネロはマーガレットのためにハンモックを吊った。

 ハンモックの高さは低めにして、下には空気を入れて膨らませたマットレスを置く。ハンモックに乗れば、僅かに空気のマットレスに体が沈むだろう。

「ベッドには及ばないが、これなら石や木の根は気にならないと思う。使ってくれ」

「いいんですか?」

「ああ。もちろん。俺はこれから残りのテント張って、あとは露避けの屋根を作るから、火をおこしてもらっていていいか?」

「分かりました。任せてください」

 そうしてネロは二人分のテントを組み立てた。

 組み立てたというよりも、マーガレットのテントはただの布といって差し支えないものである。ハンモックが隠れるようにして、壊れた杖なんかも使い、なんとかテントと呼べる空間を作った。

 自分のテントは簡単である。

 なにせ簡単な呪文を唱えて、布の魔法陣に魔力を浸透させればいいだけだ。空間魔法の失敗さえしていなければ。

 あとは共用スペースに、木の枝をうまく使って天幕を張り、風で幕が飛ばされないように、下を石で留める。それで完成。

 そしてマーガレットのテントにこっそりと結界を張った。

 マーガレットにはまだアンキラがかかったままだ。最悪、魔物から攻撃を喰らっても、数撃は凌げる。

 だが念には念のためだ。

 テントの作業が一段落すると、瑪瑙の岩には魔力を与えた。

 妖精たちはネロの魔力を水や蜜のように好むので、守護をお願いする賃金がわりというやつだ。たっぷり食べて、英気を養い、恩を感じてしっかり護ってほしい。

 マーガレットは着々と火をおこし、その周りに食事作りの準備をしている。

「本当に食事全般をやってくれるのか」

「もちろんです! 特に疲れているときは、食事は大切ですからね」

「全く同感だ。じゃあ俺は魔法のスープでも作ってやるよ」

「毒鍋ですか? あはは」

 冗談を言いながら笑いあい、こんな旅もいいなあ、としみじみ感じ入った。

 上司やなんちゃって勇者とは味わえない楽しさである。

 また冒険慣れしているマーガレットとの野営作業は存外楽だった。設置はあっという間に終わり、あっという間に食事にもありつけた。ネロも薬湯を煎じる。

 自分のテントとマーガレットのテントは向かい合わせに設営したので、それぞれのテントの前に座った。

 尻の下には空気を入れたクッションを敷いている。

「ネロさん、便利なアイテムたくさん持ってますね」

「まあな」

「……結界技師さんなんですか?」

 椀に煮込んだ野菜と薫製肉を盛りながら、マーガレットが聞いてきた。

「何でも屋みたいなもんだよ。結界直したり、魔道具直したり、魔法薬煎じたり」

「凄いですね。私なんかよりずっと魔法使いっぽい。いえ、断然ネロさんの方が実力が上なのは分かってますけどね!」

「はは。年齢と経験の差ってやつだろ。あ、ご飯ありがとう」

 差し出された椀を受け取り、礼を言った。

「たくさん食べてくださいね! お水、ありがとうございます」

 料理に使う水や飲み水は、ネロの浄水器で作った物だ。

 空気中の水分をポットに集めるようになっている。

 ガラスの丸いグラスには、氷魔法と熱魔法の呪文が透かし彫りされていて、水を注げば自分の好きな冷たさにすることもできた。魔法師団の備品の一つであるが、なかなか市販されてはいない。

 マーガレットは不思議そうにそれらの魔法道具を見ていた。

「ネロさんってどこにこれらをしまってるんですか」

「鞄に空間魔法の陣を書いてるんだ」

「えっ……、凄い……」

「そんなに大量には入らないぞ? あると便利だなってのを詰め込むくらいだ」

「…………いや、けど…………。普通は、そんなこと出来ませんよ……」

「確かに、一般のギルド加入者はやらないかな。魔法を使える商人とかは使うみたいだが」

「そうなんですか!」

「どの分野でも、使う能力は進化して、使わない能力は退化するもんだよ。商人は冒険者が使うような魔法糸を編み込んだ肌着なんかは着ないしな。安全で快適な街道や馬車や鉄道の旅で、物理と魔法からの攻撃を半減させる衣服なんて必要ないし」

「ネロさんみたいな何でも屋さんだと、どっちも使うんですね」

「……、ま、そうだな。新アイテムにも敏感だ」

 魔法道具の部署であれば尚更で、民間企業を敵視してまで新製品を作り出している。雑貨や小物から巨大な装置まで。何を隠そう、リテリアの森の結界装置も魔法師団が作ったものだ。当然、民間企業と協力はしているが。

「あと、俺の上司がとんでもない奴なんだ。それと一緒にいたら、『普通』なんてのがよく分からなくなるよ」

「……その上司から、ネロさんは極秘の覆面調査を……?」

「……どうだろうなあ」

 ネロは悪そうな顔つきを作って見せた。

「覆面調査だから、泊まってゆけっていうのを断ったんですか?」

「どうだろうな」

「……」

 マーガレットは覆面調査のことを聞きたそうにしている。

 気持ちはとても分かる。逆の立場だったら自分も気になるだろう。

 ネロとマーガレットは、互いに不可思議な笑みを浮かべたまま、奇妙なにらみ合いを始めた。この奇妙でやっかいな時間をどうやって終わりにしよう。

 ネロは困っていた。

 その空気を読んだのか、ネロの足首からニューっと蛇が体を伸ばし、手首にコツンと小さな小さな頭をつけた。

「ん?」

「あ、ネロさん。蛇ちゃんもお腹すいたんじゃないんですか?」

「かもな。こいつ何を食べるんだろ。ミミズじゃなきゃいいんだが」

「蛇だから卵とか?」

 そう話していると、周りがざわついたような気がした。魔物が近くにいて、妖精が騒いでいるのだろうか。

 ネロは気を集中させて、周りの気配を探った。

「……」

「ネロさん、どうしたんですか……」

「妖精が、騒いでいる、……気がする」

 その言葉にマーガレットも表情を固くして、そっと椀を置いた。

 上空では、風が大きな円を描くように吹いている。木が揺れ、葉がざわめくような音を立てていた。

 コツン。蛇が親指を口でつつく。

 その瞬間だった。

 ネロの胸元から、小さな黒い何がが勢いよく飛び出してきた。

「うわっ」

 銀や金の光の粒を撒き散らしながら、露避けの天幕内を猛スピードで旋回している。

 魔だ。

「おい、どうした?」

 一体の魔はグルグルグルグル回った後、いきなり人の形へと転変した。

「なんだ? どうした!」

「え! ネロさんなにが起こってるんですか?」

 成人した大人ほどに膨れた魔は、天幕ギリギリで浮遊し、鋭い目付きで睨み付けてくる。

 薪からの明かりが、黒曜石の色に蜜の静寂のような模様を浮き上がらせていた。

 小さな蛇は、ネロの手首にクルンと巻き付いた。

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