第40話 ネロ 貴族様はプライドが少しお高い

 ネロは手始めに、リテリアの森をぐるりと囲っている柵の状態をカルジュに確認した。

 目に見える破損箇所はざっと三十を超えるらしいが、確実にそれ以上ある。

 模型に刺さっているバツ印の数は、報告のたびに増える一方であるらしい。

「現在進行形で壊れているものもある。魔物たちによって壊されているんだろうな」

 これまでに柵の破損や結界の破損の報告はあったが、ごくごく稀な出来事だ。柵はともかく、結界というのはそう簡単に壊れるものではない。

「カルジュ、小耳に挟んだのだが。勇者が柵を壊して中に入ったと聞いたが?」

「あ……ああ。あれな」

 カルジュが顔をしかめた。

 そして首をかしげたのだ。

「何があったんだ?」

 なんとなくマーガレットに聞かれてはいけない気がし、ネロは声を小さくする。

 カルジュも声の音量を絞った。

「確かに、有名な勇者様が柵を壊したよ……」

「どこだ?」

「正門のすぐ横だ。……応急処置は済んでいるし、警備員も多めに配置しているから、まあ大丈夫だろう。しかし、勇者たちがなぁ……ちょっとおかしかったんだよなぁ」

「おかしい?」

「突然豹変したんだよ。最初は、正門からきちんと外に出たんだ。人助けもして、礼儀正しくな。けどすぐに血相を変えて引き返してきて、中に入れろと暴れはじめた。いやー、驚いた。仲間がまだ中にいるだとかわめいていたんだ。けどなぁ」

 カルジュは首を左右に傾げては顎を撫でる。

「最初は、……仲間の魔法使いが先に外に脱出したと言ってたんだぜ? 迎えに行くが、もしも入れ違いで森に戻ってきたら、そう伝えてほしいと伝言を預かっていた」

 勇者はマーガレットが外に吹き飛ばされたことを知っていたのか。

「その時は普通に、誠実な好青年って風貌だったんだが、一時間もしないうちに物凄い形相で戻ってきてな、驚いたのなんのって。別人かと思ったよ。警備員も尻込みしちまって、その隙を突かれたんだ。よっぽど仲間の魔法使いが心配だったんだろうと、そう俺らも思うようにしているが、……あれはちょっと普通じゃないな。……それもあって、森の奥で何が起こってるのか……、恐ろしいよ」

 爆炎の勇者に一体なにが起こったのだろうか。

 ヒューイの異変が嫌でも思い出される。勇者もあの奇怪な魔力の餌食になっていたのだろうか。

「それで……それからその勇者の行方は?」

「わかんねぇな」

 非常に嫌な予感しかしなかった。

 ともあれ、少なくとも生きて森の中にいることは確からしい。

 ネロは部屋の隅っこで椅子に座っているマーガレットを見た。

 所在なさげ、あたりをきょろきょろと見まわしている。

「あのお嬢ちゃん、先に休ませてあげたほうがいいんじゃないか? 休む部屋と食事なんかは用意するぜ。職員がいないから、もてなせはしないが」

「お心遣い感謝する。マーガレット、先に休んでくれていていいぞ」

 ネロは声をはった。するとマーガレットはぴょこんと立ち上がった。

「え、あ。私、邪魔ですよね、すみません」

「いや、邪魔じゃない。疲れてないかと思って。カルジュ監視員が部屋を用意してくれるそうだ」

「あ、ありがとうございます。……でも、ネロさんが……」

「俺は結構時間かかるかもしれない」

「でも……」

 するとカルジュはネロの肩をポンと叩いた。

「お嬢ちゃん、疲れたら声をかけてくれ」

「あ、はい、ありがとうございます」

 安心したようにマーガレットは椅子に座りなおした。カルジュを見るとにやにや笑っている。

 そして親指を立てられた。

「……」

 なんなんだ。不快だ。

「……ちなみに、この正門以外との連絡手段はあるのか?」

「ああ、緊急用の電話やシステムが作動したから、主要箇所とは連絡がついている」

「緊急用ということは、正規のシステムは落ちているのか」

「そうだ」

「それはいつの話だ? 沿岸部、つまりハルリアの爆発の時点でなのか、その後におこった衝撃波の時点でなのか」

「衝撃波だ。爆発の時は、結界柵が破壊されたことと、広がる火災などの被害は酷かったが、それ以外の被害はなかった」

「衝撃波での被害は?」

「様々だ。魔具に分類される道具から、科学に分類される機械、そしてそのハイブリッドみたいなアイテム、すべてがおかしくなたよ、コーカルでは違うか?」

「機械にはあまり被害はなかったが、結界はことごとくおかしくなったよ。はは」

 ネロの頭には、まるで走馬灯のようにあの忙殺がよみがえった。

 そのせいでちょっと疲れが増した。

「……今は緊急システムだけでこの森は管理されているわけか?」

「ああ。職員のほとんどは安否確認のあとコーカル市からの待避命令に従って、殆どをリテリア宿や近隣の村へと避難させた。残ったのは管理職のみ」

「柵の周りにいる警備員は?」

「柵の『外』にいるだろう?」

「なるほど、ね」

 彼らは一応、避難民だった。

 しかし、システム管理者をも避難させるのは得策ではなかっただろう。

「ああ、一応、避難の前にできる限りの部分は復旧させてくれている。……上にはあまり悪く報告しないでくれるか?」

「……当然ですよ。現場の混乱は想像に難くない」

 ネロは末端職員としての立場で答えた。

 その横でカルジュは顎を撫で、にやりと笑った。

「実を言えば、俺たちはワクワクしている。不謹慎だと怒らないでくれよ?」

「ワクワク?」

「ああ。自然公園で仕事がしたいなんて希望するやつらは、動物や植物や自然が好きなやつらばかりさ。研究者なんかは、新しい魔物や植物に目をキラキラさせてる。森林保護師だとかレンジャーなんかも、……やつらは目をキラキラさせてはいないが、ともかく現状把握がしたいと。気持ちは分かるが、外に引きずり出してやった」

「ではそいつらを呼び戻そう」

「なんだと?」

「これから柵を直し、結界を張り、最低限の安全だけ早急に整える。人手不足だろう?」

 ネロがじっと見据えると、カルジュは苦々しい顔つきで、その通りだ、と吐き出した。

「保護している魔物の世話もままならない。正直、待避命令に最初は反発した」

「だろうな。とはいえ、全員は入れられない。我がリンミー家は、領民はいないがその分多くの市民の安寧を望んでいる。市民を危険にさらすのは少ない方がいい」

「偽善者はいけすかないが、上の立場にたつとその偽善もある程度理解できるな。こちらとしても怪我人が増えるのは避けたい。邪魔な荷物になるだけだ。それに、職員が減るのは困る」

 全くもって同感である。

「あんたはワクワクしているのか?」

 そうネロは尋ねた。

「ん?」

「仕事としてはともかく、個人としては? ワクワクしてるのか」

「……、まあな」

「制御室を見せてくれ」


 ネロとカルジュは隣接している結界の制御室へ移った。マーガレットも連れてきている。カルジュはなにも言わない。見せても大丈夫なのだろうかと、ネロのほうが心配になった。

 その部屋は広く、仰々しいほどに巨大な科学装置があった。

 正面の壁一面に巨大な黒い画面があり、他にも小さな画面や数値計が左右の壁に浮かんでいる。画面にはなにも映し出されていないが、数値計の針谷数字は常に動いていて、なにかを測定し続けていた。

 ネロが真っ先に確認したのは、結界呪文の管理システムだった。

 操作している手元の画面に、呪文公式が流れてゆく。

 科学と魔法の融合は、カンバリア共和国が世界に誇る技術だった。

「システムいじれるのか?」

 カルジュが言う。

「当然だ」

 国家公務員の末端魔法師を舐めないでいただきたい。実践をこなした数は星の数ほどだ。その数とほぼ同程度、科学装置もいじっている。

 結界が壊れたと悲鳴を上げる現象の十分の一は装置の故障である。また十分の七くらいは、装置を操作すれば修復できる。

 厄介なのが残り十分の二に相当する、結界の破損だ。

「ふーん……」

 装置のボタンや画面、レバーなどを触った。ネロの脳が熱を発し始めた。普段使っていない部分が目覚めてゆく感覚がする。

 若干楽しくなってくる。

 ネロの目と指が、完全に同期した。

 思うように指がボタンを叩き、浮かび上がった呪文を撫でる。微弱に魔力を放出しながら文言を唱え、プログラムを呼び出し、画面に映し出す。

 巨大かつ薄いクリスタル画面上に、光り輝きながら結界が浮かび上がった。

 その結界は、リテリアの森の地図上に表示される。

「なんだ、これ……」

 浮かび上がった映像に、ネロはたまらずつぶやいた。

「どうしたんだ?」

「ネロさん、どうかしたんですか?」

 カルジュとマーガレットが同時に訊ねてきた。

 彼らには、どこが問題なのか分からなかったのだろう。

 なぜなら、画面上に浮かび上がった画像には、森の柵を完全に取り囲んだ結界があったからだ。

「おかしい。壊れていないんだ」

「柵は壊れていたが、結界自体は無事だったってことか?」

 だとしたらどんなに良かったことだろう。

 残念ながら結界が壊れた証拠がネロの足首に巻き付いて、鎌首を上げているのだ。

 この蛇と遭遇したのは、結界の外だ。

「この付近で火災は? 森林火災」

「いや、この辺りでは確認されていない。沿岸部は酷いらしい」

 沿岸部。

 蛇は、燃えた樹木とまがい物の魔力によって生まれたのだ。

 リテリアの森の沿岸部から、その反対側に位置するリテリア宿付近までやってきていたことになる。

「カルジュ、この装置は見たのか?」

「見たが? 装置だけなら動かせる」

「あんたは結界を直せと言ったが、これを見てそう思ったのか?」

「……ん……、いや、」

「柵が壊れたから結界も壊れたと思ったんだな?」

「ああ、そうだとも」

 素人か。

 自然警備員という仕事に就く者の中には、魔術や法術をかじった者が必ずいる。

 もちろん全員ではないが、カルジュはあまり魔術に詳しくはない部類のようだ。

「残っている管理職のなかに、誰かこの結界について詳しい者はいないのか」

「いることはいるんだがな、ここにはいない。別の監視小屋に行っているんだ。そいつが言うには、結界も壊れているという話だったんだ。俺はその言葉を信じた」

「それはいつのことだ?」

 と、ネロが聞いた時だった。

 画面上に強い光が表示された。

 全員が一斉に画面を見た。

 画面右側にある結界の一部がひときわ強い光を放っている。

 ネロは急いで操作を再開した。

 光の放たれている部分の呪文を呼び出す。

 画面の上にさらなる画面がポンと出現すると、物凄い速さで文字列が浮かんだ。

 目で追うのもやっとだったが、ネロは追いながら恐怖した。

「なっ……、今、……今まさに呪文が書き換えられている! くそ!」

 誰かが結界を書き換えているのだ。

 しかも物凄い速さだ。

 そのうえネロの見たことのない呪文だった。

 文字を追いながら、ネロの脳はさらに熱を発した。

 見たことはないが、やろうとしていることが分かりそうだった。

 比較的新しい呪文公式が見受けられる。

 けれど、これは。

「これは!」

 召喚魔法の魔法陣だ!

 ネロは考えるより早くその魔法陣に干渉した。

 システムを完全手動にする。

 動力を電気から自分の魔力へ切り替え、結界の中へと己を介入させた。

 張り巡られている柵に、ネロの魔力が充填されてゆく。

 それを通して、ネロの中に森の結界の情報が流れ込んできた。

「………!」

 思わず感嘆してしまいそうになる。

 見事だ。

 ここまで見事に、書き換えを行っているとは。

 カンバリア国境の守護結界に匹敵する強固な結界が、まるで別物になっていた。

 怒りを覚えた。

 今すぐにでもこれを破壊し、書き直してやりたい衝動に駆られた。相手が屈辱を感じるくらいに、目の前でガラッと書き換えてやりたい。

 自分のテリトリーを犯された気分だった。許せない。ただでは済まさない。

 しかし、今怒りに任せて暴走するわけにはいかない。

 ネロはプライドを持って冷静に行動した。

 真っすぐに、迷うことなく、召喚呪文の文字列に強制介入。

 そうして思いっきり相手の魔力を弾き飛ばした。

 次々と画面上の文字が打ち消されてゆく。

 ネロは自分の魔力を操って、呪文のたった一文字を吹き飛ばしてゆく。

 すると、その飛ばされたところから先の呪文と、リンクしていた部分の呪文が一瞬で消える。

 パズルのように、文字というピースが消滅していった。

 文字列が後退してゆく。

 地図上の結界光がバグのようにピカピカ点滅していた。

「……な、なんか……、呪文が壊されていってますね」

 魔法使いの端くれ、マーガレットが声を震わせた。

「どうゆうことだ?」

「いえ、そのまんまです。簡単に言えば、おまじないの呪文の一文字を削り取って、意味をなさないようにした、みたいな。それが連続で起こってるんですよ。消されたほうは、必死で書き直しをしようとするんですけど、それよりも早く次の一文字か消されるので、どんどんどんどん呪文が崩壊していってるんです」

 その通りだ。けれど、ここまで用意周到な呪文だと、外部からの攻撃や邪魔が入ることを想定し、様々な保険をかけている。マーガレットが言うほどの優勢な崩壊ではないのだ。

 ああ、腹立たしい。

 こうなったら、こっちから仕掛けてやる。

 どうなったって知るか。

 ネロは、文字を消し飛ばした瞬間の空白を狙って、そこに新たな呪文を書き足した。

 消しては書き足し、書き足しては消しを繰り返す。

「ふん、馬鹿が」

 この俺が相手とは、運のない奴だ。

 ネロは笑いを堪えきれなくなってきた。

 今、実感でも視覚でも、ネロは相手を圧倒していた。

 相手の思惑をことごとく阻止し、そればかりか乗っ取りを仕掛けている。

 召喚呪文? ふざけてやがる。この俺が精魂込めて修復してきた結界を、召喚呪文に書き換えようだと? ふざけやがって! この俺を誰だと思ってやがる。

 後悔しろ、怯えろ、悔しがれ、お前は負けだ、俺の勝ちだ。

 消えろ。

 ネロは最後の一文字、いや最初の一文字を、ついに自分の呪文に書き換えた。

 その時、制御室にけたたましい緊急警報が鳴り響いた。

「ネロさん!」

「おい、おい! なにが起こった!」

 マーガレットとカルジュの叫び声が重なる。

 画面上に警戒を意味する文字と、爆発を映し出した画面。

「ふふふ、ふははははは!」

 ネロは笑い声をあげた。

 その爆発はネロが仕込んだ爆発魔法だ。

 見事に呪文は発動した。魔力をありったけに込めた高濃度の爆発。

 召喚の呪文どころか、下地にされた結界の呪文やその他もろもろまでを全部吹っ飛ばしたのだ。

 完全な無である。

 無。ざまあみろ!

「くく……くっ、くふふふふ……」

 見てろ。本番はここからだ。

 指を噛みしめながら悔しがって見てろよ。

 そしてネロはその無の上に、自分の呪文を書きこんでゆく。

 その呪文は、先ほど画面に並んでいた文字列よりもはるかに速いスピードで流れ、同時に結界を示す地図上に、光が幾筋も走った。

 画面上には、結界を表す光が描かれてゆく。

「ふはは……ふざけやがって、ふざけやがって! この俺を侮辱するとはたいした度胸だ」

 書き直してやる! 全部書き直しだこの野郎!

 ネロはありったけの力を込めて、幾重にも結界を重ね掛けした。

 変に干渉しようものなら、逆流して呪うような呪文までおまけしてやった。

「レンジャー、レンジャー、至急爆発場所周辺に出動! 当たりを閉鎖しろ!」

 カルジュがどこかに通信を飛ばしているのを聞きながら、ネロは夢中で結界の書き換えを続けた。

 模型の上に、でっかいバツ印が一つ追加された。

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