第39話 ネロ それはプライド。ネロ・リンミーの名にかけて


 模型についてすぐに訊ねはしなかった。まずは警備員の男性に向かい、改まって頭を下げる。

「改めて、私は結界修復の技師として派遣されました、ネロ・リンミーと申します。どうぞネロとお呼びください」

「リテリア国立自然公園の監視員のカルジュという。ネロ殿とは何回かお目にかかったことが」

「覚えてくださっていたとは光栄です」

「忘れる道理がない」

 そりゃあそうだろう。同じ顔をした有名人がいるし、そいつからなにか通達もあったに違いない。

「それで、今回の件について魔法師団とコーカル市長、どちから連絡が来ていましたか?」

 先にネロから聞いた。

 カルジュ監視員は一瞬口を一文字につぐみ、それから神妙な顔つきで言った。

「市長からの通達には、あんたが来るとは書いてなかったが?」

「市長から連絡があったというわけですね」

 どうやら腹の探りあいはお互い様のようだ。

「あんたはどちらからの命令で来たんだ? それによっては依頼の内容が変わる」

「いや、まずその依頼内容とやらから聞かせてもらいましょうか? 因みに、私が最初に受けた依頼は、ハルリアの魔法師から結界修復の依頼があったから行け、というもの。それは、……森がこうなる前のこと。聞けば、元はこちらから魔法師団へ柵の修復を依頼したらしいですね。それでハルリアの魔法師が対応した、と」

「その通りだ」

 上司と兄からは全く詳細を聞かされていなかったが、これで合っていることが今証明された。

 さて、どうやって話しを持っていこうか。

 最終的にはハルリアの現状とその原因をつかむのが目的だ。それがロキの命令である。

 サヴァランについては詳細不明だ。

 サヴァランがなにを知りたいかは分からないが、おそらくネロ自身が知りたいことと同じだろう。

 魔法師として何を知りたいか。それを追求すればサヴァランが求めるものに辿り着く。

 柵を直すという建前と、ロキの命令と、サヴァランと自分の欲求を満たす探求。

「私が依頼を受けた時と『今』では、残念ながら状況が違ってしまっている。柵だけ結界を張り直すだけでいいならそうするが、これを見る限り……そうは言っていられないのではないですか?」

 ネロは模型に突き刺さる無数のバツ印のピンを見下ろしてから、カルジュの目を真っ直ぐに見据えた。

「……、依頼内容を聞かせてもらいましょうか。カルジュ監視員」

「こちらが出した依頼は二つだ」

 カルジュは言った。

「一つは、カンバリア国への救援依頼。二つ目は、魔法師団への柵の修理依頼」

「カンバリア国への救援依頼とは?」

「爆発だよ。……沿岸部で爆発があった。ハルリア村の辺りだ。自然公園の警備員も何人か巻き込まれたし、森の一部が炎上した。まだ燃えているかもしれんが、近寄れない。軍は救援には来てはくれんし、森の動物たちの様子がおかしい。そんな最中にあの衝撃波だ。磁場も狂うし、結界がことごとく変になった。この辺りも、見た目だけなら普段となんら変わらない。大自然が広がる豊かな森だ。だが中身がまるで変わっちまったんだ」

「具体的にどのように」

「具体的になんて言えるか。少なくとも、俺たち専門家が長年信じてきた研究結果が、信用できるものではなくなった、そう言える」

「……、つまり、そこの棚にある神獣図鑑の内容が、今のリテリアの森の神獣には当てはまらなくなったということか?」

「ああ、その通りさ」

「爆発の話しは初耳ですが、なんですか」

 マーガレットがそのようなことを話してはいたが、それ以外のどこからも聞いていない。ここで聞いたのが初めてと言っても過言ではない。

「……きっと国の上層部しか知らんのだろう」

 ではロキもサヴァランも知らないのだろうか。いや、サヴァランはもしかしたらなにかをつかんでいた可能性がある。

「はっ。国なんて頼りになんねえ。コーカル市もだ、コーカル市の権限でも軍を動かせないとよ!」

「そのようですね」

「まるで他人事だなぁ」

「で、コーカル市からの返事はそれだけですか? 私が来るとは聞いてないとさっき口にしていたが、……誰が来ると?」

「誰が来るもなにも、………………、コーカル市はこの件を魔法師団に一任する、と」

「魔法師団に一任だと! まさか! 市長がそう決めたのか?」

 嘘に決まっている!

 うさん臭い!

 ネロは心の中で大いに叫んだ。

 けれど、まさに今現在進行形でうさん臭さに鼻を曲げているのは、目の前のカルジュだろう。

 魔法師団に一任したと通達した当の本人と、まるで同じ顔の人間が来たのだから。

「あんたはコーカル市長から派遣されてきたのか? それとも魔法師団から派遣されてきたのか?」

「その立場によってどのように依頼内容が変わる?」

「……コーカル市長から言われてきたなら、……ハルリア一帯をなんとかしろ。魔法師団からなら、この森と結界をなんとかしろ、だ」

 依頼というよりも、カルジュの本音のように聞こえた。

「まさか、あんたが来るとはな。……、コーカル市はここを見捨てていなかったと思って良いのか?」

「それは市長に聞いてくれ」

 魔法師団に一任。

 それはコーカル市が権限を放棄したとも取れる。

 だが、見方を変えれば、魔法師団とコーカル市政が一つになったとも取れる。

「………………、ではこうしよう、ネロ・リンミーが市長の代わりに、魔法師団から派遣されて、ここに来た。これでどうだ?」

「……そう考えていいんだな?」

「ああ、かまわない。ネロ・『リンミー』の名にかけて、責任を持とう」

 コーカルにおいて絶対権力のある貴族の一員として。

 まあそれに、ネロの立場としては、コーカル市から一任されたらしい魔法師団コーカル支部長サヴァランの正式な命令があるのだから、目的遂行の建前に一切困らない。変な名目も必要ない。

 必要なのはカルジュのほうだろう。

 依頼主が誰に何を頼むのか、それは相手の立場によって変わってくる。

 なんでも言うこと聞くよと言われても水道業者に心臓病を治せとはいえないし、医者相手に水道管を直せとも依頼できない。

 今ネロは、魔法師団と市長の立場を手に入れたわけだ。

 カルジュは、魔法師団と市長への依頼をネロに託せる。そしてネロは、魔法師団と市長の市長が手に入れるべき情報を、いち早く手に入れることができる。

「分かった。ではあんたにこの森とハルリアを任せた」

「任されよう」

 ネロは胸を張り、貴族然として答えた。そしてほくそ笑んだ。

「…………因みに、魔法師団からはなんと?」

「腕の立つ修復師を派遣したので、困っていることはなんでも依頼せよ、と。魔法師団のサヴァラン所長の署名入りで。ゾエの魔法師団からもそのような通達が。サヴァラン所長肝いりの技術者だから、大いに頼れと」

「あ、そう」

「いやー、あんた凄い人に認められてるんだな」

「まあな……」

「なんでも頼って良いなら、保護センターの糞掃除と餌やりも頼んで良いか? 神獣の世話もできるらしいじゃないか。今、センターの人間のほとんど柵の外にいるから、人手が足りてなくてな!」

 はっはっは。カルジュは大声で笑い、それから真面目な顔になった。

「まずは森の結界を最優先にしてほしい。今の魔物や神獣が人里に出たら、対処できないだろう。外にいる冒険者も厄介だ。……下手をしたら魔人と人間との関係が悪くなっちまう」

 カンバリア共和国は魔物と人間が共存した国だが、それはかなり繊細な関係だ。魔物をむやみに傷つければ、魔人たちの反感を買うだろう。

 だが、今ネロの足首に巻き付いている蛇同様、リテリアの森の生態系が狂っていて、奇妙な魔物も生まれている。

 その魔物が人里を襲えば、人はギルドを頼り、冒険者は魔物と戦うだろう。

「ああ。私の一番の目的は、結界柵の修復ですからね」

 サヴァランの極秘任務も、ロキからの極秘任務も、ネロが食い扶持を稼いでいる正規の仕事より優先順位は下なのだ。

 なにせ国家公務員法の一番下っぱ。

 目の前の仕事が一番大事。

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