第38話 ネロ それは男の矜持の代価交換
ネロはマーガレットのもとへ駆けた。
「おーい、大丈夫だったか?」
マーガレットは、冒険者くずれだちや警備員たちと一塊になって、まさしく人壁のように柵すれすれにいた。
皆、ひしっと体を硬直させてネロの方を見ている。
「なんだ? どうした。あ、ほら、ペットができたぜ」
蛇がくるっと巻き付いている姿を見せようと、足を軽くあげて見せた。アンクレットみたいになっている。
「ひっ」
「ひって、……可愛いだろ。そんな声出すなよ。かわいそうじゃないか」
「い、いや、だって……だってだって……、ネロさんっ」
「なんだよ」
「なんだよって……、だって、」
「……まあいい。これから森に入る。マントを返してくれるか?」
ネロはマーガレットに貸していたマントを手に取ると、バサッと音をたてて羽織った。肩の飾り留め具で押さえてから、背中の鞘に剣をしまう。
それから預けていた鞄をもつと、なぜか周りがざわっと音をたてて遠ざかった。
マーガレットすらも数歩後退りをした。
「なんだよ」
「す、すみません。…………、ちょっと……、事態が飲みこめてなくて」
「あー、さっきの蛇は、あの衝撃波の影響で生まれた新しい魔物だった。この森の樹の死骸から生まれたみたいなんだ。衝撃波のときの火を取り込んでたんだな。あんなデカさだったが、本当は魔物の赤ちゃん。そしてこれが本体さ」
やや嘘である。
けれど、そう言っておいた方がいいだろう。
あの魔物は実は弱い。怯える必要はない。そう脳に刷り込ませておいた方が、今はいい。
まさかあんな化け物がリテリアの森のなかにうようよ生まれていると知れたら、未曾有の大混乱が生じる。
この冒険者もどき達は、特に。
「これが本体だったんですかあ!?」
マーガレットはネロの足首を見つめながら叫んだ。
「そうだ。実際は赤ちゃん蛇さ。たいした力はなくて、お湯をかけたらちっちゃくなったんだ。俺たちは見かけにまんまと騙されたって訳。ま、あんな巨体が突進してくるだけで、こっちにとっては驚異だけどな」
「へー。こんな小さいのに、凄いですね」
「自己防衛の擬態みたいなもんだろうな」
「ほんと、よく見るとお目々くりっと丸くて、可愛い」
「怯えてるみたいでな、足から離れない。森の安全なところに戻してやろうかと思うが、それまではペットだ」
「森でママとパパに会えるといいねー、蛇ちゃん」
すっかりマーガレットは警戒を解いたようだ。
無邪気すぎる。周りの大人たちはまだ戸惑い中だ。
そう言えば、爆炎の勇者一行は動物の保護なども行っていたとか言っていた。その影響で魔物や神獣の類いに慣れているのかもしれない。
「森の精霊とも話ができた」
「さすが妖精憑きですね」
「精霊憑きな」
「なにか違いが?」
「それは分からん。専門外だから。ともかく、この森の精霊にいろいろな話を聞けたから、中に入るぞ。野営場も聞けた」
「入るぞって、けどネロさん……、今は立ち入り禁止ですよ?」
「……、……、……、そうだったな」
立ち入り禁止だったのだ。
一般人にとっては。
ネロはぐるりと辺りを見回した。
冒険者崩れと武装警備員がずらりといる。
どうしたものか。
正門へ行き魔法師団のペンダントを見せれば、ネロはすんなりと、もしかしたら歓迎を受けて中に入れるだろう。マーガレット一人なら連れていっても問題はない。
しかし。
その光景を冒険者崩れたちが見たら。
「………………、どうしようか」
「簡単なこった! みんなで柵をこじ開けちまえばいいのさ!」
どこからがそんな声が上がった。
さっきまでひしっと固まっていた人々が急に活発化した。
「あんな化け物がいるんだったらなおさら中に入れろ!」
「俺たちを締め出してどうするつもりなんだよ!」
「お前ら何かを隠してるんだろ!」
「やましいことがないならここを開けろ!」
「俺たちの自由を奪うな! 市民の安全を考えろ!」
「討伐こそが安全!」
「中に入れろ!」
「俺たちを中に入れろ!」
「爆炎の勇者! 聞いているか! 俺たちが力になる!」
「今行くぞ! 勇者!」
「革命だ!」
冒険者たちが己の立場を思いだし、叫び、武器をこれ見よがしにひけらかすと武装警備員たちを威嚇するのだ。
武装警備員はいっせいに、盾を壁のように並べた。それして冒険者たちが武器を片手に突撃してゆく。
暴動さながら。いや、紛れもない暴動である。
気を取り直して。そんな言葉がぴったりの、活気のある暴動だった。
「……」
ネロはそっとマーガレットの肩をつついた。
そして、しー、と人差し指を口に当ててから、その指で、ついてこい、とジェスチャーした。
混乱に乗じて、ネロは正門の脇にある小さな窓をノックした。
窓の向こうには中年の、しかし体格のがっしりした警備員がいる。
武装はしていない。あっちが覚えているかは分からないが、ネロは何度か見たことがある警備員だった。
ネロは小さく手を振った。
窓が開いた。
「なにか用かね?」
マーガレットはネロの後ろにビクつきながら立っている。
「仕事で来たネロ・リンミーだ。中に通して欲しい。上から連絡がいっていると思う」
そう言いながら、マーガレットに見られないように魔法師団のペンダントを引っ張り出した。
「そういや、あんたは見た顔だな。……、ああ、確認がとれた。だがここから入れると角がたつ。もうしばらく柵にそって向こうにいくと、そこから入れる場所がある。部下に伝えておくから、そっちに回ってくれ」
「分かった、ありがとう」
「あいつらには気づかれないようにしろよ。面倒だ」
あいつら、と顎で暴徒を指し示し、トンと軽い音を立てて窓が閉められた。ネロはガラス越しにもう一度頭を下げた。
「よし、行くぞ」
「え? あの、入れるんですか?」
「しっ。黙って。何でもない顔でついてこい。……、『しょうがない、どうやって入るかは明日考えよう。ひとまず休める場所を確保だな』」
「え?」
「話しを合わせろ」
「あ、あー『そーですね、お腹すきましたし。蛇ちゃんにも餌をあげましょう』」
「『魔物の赤ちゃんは何を食べるんだろうか。ミミズかな』」
「ミミズはネロさんがとってくださいね」
「……」
しばらく歩くと、冒険者崩れの姿がまばらになって行き、ついには冒険者は誰もいなくなった。
人間の心理として、入り口や出口があるとそこに自然と集まりやすくなる。
こちら側の武装警備員はどこか退屈そうに見えた。
もうしばらく歩くと、周りの警備員より一歩だけ前に立っている者がいた。
ネロの姿を見て、くるっと体を向けて敬礼をする。
「お待ちしておりました、ネロ・リンミー様」
若い男である。
「どうぞこちらよりお入りください」
警備員が槍の石突きでトントン地面を突くと、柵が光った。
そして楕円形の空間が広がり、人一人が潜れるくらいまでになる。
「どうぞ」
「ありがとう。……ああ、この少女は仲間ではないが、ハルリアに姉がいるらしく、連れていくことになっている。上から聞かれたらそう答えてしまってかまわない。なに、私の私費で賄うから、この子の旅費は経費で請求しないよ、と」
「かしこまりました」
「聞かれたらでいいからな。こちらから言わなくていいぞ」
念を押せば、若い警備員は笑った。
「かしこまりました」
「頼んだ」
そうしてネロは、ようやっとリテリアの森に入ることができたのだった。
森の中。
すぐ後ろは柵である。
だが一歩でも柵の内側に入れば、空気が一変する。
清々しい。瑞々しい。そして、静謐な雰囲気である。魂の疼きが鎮まるような、厳かさがある。
ネロとマーガレットは深呼吸をした。
「……ふう、凄いな、相変わらず……」
「……ですね。ホリエナに似てます。けど、少し違うかな。こっちの方が重厚感があります」
「……落ち着く……」
「ですね」
「って、落ち着いてもいらんないんだ。行くぞ」
「え、あ、ちょっと待ってくださいよ!」
ネロは早足で歩き始めた。
まず向かうのは警備員が常駐している施設だ。
「ネロさん、どうして入れたんですか? こんなにあっさり」
「仕事だからさ。上司からここにすでに話が通っていた。そんだけだ」
「極秘の覆面調査ってやつですね。……本当に極秘で覆面?」
「極秘で覆面でも、話しは通すとこは通さないと。入れやしないだろ」
「それもそうですね。で、私はハルリアに姉はいませんよ?」
「いるかもしれないだろ、今、お前を探してハルリア村に赴いて、滞在中かもしれないだろ」
「……、ネロさん、なんか……詐欺師っぽいですね」
「なんだよ。せめて弁護士とか言えよ」
「なんで」
酷いやつだ。せっかく入れてやったのに。しかも、半分下心で助けてやっているんだと思われているというのに。
あの若い警備員がどれだけ言葉の裏に隠された意味を理解しているか分からないが、あの念押しをしておけば、分かる奴は下心を見破るだろう。
そうすれば、同じ男同士、しょうがない黙っといてやるよ、と見逃してくれるはずなのだ。
そう『見破って』くれるのを期待している。
サヴァランとロキに黙っていてくれよ、頼むから。
当然まだ森の深部ではないので、足元は歩きやすく整備されていた。所々に小さな常夜灯がある。それに従い進むと、一軒の平屋の建物が見えてきた。
「あ、ここって自然保護協会の敷地内だったんですね」
ネロとマーガレットはその広い建物の脇を半周し、表玄関から訪ねた。
「夜分遅くに申し訳ありません、柵の修理にコーカルから派遣されて参りました、ネロ・リンミーと申します」
すぐに鍵が開く音がして、先ほど窓の向こうにいた中年の警備員が現れた。
「いやー。待っていた、本当に待っていた、さあ入ってくれ」
「早速ですけれど、今の状況を教えて欲しい」
「もちろんだ」
警備員が中へと足早に案内してくれる。
ネロは小声でマーガレットに囁いた。
「これから奇妙な話しをするかもしれないが、なにも言うなよ。もう極秘任務が始まっているからな」
「は、はい」
通されたのは、正面に巨大な地図が壁に張られた、資料室のような場所だった。
部屋の中央には広いテーブル。
リテリアの森の精密模型が設えてある。
その模型には、大小様々な赤いバツ印が無数につけられていた。
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