第34話 ネロ それは二つ名《火竜》のマーガレット

「では、ありがとうございました」

「ありがとうございました、お世話になりました」

「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございます。森からの帰りにでも、お顔をお出しくだされ。楽しみにしております。神のご加護のあらんことを」

 神の。ネロは思わず苦笑いをした。

 ネロとマーガレットは教会を後にした。

「なあ、まだむくれてるか?」

「もう大丈夫です!」

「ほんとか?」

「大丈夫だって言ってるじゃないですか。しつこいですよ」

「いや、女性の大丈夫を本気にすると、後々痛い目見るからな。あそこはもっと踏み込んで対応すべきだったでしょ、あんなの建前に決まってるじゃない、もっと慰めて欲しかったし心の底から謝るか、なんならしらを切り通してほしかったの、とか一か月後に蒸し返されても困るしな」

 それを聞いたマーガレットは眉をハの字にした。

「……、すみません、なんか、余計な悲しい過去を思い出させてしまったようで。あの、別に慰めてもらわなくて大丈夫ですし、心の底から謝れとも言わないですから……」

 今度は逆に申し訳なさそうに謝られてしまった。

 なんだろう。

 釈然としない。

 ネロは変なモヤモヤを抱えたまま、リテリア宿の出口を目指した。

 宿場町は殺伐としていた。まだ朝のうちだというのに、その辺にゴロツキもどきがたむろしている。

「なんだかこの辺は特に治安が悪そうですね」

「ああ。さっさと抜けてしまおう」

 ネロとマーガレットは速足になった。

 しかし、

「おい、あんた。あんたもリテリアに向かうのか?」

 なんだか胡散臭そうな魔導士に声をかけられてしまった。

「ああ。はい。そうですけど。急いでいるんで、じゃあ」

 ネロは半ば無視をして足を速めた。

「どこのおっ坊ちゃんだか知らないが、リテリアの森ではこれから革命が起きるんだ、冒険者気取りは邪魔だ。さっさと帰んな」

「あ、はい。そうっすね。じゃあ、急いでるんで」

「その背中の魔法剣、おいてけよ。俺が使ってやるよ」

「いえ、この剣は給料の半年分なんでお断りします」

 もちろん嘘だ。

「んだと! 俺のほうが断然使いこなせるんだよ! これから爆炎の勇者様のところに集うんだぜ? 見栄えのいい道具を探していたところなんだ。その魔法剣だって、勇者の元に集う俺に使われたほうがいいと思うぜ?」

「いえ! まーったく思いませんね!」

 そう叫んだのはマーガレットだった。

「爆炎の勇者は、あなたみたいなただ暴れたいだけの人とは違います。勇者の名を出して、革命だとか勝手に言わないでください! しかも人から奪った魔法剣で行くとか、最低ですよ! だったら、多少頼りないけれどネロさんが持っていたほうが断然いいです!」

「ははは、なんだこの小娘。そんな小学生みたいな杖持って、お前も魔法使い気取りか?」

「……、そうですよ! 私は爆炎の勇者のパーティーメンバーなんです!」

 絡んできた魔導師は目を丸くし、そして笑い出した。

「なんだって、お前が? あははは、面白いこと言うじゃないか! 爆炎の勇者の魔導士ってのは、炎竜のマーガレットだろ?」

 なにそれ。痛い名前。

 ネロは思ったけど顔には出さなかった。大人だからだ。

 勇者の仲間になると恥ずかしい二つ名が与えられることが分かった。

 やはり勇者など目指すべきではない。

「そうですよ! 私がそのマーガレットです! 分からせてあげますよ!」

 マーガレットは樫の木の杖を構えた。

 たしか、樫の木の杖では魔法はへたっぴだったと言ってなかっただろうか。ネロが不安になっているのをよそに、マーガレットが呪文を唱え始めた。

 聞きながら、なるほど炎竜か、とネロは思った。

 四大元素魔法の火を司る、サラマンダーの力。

 マーガレットが詠唱しているのは、火の王サラマンダーの業火を呼び出す魔法だ。サラマンダーの火は、火の魔法の中でも最も密度があるとされる。

 だが、四大元素の王たちはどれもプライドが高く、使いこなすのは至難の業だ。

 マーガレットの杖の前に炎の塊ができはじめる。そばにいるだけで肌がただれそうな熱さだ。

 ネロは感心した。

 そこそこの密度の炎を呼び出せているじゃないか。凄いぞ。

 マーガレットは苦しそうだ。炎がまるでワームのようになって、渦巻いている。

 小さいとはいえ、それは炎の竜だ。けれど、汗をだらだら流しながらも、笑った。

「これ、発動させましょうか? あとは呪文をつぶやくだけで、あなたはあっという間に火だるまですよ」

 魔導士はさすがにまずいと思ったのか、及び腰になってすぐさま逃げだした。

「ふん! 口ほどにもない!」 

 炎竜のマーガレットか。

 きっとサラマンダーの炎を竜のように操って、勇者の元で活躍をしていたのだろう。

「お前、凄い炎が使えるんだな」

 褒めた。素直な感想だった。

 だがマーガレットは険しい顔つきで黙っている。

「……」

「それ、いつまで出してるんだ?」

「……」

「あいつ、もう逃げてしまったぞ? んで、周りからも人が逃げ続けているんだが?」

 炎の竜はゆっくりと巨大化していっている。

「ネロさん」

「ん」

「まったくどうにもなりません」

「ん?」

「こんなに炎を出すつもりではなかったんです」

「ほお」

「……今、サラマンダーの炎が、この世界にねじこまれています」

「どーゆーこった」

「……、魔力で開けた小さな穴に、これでもかっていうくらいの炎が押し寄せています」

「サラマンダーとは契約は?」

「契約? 何言ってるんですか? なんですか、それ」

「サラマンダーと契約していれば、多少はわがままを抑えられるが」

「言っている意味が分かりません! ともかく、ヤバいです!」

「ヤバいのか」

「暴走します! この辺一帯が炎の海に変わりますよ!」

「前は抑えられていたんだろ? 大丈夫だろ。やってみろ」

「無理ですよ! 暴走寸前なんです! 経験あるでしょ? こうなったら手に付けられません!」

「いや、そんな経験はない」

 しかし、その時マーガレットの樫の杖が砕け散ったのだった。

「きゃああ! うそおおおおお!」

「マーガレット!」

 ネロは吹き飛ばされそうになったマーガレットを抱えて地面に伏せた。

 頭上を炎の竜がかすめてゆく。ものすごい熱さだ。ただの炎と違うのは、炎に意思があり、むやみやたらに引火しない点だ。

 それが不幸中の幸いだが、自然に燃え移らなということは自然に消えることもない。

「おいおい……ほんとに暴走してんのか」

 頭を上げることができない。おそらくリテリア宿の上空には炎の竜がうごめいているのだろう。

 ネロもさすがに熱さで苦しくなってきた。

 意思をもって周りに火をまき散らし始めたら、言葉の通り辺り一帯は火の海になるだろう。

 ゴロツキどもはともかく、一般人にも被害が及ぶことは許されない。 

 しかも勇者の仲間が加害者。

 しかも、魔法師がそばにいる。

 しかも、その魔法師は貴族である。

 しかも、コーカル市長の双子の兄弟である。

 俺の人生が危ぶまれているじゃないか。

 ネロは熱さとはまるで関係のない冷や汗をかいた。

 どうしようか。このままサラマンダーの炎を自分のものにしてしまってもいいのだが、そうすると、今後マーガレットがサラマンダーに嫌われてしまう可能性がある。

 サラマンダーに対抗して、水の王でも呼ぶか。

 いや、悩んでいる場合ではない。

「しゃーない」

 ネロは地面に這いつくばりながら、胸からあのタリスマンを引き出した。

 魔公サヴァランのタリスマン。

 これには四大元素魔法に効果がある。

 呪符ではない。タリスマンなのだ。

 身に着ける者の力を吸い取るが、これはタリスマン。

 ネロは自分に言い聞かせた。

 サラマンダーは四大元素。

「よし」

 仰向けになり、マグマ色の渦を見つめながら、魔力のこもった指でタリスマンの表面をこすった。


《吸いつくせ》


 タリスマンがほの白く光った。

 その瞬間、炎が勢いよく吸い込まれていく。

「きゃあ! なに!」

 そばにいたマーガレットが泣きそうな声を上げていたが、ネロはタリスマンを凝視していた。

 その唇には、つい笑みが浮かんでしまった。

 凄い。

 と思ったころには、頭上は凪いでいた。

 体を起こすと、きれいな青空が広がり、どこかで鳥が鳴いている。

 周りからゴロツキもどきもいなくなり、ふわっとすがすがしい風が吹いた。

「……ネロさん」

「ああ。大丈夫。このタリスマンがサラマンダーの炎を全部吸い取ったんだ」

「……」

 胸元には、少しだけ光るタリスマン。

 ネロがそっと魔力の触手を伸ばしてみた。タリスマンがネロの魔力を貪るようなことはなかった。

 サラマンダーの魔力にご執心なのかもしれない。

「……そのタリスマン、本当にお高くてたいそうなものだったんですね」

「お高くてオソロシイものさ」

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