第32話 ネロ 星の魔


 さわやかな朝だった。

 ネロの部屋には気持ちのいい風が入り込んでくる。

 窓を開けていただろうか。

 いや、開けていない。

 ネロはハッとして起き上がった。

 すると、コロコロとなにかが転がり落ちた。それは黒くて小さななにかだ。

 魔の妖精だった。

 そういえば、夜中に使役したのだった。眠りに落ちるときには十体の立派な精霊だったと思ったが、今は手のひらに乗るくらいに小さな姿になっている。

 羽を摘まんで拾い上げると、


《マイマスター》


 と可愛らしい声で呼ばれた。

 それに呼応して、ベッドの上で丸まっていたり床に転がり落ちていた妖精たちが、ふよふよと浮かびだした。

「お前ら……、……あれ? タリスマンは?」


《マイマスターの首に》


 ネロは自分の胸元を見た。

 魔法師の証の下に、あの禍々しいタリスマンがきらりと光っている。

「うわああああ!」

 ネロはタリスマンを外して力いっぱいぶん投げた。

 タリスマンは窓の向こうに消えた。


《マナ!》


《マナ!》



「……、しまったぁああ! やばい!」

 魔の妖精たちは窓から飛び出していった。ネロも慌てて部屋を出て階段を駆け下りる。

「おや、ネロ殿。おはようございます」

「おはよう司祭殿、ちょっと庭に失礼!」

 ろくな挨拶もせずに、ネロは中庭に飛び出した。

 ついつい放り投げてしまったが、あれはロキ曰く国宝級である。しかも魔公作で、魔王の力が入っている。

 無くしたとなったらヤバい以上のヤバさだ。

 中庭の魔法陣の上にはなく、林檎の木のそばにもない。ほかにも小さな花壇などがあったり、小さなベンチも置かれているけれど、その付近にも無い。


《魔よ。どこだ? タリスマンを追いかけたんだろう?》


 返事はない。

 俺よりも魔王マナが好きだからな。

 そんなことを思いながら、ネロは自分がいた部屋を見上げた。そしてゆっくりと地面を見る。

 その部屋から投げたのだから、ちょうど魔法陣の上あたりに落ちていると思ったのだが。

 この魔法陣はどこにつながっているのだろうか。まさか、魔法陣の先にワープしてしまったのだろうか。

 ネロは再び建物の中に入り、司祭に尋ねた。

「司祭殿、あの魔法陣はどこにつながっているのでしょうか。みたところ、移動魔法の陣のようですが」

「ああ。あれは教会と教会をつないでいます。あとは転移魔法の受け皿にすることもできますな。ゾエの街の魔法師殿は、この魔法陣をよく知っておりますし、研究者でもあります。ので、ネロ殿とマーガレット嬢がここに、」

「教会ですね。それはまずいな」

 ネロは司祭の話を途中で切った。しまったと思ったが、それどころではない。

「どうかしましたか?」

「先ほど、私が身に着けていたタリスマンを誤って落としてしまったんですよ。中庭を探しても見当たらないので」

「はあ、それは困りますな。しかし、あの魔法陣は使えませんから、どこかにワープしている心配はありません」

「使えない?」

「いえ、使えますが、使えないんです。どうゆことかと言いますとな、こちら側と移動先の両方が『蓋』を開けていないと使えません。実践に縁のない聖職者の使うものですからね、少ない法力で使用するためにいろいろと制約があるんですな。魔法師殿には考えられないことでしょうが」

「いや、そんなことは。私も、結界を張るときはわずかな魔力で効果を持続をさせるために、色々な制約付けの陣を重ね掛けするので。しかし、そうすると……どこに?」

「せっかくですので、妖精に探し物をさせてはいかがでしょう?」

「妖精にですか? 大丈夫でしょうか」

 ネロは精霊や妖精に頼みごとをするのが嫌だった。

「ネロ殿はおそらく、ご両親に怖い話ばかりを教わったのではないですか。きっと、精霊にしてはいけない禁止事項の魔術書を沢山与えられた? どうでしょう」

「ええ。まあ。……そうですね」

「これが魔術師の家系であったり、魔法使いが家族の誰かにいたりすれば違ったのでしょうが。精霊は本に書かれているほど怖いものではないですよ。人間にもいろいろいるように、精霊にもいろいろいるのです。ここに住み着いている妖精や精霊は、昨日ネロ殿に優しく慰められたので、きっとネロ殿のことを好いているはずです」

「……」

 怖がらせたままのような気がする。

 けれど試しに、妖精や精霊を《視る》ようにしてみた。

 妖精は、司祭のまわりを蝶のようにひらひらと飛んでいた。

 そして自分の周りにもいた。

 中庭はまるで春の花畑のようだった。林檎の木には、周りよりも少しだけ多くの妖精が飛んでいる。

 ネロはそっと中庭に降り、ひらひらと近寄ってきた妖精に手を伸ばした。

 儚い妖精だ。羽だけのような存在。

 その妖精はネロの指にとまった。

 嫌な感じはしない。

 それどころか、ちょっとかわいい気もする。

 花の蜜を吸うようにネロの魔力を吸っている。それは微々たるもので、粉砂糖の一粒分にも満たない。

「もっと飲んでもいいんだぞ?」

 ついそのように声をかけた。

 すると妖精はぱっと離れ、ネロそばを周回してから、再び指にとまる。だがやはり、吸うのは微々たる量。そして他の妖精が来ると場所を交代。別の妖精が、やはり粉砂糖一粒に満たない量を吸って、また別の妖精と交代する。

「なあ、誰か俺の落としたタリスマンを知らないか?」


《魔》


 声がした。


《魔 持って行った》


「どこに隠したかわかるか? あいつらは、俺よりも前の主のことが好きみたいで、返事をくれないんだ」


《椿》


《椿》


《椿の精》



 椿。魔たちは何度か話題に出していた。魔の家だと。魔王マナの香りが好きだと。

 けれど、椿の精、か。


「案内してくれないか?」


《いいよ》


《いいよ》


《いいよ》


《まって》


《一緒に》


《ぬけがけ》


《ずるい》



 妖精たちの声がたくさん聞こえた。

 気が付けば、ネロの周りには様々な色の妖精が集まっていて、しかし魔力を食べるわけでもなく、ひらひら飛んでいる。

 そして蝶の道さながらの道案内を始めてくれた。

 ネロは妖精たちにいざなわれながら、墓地に向かう小道を歩いた。

 司祭に案内された道とは違う道だ。

 妖精たちはネロに様々なことを教えてくれた。

 この墓の下には小さな女の子がいる。その子はたまに外に出てきて、一緒に遊ぶ。ここのお墓には意地悪なおじさん。だから誰も弔いに来てくれなくて、司祭が一生懸命供養している。あそこのお墓には誰もいないの。骨はずっと前に持っていかれた。けれど誰もそれを知らないの。あそこのお家の人はそれを知らずに毎月お花を供え来るの。司祭も知らない。

 そして、


《あそこは マナのお墓》


《マナの 家族が作った お墓》


《あの椿 マナの恋人が植えた椿》


 と、慰霊碑と椿の小道を示して言った。



「え……?」



《マナは 人間よりも長い時を 生きた》


《マナは 生き物ではなかった》


《マナは 永遠に 生きる》


《でも マナは飽きた》


《マナは旅に出た》


《いつか戻ってくる》


《恋人もマナを待ってる》


《椿の精になって 待ってる》



「…………」

 魔王マナ。

 原初の魔王。

 原初の魔王の名前は不明だった。

 マナというのは、今では魔力の源という意味である。

 魔術のきほんのきという入門書の初めのほうに出てくる用語。

 ネロはなんだか冷や汗が出てきた。

 マナは、原初の魔王は、魔力の源。





 白い花びらに黒いフが混じるという椿の小道。

 ネロはその手前で立ち止まった。

 椿がほんのりと輝いている。朝日とはまた違う光だ。

「魔?」

 ネロが尋ねると、椿の根本付近から黒いものが飛んできて、ネロの耳や肩に集まった。


《新たな主が その方ね》


 柔らかな声。女の声かと思ったが、男の声でもあるようだ。

 そうか雌雄同体の植物だからか。

 椿の光が少しづつ一か所に集まってゆき、朝日の光の中、透けるような姿を現した。

 それは白い髪をした、女性のような精霊だった。

 裾の長い白いドレスを身に着けていた。


《あなたが椿か? 魔王マナの恋人が植えたという》


《そうです 魔の新たな主よ》


《俺のタリスマンを、魔があなたの元へと持ってこなかったか?》


《ええ いただきました》


《すまないが 返して欲しい》


《……》


《……そのタリスマンの中に入っている魔王の力。それが名残惜しいのか?》


《はい ですが このペンダントも 名残惜しいのです》


《ペンダント自体がか?》


《……懐かしいのです これは これは ……》


《どうした?》


《忘れてしまいました 私は もう 椿の精になってしまったので 忘れてしまいました》


《前は違ったのか? 椿の精ではなかった?》


《はい 私は 椿を依代に 待っていたのです あの方を マナを》


《……お前が、魔王マナの恋人、なのか》


《いいえ 私は マナの恋人では …… マナと愛し合った者は 別にいます 私は マナを愛しました ですが マナが愛したのは 私ではなかった》


《そうか……》


《マナは 再び 戻ると》


 椿の精はネロを見る。その瞳は黒かった。


《マナは 永遠を 生きるのです 死なないのです しかし 実態はありません このタリスマンには マナが少し 入っている 良い香り》


《魔王マナは、封印されたのか?》


《……………… この中には 少ししかいない マナは他の場所にも いる》


《では、そのタリスマンのようなものを幾つか集めると、魔王は復活するのだろうか?》


《マナは 復活はしません マナに 意思はもう ありません》


《待ってくれ。分からないんだ。魔の精や、あなたの言っている意味が》


 ネロは頭をガシガシと掻いた。


《マナが生まれたのは この辺りでした マナは 魔でした 魔とは どこにでも生まれます 魔は 力が強い分 長くはもちません マナは この星の 魔》


《星の魔?》


《光があれば 影があるように そこにモノが存在すれば 魔は生まれるのです ここには星があります 星の魔もあるのです》


 魔とはいったい何なのか、ネロはだんだん分からなくなってきた。


《魔は 悪では ありません》


 そうだった。魔は、悪ではない。だが、人は魔を忌避する。

 そうか、ネロはひらめいた。

 魔とは、あってはいけない事態のことか。

 星に生命が生まれれば、同時に死も生まれる。生命が意思を持てば、より繁栄するが諍いも生まれる。

 星が成長すればするほど、喜ばしいことも増える。しかし同時に、あって欲しくないことが起きる事態も増える。

 悪ではない。

 でも、生まれてしまう可能性。

 それが、魔。


《星の魔……か。星が消滅しない限り、存在し続けるな、それは》


《星の魔は マナは この星に 動物や 植物 精霊 天使が生まれるたびに 大きく強くなりました マナの力に影響されて 魔物が生まれました 天使は 魔を 悪としました 天と魔の戦いです やがて人間が生まれました 人間は 天と魔の 双方に影響されて 生まれたのです 天使にもなれ 魔物にもなれる 中間の存在》


 ネロは黙って椿の精の話を聞いていた。


《マナは 人間に 宿りました》


《宿っただと?》


《魔の力を持っている人間は マナを宿すことができました》


《つまり、人間に乗り移り……魔王になったということか》


《いいえ 人間の 子 として 母の腹から 生まれたのです》


 人間が魔王を産んだ。ネロは絶句した。


《しかし マナの力を受け入れるだけの器は そうはなかったのです 人間のマナは すぐに死んでしまいました それでも マナは何度も人間の子として 産まれることを望んだのです》


《なぜ? 魔王マナは人間が好きだった?》


《人間は 魔にもなれ 天使にもなれるのです》


《しかし、魔王マナの影響で生まれた魔物に宿ったほうがよっぽどよかったろうに。少なくとも、すぐには死ななかったんじゃないか?》


《マナは 魔物として 天使を 滅ぼしてはいけないのです そして 魔物として 魔物を滅ぼしてもいけなかった》


《魔王でありながら魔物を滅ぼすというのか? まさか!》


《マナは 星の魔》


 それを聞いて、ネロはすぐには理解できなかった。

 だが、ネロは再びひらめいた。


《星にとってあってはならない事態。……生命の滅亡……?》


《星にとって 生命がいなくなるのは あってはならないことかどうか わかりません ですが 天使と魔物にとって 魔は 人間なのです》


《……え?》


《お互いを 攻撃しあう 存在 それが 天使と魔物でした そこにあらわれた まったく関係のない 種族》


《………………》


《天使が魔を滅ぼすわけでもなく 魔が天使を滅ぼすのでもなく 予期せぬ種族に 双方が滅ぼされる それこそが 魔》



 星のとっての魔の妖精。それは人間だったというのか。



《ですが 人間には マナを宿すことが どうしても かなわなかったのです》


《では、魔王マナは人間ではないんだな?》


 人間ではないことだけが、なぜだか救いであるような気がした。

 魔は悪ではない。

 しかしそれでも、ネロは、人間が魔の存在であることを認めたくなかった。


《マナは 魔 でした 魔のまま 魔王となりました 人間の生をなんども繰り返し マナは人間の姿を覚え 人間のような心を持ちました マナは人を愛しました ですが 人は すぐに死ぬのです 魔王としてマナは 世界を一つにしました そこで一度 生命は途絶えました しかし マナは 魔なのです 星の魔 マナは 命を よみがえらせました》


 なんだと。


《星の魔 マナは 再び 天使と魔物と そして人間を 争わせているのです》


《なんだと!》


《マナは まだ 生きているのです しかし マナは もう 意思を持っていません いつか また 人間として生まれたい それは マナの 望み ですから このタリスマンには マナは少し 入っています けれど マナのすべてではない》


《……魔王マナは、今どこで何をしているんだ?》


《わかりません わたしはもう椿の精で あそこに眠る魔王マナを 想っているだけなのです》


《あそこに、本当に魔王が眠っているのか……むろん一部が、だな?》


《はい 一部が いえ マナが 宿った 体が》


 椿は涙を流した。


《私は 人間として生まれたマナを 愛しました けれど マナは 星の魔としてのマナは 私ではないものを愛してしまったのです 人間だったときのマナは 私を愛してくれました けれど 魔に戻ったマナは 私だけでなく あの者も愛し いえ あの者こそ本当に愛し あの者と結婚し あまつさえ 子供まで 人間であったとき 私との間に 子供は望まなかったのに》


 椿は、その場にうずくまった。

 顔を覆い、肩を震わせ、声を絞り出すようにして泣いた。

 魔の妖精たちが心配げに椿のまわりを飛んでいる。



《けれど マナは 私を愛していると 言ってくれた 私は 私の愛を 後悔しない ですから ここにいるのです 愛しい人を ここで 見守っているのです》


 

 涙をぬぐい、椿の精は立ち上がる。

 そしてネロのそばに来て、そっと手のひらを開いた。

 そこには魔公サヴァランのタリスマンがあった。


《これはお返しします 懐かしい 香りが しました 嬉しかった よろしければ お名前を》


《ネロ》


《ネロ様 この子たちを お願いいたします そして このタリスマンの中にいる マナも よろしく願いいたします》



 ネロの手に、そっとタリスマンを握らせてくる。

 椿はもう泣いてはいなかった。


《魔王としてのマナは 残虐でした 非道でした しかし マナは 優しいのですよ 今 世界で生まれている その他の魔王とは 違うのです 己の力を振るわんがために暴虐の限りを尽くす魔王とは 違うのです》


《ああ、あなたの話を聞いていると、違うことは分かった。少なくとも、原初の魔王は別格だ。この地の人々が、魔王に親しみを持っていることもうなずける》


《よかった マナを嫌う人間がいるのが 私は 辛かったのです》



 そう言って、椿の精はふっくらと笑い、ゆっくりと消えていった。




 無事に手に戻ってきたタリスマンを見つめながら、ネロはぼんやりした。

 魔王とは、結局、なんなのだろう。

 魔王という概念は魔術書にも書かれている通り、魔物の王であり、人間に危害を加え、世界の主導権を握ろうとしているモノのことだ。

 そしてカンバリア以外の国では、そんな魔王との戦いが繰り広げられている。

 魔王とは…………

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