第31話 ネロ それは愛していますの大合唱



 夜、ネロはふと目を覚ました。

 誰かがネロの鼻の先をつついている。

 暗闇は明るかった。月明かりのせいだ。

 ネロが鼻先に触れると、つついている感覚が消えた。

 代わりにクスクスと耳元で笑い声が聞こえる。


《起きた》


《起きた》


《起きた》


 妖精の声だ。


「どうかしたのか?」


《知りたい?》


《教えてあげようか?》


「いや、いい。僕は寝ているんだ」


 目をつぶる。

 するとまつげを引っ張られる。

 目を開けさせようとしているのだ。

「痛い」


《持っているでしょう》


《持ってきているでしょう》


《持って帰ってきたんでしょう》


 何をだ。

 聞いてはいけない。

 答えをもらったら、借りを作ることになる。

 質を取られる。

 こいつらはただの妖精ではない。

 ネロは目を開けて、妖精を《視る》ように切り替えた。

 目の前に十体の妖精がいた。人の形をしていて、顔もある。背中には羽。

 しかし、この妖精は黒い。

 魔の妖精か。

 魔の妖精はネロの周りを飛び、時折張り付いて魔力を少しだけかじってゆく。


《美味しいね》


《もっと食べていいよね》


《すっごく甘い》


《椿も喜ぶよ》


「椿?」


《知りたい?》


《聞きたい?》


《教えてあげようか?》


 姿を見えるようにしたら、その羽音まで聞こえる。キリキリキリ、そんな音だ。

 煩い。

 そして飛び回るのがうっとうしい。

 ネロは少し苛立ち始めた。

 だから言った。


《ああ。教えろ》


 その瞬間、魔の妖精たちはピシッと固まった。

 ネロは空中で固まった妖精を一体掴んだ。


《俺に従え。俺に教えろ。俺の言うことを聞け。俺に命を捧げろ》






《はい》






《お前はなんだ》



《魔》



《なんの魔だ》



《新月の魔》



《お前の主はだれだ》



《マナ》



《お前の主は誰だ》



《魔王マナ》



《お前の主は誰だ》



《原初の魔王 魔力の源 マナ》



《お前の 主は 誰だ》









《あなたです》







《我が名はネロ お前の主は誰だ》



《あなた様です マイマスター ネロ様》




《玻璃片の魔です マイマスター ネロ様》

《黄昏の魔です マイマスター ネロ様》

《眩さの魔です マイマスター ネロ様》

《昏さの魔です マイマスター ネロ様》

《満月の魔です マイマスター ネロ様》

《暑さの魔です マイマスター ネロ様》

《鮮血の魔です マイマスター ネロ様》

《暁の魔です マイマスター ネロ様》

《寒さの魔です マイマスター ネロ様》


《よろしい では 私のかわいい子らよ この魔力を思おう存分食べるがいい》



 ネロは手のひらの上に濃厚な魔力蜜を作り出した。

 魔の妖精は狂ったようにそれに飛びつき、我を忘れて貪り始める。

 そして満足した者から、とろんとした目つきでネロを見つめてきた。

「それで、俺が何を持っていて、椿はなにに喜ぶんだ?」


《魔王マナ》


「俺が、魔王を持っている?」


《もっているでしょう? マイマスター 香りがする 良い香り ああ マナのいい香り》


《魔王マナのいい香り マイマスターの甘い蜜 幸せ 幸せ 幸せ》


《魔力が満たされる 幸せ 香り 蜜 香り 蜜》


《椿は魔王マナの香りが好き》


《魔王マナの香りで生きてる》


《椿は魔のお家》


 どうやら、この魔の妖精たちはあの椿を住処にしているようだ。

 魔の妖精は珍しい。

 火、水、風、土といった四大元素の妖精や精霊は多いが、魔というあいまいな存在の精は生まれにくく、生まれても定着しにくいのだ。

 ネロは魔の妖精を使役したのは初めてだ。


《マイマスター ネロ様 大きくなってもいい?》


《大きくなったらお役に立てるよ》


《魔王マナも大きくなったら喜んだ》


《マイマスター 私のかわいい子と言ってくれた》


《ネロ様 ネロ様 ネロ様》


「俺は小さくてかわいい妖精が好きなんだ」


《大きくなったら 小さく 変身してあげる》


《大きくなったら たくさんの 小さなものに 分身してあげる》


《ネロ様》


《マイマスター》


《ネロ様》


《マイマスター》



「わかったわかった! じゃあ、大きくなっていいから」


 言うが早いか、妖精たちの周りに黒い疾風が巻き起こった。風はやがて黒いつむじ風となり、それぞれの妖精たちに絡みついて、ネロの髪をかき乱す。周りには十柱の細い竜巻ができ、それがふっと消えると、ネロの目の前には大きく成長した十体の精霊がいた。

 人間と同じ大きさで、手足の先は黒曜石のような色彩と輝きを持っている。

 髪も目も黒曜石のよう。

 黒以外の部分は血の気の通っていない白い肌。

 それなのに、かぐわしいほどの色気だ。真っ赤な唇のせいだろうか。

 美しい男たちと、美しい女たち。

 いや、性別は安定していないようだ。それどころか容姿も安定していない。


《ネロ様 ネロ様 ネロ様》


 甘ったるく囁きながらまとわりついてくる魔の精霊たちは、気まぐれに性別を変え、顔を変え、体つきを変え、声を変えた。

「お前たちは淫魔か?」


《マイマスターは美しいものが好き》


《マイマスターは醜いものが嫌い》


《マイマスターは気持ちいことが好き》


《マイマスターは痛いことが嫌い》


 姿をころころ変えながら妖艶に囁く精霊たち。


《マイマスターは俺だろう? どのマイマスターのことを言っている?》


《マナ》


《マナ》


《マナ》


《お前ら 小さくなれ》


 ネロの命令で、精霊たちは小さな妖精の姿に変身した。

「お前らは、原初の魔王の僕だったのか?」


《おそばに常に侍っていた》


 そう言ったのは、鮮血の魔だろうか。


《マナの手となり足となった》


 次に答えたのは玻璃片の魔だろう。


《マナは飽きてしまった》


《世界は平和になった》


《マナは旅にでるといった》


《帰ってこないかもしれない旅》


《でもマイマスターが持ってきてくれた》


《ネロ様が持って帰ってきてくれた》


「待て。マナが、原初の魔王が、帰ってきた? 俺が持ってきた? さっき言っていた香りってやつか?」


《香りはマナ マナは香り マナは風に乗るのが好きだった》


 眩さの魔がネロのまわりを楽しそうにとび周り、肩にちょこんと座ると、耳たぶにキスをする。

「それは、これのことか?」

 ネロはゆっくりと異空間の穴を作り、指を突っ込んであのタリスマンを取り出した。

 魔公サヴァランのタリスマン。中には魔王の力が入っている。

 透明な石がわずかに紫色に発光した。

 途端に魔の妖精たちは興奮し、ネロの体に小さな手でしがみついたり、唇にキスしたり、くるくる回転しながら飛び回ったりと、それはそれは鬱陶しく騒ぎ始めたのだ。

 小さくなれと命令していて正解だった。手のひらに満たない姿でも鬱陶しいのだから、人間と同じ大きさだったらどれだけやかましかったことだろう。

「この中に、お前らのマナが入っているのか?」


《いる 帰ってきた 旅は長かった》


《なんて懐かしい香り》


《椿も喜ぶ》


《お会いしたかった》


《もう離れない》


《愛しています》


《愛しています》


《愛しています》



 愛していますの大合唱。

 耳をふさぎたかったが、妖精たちは命令を破り、大きな姿になってタリスマンに集まってきたので、ネロは十体の精霊に押しつぶされて、耳をふさぐどころではなかった。

 押しつぶされながら、ネロは気が付いた。

 十体の魔は、性別こそ不安定であったが、つまり両性であったが、それぞれ異なった容姿で安定していた。

 きっと、魔王マナに仕えていたときの姿なのだろう。

 魔王マナは、精霊に愛されていたのか。

 魔の精霊に愛されたから魔王になったのか。

 そんなことを考えながら、気持ちよい眠りにいざなわれていった。

 眠りの淵で、力を吸い取られているかもしれないと思ったが、どうでもよくなるくらい、気持ちがよかった。



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