第30話 ネロ それはカンバリアの魔王

「魔王の慰霊碑?」

「はい。魔王『様』の」

「魔王、様?」

「そうなのです」

 くらりと眩暈がした。まさか、この司祭は魔王にくみしているというのか。

「ネロ殿。私は魔王軍の一味などではありませんので、そう睨まないでくだされ。この地は、古くは魔王の庇護下にあったそうなのです。人類の歴史の上、いくつもの魔王が出現しましたから、どの魔王なのかは不明なのですが。伝承を紐解けば、それは最も古く、そして唯一、世界統一を果たした魔王のようですな」

「それは、魔王という言葉の元となった、原初の魔王、……?」

「でしょうな」

 司祭は何でもないことのように言い、星がきらめきだした空を見上げた。

「その魔王様というのは、ここから東、今のハルリアのあたりで生まれたのだそうですよ」

「ハルリア。……では、まさか! 先日の異常は、そのはるか昔の魔王と関連があるとでも?」

「わかりませんな。それをお確かめになるのが、魔法師殿のお仕事でしょう? 私が言いたいのはですね、この地には古くから魔王信仰があり、伝承によれば、魔王は悪の存在ではなかった。カンバリアが魔物との共存の道を選べたのは、その信仰が古くから根付いたからだとは思いませんか? この地で、この教会は、神を信ずることよりも慰霊にばかり力を注がざるを得なくなった。神は魔王と相対するものとして布教しておりました。魔王は悪の根源で、神は善と正義を司る。その教えを、この地は認めなかったのです。この地は、神よりも魔王の力に親しみを感じていたのです。カンバリアで、神は魔王に負けました」

 司祭はからっとした笑い声をあげた。

「私もカンバリア人。聖職者として神を魂の芯から信じておりますが、魔物と共存するカンバリア人として、すべての魔物を悪とは思えない。そうなると、魔王は悪ではなかったと言うこの地の人々の考えも、すんなりと理解できてしまうのです。……ですからこの国の教会は、他国から邪教だと言われてしまうのかもしれませんな」

 言われてみれば、他国と比べ、カンバリア共和国では教会の力が弱い。

 そして他国と比べて魔導師たちの社会的地位が高いのだ。

 他国において魔術とは魔の力、ひいては魔王の力だと思われがちである。よって神の力とされる法術師や聖職者の地位が驚くほど高い。

「リテリアの森には、魔王様に関する祠や遺跡がありますな?」

「あ。……あれは、魔王に関するものだったのですか」

「おや、ネロ・リンミー殿とあろうお方がご存じではなかったのですか」

 ネロは悔しく思った。その瞬間、耳元でキチキチっと音がした。妖精が過敏に反応したのだろう。

「すみません。勉強不足でした。森の鎮守の祠や古い結界の跡だと思っておりましたので」

「そうですか、ですがネロ殿、その考え方で間違いはないのですよ。あれらは、魔王様の祠ですが、リテリア宿の住民にしてみれば鎮守の祠なのです。結界の跡だと思われていた遺跡も、まさしく、結界の跡なのですよ」

 司祭は、魔王の慰霊碑に腰をかけた。

 いいのだろうかと思ったが、星を見上げるしぐさから、この司祭はいつも、逢魔が時に魔王に水を捧げ、ここに腰かけて一番星や二番星を見上げているのだろうと分かった。

「ネロ殿。ハルリアはどうなってしまったのでしょうね」

「それを調べに行くのが、私の役目です」

「ああ。やはりそうだったのですね。魔公サヴァラン様の後継者殿」

「は? 魔公の後継者?」

 なんの話だ。

「そういう噂を耳にしたことがあります。コーカル市の魔法師団長サヴァラン殿が、魔公サヴァランの後継者を育てていると」

「……、それは、サヴァラン先輩の、いえ、サヴァラン所長の実のお子さんのことではないでしょうか? 私は見た目的要素からも遺伝子情報からも、明らかにリンミー家の人間で、あそこの家系図とは一切かかわりがありませんから」

 サヴァランには子供が一人いると聞いた。

 サヴァランと同じ紫の瞳をし、黒い髪をもち、恐ろしいくらいの魔力を持っているらしい。

 会ったことはない。

「そうでしたか。しかしいずれにせよ、ネロ殿はサヴァラン殿からたいそうなお役目といただいたわけですから、その実力は確かなものなのでしょう。それに精霊憑きとして、私はかねてよりネロ殿とロキ市長を存じておりましたしね。これでも、昔は首都の大聖堂にいたのですよ」

「あ、では、……大学に通っていた時の失敗談なども……?」

 ネロは学生時代のはしゃぎぶりを思い出し、おそるおそる訊ねた。大学時代、それは金持ち貴族のバカ息子の本領発揮時代なのだ。

 司祭はきょとんとした。そして、はっはっはっは、と大きな口を開けて笑い出した。

「いえいえ、ネロ殿が大学に通われている頃にはすでにこちらの教会におりましたとも。ご安心ください」

 一安心である。嫌な汗をかいてしまった。

 夕日の色もすっかり消えて、あたりは完全な夜になった。

 司祭は腰を上げ、ゆっくりと歩き出す。

 慣れているのだろう、暗くて足元が見えないというのに、なにかにつまずくこともなく平然と歩いていた。

 椿の小道に差しかかった時だった。

「この白椿に黒いフが混じり始めたのは、あの慰霊碑が建てられた時からだそうです。カンバリアが魔物と共存をしはじめたころのこと。魔物たちの慰霊碑が作られ、その一番最後に、魔王様の慰霊碑が建てられました。……ひっそりと。この宿場町の人間ですら、あの慰霊碑の存在は知りません。いかに共存しているとはいえ、魔王を慰霊するのは反逆罪になりかねませんからな」

「反逆罪になるかもしれないというのに、あなたを含めこの教会の歴代の司祭たちは、その慰霊碑を壊さなかったのですね」

「壊せませんよ。壊せやしません。あれは、……この教会の結界なのですから」

「魔王の慰霊碑が結界?」

「はい。そして呪詛です」

「呪詛。椿の……黒いフはその影響……か……」

「そう。白椿に混じるフ。魔王の魔力を吸収しているのではないか、そう考えてしまうのは仕方のないことです。あの慰霊碑の下にはなにが埋まっているのか。そして、慰霊碑を壊してしまったら、いったいどんな災厄が降りかかるのか。考えただけで、恐ろしくてたまりません。けれど、なにもしなければ、あれは魔物からこの教会を守ってくれます。リテリアの森から結界を破ってこの地にやってきた凶暴な魔物も、この教会の中にだけは入れないのです」

「司祭殿。先日の衝撃波の被害はありましたか?」

 すると司祭はにっこりと笑った。

「いいえ、全く」

「……なるほど。それでは確かに、呪詛であり、結界ですね」

 ネロはあのタリスマンを思い出した。

 護符であり、呪符であるタリスマン。

「ああ、ずいぶんとのんびりしてしまいましたね、マーガレット嬢が心配しているでしょう。早く中に入りましょう」


 ___________

 


 台所にマーガレットはいた。

 キッチンを忙しく動き回っている。

 司祭とネロに気がつくと、満面の笑顔で迎えてくれた。

「おかえりなさい、司祭様、ネロさん! 夜ご飯を作ってみました。ネロさんが普段食べているような豪華なお食事にはとうてい及びませんが、一年間の野営生活で料理の腕はぐんと上がったので、それなりに美味しくできたと思います。ぜひ食べてください」

 元のレベルが分からないのでなんとも言えないが、美味しそうな匂いがする。

「食欲をそそる香りがするな。楽しみだ。俺もなにか手伝う。あ、食器を出そう」

「いいえ、座っていて下さい」

「いや、けど」

「これはお礼なんですから! 司祭様と……ネロさんへの」

「俺への?」

 ネロは首を傾げた。

「……いろいろお世話になってばかりで、お返しができないから、……せめて野営したときに美味しいご飯でも食べてもらおうと思って、燻製肉とか乾燥させた根菜とか、チーズとか、いろいろ買ってきたんです」

「ああ、それであの大荷物!」

 ネロは納得いった。あの荷物の量は馬車旅でもなければありえない。

「野営食なので、そんなにレパートリーはありませんけど、干し肉をかじったりするよりはずいぶんましでしょう?」

「ああ。干し肉と固いパンと水だけの旅とか最悪だな。野営地でこんな風に温かくて味付けのしてある料理が出たら、涙が出るほど嬉しいだろう」

 するとマーガレットは

「では明日からも頑張りますね!」

 と意気込みを叫んだ。

「明日からも作ってくれるのか?」

「はい! 一緒に旅をしている間は私がご飯当番をしますよ! お礼ですから」

 ネロも野営慣れしていて、料理もそこそこできる。食事は交代で作ろうと提案するつもりでいた。

 しかしマーガレットはやけに張り切っている。

 水を差すのは悪いと思い、

「楽しみにしている」

 とだけ言っておいた。

 そのかわりに、あの大荷物を持たせてくれないだろうか。

 荷物も持たず、料理も任せきり。

 こんな男がいたとして、周囲からどんな目で見られるか。想像しただけでブルリと震える。


 マーガレットの料理は思った以上に美味かった。

 良い燻製肉だったということもあるが、雑味のない味付けだ。丁寧に灰汁を取って、岩塩を入れるタイミングも計算したのだろう。アクセントのハーブも、ちゃんと下準備の段階から使っていたようだ。

「これを毎回食べれるパーティーは恵まれているな。爆炎の勇者も喜んでるだろ」

「最初は酷い腕だったんですけど、最近は褒められるようになりました。ご飯係は交代制なんですけど、勇者の次に上手だって言われてます」

「勇者、料理がうまいのか……」

「はい。なんでも、若いころに一緒に旅をした先輩っていう人に、不味い、敵にあう前にお前に毒殺されそうだ、兵糧は戦いの基本だろうが、お前そんなんだからクソ弱いんだよ、とかさんざんけなされたんですって。その時に泣きながら料理を覚えたんだそうです」

 大丈夫か、その勇者。そして旅の先輩、鬼だな。

「その先輩っていう人が作る料理は文句なしに美味しくて、しかも回復薬と同じ効果もあったとかで、勇者はなにも言い返せなかったんだそうです」

「ならしかたがない」

「……ネロさんも、魔法薬と同じ効果のスープとか作れそうですよね」

「魔法のスープ? ご希望とあらば作ってやるぞ? 呪文を唱えながらぐつぐつ煮えたぎる鍋をかき回してな。雰囲気出すために暗い地下室で黒いローブ羽織って作ってやろう」

「……、毒鍋作れとは言ってないですよ……」

 魔法のスープだと言ったのに、なにが毒鍋だ。

 失礼な発言である。

 そんな会話をしていたが、司祭がおもむろにゴホンと咳ばらいをした。

 マーガレットはさっと司祭を見る。それからなにやらもじもじし始めた。

「マーガレット嬢、聞くことが何かあるのではないですか?」

「……はい。……司祭様」

 するとマーガレットはスプーンを置いて、姿勢を正した。

 真っすぐにネロを見つめる。

「ネロさん。教えてください。あなたはいったい、どんな方なんですか?」

「え、どんなって。……?」

 なんの話なのか、ネロには理解が追いつかなかった。

 しかしマーガレットのまなざしは真剣だ。

「マーガレット嬢は、あなたに大変感謝をしているのですが、あなたのことをなにも知らないことに不安を覚えているのですよ。どうです、少しだけ正体を明らかにして差し上げては」

「あー。……。そう、か」

 ネロは頭の後ろを掻いた。

 正体を明らかにしないほうが、今回の旅は楽なのだ。しかも、マーガレットは話の端々で魔法師が嫌いということを口にしていた。

 最初に正体を言っていれば、このように一緒に旅をしていることもなかっただろう。そして、ギルドにネロが魔法師だという情報が渡り、予定外の諍いが起こっていたかもしれない。クロシーダがギルドとやりあっていたのと同じように。いや、あれはクロシーダの性格にも問題があったが。

 それに、ネロはマーガレットのことを疎ましくは思っていない。なにより気安く話せる旅仲間というのは憧れだったのだ。これまでの旅仲間とは気軽に話をできなかった。なにしろ相手はサヴァランである。

 なんちゃって勇者を救出した後にしばらくそいつらと同行したことはあるが、あれは旅仲間ではない。疎ましい存在だ。

 勇者の仲間とかいうマーガレットを疎ましく思わずに入れるのは、奇跡だ。

 マーガレットが女の子だったからだ。

 これで男だったらそもそもロッドが壊れていようが気にも留めないし、道端で倒れていても完全無視だった。

「じゃあ改めて自己紹介をしよう。私はネロ・リンミー。身分は貴族。コーカル市の出身だ」

「貴族様? 見えないですね」

「よく言われる」

「でも、だからの羽振りの良さ。納得しました」

「それはよかった。今回はリテリアの森を経由してハルリア村に向かう用事があった。お前の目的地と私の目的地は似たようなものだろう? だから、ついでというのも変だが、一緒に旅をしてもなにも困らないんだ」

「どういった職業なんですか? 珍しい魔道具や魔法剣、で、変わった杖に見たこともない魔法……。魔導士とか、じゃ……ないですよね? 貴族ですもんね」

「魔導士ではない」

「ですよね。すみませんでした! すると、……でも、貴族なのに、なんで魔術を使えるんですか」

「そうだな。魔力や法力を持った貴族は、一般人と同じ比率でいる。けど、多くの貴族はそれを活用しないだけだ。俺の兄も、魔力と法力を持ってるが、家を継いでいる。俺はそんな兄の下にいるおかげで自由に過ごせているわけさ」

 実際は、今現在もどちらが家業を継ぐかで兄の座を押し付けあっている。

「貴族の次男坊なんですね」

「そう。家を継がない代わりに自由に過ごせるが、肩身は狭いな。だから貴族の次男だとか三男は、弁護士とか官僚なんかを目指す。もしくは慈善団体経営とか? 音楽家とか、大学で研究職とかにつくのも多いか」

「ネロさんもそうなんですか」

「うーん。……そうだと言っておく」

 一応国家公務員だ。

「今、上司の命令で現地調査中なんだ。どんな調査かは言えない。一種の覆面調査だからな。……、そんなわけで、まあ、あまり自分のことを言いたくなかったんだ」

「そうだったんですね。そっか、……そっか。教えてくれてありがとうございます」

「すまなかったな。なんだか不安がらせて」

「いえ、私が勝手に悩んじゃってただけです。でも、凄い魔法が使えるんですね? びっくりしました」

「魔力と法力は生まれた頃からあったし、昼に見ただろ、精霊憑きってやつだからさ、兄と一緒に魔法の勉強もしていたんだ。全部独学。いや、道楽と言ったほうが正しいか?」

「じゃあ、ネロさんもお兄さんも、潜在能力は凄く高いんですね?」

「いや、そうでもないぞ。俺の知ってる魔導士家系の奴らは、全員化け物だ。俺なんて、ほんと、全然」

 サヴァランとか、かしまし娘とか。ゾエ支部の奴らもおそらく、実践となったらそこらへんの魔法使いでは足元にも及ばないだろう。

「……魔法学校に通っていたのに、さっきのネロさんの使った魔法が一体なんなのか、私にはわかりませんでした……」

 思わぬところでマーガレットの心を挫いていたようだ。

 ネロは慌てて取り繕った。

「お前、まだ俺の半分くらいしか生きていないじゃないか。俺の兄は素養はあるが、早々に魔法を放り投げて家業にどっぷりだから、簡単な魔法もままならない」

 嘘である。

「俺は、兄が捨てた分の時間をたっぷりと、興味のおもむくままに使った。だからマニアックな魔法を覚えてたりするんだ。兄が魔法を捨てた年齢はお前より上だが、お前のほうが当時の兄よりも魔法使いとして数段先にいる。しかもお前はギルドに所属する自由な冒険者だろ? これから時間はたっぷりあるさ。専門外だった俺でさえ空間魔法が使えるようになったんだから、小さい頃からずっと専門的に学んできたお前なら、今の俺と同じ年齢になったらもっと凄い魔法を使ているに決まっている。それそこ、姉君を越えるくらいの」

「ああ。マーガレット嬢。ちなみに、ネロ殿は双子です」

「双子! その顔がもう一つあるんですか!」

「なんだよ悪いか」

「いえ悪くないですすみません。イケメンがもう一個増えると思っただけですすみません」

「まあいいけど。ふん」

「別に、その顔がもう一個あるのが嫌だとか言ってないじゃないですか。大人げないですよ、三十二歳のくせに」

「ふん。せっかく励まそうと思っていたけど気が変わった。お前なんて、万年へたっぴ魔法使いだ」

「子供みたいなこと言わないでくださいよ! もう! 見ててください! 三十歳前にはネロさんを越えて見せますから!」

「いやいやそこは、すぐにでも! って言えよ」

「……、なるべく早く!」

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