第29話 ネロ それは慰霊のために


 ネロが庭にいるとき、マーガレットは教会の裏にある司祭の住まいにいた。

 大きな荷物を箱に入れ、冷たいお茶をごちそうになっていた。

「あの」

「はい」

「ネロさんをご存じなんですか?」

「はい。有名な方ですから」

「そうなんですか。……どういった人なんでしょう? 私、ネロさんに助けられたというか、……拾われたというか、お世話になりっぱなしで、迷惑かけっぱなしで……。でもネロさんのこと、なにも知らないんですよ」

「長いこと一緒に旅をされているんですか?」

「まだ三日目です」

「……、でしたら、お互いになにも知らなくても仕方がないことでしょう」

「……でも、ネロさん、自分のことをなにも話してくれないんですよ。なのに、お金とかポーンとくれるし、怪しい人かと思ったら結構紳士だし。お金持ちのボンボンなんだろうなってわかるんですけど、魔法薬作れたり、杖を直したりできるっていうし、……さっきの魔法、とか? 精霊憑き? とか? ……なんなんですか?」

 司祭は目を細めて笑った。

「ネロ殿がわざと正体を隠しているのでしょうな」

「……それは、なぜです?」

「さぁて、まあ、……。お嬢さん、コーカル市出身ではないんですね?」

「はい、首都ヘリロト出身です」

「そうですか、そうですか。そして、ギルドに登録されている?」

「はい! 爆炎の勇者の仲間なんです!」

「なるほど。それはネロ殿が自分の正体を明かしたくないわけですね」

「……え、なんか、私、……ダメなんですか

「さあ、どうでしょうね。一緒にいるということは嫌ってはいないはずです。ですので、よほどの怒りを買わない限りは、優しくしてもらえるでしょう」

「よほどの怒りって、さっきの、ですか?」

「何にしても、ああいったお家の方は、人に強制されるのを厭いますから。ネロ殿はまだ温和なほうですよ。正体が知りたければ、実際に聞いてみてはいかがでしょう。意外とあっさりお答えになるかもしれませんよ」

 そこにネロがやってきた。

「どうも。ご迷惑をおかけしました」

 申し訳なさそうに司祭に謝っている。

 マーガレットはお茶のコップに口をつけて、ネロが椅子に座るまで顔を見ないようにした。



 ネロは結局、妖精たちを完全になだめることはできなかった。

 こんなに妖精が混乱しているのを目の当たりにしたのはいつ以来だろうか。

 もしかしたら先日の衝撃波やマーガレットの言う爆発によって、もともと妖精たちも過敏になっていたのかもしれない。

 ネロはマーガレットを司祭が入っていったドアを開けて、二人の姿を確認するとすぐに頭を下げた。

「どうも。ご迷惑をおかけしました」

 そこは司祭の住居らしい。目の前のテーブルでは、司祭とマーガレットが冷たいお茶を飲んでいた。

 透明なグラスは汗をかいていて、氷の音が涼しげだった。

「迷惑だなんてとんでもない。久方ぶりに妖精の姿が見れましたよ。おや、耳元になにか……?」

「え、ああ。全部をなだめられたわけではないんですが、数体はなついてくれて、周りにいるんですよ。精霊使いではないので、はっきりと見えるわけではないのですが……」

 実際にははっきりと見えてしまっている。ネロは意図的に精霊たちを視たり視えなくしたりと、視覚を変化させるすべを身につけたのだが、精霊使いのように完璧には操れない。

 今はどう視覚を変化させても、姿が残る妖精がいくつかいる。

「そうですか、そうですか。さあさ、冷たいお茶でもどうですか? コーカルとは違い、ここまでくると暑いでしょう。どうぞ」

「ありがとうございます」

 ネロがすすめられて椅子につくと、マーガレットがじっと見つめてきた。

「……迷惑かけて悪かったな」

「いえいえいえ、わがままに付き合てもらっている身ですから!」

 マーガレットはぶんぶん頭を横に振る。

 そしてそのあと、なんだかシュンとしたような顔をした。

「お茶をいただいたら、リテリアの森に出発しようか。司祭殿、お茶のお礼になにか俺にできることがあれば。大したことはできないが、例えば重いものを移動させたりだとか、電球を変えたりだとか、雨漏りの修理だとか……」

「はっはっは、お茶一杯でそこまでしてもらうわけにはいきませんよ。それよりも、今晩はどこにお泊りですか? よろしければこちらの教会にお泊りになってはいかがでしょう? 宿場町は冒険者であふれかえっておりますから」

「野宿もできますので」

 ありがたいけれど、ここがリテリア宿ならば目的地はすぐそこだ。不満はあるが、ゾエの魔法師のおかげで行程がずいぶん短縮できた。どうせでならこのまま森に入ってしまいたい。

「ネロ殿、じきに日も暮れます。こんな可愛らしい女の子を野宿させるおつもりですかな? 宿がないなら仕方がありますまい、しかしここには宿がある。紳士であるなら、ここにお泊りなさい」

「しかし、急ぎの旅でして、」

 司祭が柔和な表情で、しかしまっすぐにネロの目を見ている。

「……、マーガレットは……、どうしたい? 勇者に会うのが遅くなるが」

「えっと、……でも勇者一行が無事なのはわかりましたから」

「……そうか。ならば、司祭殿。甘えさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「ええ、ええ、もちろんですとも。久しぶりに賑やかな食卓になりそうで、嬉しい限りですよ」



 リテリアの森に一番近い宿場町は、リテリア宿と呼ばれている。

 リテリア宿の歴史は古く、カンバリア共和国がまだ魔物との共和をしていないころからあり、当然、その時代にはリテリアの森に柵などなかった。

 共和前、ギルド全盛期。

 そして、魔物も全盛期。

 妖精の棲み処と言われるホリエナ湖とは違い、リテリアの森は多くの魔物が棲む魔の森だった。

 ギルドの冒険者が我こそはと討伐に向かい、半数の冒険者は死んだ。

 リテリア宿の教会は、そんな冒険者たちを弔う場所だった。

 他の教会に比べて布教の意味合いは少なく、慰霊の意味合いが大きい。

 宿場町の住人に墓のほかに、冒険者たちの慰霊碑も多い。

 そして、共和国となってからは、かつて討伐された魔物たちへの慰霊の石碑が建てられた。


 ネロとマーガレットは教会を出て、大通りに赴いていた。

 ギルドに行き、爆炎の勇者の情報を聞こうと思ったのだった。ついでに、奇妙な相談事が寄せられていないか探るつもりでもいた。

 ゾエの街よりはかなり規模は少ないが、人はたくさんいた。だが、どこもかしこも冒険者ばかりだ。

 宿場町であるので、通りのほとんどが宿であり、飲食店。その通りの裏側には武器屋や冒険着店が立ち並んでいる。そこにも冒険者であふれていた。

「なんだか物々しいな」

「うーん、ここ、……リテリアの森に行く前にちょっと立ち寄ったんですけど、その時はもっと観光客みたいな人が多くて、……賑やかだった気がするんですよね」

「ここで宿をとったのか?」

「いえ、森に入る前に旅道具の補充で寄りました」

「町に詳しくは?」

「ないですね。でも勇者は懐かしいなって言ってました。よく立ち寄ってたみたいなんです」

「この辺りの出身なのか」

「どうなんでしょ。あまり過去をしゃべってくれませんから」

「無口な勇者?」

「無口では……ないかな? あはは」

 ネロは通りをぶらつきながら、魔力で周囲を探っていた。

 物々しいが、おかしな魔力も法力も感じない。むしろ、不自然なくらいに安定している。

 リテリア宿には何度も足を運んだことがあるが、魔力で街の構造を探ったことはなかった。これまで気が付かなかったが、奇妙な集落ではある。

 しかしながら、町はどこも物々しく、見つけたギルドからも冒険者があふれ出ていたので、ネロとマーガレットは目配せしあって無言でそこから立ち去った。

 そそくさと教会に入り、中庭についてから、ほっと息をつく。

「冒険者っていうか、ならず者って感じの人たちばっかでしたね。なんかコワイ」

「ああ。おかしいな。ここはそんなに物騒な町じゃなかったはずなんだが」

「……野宿にしなくてよかったかも。司祭様に感謝しなきゃ。ネロさんとかめっちゃカモにされそう。見るからにお金持ってそうだし」

「なんだと。絡んできたら返り討ちにしてやる」

「……、どうだかなぁ」

「なんでだ! 剣とかこれでも結構使えるんだぞ?」

「見た目がなぁ。……、弱そうなイケメンなんですよねぇ、イケメンなんですけど、弱そうなんですよねぇ」

「もう無理にイケメンって言わないでくれ。その修飾語がつらくなってきた」

「イケメンなんですけどねぇ……」

「もういいから……」

 つらい。

 





「普段は決して他の人間には見せないのですが、ネロ殿、面白いものをお見せいたしますよ」

 夕暮れ時、庭から墓地へ続く扉の手前から司祭が声をかけてきた。

 手には水の入った桶を持っている。

 ネロは林檎の木の根元で、妖精のために魔力の粒を撒いていところだった。妖精の姿はもう見えない。強い夕日の色ばかりが目を焼く。

 マーガレットは教会の掃除の手伝いをしていて、ここにはいなかった。

「面白いものですか」

「ええ。そこにもう一つ桶がありますから、水を汲んで付いて来てください」

 扉のそばに、木でできた桶とひしゃくがある。ネロは言われるがまま、水を汲んで司祭の背中についていった。

 墓地に向かう途中には、よく手入れのされた椿の木が並んでいた。

「この椿は、白い花弁に黒のフが入ります」

「白椿と黒椿の掛け合わせですか?」

「もともとは白椿だったと言われています。しかし、いつのころからか黒いフが入るようになりました」

「突然ですか? 珍しい現象ですね」

「その原因となったと言われているのが、この先にあります」

 司祭は墓地内を慣れた足どりで歩き、順繰りに慰霊碑に水をかけて回った。

「この辺りは暑いでしょう? 死者も喉が渇くだろうと、朝と夕方にお水を上げているんです」

「なるほど」

「宿場町の住人も、ほら」

 司祭の視線の先に、幼い女の子を連れた老婦人がいて、二人は仲良く墓石に水をかけていた。

 ネロと司祭に気が付いた老婦人は、女の子を引き寄せて微笑んで頭を下げた。

 司祭はゆっくりと近づいてゆく。

「今夜も冒険者でにぎわっておりますかな?」

「ええ。そうなんですよ。いつにもまして……。先日の大きな揺れのせいですかね。国は森を立ち入り禁止にしていますけれど、冒険者たちは押し寄せてくるし、いったいどうなっているんでしょうかねぇ? なんの説明もしてくれない国もひどいですが、禁止なのにそれを破る冒険者も、どうなんでしょうかね? そちらのお若い方は?」

「私の客人ですよ。ゾエの街から来ましてね。宿は満員で野宿するというので、ここにお泊めすることになったんですよ」

「ああ、それはいいですね。お若い方、今の宿場は荒くれ者の巣窟となっておりますから、教会にお泊りになるのは正解ですよ」

「はい、僕は運が良かったです。けれど、そんなに荒くれ者なのですか? ここに来る途中の街ではギルドの冒険者さんを何名か見ましたけれど、暴れ者という感じはしませんでしたが」

 ネロは嘘を吐いた。

「そうですか……。やはり大集団になると違ってくるんですね、人というのは。中には礼儀正しい方もいるんですが、……こう言っては何ですが、野盗崩れみたいな方も多くて……。それに、ああ、そうだ、司祭様」

「はい」

「今回の冒険者の方々ですが、この近辺以外の方が多いみたいで、……私、心配なんです」

「コーカル市の冒険者が集まっているんですかな?」

「いえいえ、コーカルでしたらこの辺の歴史をある程度知っていますし、祠などの意味もなんとなく知っていますでしょう?」

「ああ。コーカルは風習が似ていますからね」

「どうも、このあたりに来るのはまったく初めてという冒険者の方ばかりみたいで……」

「なるほど。むしろ、コーカル市あたりの冒険者は、コーカル市長の命令にはあまり逆らいませんからな。ゾエあたりでは息巻いている者も出てきたようですが」

「知らずに封印を解いたり、死者を冒涜したりするのではないかと思うと、それが恐ろしくて」

「大丈夫です。どうやら大魔賢者と呼ばれるお方がリテリアの森に向かっているそうですから」

「まあ、大魔賢者? それは一体どのような?」

「なんでも、大魔導士と大賢者の両方の力を備え持つ、魔法の天才だとか」

 なんだそれ。ネロはうさん臭さを感じた。

 真の勇者と同じくらいのうさん臭さだ。ガセに決まっている。

 だが老婦人がそれを聞いてしんそこ安心しているようなので、ネロは黙っていた。

 嘘も方便である。

 会話の間、幼い女の子は照れくさそうに老婦人の後ろに隠れていたが、ふいにネロの周りを不思議そうに見はじめた。きょろきょろと目を動かしている。

「妖精さんがいるんだよ」

 ネロは微笑みかけた。きっと見えているはずだ。

「死んだ人の魂じゃなく?」

「みんなが祈ってくれているから、死んだ人は天国に行ってるんだ」

「じゃあなんでお墓にお水あげるの? 天国に行っていたらのどがかわいたりしないよね?」

「お墓と天国はつながっているんだ。お水をあげたり、お祈りをしたり、お花を供えたりしたら、天国にいる人たちが喜ぶんだよ」

「ふうん。そっかー。ねえ、妖精さんはお兄さんが好きなの?」

「どうだろうなぁ」

「お兄さんのまわりにキラキラしたのがたくさん見えるよ?」

「そんなにたくさん?」

「うん! いっぱい!」

 ネロには目視できないが、もしかしたら機嫌を直してくれたのかもしれない。

「そうなのか、たくさんいるのか。きっと、ここの妖精さんは優しいんだな。君みたいに、綺麗な心の人がたくさんいるからだ」

 すると女の子は顔をピンク色にした。

「妖精さんは、悪い心を持っている人間にはいたずらするけど、良い心を持っている人間には幸運をくれるんだ。気に入っていたおもちゃの短剣をなくしても、すぐに見つけられるようにしてくれたりね」

「じゃあ、良い子にしていたら、たんすのうしろに落としたリボンも取ってくれたりするかな?」

「もしかしたらね。でも、妖精は小さくて軽いから、人間にとっては軽いリボンも妖精には岩みたいに重いかもしれない。あまり無理はしないように言っておこうね」

「うん。無理はきんもつ。みんな言うもの」

 女の子は、無理はしなくていいからねー、と空に向かって叫んで、なにか楽しいのか、キャッキャッと笑った。

 老婦人と女の子を見送ったのち、司祭は再び慰霊碑をまわって歩いた。

 いつしか日が沈んだ。

 逢魔が時が訪れた。

「これですよ、ネロ・リンミー殿」

 大きな白い石板。その上に黒い柱が一本。

 なんの慰霊碑かは書かれていいない。

「これも慰霊碑ですか?」

「ええ、そうですよ。さあ、お水をあげましょうか」

「はい」

 これまでの慰霊碑と同じように司祭は水をやり、ネロもそれに倣った。

 最後に簡単な祈りをささげたあと、ネロは司祭に尋ねた。

「これは、誰の慰霊碑ですか?」

 司祭は振り返って、一瞬だけにこっと口角を上げた。

「魔王様の慰霊碑です」

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