第26話 ネロ それはどの仮面をつけるのか



 夕焼けが藍色に染まるころ、ようやく背の高い魔法師が姿を現した。

 クロシーダだった。ネロを一瞥し、呆れたように肩を落とした。

「はぁ、全く、冒険者というのは面倒ごとしか持ち込まないのですかね」

 そう檻を見上げて言っていた。嫌味ではなく、本音だろう。

「こんなモノをどう処理しろというんですか」

「……」

「結界は壊されるわ、私有地は荒らされるわ、研究室に大量の虫の死骸を送り込まれるわ、たまったものではない」

「すみません……」

「しかも就業時間はとっくに過ぎてるんですけどねぇ」

「それは本当に申し訳ございません!」

 ネロは頭を下げだ。勢いよく下げた。

「まあいいです。こんなことだろうと、特別移送の許可を取ってきましたから」

「特別移送?」

「ええ。ゾエの人員不足支部では到底扱いきれませんのでね、本部に送る許可を取りました」

「本部、というと……もしかしてヘリロトの魔法師団ですか?」

 それは困る。ネロはコーカル支部のサヴァランの出張命令で表向きも裏向きも動いているのだ。

 首都ヘリロトは王室のひざ元。

 そのヘリロトの魔法師団は王室魔導士のひざ元でもあり、つまりは王室のひざ元なのだ。

 サヴァランとは敵対している可能性がある。

「まさか。なぜヘリロトなどに」

 クロシーダが鼻で笑うと、なぜかマーガレットが前に出た。

「ヘリロトの魔法師団になにかご不満なんですか?」

「おや、魔法使いが魔法師団を肩を持つのですか?」

「私はヘリロトの魔法使いですので」

「ははん、お仲間意識ですか、結構結構。自分が馬鹿にしても、他人から馬鹿にされるのは許せない。わかりますよ、とってもね」

 マーガレットの眉がひくひく痙攣していた。

「ですからこちらも言いましょう。僕はコーカルの魔法師。僕が信頼を置くのはコーカルのみ。コーカルにこそ、至宝ともいえる魔法師がいるのです。僕はそれを誇りに思っている。ヘリロト? は。笑えますね」

「ふん。コーカルみたいな古くて頭の固そうな魔法都市、最新のヘリロトからみればただのかび臭いところなんですよ」

 やめてくれ。

 そのコーカルを数百年守ってきたのがリンミー家なのだから、やめてくれ。

「それはそれは、誉れ高き最新都市でありカンバリアの中枢であるヘリロトを『捨ててきた』史上最高の魔導士がいらしゃるのを、ご存知ではない? あははは、なんて頭がおめでたいのでしょうね。かの魔公サヴァランの末裔にして、世界最高の魔導士サヴァラン様がいるのが、コーカル魔法師団! 僕たち魔法師が本部と呼ぶ場所は、サヴァラン様が捨てたヘリロトなどであるわけがありますか? 当然至極でコーカルなのですよ! 小娘!」

「む、むかつくー! なによ! そのサヴァランって魔法師だって、結局王室魔導士になれなかったから、魔法師団に入っただけでしょ! 魔導士や魔法使いの最高峰は王室魔導室なんだから!」

 キンっと空気が凍った。

 王室魔導室と比べられるのが、魔法師にとってはなにより癇に障るのだ。

 そしてそれだけではない。

 魔法師にとって、サヴァランを馬鹿にされるのは本当に禁忌だった。サヴァランは魔法師にとっては神に等しい。

 その寵愛を受けているネロが、嫉妬の嵐にみまわれたのも、全てサヴァランへの敬愛の為だった。

 ネロも尊敬する先輩であり上司でもあるサヴァランをないがしろにされてはカチンとくるものがあるが、なによりクロシーダの表情が一変したので、心が冷えた。

「マーガレット、マーガレット……、そこまで、それ以上はだめだ」

 クロシーダは、先日の一件から考えるに、サヴァランを心の底から尊敬している類の魔法師だ。でなければあれだけの敵意をネロに送ってはこないだろう。

「サヴァランっていう方はな、本当にすごいんだ。その方がコーカルにいるということは、コーカルとコーカル近隣の魔法使い系にとってはこれ以上ない喜びなんだ。だから、ちょおっと言いすぎだぞ?」

「そ、そうかもしれませんが、……だって、」

「あとな、サヴァランって方はな、まだ国王と太いつながりがあるからな、王室魔導室には入れなかったわけじゃないと思うぞ、多分な」

「じゃあ、王室魔導室を捨てたってわけですか! なにそれ!」

 しまった、今度はヘリロトのプライドを傷つけてしまったらしい。

 めんどくさい。

「ま、まぁまぁまぁまぁ。それくらいにして。ね、二人とも」

 ネロは適当におさめようと試みた、

「ちょっとネロさんは黙ってくれません?」

「なぜあなたが平気そうな顔をしてるんですかプライドはないんですか?」

 火に油を注いだ結果になった。

「いやめんどくせぇわ、お前ら」

 すぐそばで熊が唸っている。

「こっちが気を使ってやってる間にさっさと話題変えろや」

 早くしないと、領地もないのにカンバリアの東部を牛耳っている気高きリンミー家の顔が出てしまいそうだ。

 ネロは特にクロシーダを睨んだ。

 こいつは全部知っているからな。

 分かってるんだろうな。

「……。コーカル本部の神獣魔獣課の研究室に移送することになり、調査の結果や、必要なワクチンなどの情報を公開することになりました。魔法医療院を中心にして、魔法系の診療系統にも同じ情報を公開する予定です」

「へー、そうなんですねー、僕たちの頑張りが無駄にならずに済みそうだぞー。やったな、マーガレット」

「そ、そうですね! 頑張ったかいがありました」

「本当だな!」

「すでにカヤト鹿も移送済みです。そちらの検査結果の第一報が、そろそろ魔法師団に発表されるんではないですかね。お越しいただければ、閲覧可能ですよ?」

「それは興味あるなぁ」

 仕事が早いな。あの魔力の出どころが判明できれば、サヴァランからの極秘任務の何割かは達成できただろう。しかし、できれば、魔法師団全体にではなく、サヴァラン個人にのみ特別な情報を報告したかった。

 サヴァランの目的は国王よりも先んじること。国よりも先んじること。

「では、さっそく……、いや、明日にでも伺っていいですか?」

「おや、すぐではなくていいんですか?」

「はい。ちょっと疲れてますしね。な、マーガレット」

「あ、まあ、そうですね」

「ほう、お疲れですか。では、魔法師団の宿泊施設をお貸ししますよ。どうぞ」

「え」

 ネロは意外な申し出に驚き、

「え!」

 マーガレットはそれこそあんぐりを口を開けて驚いていた。




 魔法師団ゾエ支部の宿泊施設うというのは、いわゆる簡易仮眠部屋だった。

 ゾエ支部の建物の横にあるアパートメント。クロシーダの仮住まいもそこにあった。

「実家からも通えるのですがね、最近は帰れずに寝泊まりしているんですよ」

 聞いてもいない情報が与えられた。

 そしてネロは三階のクロシーダの隣の角部屋。

 マーガレットは一つ下の階の、反対側の角部屋だった。

 部屋は一室しかないが、ベッドや冷蔵庫、柔らかなクッションに毛布、コップなどが揃っていて、少し生活感があった。

 部屋の隅には、魔法師団専用の水晶の通信機がひっそりと置かれている。暗号を打ち込めば自分ページが見ることができる。

 ネロはクロシーダの心遣いに感謝した。

 ここであれば、人目を気にせずに魔法師団の情報を閲覧できる。

 しかも隣はクロシーダだ。身内である。

 サヴァランからの極秘任務のことなども知っているだろう。盗み聞きされる心配もないし、されてもあまり困らない。

 夕食は近くの食堂でマーガレットとともに済ませ、宿泊施設に戻るとそれぞれの部屋に入った。

 そしてさっそく、ネロは窓から抜け出した。

 ネロ・リンミー。

 職業は魔法師。

 嫌いなものは、無責任は冒険者。

 であるからして、ネロはゾエの街の郊外にある森に向かうのだった。

 自分のやらかした失敗は、自分で処理する。

 私有地を荒らしたのなら、その整備は己で済ます。

 片手には杖を、片手には小さなスコップを握りしめ、ネロは闇夜にざわめく森の中へと踏み込んだ。




《モス》

《モス》

《モス》

 スコップで地面をならしながら、えぐれた大地に緑を復活させてゆく。

 暗いからよくわからないが、きっと鮮やかな緑の絨毯が広がってくれているだろう。

 電灯かランタンを持ってくれば良かった。

 星明かりと月明かりだけが、ネロの手元を照らしている。

 あとは、魔法が発動するときの淡い発光。

《モス》

 ネロは少し強めに杖をふった。

 目の前に淡く光る緑の道ができた。地面の勾配や凹凸が様々な緑の色合いを生み、そこから命が芽吹く。まるで、これを待っていた! と声をあげるように勢いよく葉を弾き、踊るようにぐんぐん伸びてゆく。

 ネロはモスが苦手だが、好きだ。

 そして緑の光が消え始めると、植物の成長は緩やかとなり、止まる。

 フッと光も消えて、辺りは濃い闇。

 気のせいか音も消えた。

 暗闇も美しく、やがて差し込む月明かりと星明かりも、美しい。

 光には、音がある気がする。

「あー、これはこれは、ネロ魔法師」

 ネロがぼんやりと暗さを眺めていると、昼間に世話になった眼鏡の魔法師があらわれた。蛍石の入ったランタンを下げている。作業着姿だった。

「お疲れ様です、出張で来られたのに、ゾエ支部の雑用までお手伝いいただきありがとうございます」

「いえいえ……、はは」

「本当に、冒険者はやるだけやって後始末というものを知りませんからなぁ、困りますよ」

「はは、本当ですね」

「やはりね、物事には後片付けというものはかならずあるんですな。もしくは、迷惑をかけないように気を使うとか。どちらかは

必ずやっていただきたいものですよ」

「ですねぇ」

 それからネロと魔法師は黙々と大地を復活させていった。

 二人でやればあっという間に終わり、朝が来る前にすべてがなかったことになったが、おそらく、ネロのモスによって回復させた部分は、得体のしれない欲物が繁殖しているだろう。

 あくびをしながら、私有地ならいっそ執事に連絡をして買い取らせようかな、などと考え、街へと戻った。

 街はまだまだ眠りの時間。

 そしてコンシュマーギルド。裏の酒場の上には、宿がある。

 酒場はまだやっていて、かなりにぎわっていた。

 ネロはその扉はくぐらず、建物の横の細い路地に入った。

 それから、気配を消し、影に溶けた。

 魔法ではない。

 影の中を、気配を消して移動するだけだ。

 技である。

 魔法も使うが、それは自分の体の中の魔力を変質させるだけであり、術ではない。例えば、指先に魔力を集め、まるで接着剤のように変えて、ひたっと壁に貼り付ける。そして、のぼる。

 ネロは壁をのぼり、窓の鍵を開けた。

 鍵以外の仕掛けはなかったし、結界などもない。

 ネロはそっと窓を開けると、中へ入り込んだ。

 通路である。

 足音を立てぬように、一室一室中を確認してゆく。ドアに耳を着け、中からどんな音がするか聞き耳立てればいいだけだ。

 いろんな音や気配が伝わってくる。

 また、魔法力があるものがいれば、その気配を感じ取れる。

 そしてとある部屋の前。

 ネロは例の奇妙な魔力を感じ取った。

 ここだ。

 ネロはそっとドアを開けた。

 部屋の中にはいると、いきなりウェラスをクインに剣を向けられた。

 二人とも驚いたように椅子から立ち上がり、素早く剣を抜いたのだった。目にもとまらぬ早業であったが、ネロは一切動じることができなかった。

 動じないのではなく、心が乱れることがないのだ。

「ネロ……、来ると思ったぜ」

 ウェラスはにやりと笑っている。

「ウェラス、この男が何者なのか分っていたのか?」

 クインが責めるように言った。

「いいや? 全然。けど、只者じゃねぇなってのは見てりゃわかるだろ」

 二人の向こうには、ベッドに横たわるヒューイがいた。夕刻に別れた時よりも、さらに顔色が悪くなっている。数分後には死ぬのではないだろうか。

「見殺しにするのか?」

 ネロは訊ねた。

 影に潜んでいるときはあまり感情が動かないので、声にも抑揚がない。

「そのままにしておくと、数分で死ぬ」

「……だからと言って、君に回収されるわけにはいかないんだよ」

「……では、選ばせよう」

「は?」

「とある貴族の屋敷で、丁寧に世話をされながら、貴族が飽きるまでおもちゃにされるか。天才魔導士のもとで、研究材料になるか」

「……君は何を言っている?」

「魔法医療院では間に合わない。どちらかを選べば、ヒューイはすぐに治るだろう」

「だからといっても、どっちも同じじゃないか!」

「後者だ」

 ウェラスが言った。クインが驚いて声を荒げる。

「お前は何を言っているんだ!」

「クイン、今は一刻を争う。貴族のおもちゃと天才魔導士の研究材料。どっちがましかと言われれば、蟻の触覚くらいの差で魔導士だろ」

「どちらも怪しい!」

「このまま死なせるのかよ!」

「……」

「ネロ。魔導士だ。そいつを選べばヒューイは助かるんだろうな」

「当然だ。あの方を誰だと思っている」

 ネロは杖を抜く。

《アンキラ》

 三人に防御結界を張った。

 そして

《時よ 空間よ かの者のもとへ繋げておくれ 思いの道 秘密の鍵 言葉は紡がれる》

 かつて挑んだ難攻不落の異空間魔法。

 異次元で見つけた、謎の四角い箱。

 少年心に興味が掻き立てられ、それを解こうと試行錯誤した日々。

 ネロがそれを解いたとき、新しい魔法が生まれた。

《サリー》

 その言葉だけで、道ができる。

 異空間の中に、白亜の道ができる。異空間であれば、どんな場所にあってもつなげられる道だ。

 空間魔法では、かの空間の魔術師には遠く及ばないが、この魔法だけは誰にも負けない自信がある。

「さあいけ、あの方のもとへ」

 ネロが杖を振ると、勇者もどきの三人が異空間に飲み込まれた。

 そしてすぐに空間は閉じる。

 ネロは借り主のいなくなった部屋の窓から外へと出た。

 空が白んでいた。

「あーあ……ねっむぅ」

 マーガレットには申し訳ないが、昼過ぎまで眠らせてもらおう。

 そう思って宿泊施設に戻った時には、

「ネロさん、おはようございます! 今日は早起きですね!」

 朝日とともに行動を開始する冒険者に見つかってしまった。

 影に生きてきたネロには、苦しいくらいのまぶしさだった。

「……おやすみ、マーガレット」

「え? おはようじゃなくてですか?」

「おやすみ」





 背中に冷たいものが走る。ウェラスは何度か経験したことがあったが、どれも今ほどではなかったと思う。

 目の前にいるのは、黒い髪に紫の目をした、全身黒ずくめの男だった。

 金糸で織られたソファに悠然と座り、冷えた目つきでウェラスたちを眺めている。

 その圧倒的な、いや、何物をも圧死させるかのような重厚な魔力は、これまで対峙してきた魔王軍の魔人のどれよりも凄まじい。

 剣を向けている今、生きた心地がしなかった。

 ネロに向けていたそのままの流れで、剣を向けていることになっている。今すぐに鞘に納めるべきなのだが、剣を下ろした瞬間に首が飛ばされそうな恐怖があった。

「悪いようにはしない」

 黒ずくめの男は言った。

「あれからのプレゼントだからな。喜んで受け取らせてもらうつもりだ」

 喜びなどこれっぽっちも感じさせない声色だが、その口元は笑っていた。

 美しい男性だ。

 しかし、恐ろしい人間だ。

 ウェラスは、選択を誤ったのかもしれない、そう後悔していた。

「お前たちは何と言われてここに送られた?」

「……貴族のおもちゃか、魔導士の研究材料か、だ」

 クインが答えた。すると黒ずくめの男は、今度こそ嬉しそうに目を細めた。

「あれは、自分の欲しかったものを私にくれてよこしたわけか。そうか、そうか」

 紫の目が、ウェラス、クイン、そしてヒューイへと移る。

「我が名がサヴァラン。魔法師団のコーカル支部の所長にして、魔公サヴァランの名を継ぐ者。コーカルは貴族、リンミー家のネロよりの献上品、確かに受け取った。丁重に扱わせていただこう」

 魔公、サヴァラン。

 ウェラスの背中に再び冷たいものが流れた。

 ヒューイは助かるだろう。

 しかし、とんでもないものに借りを作ってしまった。

 そちらの後悔がむくむくと生まれて止まらなかった。

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