第25話 ネロ それは立ち入らない……故に剣は仕舞おう
風の妖精たちがネロの走る姿を見て近寄ってくる。どうやら手助けをしたいようだった。
自分たちならば、あなたを風そのものに変えることができる。だから声をかけて。一言で良い。《風よ》そう声に出して。
ネロは無視をした。
もうすでに一回、妖精の力を借りている。魔法ではなく妖精召喚。依存させてはいけない。この人間は、そそのかせば簡単に言うことを聞くと思わせてはいけない。
どけ。
邪魔だ。
ネロは手を横に大きく振ってから、意図的に妖精たちを視ないように目を変えた。視界から、あまたに散りばめられていた色彩が消える。
目の前を走るヒューイの姿がっくっきりと見えた。その走り方は疲れが色濃く表れている。
もう少しで届く。捕らえられる。
そう思った時だ。
「ヒューイを捕まえたら、どうする気だ?」
クインだった。横を走りながら、ネロに鋭い視線を向けてくる。にもかかわらず、目の前の木々や根を軽々と避けてゆく。
「答えてくれよ」
「……どうって、」
どうしよう。
すぐには答えが浮かばない。
「……そう……、じゃあ、君にヒューイを捕まえさせるわけにはいかないかな」
そしてネロを軽々と追い越し、ヒューイの背中に迫ってゆく。まるで風の加護があるかのような動きだったが、クインからは魔力も法力も感じられない。魔法力は一般人並み、妖精を操る力もなさそうだ。
「ヒューイ! とまれ!」
クインの声が飛ぶ。それはキィンとした耳鳴りを伴ってネロの鼓膜を通り過ぎて行った。
そしてヒューイもびくっと体を揺らし、一瞬動きを止めた。
「捕まえた!」
その隙を見逃さずにクインは飛び掛かり、その首に腕を回すようにして捕らえると、少し坂道になっていたのだろう、二人は前に転がるようにして倒れた。
その先は、森の終わり。草花が生える緩やかな斜面、そして黄色い花畑だ。
ネロは森の終わりでスピードを緩めた。
そして、斜面の中腹で暴れるヒューイの腕を背中でねじり、なんとか地面に押し付けてとらえているクインを見遣った。
「……ネロ、こいつは俺たちがなんとかする……、だから!」
「放せクイン! くそ! 死ね、放せ! 消えろ!」
「ヒューイ!」
喉の奥から獣のうなり声に似たそれを出し、ヒューイは花畑の向こう側の一点を見ていた。
ネロはゆっくりと二人に近づいて行った。
「さっきこう訊ねましたよね。捕まえたらどうする気だ? って」
ネロはその質問について考えなければならなかった。
単純に考えてはいけない。つまり殺してはいけない。殺してしまった場合、ヒューイに吸収されている魔力がより強い個体へと移動し、さらに量を増して、より強大な力になってしまうだろう。
「殺しはしませんよ」
ネロはにこりと笑った。
生きたままのサンプルとして、魔法師団で研究する。
いや、待てよ。
十分に魔法師団にサンプルを送っている。
そうネロは気が付いた。魔法師としての職務はすでに全うしている。サービス残業もしてやった。
いまのこれは何であろうか。
ネロの頭の中に、いくつかの自分の立場が思い浮かんだ。
魔法師団員。公務員。貴族。長男。次男。
ネロ。
「ちょっと回収しようかと思っているだけです」
ネロ、己のための研究材料として。
庭の一角の花園の中のように、城の中の納戸の中のように、興味のあるものを集めてしまい込み、調べる。
わくわくしてきた。
この人間の中には、果たしてどのような魔力が入り込み、それは何を目的にしているのだろう。
その魔力の源はなんなのだろう。
ネロが近づくたびに、クインがヒューイを引きずって離れようとしている。しかしヒューイがうなり声をあげながら暴れるものだから、思うように逃げられないでいた。
「君は……、お前は……、なんなんだ……、」
「僕は、ネロ。リンミー家のネロと申します。元、影。リンミー家の影」
「……かげ……」
「はい。表はね、ロキっていうんです」
ネロはクインを見下ろした。
「ま、それは今は関係ないんですけど」
「……、回収って……」
「あの魔力を調べようと思いまして」
だから、それを、よこせ。
「逃げろ!」
クインがヒューイの拘束を解いた。
「あ!」
ヒューイは放たれた矢のように、一直線に花畑の中を駆けてゆく。目指しているのはたった一つ、アンルー熊を移転させた集積場だ。
「くっそ、」
あっちに行かれたら、神獣アンルーに吸収されている魔力がヒューイに移ってしまう。
いや、あの聖剣の例もあるので、逆にヒューイの力が吸い取られてしまう可能性もあった。
「君は行かせない!」
ネロの前にクインが立ちはだかった。
その声は再びネロの鼓膜に耳鳴りを呼び越すのだった。
声に魔力でもあるのだろうか。世界を魅了する歌手のような、独特の力を秘めた声でもしているのかと思ったが、ネロはその正体に気が付いた。
「その喉、手が加えられていますね」
「……」
「人工声帯……しかも、音波を調節できる仕様ですね」
「……ええ、これでも体のいたるところを戦いで失っていましてね。魔法力がないものだから、魔道具は使えず……、科学に頼りました。最初は疑ってかかっていたんですが、機械というのも、これはこれで使い勝手がいい」
生き物を一瞬ためらわせる波長を出す喉は、戦いにおいて優位に進むだろう。
しかも魔力も法力も含まれていないなら、対魔法の結界にも強い。
急に走るのが早くなったのは、オートメイルに近い機械が足関節に使われているのかもしれない。
最近の機械工学は、人体改造をも可能にしている。
ネロはわずかに躊躇していた。
厄介そうな喉も、足首や膝に埋め込まれたジョイントも、やろうと思えば簡単に破壊できる。
しかし、義声帯や義関節、つまり補助器具だと思ってしまうと、手が出せなかった。
とはいえ、ただの補助器具ではなく、それを武器として使用できる性能があれば、目の前の魔法力のないただの戦士は、魔法を使える勇者に迫る者となるのだ。
「退け! ネロ!」
クインが叫びながらネロに向かって剣をふるってきた。
それを受けるのは、魔法剣。
刃と刃がぶつかったとき、クインは喉を振るわせた。
ああああああああああ!
その声は魔法剣を共鳴させた。
剣の震えはネロの体にも浸透し、その共鳴は脳を揺さぶる。
そしてネロははじかれて、後ろに飛んだ。
転びはしなかったが、目の前がくらくらと揺れている。
「こんなことろで争っている場合じゃないんだけどね、ほんと」
これだから勇者もどきは困るんだ。正義感にばっかり流される。
イライラしてきた。
あれを逃し、魔力を吸収して魔人とかしたら、もしくはアンルーに魔力を吸われて、あの檻を抜け出してしまったら、この勇者もどきはどうするつもりなのだろうか。
魔人なったヒューイをどう処理するつもりなのだろうか。そもそも、魔力を吸い取られきったヒューイは生きてゆけるのだろうか。そもそも死んでしまわないだろうか。
考えている時間がもったいない。
ネロは手のひらを合わせた。
《プォーヴォ》
そしてネロは、集積場はアンルーが捕らえられた檻の前、そしてヒューイのはるか前方に立ちはだかった。
ネロの姿を見たヒューイが、花畑の中で足を止めた。
なにかをつぶやいているが、声は届かなかった。
そして背後の檻の中で獣がうめき声をあげている。どうやら近寄ってくる魔力を感知しているらしい。魔力を引き寄せているのか、それとも抜き取られかけているのか、どちらなのかはまだわからなかった。
ただ、アンルーの声は徐々に力を取り戻してゆき、檻の中で暴れて出している。
そして花畑のなかから、ウサギや狐がうっそりと顔を出したのだった。
まるで呼び寄せられているかのようだった。
どれも体から魔力を放出している。
アンルーが魔力を集めているのだ。それらを吸い込み、回復を目論んでいるのかもしれない。
そしてネロの前にゆっくりとやってきたヒューイも、うつろな目つきで檻を見ている。
「おっと、あんたは行くなよ」
ネロは剣を抜き、ヒューイに向けた。
「ほかの動物ならともかく、あんたは吸い込まれるんじゃない」
そんなネロの周りでは、パタパタと小動物たちが倒れていった。
魔力がどんどん檻の中に吸い込まれているのが見えた。
生きているものからも魔力を奪えるようになっている。ぞっとした。めきめきと木が折れる音までし始める。どうやら樹木の槍は破られた。この石の檻も時間の問題かもしれない。
どれだけの魔物に変質したのか興味があったが、この場所は森ではなく集落の一部だ。封を解いて確かめるわけにはいかない。ネロは大地魔法に重ね掛けを施した。集積場の魔法陣が砕け散ったのが分かったが、今の優先はこの熊である。
それでも熊は抗うように咆哮した。
光魔法が出なかったが、周囲に恐ろしい声が響き渡った。
ヒューイが目を見開いた。
「誘われるんじゃない」
釘を刺せば、ヒューイはネロを見た。
「お前、曲がりなりにも勇者を名乗っていたんだろ。こんな獣に誘われるんじゃない」
「……」
「退け。さがれ。これから離れるんだ」
じりっと後ずさった。
「それでいい。そうだ、これから離れるんだ」
ヒューイの顔色は酷いものだった。
青く、黒く、そして頬がこけている。剣にどれだけの魔力を引き抜かれたのだろう。いや、生命力のようなものも抜き取られたに違いない。
「己を見失うなよ? 自分の名前は言えるか?」
「……ヒューイだ、……名前は……ヒューイ」
「そうだ、お前はヒューイだ。忘れるな。元は勇者なんだろ?」
「勇者……だった、……ヒューイは……失敗した……勇者……だった、」
熊が咆哮する。
ヒューイの目が揺れた。
「力が、……なかった……」
ぽつりと言葉は落とされた。
「力が……、欲しい……」
力が。
欲しい。
ネロはとっさに振り返った。そして檻が激しく揺れたのと、ヒューイが叫び声をあげたのが同時だった。
「力を俺に寄越せ!」
ぐぉおおおおおおお!
「やめろおおおお!」
別の叫び声が響いた。
そこにいたのはウェラスだった。
「何してやがるヒューイ! 今、何をしようとした!」
ウェラスは必死の形相でヒューイを掴みかかった。
マーガレットもいた。樫の杖をぎゅうっと握りしめて、困惑した顔で立ちすくんでいる。
「お前は光の人間だろ? なんでこんな闇の力に惑わされてるんだ馬鹿野郎! さっさとこっちに戻ってこい!」
「うるさい、うるさい、そこをどけ! 俺はそれを殺す! そして俺がその力を手に入れるんだ、力は俺のものだ!」
ネロは剣をそっと鞘に戻した。
そしてゆっくりを後退り、咆哮が絶えない檻に手を添える。
「ネ、ネロさん……?」
マーガレットが不安げそうにしていたが、答えずにわずかに肩を上げて見せた。
意味はない。ごまかしただけだ。
檻の中に結界を張る。
アンキラ。
植物魔法はもう解けていた。大地魔法の邪魔にならないように、魔法影響を半減させる結界を選んだ。檻の中から魔法がにじみ出ないように、また、周りからの魔力を吸い込まないように。
この結界は諸刃の剣である。
外部からの魔法の影響は半減する分、自分からの魔法攻撃も半減してしまうからだ。けれど、今の状況にはピッタリだ。
「ウェラス、ヒューイ!」
クインも追い付いてきた。
「お前がいながらどうてこんなことになってるんだ、クイン!」
「すまない、……、何が何だか俺にもわからないんだ」
「放せお前ら! 邪魔をするな! 俺は強くなるんだ、邪魔をするな!」
「少し黙れ! クイン、こいつを黙らせろ、早く」
「しかし」
「さっさと!」
「あ、ああ、わかったよ」
ヒューイは喉のあたりを指で抑えてから、ヒューイの耳元に口を近づけた。
ア!
そう声が、いや、音が響いたかと思うと、ヒューイが急に力を失い、ぐったりとウェラスに倒れこんだのだった。
「ったく、世話が焼けるぜ」
「ウェラス、さっさと宿に戻ろう……」
ヒューイをウェラスが雑に担ぎ上げ、ネロを見た。
「なんだか迷惑かけちまったみたいだな。酒は今度でもいいか?」
「ああもちろん」
ネロは笑い返したが、ウェラスの横でクインがにらみつけてくる。
「しかし、なんだこの檻は。すげえな。さっきまで無かったろ。中で何が暴れてるんだ」
「熊ですね」
「熊。へー、アンルーか? たいそうな神獣じゃないか。そんなのを檻詰めにするやつがいるのか。どんな猛者だよって話だな」
「はは。それよりも、ヒューイさん、病院に連れて行かないんですか?」
「連れて行ったってどうすることもできやしないさ。戦場精神疾患ってやつだからな。よくあるんだよ、寝せとけばいいんだ。睡眠は一番の特効薬ってね」
「専門医に見せたほうがいいですよ?」
「心配してくれてありがとよ。けど、俺たちには俺たちの考えがあってな。……そっとしておいてくれ」
「……そこまで言うなら、何も言いませんけれど」
「助かるよ、ネロ。じゃ、マーガレットも、先に行くわ」
「は、はい、ウェラスさん、今日はありがとうございました」
ウェラス、ヒューイ、クインを見送り、その姿が見えなくなったころ、やっとマーガレットが口を開いた。
「ネロさん、何があったんですか?」
「うーん、……おかしな魔力を持った熊がいた。それをクインとヒューイが倒そうとしていたら、ヒューイがおかしくなった。……かな」
「……この檻は?」
「おかしな魔力をもった熊が入っているんだ」
「ネロさんが……、やったんですか」
「ちょっとコツがあるんだよ。モスっていう魔法、……苦手なんだけど、それの応用で捕まえたんだ」
ほら、とネロはしゃがみ、小さな花を咲かせた雑草を指さした。
《モス》
すると雑草はうにょうにょとうねり、奇形にしか見えない蔦になった。
「うわ、……気持ちわるっ」
「素直すぎるだろその反応」
「ネロさん、……魔法を使えるんですね。下手ですけど」
「……、はは、……モスは特別苦手なだけだ」
「まるでほかの魔法は完璧みたいな言い方ですね」
「完璧だぞ? 完璧」
「はいはい、そうですね」
「……」
「……ネロさん」
「なんだ?」
「ネロさんがこの熊を捕まえたんですよね」
「そうさ」
「……どうするんですか、この熊」
「……、なあ。どうしようか。……魔法師、……一向に姿を現さないな。回収してくれないかな」
「ネロさん、知ってます?」
「なにが?」
「魔法師って公務員なんですよ?」
「知ってるけど」
「今、何時かわかります?」
空は夕刻の色に変わりつつある。
今の時期は日が長い。
夜の装いには程遠いが、今はきっと夜だろう。
「……」
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