第23話 ネロ それは得てはいけない求めてはいけない


 

 ネロ、クイン、そしてヒューイ。

 三人は熊が作った獣道を逆戻りしていた。その道は、一頭の獣が作り出したとは思えぬほどの有れた道であり、低木などは無残なありさまだった。土もだいぶ掘り返されて、歩きにくいことと言ったらなかった。

「魔法師団の依頼の意味って何なんだよ」

 ヒューイがしびれを切らしたのか、ネロに訊ねてきた。

「先日、衝撃波が起こりましたよね?」

「ああ」

「その原因ですよ」

「はあ?」

「動物に、正常な個体と異常な個体がいる。昨夜、街の結界付近で不可解な動物の死骸がたくさん発見されましたよね。つまり、結界に引っかかったんです、異常な個体が。魔法師団はそれを探し出し、異常の原因を突き止めようとしている」

「……」

 あの衝撃波の影響なのか。

 それとも全く別の原因なのか。

 ハルリア村との関連性はあるのか。

 マーガレットの言う、爆発との関連性はどうなのか。

 ネロは《モス》の呪文をたびたびかけながら、道を整えつつ歩いた。

 モス系は基本的に植物の生長と促す呪文だ。

 突然変異まで及ぼすことはめったにないが、呪文解釈を間違えて覚えてしまっていたため、変種に成長してしまうことがある。

 学校に通わず、独学で魔法を学んだ者によくあるらしい。

 神獣アンルー熊やカヤト鹿を変貌させたあの魔力によって、植物も変形している可能性があった。

 自分の《モス》での影響と変な魔力での影響の見分けがつかなったら怒られるかな。

 そんな考えがよぎったが、すぐに、今は一介の旅人だし、いいか、と開き直った。

 大地魔法を使わなくても、植物の根の力強さを操れば、でこぼこの道も平らになってゆくし、森も再生する。《モス》はとても使い勝手のいい魔法だ。使い道はほとんどないが。

「あそこだ」

 クインが指差した。

 そこには、アンルーの作った獣道よりももっと無残な森の空間があった。

 大地はえぐれ、植物を土がまじりあい、巨大な岩が掘り起こされるようにあたりに散らばっている。

 そして、その岩のそばに、赤い縞は三本背中に走った巨大なオオカミが横たわっていた。

 その三本線は、熊の爪の痕、ではなかった。

「これがそのオオカミか。……大きいですね……」

「ああ。そして、この辺では見ない種だろ?」

 クインが躯を動かしながら言う。

 ヒューイはそのオオカミの死骸を瞬きせずに見下ろしていた。

「どこの種でしょうかね」

 そうネロは言ってみたものの、見当はついている。コーカルよりも東北に位置する森林が生息地の、やはり心中だ。ふかふかの白い毛に、灰色と青の文様が描かれる、北の狩人である。

 巨大な熊を仕留めることができる大型種だ。

 背中の赤い三本線。それは鋭利な刃で傷つけられた痕跡。治りかけのようだったが、まだ痛々しい。

 そして、すでにこと切れているものの、わずかに奇妙な魔力の気配を感じた。やはりこの個体も魔力に当てられていたようだ。

 しかし、このオオカミの生息地は東北。ハルリアはコーカルの東南だ。

 衝撃波とハルリアの爆発、リテリアの異常などが関連あるのであれば、この大加茂の魔力は、どう考えればいいのだろうか。動物たちの異常と、衝撃波は別の事件なのだろうか。

 謎が増えてしまった。

 頭上から鳥の声が降ってくる。

 見上げれば、このオオカミの死骸を狙ってきたのか、巨大な猛禽類が数羽、円を描くように上空を飛んでいた。

「……」

 ネロはそれにも異様さを感じた。

 まるで引き寄せられている。

 なにに。

 この躯に。

 不意に、ヒューイがオオカミのそばにしゃがみこんだ。

 そしてそっと背中の赤い傷跡に指を添え、撫で始める。

 なにをしている。

 その行動に狂気を感じた。クインも同じらしく、驚いた顔でヒューイを見つめている。

 ヒューイがしつこく傷をなでていると、そこから魔力がじわじわと滲み出したのが分かった。頭上で鳥たちが騒ぎ出す。そして急降下してきた。

 ネロはとっさに杖を振り、一羽目を魔力でとらえた。クインも剣を抜き、二羽目の足をバッサリと両断。

 二羽の鳥はギャーギャーと叫びながら落ちて、えぐれた大地の上で暴れている。

 三羽目はまだ様子を伺っているようだ。

「……あれも早いとこ捕獲するか」

 ネロは狙いを定めて、《ゼピュ》と風魔法を放った。

 それは小さな気流となり、鳥たちの飛行を乱す。

 バランスを崩したところに、再度魔力の縄をヒュンと飛ばせば、あっけなくその首に巻き付き、鳥は落下してきた。

 そして大地に叩きつけられて、ぐしゃりとつぶれた。

 死んだ。

 その時、大地で暴れていた二羽の鳥が一層激しく暴れて、なぜだか死んだ鳥に襲い掛かろうとしたのだった。

 自由が利かないため近寄ることができていないが、鋭いくちばしを死骸に伸ばすようにギャーギャーとけたたましく鳴き、翼をばたつかせる。

「どうしたんだ、一体、これは……」

 クインが引き気味に呟いた。ネロも同意だった。

 そして、ヒューイがじっと死んだ鳥を見ていた。

「……ヒューイ?」

 クインがヒューイの異常さに気が付いた。そばに寄ろうとしたので、ネロはとっさにクインを止めた。

 ヒューイはゆっくりと鳥の死体に近づく。

 するとだ、ネロの目の前で、死んだ鳥から魔力が湯気のようにあふれ出たのだ。そしてそれはヒューイに吸い込まれていった。

「……、な、んだと……」

 思わず声に出していた。

「な、なんだ? ネロ、君は今なにを見たんだ?」

 言えなかった。

 ヒューイが瞬きせずに、こちらを見ている。

 そして動いた。

 素早くネロの横をかすめ、クインに体当たりしたかと思うと、その手にあった剣を奪ったのだ。

「おい! ヒューイ!」

 クインの声は届かない。ヒューイはクインから奪った剣を大きく横に振ってから、ネロとクインが迎撃態勢に入る瞬間に方向を転換し、大地でわめいている鳥を一羽、薙ぎ払った。

 首が飛ぶ。

 血しぶきが上がり、ネロとクインは息をのんだ。

 何をしたいのだ。

 何が起こっているのだ。

 声を出せば、標的がこちらに移る気がした。クインがゆっくりと、短刀を鞘から抜いた。それに合わせるように、ネロも杖を腰に戻し、代わりに剣の柄を握る。

 剣に自信があるとまでは言わないが、弱くはない自負はある。

 なんちゃって勇者くらいなら相手ではない。

 ただ、このクインといいウェラスといい、腕はそれなりに立つと見受けられる。

 そして当然、目の前で首のない鳥の死骸も見ながらニヤついているヒューイもだ。

 剣士と魔法使いの相性は悪い。なにせ、腕利きの剣士は呪文を詠唱して時間をくれない。無詠唱だとしても、術の発動には集中力が必要だ。

 剣げきをよけながら魔法を繰りだせる魔法使いがどれだけいるだろうか。魔法使いが後衛である所以である。

 しかも、相手は諦めたとはいえ、勇者を自称して他国の義勇軍にまで入った人物だ。

 それに、勇者というからには、魔法と剣の双方の能力を持ち合わせている可能性がある。

 逆に言えば、剣術や武術に秀で、魔法の才能がある人間が、己を勘違いして勇者を自称するのだが。

 これまで出会ったなんちゃって勇者とは少し違うかもしれない。

 ネロは魔法剣に自分の魔力を浸透させながら、腰を落とした。

 目の前で異変が起こった。

 首が落とされた鳥から、案の定魔力が滲み出したのだが、それが向かったのはヒューイではなく、もう一方の鳥だった。

「なんでだよ!」

 ヒューイが叫んだ。

「なんでそっちなんだよ! なんで俺じゃないんだ!」

 そして、最後の一羽の鳥に、剣を突き刺したのだ。

「俺に来い、俺だ、俺を選べ!」

 最後の鳥から滲んだ魔力は、二羽目の鳥の魔力と合わさり、目の前がかすむほどに大量だった。

 それがヒューイに向かってゆく。

「そうだ、それでいい! 俺だ! 俺にすべてをよこせ!」

 声に呼応して、渦巻くように魔力が飲み込まれていった。

 全てがヒューイに吸収されたとき、ネロは思わず剣を抜いた。

 魔人転換。

 そんな言葉が浮かんだ。

 己の魔力量以上に、他者からの魔力を体内に取り入れたとき、体が魔力に合わせて変化してしまう現象だ。

 ヴァンパイアが、噛んだ相手の血を吸い、代わりに己の魔力を注ぎ込んで眷属にするのと同じだ。

 しかし、それには傷が必要だ。もしくは力量に圧倒的な差がある場合でなければならない。

 ヒューイと鳥の死骸では、圧倒的にヒューイのほうが強い。

 しかし、先ほど魔力はヒューイを選ばなかった。

 魔力が誰に宿るか、そのルールは曖昧なのだ。そして、魔力にあてられたものは、より魔力を体内に蓄えようとする。

 アンルー熊はその強さから、たくさんの動物を屠り、たくさんの魔力を吸収してきた。オオカミも同様だ。

 そして、アンルー熊が勝った。

 オオカミが蓄えてきた大量の魔力を体に宿した。

 それであの狂気じみた強さだったのか。

 ネロはようやっと納得した。

 そしてヒヤリとする。

 では、ヒューイが狙うのは、あのアンルー熊の魔力。

「まずい!」

 あのアンルー熊は瀕死だ。あと一撃でもkう合えれば死ぬだろう。そんなギリギリのところでとらえている。

 あの魔力をヒューイが吸収したら、完全に魔人かするかもしれない。

《我が名はネロ 風よ 集え》

 その瞬間にネロは風の精に包まれ、横にいたクインをつかむと突風に乗った。

 そしてアンルー熊を捕らえている石牢のそばに着地する。

 風の加護を受けていないクインは着地がうまくデイズに地面に転がったが、すぐに体を起こした。

「何が起こったんだ、ネロ、君は知ってるんだろう?」

「僕もね、確信があるわけじゃないんですよ。それよりも、クインさん。ヒューイさんって最近、どこか怪我をしたりしませんでしたか?」

「怪我?」

 ネロは石牢の周りに円を描き、結界を張ってゆく。

 最初は集積場でクロシーダがかいていた転移魔法にしようと思ったが、あの転移先が一体どこなのか分からなかった。

 集積場でも、もしかしたら弱肉強食により魔力が一体の魔獣に集まっていて、暴れている可能性もある。

「もともと怪我が絶えない職業だ、どこかしらにあるだろうけれど……。ああ、でも何日か目に、具合が悪いと言って半日寝込んだな」

 それだ。

 ヒューイはあの衝撃波の影響を受けてしまった人間だったのだ。

 あの衝撃波に含まれていた魔力。

「魔法師団からの依頼で、どれだけの野生動物を駆除した?」

「三十体はくだらないんじゃないかな。それ以外にも夜警団としてゾエの周りのが売獣駆除もしていたし」

 駆除した中にきっといたのだろう、同じように魔力に充てられた動物が。それを最初は気づかずに殺し、魔力を得て、徐々に魔力に惹かれるようになり、魔人に近づいていった。

 魔法師団で倒れた魔法師たちは大丈夫だろうか。

 アンルー熊の転移先を決めた。

 集積場だ。

 転移魔法の結界呪文を書き換えてゆく。

 カンバリアの誇りでもある科学力、宇宙に漂う人工衛星のおかげで、少なくともカンバリア国内の緯度と経度ははっきりと導きだせるはずだ。

 そう思いネロはこっそりと小さな通信水晶を取り出したのだが、なぜが起動しなかった。

 おかしい、電波と電磁波によっていつでも衛星と交信できるはずなのだ。

 若干焦ったものの、すぐに動力を魔力に切り替えた。

 少しの間があって起動した。けれども、個人由来の魔力というものは実に不安定な動力である。法力もだ。しかも、はるか宇宙にある衛星とつながるほどの力など、あるわけがない。

 魔王でもあるまいし。

「くっそ」

「おい、……来たぞ」

 クインがネロのマントを引っ張り、小声で言った。

 振り向けば、目をぎらつかせたヒューイが木々の影から姿を現したのだった。

 その体からあふれ出すのは、人間離れした魔力。

 得体のしれない魔人になりかけた、狂人だ。

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