第22話 ネロ それは圧倒的な力だから



 ネロは本来、魔獣や神獣、はたまた野獣などとの戦闘は得意ではなかった。

 なぜなら、ネロの想定する相手は人だったからだ。

 対人、対魔人、対使役であり、モンスターや動物は専門外で、生涯その分野と関わることもないだろうと思っていた。

 そんなネロに魔獣や神獣、動物、時にはモンスターといったものとの対峙をさせたのが、サヴァランだ。

 これまで対人で想定していた細やかな動きは、サヴァランの指導のおかげで大胆になったとネロ自身思っている。

 感謝もしている。

 自由が与えられたのだから。



 まるで風のように森の中を駆け、咆哮へと向かってゆく。

 風のようにではなく、風の精霊の加護を得たネロはまさしく風そのものだった。使役をしていない精霊に頼るのは正直避けたいのだが、あちらから好意をもって力を貸そうとしてくるのだからしょうがない。

 木々が、襟足を泡立たせる音を立てて次々と倒れてゆく。ネロが駆ける足元にも、生木が力づくでへし折られたような、無残な株が点在するようになった。

 近い。

 そう思えば、体を包む風がより厚くなり、キラキラと光を屈折させる妖精達が道標となった。

 その光の道にネロは足を出した。光の橋を駆け上がり、風を踏み台にして思いっきりとんだ。

 そして眼下。獲物を捉えた。

 巨大な熊だ。上半身は黒に近い銀色で、足に向かうにつれて白光りしてゆく毛並み。大きな頭、顔から突き出したような口があり、鋭い牙からは血を滴らせて吠え続けていた。

 神獣アンルー。

 その太い腕が振り回されれば、傍の若木など一瞬で薙ぎ払われる。その爪からは尋常ではない法力が噴出していて、若木どころが地面もえぐれた。

 理性を失っているのか、戦闘時に発せられる法力の異常あ力がそこら中に放たれている。

 その先に見えるのは、二つの人影だ。剣を熊に向けている。別行動をしていた元勇者。勇者見習い。今はただの戦士。

 一体何が起こったのか、そんな疑問の答えはもう出ていた。

 あいつらが何かをやったのか。

 そうに違いない。

 頭の中で断定するが、どこからか、一つの考えに固執するな、と声がするのだ。自分の声だ。

 おかげでネロは、己の直感に従いそうになるのをなんとか堪えた。

 熊の上にポンと躍り出ると、

《風よ ゼラフム》

 大地に向かって杖を振りおろした。

 次の瞬間、回転しながら大地をえぐる風の剣が、暴れ狂う熊の腕を一本弾き飛ばした。

 ぐおぉおおおおおおお……!

 肉塊と血液が風によって渦巻き、四方に散ってゆく。熊はのけぞりながら断末魔さながらの咆哮を空に上げた。

 その先には、ネロ。

 咆哮と共に法力が突き上げてくる。

《アンキラ》

 噴き上がる法力を防護結界で押さえ、その反動を使って熊の前方へ飛んだ。

 結構な距離があったが、熊は怒り狂ってネロ尾に向かって突進してくる。

 ネロは風の加護を借りながら、熊を見たまま後方に飛んだ。

 そして、

「お二人とも、大丈夫ですか?」

 二人の戦士の前に着地した。

 二人は驚愕の表情でネロを見上げている。

 ぐおおおおお!

 神獣の咆哮。まばゆい光が迫ってきたのを、

《アンキラ》

 と弾き飛ばし、続く第二派の咆哮は、もう一度はなったゼラフムで打ち消した。

 ゼラフムは竜巻魔法の一種で、それなりに強力だった。さらに上位の魔法になると、当たりに甚大な被害を及ぼすため、大魔法に分類されている。

 いわば準大魔法ともいえるゼラフムが、相手を貫くどころか打ち消すことしかできなかった。それほどアンルーの放つ咆哮は常軌を逸している。

 おかしい。

 いかに神獣とはいえ、大魔法に匹敵する法力を幾度も出すのは異常だ。特別な個体である可能性もあるが、この状況から考えられるのは、あの魔力の影響しかない。

 ネロは威嚇するために、全身から魔力をにじませた。

 刺激しないように己の気配を消すのは手であるが、完全にこちらに敵意を向け、殺しにかかってくるのであれば、威嚇で返す。

 ネロの魔力に呼応したのか、周囲の妖精たちがざわつき始めた。

 目の前のアンルーも、少しだけひるんだように後退る。

 いつもなら、ふつふつと沸き起こる火のような感情は、氷のように固めてしまうのだ。そのように学んだからだ。

 けれども、氷は融かしてもいいのだと知った。

 自分で外せる枷は、外してしまっていいのだ。

 ネロは嗤った。

《大地よ》

 使い道のない大魔法。それを使ってもいいのだ。

 弱肉強食の世界なら、存分に強さを見せつけていい。そう教えてくれた人がいる。

《アルゼア モス》

 ネロの声とともに、木々が勢いよく成長し始めた。草花が蔦のように茎を伸ばす。

 地面からは石柱が生え、アンルーを囲んで行く。その石柱めがけ、木々が槍のような枝を伸ばし、草花がアンルー熊を締め上げるように繁って行った。

 アルゼア:大地魔法の基本魔法。モス:植物魔法の基本魔法。ネロのオリジナル呪文だった。いや、二つを同時に使うだけなので、オリジナルというのはおこがましいかもしれない。

 アルゼア系大地魔法は大魔法の一つだ。石魔法ゾッカ系よりもより大規模な力を操り、生態系を壊す可能性があるので禁術に近いとされている。あまり使う術者はいない。

 異常な力を発揮していたアンルーも、圧倒的な大地の力の前にはなすすべがなかった。

 石の牢と草の網で身動きが取れず、そこに容赦なく樹木の槍が刺さる。

「……ふう」

 ネロは息を一つ吐き出して、杖を下ろした。

 なんだかつまらないな。

 植物に覆われた巨大な石牢を見上げながら、心のなかでつぶやいた。大魔法を使うと、戦闘がつまらなくなる。戦闘など、公務員にとってはそうそう巡り合えない貴重な体験だ。

 それなのに、あっけない。

 対人、対魔人のように、小さな呪文を駆使して戦うほうが自分には合っているのかもしれない。憧れの大魔法を使った後は、ネロはいつも虚しくなるのだった。

 かといって、昔にそう生きろと言われたような、表の影として自分を抑え込んで居続けることはできない。すでに、解放の気持ちよさを知ってしまっているからだ。

 ネロが物思いにふけっていると、

「あんた、何者だよ」

 と、そばで男の低い声がして、現実に引き戻された。

 そこには夢破れた元なんちゃって勇者が、少し青ざめた顔で立っていた。

 ネロはへらりと笑った。

「先ほどお会いしました、ネロというものですよ。ヒューイさん? そしてクインさん。……お二人は、この熊に何をされたんですか?」

「……駆除だ。依頼通りにな」

 答えたのはヒューイだった。

「にしては随分激しく暴れていたようですけれど……?」

「何が言いたい?」

「待った、落ち着けヒューイ。感情的になるなよ。ネロさんだっけ、ひとまず助けてくれてありがとう。感謝するよ」

「いいえ」

 クインがヒューイを背に隠すようにして前に出た。

 感謝の言葉を口にしていたが、その表情にはネロに対する不信感に近いものが含まれている。

「俺たちは本当に依頼通りに駆除をしようとしていただけさ。変なことはしていない。殺そうとしたことが変なことだと言われれば、反論のしようはないけれどね」

「それはそうですね」

「……中途半端な攻撃をして、アンルー熊の逆鱗に触れたのならな、それも反論はできない。……正直なところ、俺たちも驚いているんだ。気のふれた魔獣や神獣の退治くらい、これまで何度もやってきたからね」

「自信はあったんですね」

「むしろ失敗すると思ってさえいなかったよ」

 苦笑いを浮かべるクインだが、怒りも含まれていた。ネロへの怒りか、いや、己への怒りだろう。

 神獣アンルーはまだ息がある。片腕を失い、堅固な牢に固められて槍で疲れてもなお、暴れようとしている。

「こんな、田舎の小さな森にいる神獣が、……こんなに強いとは思ってもいなかった。……、神獣の森や外国の危険地帯にもなかなかいない」

 元勇者、なんちゃって勇者とはいえ、外を経験してきたものの言葉には信ぴょう性はそれなりにある。

 大魔法で捕らえてしまったが、その真の力を測るために、拮抗する戦いを目指すべきだったかもしれない。

「最初から暴れていたんですか?」

「いや……、最初は……別の戦いがあったんだ」

 クインが目をそらした。

 怪しい。

 やはり下手なちょっかいを出したのではないだろうかと疑いが出てくる。

「なんだよ、その目」

 ヒューイが噛みつかんばかりの剣幕で詰め寄って、それをクインが抑えた。

「どうしたんだよ、お前、ちょっと落ち着けよ」

「五月蠅い、こっちは気が立ってるんだよ!」

「わかった、わかったから。落ち着いてくれ、俺が話す。……ネロさん、俺たちが見たのはオオカミだよ。俺とヒューイは、最初はオオカミを狙っていた」

「オオカミ? この辺りにいましたっけ」

「いないはずだ」

 ヒューイが力強く言った。

 続けたのはクインだ。

「いないのに、目の前に現れた。いや、オオカミの群れが縄張りを移動させたという可能性もあるから、いないとは言い切れないが、めったに見ない。だから、これは何かあると思って追いかけた。そうして追い詰めて、退治しようと思ったところで、……そいつが現れた」

 そいつ、と言ってクインがアンルーのいる檻を顎で指す。

「オオカミはそいつに向かって襲い掛かって行って、獣同士の戦いになったんだ。どっちも、お互いを認識していたような感じだった」

「認識って?」

「どっちが、強いかを……試すような……だ。同種間でのボス争いに似たような戦いだった。……異様だったんで、流石に潜んで様子と伺っていたさ。最後に、アンルー熊がオオカミをかみ殺した」

「そして、……俺たちに狙いを定めてきたんだ、その熊のほうからな」

 ヒューイの眼光が鋭くなっている。

 あの熊は異常だった。十中八九、謎の魔力によっておかしくなっていただろう。

 そして、オオカミもその可能性が高い。

 二体はボス争いをして、熊が勝った。

 そのオオカミの死骸はどこにあるのだろう。

「……その奇妙なボス争いがあったところは、どこですか?」

「この熊が作っていきた、木をへし倒した道をたどってゆけば、あるだろうよ。鷹なんかについばまれていなきゃな」

 相変わらず険のある口調だったが、そのヒューイの声に徐々にかすれが目立ってっきた。

「ヒューイさん、もしかして胸のあたりを怪我をしてますか」

「……、ああ、受けきれなかったんだよ、くそ」

 カランと放り出したのは、折れた剣だった。美しい銀色の刀身には、光魔法がかけられている。

「剣は折れた。ふん、これで……勇者なんてもんからすっぱり足を洗えるね……」

「ヒューイ、……」

「夢をあきらめる理由を見つけられてよかったですね」

 ネロの口からポロっと言葉がこぼれた。

 ヒューイが目を見開き、瞬時に眉根が寄せられる。

「それに、十分喋れてるんで、怪我といっても大したことはないんじゃないですか? 剣なら買えますし」

「お前、この剣がなんなのか、わかって言ってるのかよ!」

 知らない。興味もない。

 なにか大事な剣なのかもしれないが、折れたことを夢をあきらめる材料にされては、剣として無念だろう。

「ネロ、君、ちょっと失礼なんじゃないかな」

 クインがネロをにらんだ。

「……はは、僕が出しゃばらなくても大丈夫そうだったかな」

 頬を指でかきつつネロはへらりと笑った。

 失礼なのは重々承知している。

 嫌な奴だと思われても構わない。本音だったからだ。そして、それは当てつけであり、嫌味だったからだ。

「お二人とも、元気そうなんで、ご自分で街まで戻れますか? 僕はちょっとオオカミの死骸を探しに行こうと思うんです。送らなくても、自分の足で病院くらい行けますよね?」

「……てめぇ、いちいち癪に障るやつだなぁ!」

 射殺さんばかりにネロを睨んでくる。元気そうだが、少しだけ不安だ。

 あまり野放しにしないほうがいい気がする。

 理由はない。ただの勘だ。

「……今回の魔法師団のこの依頼、……その裏にある目的は分かってました?」

「……何が言いたいんだ?」

 クインがヒューイを抑えるように、先にネロに聞き返した。

 それに対し、ネロはにこっと笑って返した。

「お元気なら、手伝ってくれません? この依頼の、先を」

 

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