第21話 ネロ それは職務範囲の外側です

 

「一撃で……すごい」

 マーガレットが感嘆の声を上げている。ウェラスの剣の腕は見事なものだった。

 鹿の首に走る傷口は、迷いもない一直線。

 けれどウェラスはなにか思いつめたような顔つきのまま、無言で剣を鞘にしまった。

「……ネロ、お前もなかなかの腕前だな」

「え? はは、褒められるとなんだか照れ臭いですね」

 笑いながらひやりとした。ネロは実質なにもしていない、はずだ。

 こっそりと魔法を使ったけれども、一般人ならばあの魔法が何なのか知らないはずである。

 トリット:時の魔法。個体の時間の止める。ネロはどうしても生きているサンプルが欲しかった。

 昨夜、結界に弾かれたイタチは、死んでからすぐに異様な魔力が消えてしまった。

 この鹿も、死んでしまえばその魔力が消滅する可能性がある。魔力を帯びたままの状態で生け捕りにしたかった。

「さて、これ、どうやって運びます?」

 ネロは鹿を指差した。

 巨大な鹿は、重さはゆうに大人の体重を超える。

「……」

「……」

 マーガレットとウェラスは先ほどとは別の意味で黙った。


 結局、鹿はネロとウェラスの二人で運ぶことなった。

「くっ」

「おっも……」

 持ち方や角度を変えながら、ずっしりとした鹿を前後で持ち上げて、森をなんとか抜けた。

 腕と足がプルプルしている。

「あ、あの、私も手伝います」

「いや、大丈夫だだ、これでも戦士だからな、心配、すんな」

「そうだ、マーガレットは三人分の、荷物を運んでくれないと、困るから」

 なんとか集積場に運びこんだときには、筋肉どころか関節が悲鳴を上げていた。

 鹿を地面に転がした後、ネロも床に転がるように倒れこんだ。さすがのウェラスも

「はぁー」

 と声を上げて膝をついて、そのあまま座り込んでしまった。

「やっぱりこの依頼が最低報酬とか、ありえねえよ。ふざけんな魔法師団」

「……水、飲みます?」

「飲む」

 ネロは震える手で浄水ポットをグラスを取り出した。

 マーガレットも、そばにある石でできたベンチに座り、ネロが差し出した水を受け取った。

 それから十数分。三人は一言もしゃべらなかった。

 疲れが癒えてゆく心地よさと、風の冷たさ、そして花畑と大空。

「あ、ウサギ」

 マーガレットの指差す先に、花畑から顔を出すウサギたちがいた。ぴょっこらぴょっこらと跳ね回って遊んでいる。

 癒される光景。

 気持ちのいいひと時。

 それを破ったのは、一人の男の出現である。

 魔法師クロシーダだった。

「サンプルの回収に来ました」

 ツンとした、いや、刺のあるしゃべり方に、心地の良い空間にぴしりとひびが入る。

「これが大型獣のサンプルですね。採取場所はどこです。お願いしている印付けがないようですが。規定に従っていただきませんと困るんですよ」

「……、ああ、わかったよ、ったく」

 ウェラスが鹿の背のあたりに太いペンでキュキュっと印をつける。採取した時間と場所、そして使用した武器や魔法だ。

「剣と石魔法と? あとはなんだ、ネロ」

 ウェラスは聞いてきた。

「……魔法っていうほどでもないですけど。指笛かな」

「指笛、っと」

 書き終えて、ウェラスはクロシーダを見る。クロシーダは眉をゆがめてから、ぷいっと顔をそむけた。

「では回収いたします」

 そして鹿の周りに、ロッドの石突きを使って円を描き、簡単な魔法陣を重ねてゆく。

 それは転移魔法だ。簡易的なものである。

 全部書き終わると、トン、と石突きで地面を突いた。

 すると魔法陣が発光し、鹿のがわずかに浮かんだと思えば、音もなく消えた。

「ご協力ありがとうございました。報酬は登録したギルドでお受け取りください。では、失礼」

 クロシーダはネロ達を見もせずに言い、さっさと帰っていった。

 その姿が見えなくなった時。

「ほんとムカつく、魔法師って」

 マーガレットはこれまでにないくらい低い声で言い放った。

「……」

 不覚にも、ネロの心にぐさりと刺さった。



 ウェラスの登録していたギルドは、ネロとマーガレットと同じギルドだった。

 報酬を受け取りに一緒にギルドに戻った。

 そこで、受付の青年に言われた。

「あれ、ヒューイさんとクインさんは、一緒じゃないんですか」

「ああ、別行動してるんだ。あいつらが戻るまで、ここで待たせてもらっていいか?」

「いいですよ。そろそろ裏側の酒場も開きますし」

「そりゃありがたい。なにか腹に入れたかったとこだ。マーガレットとネロもどうだ? 一杯くらいならおごるぜ?」

「いいんですか?」

 マーガレットが嬉しそうな声を上げる。

 酒を飲む気だろうか。先日のように酔っぱらって絡み酒をしなければいいのだが。

「あ、僕はちょっと友達のところに顔を出さなければいけないんで、後ほど合流でもいいですか」

「なんだ、ネロ。この街の出身だったのか、お前」

「や、そうじゃないんですけど。友達がいるんですよ。そこに荷物も預けてるんで、引き取りもかねて。マーガレットは先に食事をしてていいから」

「……、はい。わかりました」

「じゃ、後でな、ネロ」

「はい、またあとで。報酬は戻ってから受けとしますね」

 ネロは受付の青年に言い、ウェラスとマーガレットに手を振ってからギルドを出た。

 まだ日は高いのだが、メインの通りや広場にはたくさんの人がいて賑やかだった。

 ネロは雑踏に紛れるように通りを歩き、裏道に入りそうな角を曲がりながら、そっとつぶやいた。


《プォーヴォ》


 そして花の香りに包まれた。

 ネロは黄色い花が風にそよぐ花畑に来ていた。

 先ほどまで、マーガレットとウェラスとともに腰を下ろしていた集積場である。

「……」

 ネロは花畑と、その奥にある森を眺めながら腰に手をあてて考えた。

「さぁて……どこまでが職務範囲かな……」




 手首を回す。大きな動物を運んだせいで、筋肉や関節に疲れがたまっている。それをほぐしながら、腰から杖を抜き取り、ヒュンっと右へ振った。

 キュイイ!

 動物の悲鳴が上がる。

 杖を振った先には、首をローブのようなもので絞められたウサギがいた。

 ネロの杖の先から、魔力を編んで作った縄が伸び、結界の上にいた野ウサギを捕獲したのだった。

 ヒュンっと振れば、ウサギがネロの足元に転がった。殺してはいない。じたばたと暴れている。

 ネロはポケットからカヤト鹿の角の欠片を取り出して、しゃがんだ。手のひらに乗せた角の欠片をウサギに近づけると、角の欠片から魔力がじわっと滲み出して、ウサギの中に吸い込まれていったのだ。

 ウサギは案の定、当たりだった。

 先ほどマーガレットが見つけたウサギのうち、一匹だけが結界の上を越えたり戻ったりしていた。

「さてさて? 君はなにが目的なのかな?」

 鹿の角の分の魔力を得てたウサギは、けれども変わらずバタついているだけだ。

 あの衝撃波によって、動物が随分と暴れたと報告があった。それと同じ原因だと考えられるものの、そうさせるこの魔力の目的が分からなかった。

 魔法師団でも衝撃波の魔力に充てられて倒れた者は多い。

 けれども、魔力が効かなかった者もいる。

 その共通点はなんなのだろうか。

 ひとまず、ネロは狩ることにした。

 結界の内側に入ると、ネロは結界の外を見ながら自分の足元に別の結界を描いた。

 円陣ではなく壁陣で、魔法師団が作っている円形の結界を、その一直線の壁陣でもって一部隔絶する。

 つまり、薄い半月状態の結界が出来上がる。

 これは立派な公呪文破壊、公呪文偽造であり、犯罪行為だ。

 公務員であったら一発懲戒免職だろう。今頃、ゾエ支部のセキュリティに異常を知らせるアラームが鳴り響き、その原因であるネロの魔法陣を逆探知していることだろう。ネロを突き止めることは難しいことではない。

 だがもみ消される。

 なぜなら、今現在のネロは、ギルドに名前を連ねている冒険者だからだ。

 ネロは月の弦の外側に立ち、円陣結界の外側を向いて、ゆっくりと指笛を吹いた。


 フィー……フィー……フィー……


 ザザ ザザ ザザ


 花畑のいたるところから獣が近づく音が聞こえた。

 そしてほどなく、ネロに向かって小動物たちが飛び込んでくる。

 ウサギ、イタチ、狐、小型の鹿、リス、ネズミ、鳥、トカゲ、カエル。それらは最初、まるで嬉々としてネロのもとへやってくる。足元で戯れるように転がったり、鳥や小動物たちは肩や腕に止まろうとした。

 黄色い花畑が賑やかになり、妖精たちさながらに蝶が舞い踊り始める。

 まるで夢のような世界だったが、ネロが求めているものはそれではなかった。


 フィー……フィー……フィー……


 辛抱強く吹き続けると、ネロの周りの平和な世界が、ピタリっと止まった。

 動物たちが動きを止め、円陣結界の外に集中し始める。

 そして、それは一瞬だった。

 動物たちが同時にネロのもとから一目散に逃げだしたのだった。

 来た。

 ネロは指笛を鳴らし続ける。

 そして近づく気配。

 狐だ。

 勢いよく花畑の中を駆け、ネロに襲い掛かるように躍り出た。

 

 バチン!


 その狐はネロの鼻先で何かに弾かれ、地面に転がる。すかさず鞭をふるって狐を首を魔力の縄でくくった。

 次はウサギ、次は鹿、次は大きなトカゲ、ウサギ、猫、野犬、次々とおかしな魔力をまとった動物たちが駆けてきて結界壁にぶつかり、ネロは次々ととらえていった。

 正常な動物や魔獣に混ざって、魔力にあてられた異常な個体が存在する。

 それらは魔法師団の張った通常の結界を越えることができるようだ。

 しかし街の中では、そのような動物たちがなにか悪さをしている様子はなかった。単にちょっとばかり狂暴なだけに思える。

 もしくは、異変に気が付かないギルドの自警団が駆除しているのかもしれない。死んでしまえば、魔力は消える。なので、自警団の中に有能な魔法使いがいても、すぐには感知できなかった。

 ネロの周りには、先ほどの平和な光景とは真逆の、地獄のような光景が広がっていた。

 大量の動物たちが首をくくられて、地面でもんどりうっているのである。慟哭のような恐ろしい鳴き声も響き渡っている。

 虫の死骸が大量に降っていた。

 結界付近に近寄らないようにと触書が出ていたおかげで、幸いにも阿鼻叫喚図を見る者はいないが、そろそろこの異様な雰囲気を不審に思った農民がうかがいに来そうである。

 ネロは指笛をいったんやめた。

 そして、もんどりうっている動物たちを囲むように、大きな魔法陣を一つ描く。

 クロシーダが使っていた転移魔法だ。どんな呪文と象形かはもうわかっているので、これらすべてを全部送ってしまおう。

 死骸も入っているが構わないだろう。もしかしたら、死骸からもなにかヒントが得られるかもしれない。

「よし、っと」

 目の前で動物たちが消えた。

「これで文句はないだろ、やることはやった。うんうん、むしろサービス残業だろ、これ」

 ネロは杖を腰に戻した。

 あとはゾエ支部で検査するなり、コーカル支部で検査するなり、適当な処理がなされるはずだ。

 明日にでも問い合わせれば、途中結果の情報が得られるはずだ。もしかしら他の地でもサンプル採取が行われ、なにかしらの結果が出ているかもしれない。

 荷物を受けとるついでに、コーカル支部に問い合わせをしてみようか。

 そのように考えながら、踵をかえそうとした時だった。

 森の一部が揺れた。

 ネロの視界に入っているこんもりとした緑の一部が、激しく揺れたのだ。

 倒木。

 それも、この場所から見えるのだから巨木であり、一本ではない。

 風に乗って獣の咆哮も聞こえる。

 ネロは駆け出していた。

 利き手には、愛用の杖を握りしめて。

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