第17話 ネロ それは魔王のためのタリスマン


 ゾエの街に夜がやってきた。

 砦のない街の守りは薄い。けれど手薄というわけではない。六つある冒険者ギルドによる自警団が見回りをしている。

 夜盗や野獣との小競り合いは絶えず、かと思えば、旅人や夜遊び帰りの若者が自警団のふりをしたゴロツキにちょっかいを出されることも頻発している。

 夜、郊外にはピーっという自警団の笛の音が細く響く。

 ネロは夜をまとい、足音を消して、風に乗ってくるその笛の音を聞いていた。

 右にはキラキラと輝くゾエの夜景、左には暗闇。たまにポツンポツンと光の点が見える。それはゾエの街から外れた農家の家の明かりだろう。

 空は星空だったが、星の明かりはネロの足元を照らすには足りていない。

 しかし、ネロの歩みはよどみがない。

 結界の上を歩いているからだ。

 ゾエの街に張られた結界に、ほころびがないか確かめている。体からじわりと魔力を放出し、結界に滲ませながら歩く。

 一気に魔力を浸透させてしまえば手っ取り早いが、誰に気が付かれるかわからない。ゾエの魔法師たちが直しているだろうが、万が一結界の書き換えの影響で、こちらの魔力を敵に感知されたら面倒だ。

 敵。

 そう、敵である。

 ネロの意識が、一介の平魔法師からまた別のモノへと切り替えられた。

 いっそのこと、自分の魔力を相手に感知させて、こちらへとおびき出してみようか。

 もし今回の騒動の元凶が、自分の魔力に興味を持ってくれれば、案外早く決着がつくかもしれない。

 敵はいったいなんなのだろう。

 魔王、だろうか。

 ネロの意識がどんどん変質していった。

 この星で騒ぎを起こすとしたら魔王以外にいない。

 人間同士の戦争、魔人同士の戦争、そのすべての元凶は魔王だ。

 魔王とはすなわちこの星の覇者。

 この星のすべての生き物は、魔王の下に跪く運命。

 であれば、今回の衝撃波も当然、覇者になろうと目論んだ魔王のいずれかの一手に過ぎないのだろう。

 魔王。

 魔王。魔王。

 この星の生き物は魔王に思考を支配されている。

 とはいえ、現在この星には真の魔王などいない。魔王を名乗る者たちが、我こそは魔王であると主張し争っているのだ。

 いわばなんちゃって魔王だ。

 ネロは笑いをこらえた。

 なんちゃって魔王風情が自分を手玉に取ろうなどと、片腹痛い。そんな笑いがこみ上げてきている。なんちゃって魔王にはなんちゃって勇者がお似合いだ。まがい物同士仲良く戦っていてもらいたい。

 しかし、自分のテリトリー以外でだ。

 コーカルはリンミー家のテリトリー。コーカルが統治しているリテリアの森も、その最東端のハルリア村も、このゾエも、他の街や村や集落も、リンミー家のテリトリーであり自分のテリトリーだ。

 ネロ・リンミーの名において、好き勝手やられては困る。

 ネロは右足に魔力を込め、ドン、と一歩踏み出した。

 一瞬のうちに結界に魔力が充填する。

 どこかでなにかが吹き飛んだ気配がした。複数だ。

《プォーヴォ》

 ネロはその場へ瞬間移動した。

 異動した先ではふわっと風がネロを包み、優しく空間に招いてくれた。

 足元には子犬ほどの大きさの魔獣の死骸がある。靴の底で転がしてみた。

 そこでネロは気づいた。これは魔獣ではない。ただの野獣だ。イタチの仲間だる。

 しかし魔力を感じる。

 人間にも魔力を持って生まれる個体があるように、野獣にもまれに魔力をもって生まれる個体がある。

 それだろうと判断した瞬間、ネロは驚いた。

 死骸から、魔力が蒸発するように消えたのだ。

「……」

 足元に転がるのは、ただの小さな野獣の死骸。

 ピィー……ピィー……

 ハッとしてネロはその場から離れた。

 自警団は別に敵ではないが、人に見られるのはまずい。

 気配を消し、なるべく魔力や法力も抑えて、ネロは街へと戻った。



 翌朝、ネロはパッチリと目を覚ますことができた。

「…………、体が……軽い」

 ホテルの柔らかなベッドの上である。

 大きな窓からは爽やかな朝日が差しこんでいる。青い空が鮮やかだ。

 チャイムが鳴った。

「リンミー様、ご朝食をお持ちいたしました」

 ネロはベッドから飛び降りてガウンを羽織り、寝癖を撫でつけながらドアを開けた。

「良くお休みになれましたか?」

「ああ。すっかり疲れがとれたよ。チェックアウトまではまだ時間があるかな?」

「はい。チェックアウトは正午となっています」

 窓際のテーブルに並べられたサンドイッチとスープ、そしてスクランブルエッグ。食後には温かい紅茶とサクランボのケーキ。

 食事をしながらのんびりと新聞を読む。

 今朝がた、街の境界付近で動物の変死体が多数発見されたと速報が載っていた。どれも結界の上だったらしく、魔獣や神獣ではなくただの動物に結界が反応するというのはおかしいため、結界を整備した魔法師団が調査することになったようだ。調査が終了するまで、安全が認められている道路や橋以外は通行禁止。魔法師団には多くの不満の声が寄せられている。

「はー。大変だなぁ、ゾエ支部は」

 しかしいい天気である。 

 出かける前にもう一度、バスタブにお湯を張ってゆっくりしよう。お湯につかりながら冷えたスパークリングジュースを楽しむのもいい。

 外の青空に目を細めながら、そんなことを考えていた。

 そして実行に移した。

 だがネロがお湯に浸かった瞬間に、部屋のチャイムが鳴った。

「……」

 無視していたが、チャイムはしつこく鳴り続ける。

「……ああ、わかったわかった!」

 再びガウン一枚でドアを開けると、出発準備万端のマーガレットが立っていた。

「おはよう、なにかあったのか?」

「…………」

「おい?」

「ハッ! ちょ、なんて格好してるんですか!」

「お前が風呂の最中にしつこくチャイムを連打するからだろうが」

「で、で、でも! っていうか、なんでお風呂に入っているんですか。早く出発しますよ?」

「やだよ」

「や、やだ? え? でも、もうお日様昇っていますよ?」

 そうか。

 冒険者は基本、日没とともに休み、夜明けとともに起き出すのだった。

 マーガレットとしてはとっくに出かける時間なのだろう。

「……マーガレット」

「はい?」

「お前、ろくな旅道具がないんだったよな?」

「え、ええ。まあ、はい」

「今夜から野宿が続くだろう」

「野宿は慣れていますよ」

「そして杖も壊れているだろう?」

「……はい。……そうですけど?」

 マーガレットは徐々に不安そうな表情に変わっていった。

「あの、もしかして、ここから旅は別々、ですか?」

 別々も何も、一緒に旅してまだ丸一日経ったかどうかだ。

「お小遣いをやろう。それで、お前用のテントと代わりの杖を買って来い。昨日の時計塔の前で正午に集合だ」

 そう言ってマーガレットに数枚の紙幣と一枚の金貨渡してドアを閉めた。

 金だけ持ってトンズラされても別に構わないし、一緒に旅をするのでも別に構わない。

 ネロはバスタブに戻った。

「あー……、気持ちがいい」

 気分もいい。

 なにより体が嘘のように軽い。いや、昨日がおかしかったのである。すべてはあの『魔公サヴァランのタリスマン』のせいだ。あれは本当に護符だろうか。

 やはり呪符なのではないだろうか。

 着けていただけで、魔力はおろか、生命力ごと吸収されていたような気がする。いや、気ではなく、確実にそうだ。

 ロキはあのタリスマンをいつから持っていたのだろうか。

 ネロが手渡された時、ロキに目立った疲労などはなかった。疲労困憊という感じだったが、あれは仕事のせいだろう。

 そもそも、本当にただの白い箱の中に入っていただけなのだろうか。封印を施されていないのはどう考えてもおかしい。やはりロキが解いたのか。

 しかし素質はあるとはいえ、今はただの一般人である。素人に解除できるような封印をするはずがない。

 なにせあれは、魔王のためのタリスマンだ。

 かつての魔王の力を封じるために作られた。

 魔力を、法力を、精神力を、体力を、そして魂を封印するための、この世でも最も危険な封印護符といっていい。

「封印?」

 ネロは己の考えに違和感を覚えた。

 あれは封印ではない。吸い取ると言ったほうが近い。

「吸い取る?」

 吸い取る。魔王の魔力を。

 あれは魔王のために、魔公が作ったタリスマン。ということは、魔王がタリスマンを身に着けていた。

「いや、……まさか」

 わざわざ自分の力を吸収するタリスマンを持つはずがない。

 魔王にとっては呪符にあたる。

 普通に考えて、身に着けている者に魔王の力が及んだら、それを吸い取る。そのような機能のはずだ。魔王が放つ魔法などを吸い取り、無効にする。

 しかし、それではどうやって魔王の力だけを見抜き、それだけを吸い取るのだろう。

 もしや探知できなかっただけで、実際は魔王の力だけではなく、近くにある全ての力を吸収していたのだろうか。

 けれど、それでは護符どころか災厄の根源だ。世界中の命あるものすべては吸い込まれてしまう。この世界は、今このように、まだ存在している。だからその線はない。

 ロキは、四大元素魔法のほとんどを無効化すると言っていた。

 ネロもその効力を読み取った。

 手にしていたロキは平気そうだった。つまり、ロキの力は吸い取っていない。

 けれど、ネロの力は吸い取られた。

 なぜ俺の力は吸い取られた?

 ネロはバスタブから出た。

 ガウンを羽織りながら空間魔法を発動させる。そして異空間の狭間に手をいれて、躊躇した。

 触れればまた生命力が吸いとられるかもしれない。

 が、躊躇いは一瞬。

 ネロの指は、優しくタリスマンを掴んだ。

 


 窓からそそぐ光が透明な石に当たり、ほんのりと紫色に反射する。

 今、魔力や他の力を奪われている感覚は無い。

 ネロは目を細めて、魔力の触手を慎重に伸ばしていった。そっと、触手の先が石に触れた、その瞬間だった。

 魔力の触手が、強い力で引きずり込まれた。

 慌ててネロは魔力の量を絞った。

 しかし一度魔力の旨味を知ってしまったタリスマンは、触れているネロの指から魔力を貪ろうとしている。

 こういうことか。

 ギリッと奥歯が軋んだ。ネロは一昨日の夜、全身全霊の魔力でタリスマンを探った。

 タリスマンは、自ら入り込んでくるネロの魔力を、喰っていい力なのだと認識した。

 そのことに気が付かなかったネロは、服の下、つまり素肌にあたるようにタリスマンを装着したいた。

 その間ずっと、タリスマンはネロの素肌から魔力を吸収し続けていたわけだ。

 魔力だけではない。ありとあらゆる力、生命力そのものをだ。

「くそ。やられた」

 ネロは異空間にタリスマンを放り込んだ。

 とんでもないブツをつかまされた。

 今のところ、あのタリスマンはネロにとって呪符である。

 けれど、やはりおかしい。ネロは首を傾げた。

 触れている者から生命力を吸い取るのであれば、やはり魔王はあのタリスマンを身に着けていたことになる。

 魔公サヴァランが作ったタリスマンを。

 人間が作ったタリスマンを。

 自分の力が吸い取られるとわかっていながら。

 普通に考えておかしい。絶対におかしい。

 そもそも《どの魔王》のタリスマンなのだ?

「あいつらはなにか知っていた感じだったな」

 夢の中と鏡の向こうで笑っていた、あの少年たちを思い浮かべた。

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