第11話 ネロ それはハルリアの命の望み


 マーガレットの荷物は、飛ばされた時に身に着けていたわずかなものだった。

「そういえば、お前、旅の資金はどれくらい持っていたんだ?」

「あ、ああ……私の貯金全部です」

「全財産を肌身離さず持っていたのか? 流石に不用心だろ」

「実家がヘリロトにあるんです。ホリエナ湖から出たら、まず真っ先に実家に向かったので」

「……なら、もっとましな野営道具もそろえればいいのに」

「ネロさんって、けっこう裕福な生活していました?」

「え? ……まあ、……そこそこ」

 リンミー家は領地はないものの、代々続く貴族なので副業のようなものがたくさんある。会社の経営だったり、荘園の管理だったり。また、親族の中には王宮勤めの者もいる。そうするとなぜか本家にも王宮から給料が支払われるのだ。

 多分、貴族家からの人質扱いなのだろう。

 王家に刃向かうと家族を殺す、という脅しだ。

 そして人質を差し出す代わりに、一定の金額を支給される。そういう、古くにあった慣習の名残だ。

 ネロも一時期同じような立場にいたことがある。

 首都にある大学に進学を決めたのは、成績の為だけではない。ロキとともに、王家の監視下に置かれるためだった。そしてそのまま、王宮に人質として収容される。

 それを逃れるには公務員になるのが手っ取り早い。国に仕えるのは変わりないので半分人質、半分自由といった身分になれる。

「……私の家は、代々占いを生業にしています。呪術師の強力な術は使いません。占い屋と日用雑貨を売るような小さな店です。長く続いているので、占い屋としては信頼を持たれてはいます。けれど、本格的な冒険の道具をすぐにそろえられるほど、儲かっているわけじゃありません。だいだい、魔道具は高いんです。ほんとうに、高いんです。このテントに使っている布だって、ただ魔属性の糸を織り込んでいるだけなのに、普通のテント道具の十倍はするんですよ? ……これを一枚買ってもらうのと、コーカルまでの電車賃を工面してもらうだけで精いっぱいですよ。それに急いでいたので、すぐに家を出ましたし」

 よく、貴族は市民と感覚が違うから行う政策もトンチンカンだと言われる。このような差のことなのかもしれない。

「そのなけなしの旅費と、自分の貯金を全額置いてきたのか」

「仕方がないでしょ! ……私のミスなんですから」

 今から戻れば多少は返してもらえるとは思うが、そんな時間を費やす余裕はない。

 ネロは荷物を肩にかけて歩き出した。

 マーガレットが小走りについていて、横に並んだ。

 しかしすぐに、マーガレットは遅れた。

 すると小走りに横に並んで、けれど気が付けばまた遅れる。

 ネロは立ち止まってマーガレットを待ち、追いついたらまた歩き出す。

 それを何度か繰り返した後、マーガレットが怒りだした。

「ちょ、ちょっと、ネロさん、……女の子に優しくない男ってモテませんよ! 速い、速いです歩くの!」

「……、そうか?」

 かしまし娘たちは余裕で横をや前をうろちょろして、しかも絶えず喋りっぱなしだ。だから自分の歩く速さなど気にもしなかった。

 もしやあの三人娘はかなり特殊なのか。

「あー、悪い。ちょっとゆっくり目に歩くよ」

「お願いします。あ、……でも、やっぱりネロさんはいつも通りでいいです。私が速く歩くようにします」

「いや、合わせるって」

「いいえ! だって急いでるんですもん。私のペースに合わせるより、ネロさんのペースのほうが早く移動できるでしょう?」

 なんだか健気なことを言い始めた。これが十代の女の子の考え方なのか。

 急ぐならば、移動魔法を使えば一瞬である。

 ネロは何度もあの森に行ったことがあるし、ハルリア村ならば数えきれないくらい行っている。

 しかしマーガレットの話から、ハルリアは確実に甚大な被害を受けていることが決定的になった。移動魔法を使った次の瞬間あわれ燃えカス、なんてことになったら笑えない。

 そればかりか、あの世でロキとサヴァランにさんざん馬鹿にされる。

 想像すると、それは自制に大いに役立った。




 次の街、ゾエに到着したのは昼を少しまわった頃だった。

 今日は日差しが強いので、ろくに寝ていないネロにはにこたえた。

 暑い。

 けれどカンバリアは気温がそんなに高くはない。暑いからと言ってマントを脱げば、逆に体が冷えてしまうだろう。

 ハルリアあたりは温暖なので半袖でも過ごせるのだが、内陸になるとそうもいかない。

 ゾエの町の入り口付近は野菜畑が広がっている。のどかな道が続く。歩いてると、遠くにとんがった塔がいくつか見えてくる。

 そのとんがった塔のある部分が中心部だ。

 人口は四千人。

 城塞のない街で、ここまで規模が大きいのは珍しい。野盗の危険と隣り合わせだが、物流の迅速性を優先させて発展した。

 その分、ギルドの力が強く、多くの冒険者が集まっている。

 そしてその分、野盗も強い。

 お互いに刺激しあって強くなってゆく。

 良いのか悪いのかよく分からない。

 雑多な感じもあるが、物と人にあふれていて活気があり、マーケットには新鮮な野菜が山盛りになっている。

「マーガレット、ゾエにはギルドが六つほどある。手分けして爆炎の勇者の情報を集めようか」

「いいんですか? お願いしても」

「ああ。……けど、名前を出せばわかるほど有名なんだろうな?」

「当たり前です! むしろネロさんこそ、聞き込みついでにギルドのことを学んできてください!」

 ほんと失礼しちゃう、とマーガレットはふてくされた。


 

 ゾエの街にはギルドのほかに魔法師団の支部がある。ネロの本当の目的は、そこだ。

 情報収集は必要な出張の場合、支部がある街では必ず顔を出すようにしている。

 マーガレットと別れた後、ネロは先に魔法師団ゾエ支部に向かった。

 ゾエ支部は街の中心部の隅にある。

 二階建てのその建物の周りには、弁護士などの事務所の入った建物などが並び、静かだ。

 魔法師団の旗が掲げられている。

 入り口に近寄ると、扉が音もなく開いた。

「こんにちは。どうぞ」

 という声がして、カウンターの向こうにいる眼鏡をかけた男性の魔法師が振り返った。

 建物の中は心地よく冷えていて、壁には宇宙図の壁画が描かれている。

「こんにちは。……コーカル支部から来ました、ネロ・リンミーですが」

「ああ、コーカル本部の。ようこそ。どうしました?」

「出張でリテリアの森に行く最中なんですが、最新情報があればと思いまして」

 ネロはカウンターに立ち、服の下から魔法師のペンダントを引っ張り出して見せた。

「リテリア? はい、お調べしますね。……えーと、ああ、森の柵の件ですね。はいはい、サヴァラン所長からの直々の任務ですか。はああ、そうですね、ちょっとお待ちください」

 眼鏡の魔法師はカウンターにある水晶板を操作しながら、どんどん背中を丸めてゆく。

 できるだけ水晶に顔を近づける魔法師は、たいがい古文書や呪文解析および開発にのめりこむタイプ。

 現場で働くよりも研究室に籠っているほうが向いている。

 ゾエではギルドが強いので、このようなインドア派でもやっていけるのだろう。

 しかし二人以上で勤務しなければならないのに、室内にはこの魔法師しか姿がない。

「今、お忙しいんですか?」

「え?」

 魔法師は眼鏡のつるをつまみながら顔を上げた。

「いえ、お一人しかいないので。ほかの皆さんはどこかなと」

「ああ、はい、そうですね。ここには三人在籍しているんですが、一人は休暇。一人はギルドのほうに行っているんです。ほら、リテリアの森が立ち入り禁止になったので、ギルドから苦情が来ましてね。その対応ですよ。町役場にも同じような苦情が行っているんだそうですよ」

「立ち入り禁止だと、ギルドは困るんですか」

「冒険者は自由を大事にしますからね。立ち入り禁止という束縛が気に食わないんでしょう。しかも腕に自信がある者ばかりなので、多少の危険など気にはしない、むしろ望むところだ、……と。あとは、リテリアの森を通って近隣の村や漁場に向かう一般の人たちが、文句を言っているんです。ま、これは理解できますけれど、ギルドは面倒です。説明をして納得してくれるような人間が少ないので。えーと、情報がでてきましたよ。どのあたりまでご存知ですか?」

「恥ずかしながら何も知らないんですよ」

「ああ。はい。サヴァラン様からのご依頼ですもんね。承知しておりますよ」

 どのような承知の仕方なのかは謎だが、ネロがサヴァランの使い走りということは多くの魔法師が知るところだ。きっと、また無茶振りされてるんだな、と思っているに違いない。

 魔法師は椅子に座るように促してくれた。ネロは軽く会釈して椅子に腰かけた。

「リテリアの森の柵が壊れていると報告が上がったのは二週間前ですね。公園の監視員からです。柵自体は監視員が応急処置をしたようですが、結界が壊れている可能性があるということで、魔法師団に調査依頼が来ました。対応したのはハルリア村の魔法師ですね」

「ハルリアの」

「はい。報告箇所の結界は張り直したが、他にもほころびを感じ取ったので、もしかしたら魔法の知識のある密猟者や野盗が侵入したのかもしれない、よって魔法師団の警備部隊に来てもらいたい、という依頼が三日前に出されていますね。それと専門の結界師」

 三日前。マーガレットが言っていた爆発とやらがあった日だ。

 依頼が出されたのは爆発があった前なのか。それとも後なのか。

「……それで、魔法師団は警備部隊を送ったのか……分かりますか?」

「いえ、送れていませんね」

「……なるほど。それで、リテリアを立ち入り禁止にしたのはいつの時点でですか?」

「えっと。ああ、……、これは市長からの直接命令ですね。ネロ魔法師のお兄様? 弟君? ですかね。さすがお仕事がお早い。四十五分後には立ち入り禁止命令が発布れています」

「では昨日ということですね」

「ええ、昨日の、あの衝撃波の四十五分後」

 爆発が起こってから衝撃波四十五分後まで、約二日の空白。

 リテリアの森では爆発のことを把握していなかったのだろうか。

「今は柵には電流を流しているようですな」

「電流か。……そうすると、リテリアの森の中にいた人々も逃げれないのでは?」

「そうですね。ギルドが文句を言っている理由にはそれも含まれています。まあ、電流を流したのは警備員の判断なので、魔法師団や役所に文句を言われても困るんですが。警備員としては、危険な野生生物が逃げ出して、街や村を襲うことを懸念したのでしょう。ええっと、警備員の監視室にやってきた人々は、順次外に出して、病院などに送っているそうですよ」

「けが人は?」

「動物に襲われて、瀕死になっていた冒険者が一人。監視室に集まっていた中に、医療魔法に長けた魔法使いがいたので、その者の術によって一命はとりとめたそうです」

「それは良かった。けれど……となると救援隊は向かっていないわけですか?」

「コーカル市が軍に要請中だそうです。ですが、……軍にしては初動が遅すぎますね。……だからですか? ネロ魔法師がここにいるのは」

「柵の修理が目的ですよ」

「そうでしたね。失礼しました」

「しかし、衝撃波がなければ、柵はずっと放置するつもりだったんですかねぇ」

 ネロは腕を組んで、困ったもんだ、とばかりに首を傾げた。

 眼鏡の魔法師も、同意するように頷いている。

「ですな。サヴァラン様が動かなければ、後回しにする案件だった……とも思えんのですがね……この件は」

「そうですよ。リテリアの森ですよ? すでに二日? も放置だなんて危険だ」

「それは確かに、確かに。対応が遅いですなあ」

「魔法師団の警備兵以外が派遣されたような形跡はないですか?」

「うーん……、分かりませんです、すみません」

「いえいえ。本来であればこちらが調べておくべきなのですから、こちらこそわがままを言って申し訳けございません。ちなみに、俺がリテリアに向かうことは、森の警備員に伝わっているんでしょうか? なんせなんの説明もなく命令を出されたもんで」

「大変ですねぇ。警備員にはネロ魔法師がどんな方か知られていないと思うので、不審がられますね。あははは」

「あははは」

 いや、魔法師にはどんな方だと広まっているんだ。苦笑いしか出ない。

「でも大丈夫でしょう。コーカル本部より、一名の魔法師を派遣したという情報が更新されています。おそらくネロ魔法師のことでしょう」

「ほんとうですか。ああ、よかった。ありがとうございます」

「いえいえ、こちらは公開されている情報を伝えただけですから」

「いえありがとうございます、助かります」

 眼鏡の魔法師とネロは交互にぺこぺこと頭を下げた。

 しかし、三日前、か。

「その柵が壊れているという箇所は、どのあたりなのですかね? リテリアの森は広大ですが」

「そこまでは…………。魔法師がハルリアから派遣されたのですから、ハルリアに近い場所だとは思いますが」

「そうですか。ちなみに、ハルリアとは連絡が取れますか?」

「いいえ。うーん、……試してみましょうか」

「そうですね。連絡が取れればこちらとしても楽ですので」

 しかし連絡はつかなかった。

 電話はもちろん、水晶などを使った通信も通じなかった。

「…………無理でしたね……」

 これは望み薄い。壊滅の可能性が濃厚だ。

 ロキにもう少し詳しく聞くべきだった。いや、ロキが話すだろうか。話さないだろう。

「いつから音信不通か分かりますか?」

「いつから、ですか……」

「ええ。衝撃波のあったのと同時なのか、それより前に、実はもう通信が途絶えていたのか…………、もしくは衝撃波のあとにも通信を試みた形跡があるのか、です」

「なるほど!」

 眼鏡の魔法師は目を輝かせた。なにかの琴線に触れたらしい。

「む、……これは……」

「どうしました」

 魔法師はゆっくりとネロを見た。

 そして表情なく、低い声で言った。

「三日前から途絶えています」

「三日前」

「ええ。通信記録はありませんものの、遡ることができないのです。三日分」

「つまり?」

「時が三日前から途切れております」

「時?」

「ええ。なんと説明いたしましょうか。私どもの魔法公式で読み取れる過去が、三日前で途切れていて、そこから今に至るまでは別の公式……、別の魔力の術式に変わっているので、読み取れないのですよ」

 その説明に既視感があった。

 呪文が書き換えられている。そう、マーガレットのロッドだ。

「つまり、読み取れないものの、発信機自体はある。ということですか?」

「ええ、まさしく、そのとおりですとも」

「魔法公式は分からないが、魔法力は発信されている、」

「ええ! そうなのです!」

「それは、どこを基点に調べているのですか? どこの、なにを、基点に?」

「ハルリア村の、魔法師団支部の、通信用水晶基盤ですよ」

「つまり、ハルリア村の水晶基盤は、まだ在るのですね?」

「はい。まだ『水晶基盤は在ります』『ハルリア村に』そして『動いている』」

「よし!」

「ええ!」

 ネロと眼鏡の魔法師は同じことを思っていた。

 水晶基盤が在る。つまり通信器具がある。そして、動いているのだ。魔法公式は書き換えられているかもしれないが、存在そのものはなくなっていない。 

 口にすることをはばかられるようなことを、お互い予想していた。その可能性がぐっと低くなったのだ。

 ネロと眼鏡の魔法師は、無言で頷きあった。

 言葉にならない喜びを共有した。

 ハルリア村は、『在る』。

 そしてひとまず安心したネロは、次にもう一つ情報を求めることにした。

「そうだ。リテリアの森から脱出した人間の中に、爆炎の勇者とかいうのはいましたか?」

「爆炎の、勇者? ですか?」

「はい。どうやら人里に魔獣が出るという相談を受け、リテリアの森にいたようなんですよ」

「勇者ですか。勇者は魔法師団とは水と油ですから、……、少しお待ちください」

 眼鏡の魔法師は再び背中を丸めた。

「あー……、勇者と名乗るギルドの冒険者が一人、森から脱出しています。ひん死の冒険者を助けたパーティーのリーダーですね。ですが、それが爆炎の勇者かどうかは不明です」

「そうですか。……、その人物から、人里に出た魔獣について詳しく話を聞きたかったのですが……」

 適当に理由をつけてうなだれてみた。 

「でしたらギルドに向かわれたほうが詳しいことが分かると思います。ギルドで話し合いをしている魔法師に連絡をしておきますから、顔を出してみてください」

「なにからなにまで、本当に助かります。ありがとうございます」

「いえいえいえ、とんでもないとんでもない」

 再びネロと眼鏡の魔法師はぺこぺこと頭を下げあった。

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